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「放射性れんこん」の紹介
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放射性れんこんVol.21

1995.10.24 発行


目次
  1. 劇団どくんご公演第16番「トカ・ワピー クエンダ・ワピー」八王子公演特集(編集:レジN)
  2. トカ・ワピー クエンダ・ワピー観劇記(ami)
  3. 劇団どくんごdeちょーアウトドアライフ(ウテナ)
  4. 「どくんご」伊勢公演の4日間(社長)
  5. 「どくんご」の感想文(kazue)
  6. イカレンデータお料理教室(レジN)
  7. 芦浜点描 95年夏のキャンプから (編集:KJ)
  8. 秋の芦浜(zipp)
  9. 「第6回芦浜キャンプに参加して」(大西 にわこ)
  10. 蛇島 (レジN)
  11. 夏のキャンプについて(あやこ)
  12. 今回の芦浜キャンプ食事(zipp)
  13. むすび−来年も芦浜へ!(zipp)
  14. 芦浜に白い花咲く頃 Vol.1(Foo)
  15. れんこんヘルパー体験記(MI-DO-RI)

※2、トカ・ワピー クエンダ・ワピー観劇記(ami)
 3、劇団どくんごdeちょーアウトドアライフ(ウテナ)
 は、手書き原稿の為ホームページ上には載せていません。尚、ご覧になりたい方は
 放射性れんこんVol.21をご覧ください。


劇団どくんご公演第16番
「トカ・ワピー クエンダ・ワピー」
八王子公演特集

 [編集:レジN]

 2年前、れんこんネットとしては前代未聞の盛上がりを見せ、永遠に語り継がれる「マダム伝説」を残して終ったのが「劇団どくんご八王子公演」でした。
今回は、芝居の受け入れも2回目ということで、3月中旬に公演地として富士森公園を確保できそうだとわかってからは、さほどの盛上がりのないままズルズルと公演直前の日まで来てしまったのでした。それからあわてて受け入れ準備に精をを出したものの、準備不足の感はぬぐい切れないまま公演を迎えてしまいました。
しかし、劇団がやってきて富士森公園にドーンとテントを立てた瞬間から、「ココロ、ズキズキ、ワクワク」という感じで、ある種の興奮状態に陥ってしまいました。テントでの生活を共にしながら、公演に向けての準備をする中で、さらにその興奮は高まり、クライマックスとして公演を迎えます。この一連の過程を堪能することができるのは、芝居の受け入れをやる人の特権だったかもしれません。
そして八王子公演の余韻のさめそうなころに、今度は芦浜キャンプで「れんこん」とは深い関係の伊勢の人達が、伊勢公演を行いました。私は、そこへもでかけて行って、2回目の刺激をゴーンと受けて帰って来ました。
なんか、うまく言えませんが、「旅芝居を受け入れて公演をやるというのは無茶苦茶おもしろい!」ので、他の人にも是非おすすめしておきます。

八王子公演、伊勢公演に関った人達を中心に、「放射性れんこん」への投稿を募ったところ、たくさんの原稿を寄せてもらうことができました。「劇団どくんご八王子公演特集」として次ページ以降に、それを紹介します。

なお、旅中の劇団員の人達にも何か書いてもらおうと依頼の手紙を出したところ、旅先から次のようなメールをもらいました。やっぱり劇団員の旅生活はそう甘くはないのですね!?
(時折さん、メールの無断転載ゴメンナサイ!怒られたら、「あれが原稿だと思った」と居直る作戦だったりします。)

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Sender : TOKIORI (時折 ガリガリ旬)
Stamp : 95/10/05 22:57:10
Title : おひさしぶりです

どうもお久しぶりです。郵政省メール確かに受け取ってます。どうもありがとうございました。

それでですね〜、遠まわしに依頼されたかにみえる「ほうれん原稿」なんですが、僕もちょっとは書く気が無いことはないんですが、どーも時間と言うか何と言うかぁ〜、う〜ん。原稿を書く頭にするだけの体力と言うか余力がひねり出せそうにありません。
余談なんですが、(僕の場合)旅ももう3ヶ月になってくると芝居や作業をするための精神(および健康)状態を維持するのにけっこう四苦八苦します。旅中に書く「ほうれん原稿」というのは魅力なのですが、ちょっと大作業だなぁ。う〜ん。

と、いいわけを並べたててみる私です。すみません。ごめんなさい。

でした。
では、
また、

一応少々疲れながらも誰も病気とかにはなってません。まずまず元気です。

                                  時折 旬
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トカ・ワピー クエンダ・ワピー観劇記
「どくんご」伊勢公演の4日間

 [社長]

到着 9/6 車の到着する音で、外に出てみると来ました劇団「どくんご」。以前公演の打ち合わせに来た時とはひと味違う膝の抜けたジャージを着ていかにも演劇の人という姿の時折さんでした。テント設営前の今夜は社長宅隣の別荘で寝てもらう事になっています。

はげつるぴん 「どくんご」の夕食時に、去年の夏の芦浜キャンプで最年少男優のシンタと友達になっていた娘がのぞきにいって驚いたように帰ってきて一言「女の人もみんなはげつるぴんだよ。」小学校3年になっていろいろな事のイメージが固まりつつある彼女にしてみれば、女の人は髪が長いはずだったのです。世の中の構造が単純な田舎で育っている娘にとってこの事だけでも貴重な経験になったと思われます。その後は受け入れ側の広・柴原を含め飲酒及び雑談。

テント設営 9/7 午前10時過ぎに船江公園にいってみました。本来子どもと母親のセットが居るべき場所に、少々勝手の違う集団が、集まってテント設営の準備をしています。大量の資材の荷下ろしを手伝ったのですが、演劇行為が、肉体労働である事を痛感させられました。とりあえず午前の部まで手伝って夕方の作業が終わる頃再訪して、伊勢市の木曜日の17パーセントが食べている鰻丼を差し入れ。広を含め飲酒及び雑談。

チンドン屋 9/8 伊勢市に2校ある公立普通高校のうち宇治山田高校前でチンドン屋を行うというので見学に行きました。最寄りの交差点で待っていたのに、「どくんご」は来ない。高校生はどんどん通過して行くのにどうしたもんだろうと思っている内、なんと彼らは大胆にも高校正門前でチンドン屋をしていたという事で、帰ってきてしまったのです。末の娘が保育園に行く前にチンドン屋を見るとはりきっていたので、これはまずい。結局無理を言って保育園前で特別チンドン屋をやってもらいました。園児と保母さんたちが保育園の窓から鈴なりになって見入っている中、異世界が出現して私自身生涯数度目のチンドン屋は大受けでした。しかしシンタが自分の保育園を思い出してしまったのではないかと少々反省しました。

穏やかな生活 9/9 公演日は開演まで自由行動という事で、3時頃おなかにやさしい伊勢うどん(ファットなうどんをつゆでなく、甘いめのタレで食べるもの)と伊勢が誇る「豚捨」のコロッケ及びメンチカツを差し入れ。テントの中は農作業を終えたコミューンのけだるい夏の午後といった雰囲気で、居心地のいいものです。演劇集団というものは私の少年期のにがくも楽しい記憶からくるイメージでは、生活も過激なものではないかと想像していたのですが、「どくんご」の日常はとても穏やかな空気につつまれています。もっともそうでないと数カ月に及ぶ公演旅行では消耗してしまうのでしょうし、演劇中のある種の狂気とのバランスが必要なのかもしれません。

本番 「よーいやさ!はい。はい。」のかけ声とともに始まりました。急激な音量の変化に3才の末の娘が泣き出してしまい少々焦りましたが、後はOK。夕焼けがわずかに残る夜空を背景にぜいたくな時間を過ごさせてもらいました。チェーホフの「ワーニャ叔父さん」そのものを読んだ事がないのですが、時折旬と暗悪健太の掛合の部分が圧巻でした。私自身は普段から言葉をしゃべるスピードが遅いし、たたみかけるように言葉を使う事ができないのですが、良く練られた密度の濃い会話を余裕を含みながらすばらしい早さで交わす二人を唾と汗の飛んでくる距離でみているのは本当に面白かった。シンタの宅急便やさんもなかなか堂にいったもので、娘たちもあこがれの目でみていました。

打ち上げ残念 劇が終わり熱気が残ったテントの中で楽しい打ち上げが始まったのですが、残念な事に私は翌日早朝から南アルプスの登山があったため乾杯だけで帰らなくてはならず、非常に残念でした。広さん差し入れの「ずがに:秋の始めに川でとれる蟹」を食べながら楽しい夜だったようです。酒宴を全うしなかった呪いか南アルプスでは前後快晴の中登り始めから帰りのバス停まで雨と霧にたたられました。

横丁の福山さん 社長宅では「どくんご」劇ごっこがはやり、末の娘が「どなたです?よこちょうのふくやましゃん?ちがいます!おきゃくです!」を延々と繰り返し、次女は新体操風のダンスを改造して、「魚つれろ踊り」及び「魚つれた踊り」をハゼ釣りの時に踊っています。とにかく充実した4日間でした。
また来て下さい。別荘をあけていつでも待ってます。

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劇 団 ど く ん ご 略 歴(1995/02 記:どいの 修正:MI-DO-RI)

1983.4 埼玉大学・衛生短期大学演劇研究会を母胎とし、発足

1985.3 第二期活動開始
    『首都圏連続街頭劇』と銘打ち、以下3本の芝居を銀座・新宿の各歩行者天国において上演
    『生きた魚の一部分』作・山田零
    『糞氏物語』作・金芝河
    『ゲリラの棲む岸壁』原作・揚野浩

1985.11 『淫蕩のエピグラム ---- みるくをもっと』作・山田零
    埼玉大学内特設テント劇場

1986.4 『反シミュラークル宣言 ---- 春過ぎてつはもの共が夢のあとさきおっと字余り』作・山田零
    (1) 埼大内広場 (2) 練馬東映大泉撮影所 各特設テント劇場

1986.11〜12 メンバーをふたつの組にわけそれぞれ公演
    "花組"
    『非均衡人形館』作・山田零
    埼玉大学内において野外公演
    "雪組"
    『ゲリラの棲む岸壁』原作・揚野浩
    横浜、浦和、松本、名古屋において小劇場公演

1988.2〜5 メンバーを数人ずつの三つの組に分け、全国において投げ銭野外
    劇行動。以下三組とも原作はカフカ『変身』
    "音組"
    『雑踏の蒲團賣り----にせ古語とドンヒャララによる眞説浮世物語』構成・山田零
    "星組"
    『ケチャップの悦び ---- 大規模な茶柱』構成・伊能夏生
    "うねけ組"
    『泡沫(ウタカタ)の複眼家族----悩乱鉛色(エンジキ)夜叉伝』構成・佐藤泰博

1989.7 どくんご太郎公演『ひまわり咲イタカ』作・山田零
    埼玉大学内どくんご劇場

1988.9〜12 『パブリックな怪物
    ---- 夢が役に立たないとそうわかったので安心して眠った』
    作・山田零 佐藤泰博
    *初の自前のテントでの全国旅公演
    浦和、釧路、留萌、札幌、青森、石巻、高岡、松本、名古屋、京都、倉敷、広島、熊本、鹿児島、宮崎において公演。全テント公演。

1990.3〜7 『サクラ ガ サイタ』作・山田零
    浦和、宮崎、熊本、高知、大阪、笠岡、京都、名古屋、松本、福島、石巻、盛岡、青森、札幌、留萌、釧路において公演。高知を除いていずれもテント公演。

1991.6〜11 '91 "君をまっている"TOUR
    『君をまっている』原作・チェーホフ 構成・伊能夏生
    浦和、松本、石巻、青森、札幌、留萌、釧路、函館、盛岡、仙台、福島、高岡、上田において公演。いずれもテント劇場公演

1992.11 『今日も元気で』作・ちゃあ
    浦和北浦和公園において野外劇

1993.7〜10    '93 "よろこんで"TOUR
    『よろこんで』作・飯沼勲(原作・近松門左衛門)
    浦和、玉野、笠岡、福山、軽井沢、山形、月山、滝沢村、青森、石巻、河南町、鳴瀬町、仙台、名古屋、敦賀、八王子において公演。青森をのぞいていずれも野外公演。

1994.4 "狐の手袋 その1"
    『恋の日』構成・伊能夏生
    浦和・珈琲マチェック

1994.10 "狐の手袋 その2"
    『パッシュワリワリ』作・ちゃあ
    東京北区・ガーデニアギャラリー

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「どくんご」の感想文

kazue

 ある日の事、主人が一枚のビラを持ってきました。
 「今度やる芝居のビラなの。」
 と言われて目を通した私。
 思わず、どこの宗教団体の宗教活動なのかなあ、と考えてしまいました。
 (ビラを作った人ごめんね。)
 テレビ番組がオウム一色だったせいもありますが、ビラを見た瞬間、思わず腰がひけてしまいました。
 (特に、裏に書いてあった「どくんごは、いつも新しい人を求めています。」っていうのは・・・知らない人が見たら完璧に誤解するかもしれない・・・)

 ま、それはさておき、公演を見に行った訳ですが、公演が行なわれるテントの前で、そのあまりの怪しげな雰囲気に、思わず中に入るのを、ためらってしまいました。
 だって夜の公園って、それだけで恐いのに、薄暗いテントが、蚊取り線香の煙で包まれてるその様は、ほんとに恐かった。(誰も居なかったら、帰ってたかもしれない)

 そんな怪しげな雰囲気の中で、どきどきしながら「どくんご」の公演を見ました。

 感想、公演の感想・・・って、何を書けばいいのでしょうか。
 一言で言ってしまえば、
「所々面白くて、所々解らなくて、ちょっと気持ち悪かった。」です。  掛け合い漫才の脚本家と、前衛派の表現家と、売出中の小説家(なかなか日の目を見ない)が、寄ってたかって作り上げたような感じを受けました。
 何だそりゃあ、と言われても困るんですが・・・。

 うう、言葉で説明できない・・・。
 でも、面白かったです。
 公演じたいは、ここぞとばかりに着飾ったハレ姿の土人が、「お祭りの儀式」を、お披露目しているような感じでした。儀式の間に、掛け合い漫才が入っている感じかな。
 失礼は承知の上だけど、舞台の上で踊る、ど派手なオーバーデコレーションを見ていると、思わず、テレビカメラの前で、塗料を塗りたくった体に、ありとあらゆる飾りをつけて、ニッと笑う土人の姿を思い浮かべてしまいました。(私だけかな・・・)
 でも、そのハレ姿の土人達っていうのが、そのまま現在のショービジネスの世界の、原点かもしれない訳で、ショービジネスも、一種のお祭りであるわけだから、そう考えると納得が行くような・・・気がする。
 ちょっと「くどい!」って言いたくなるような、掛け合い漫才は、関西出身の方が考えたのかな。東京の人って、目が肥えているせいか、笑いにはシビアなので、その辺やりにくかったとは思いますが、吉本興行の営業みたいな「くどさ」は、ちょっと、受け入れられにくいかも、しれませんね。
 正直言って、私にはよく理解できなませんでした。
 回数を重ねると、解るようになるのか疑問ですが、とりあえず、もう一回見てみたいとおもっています。

 私は今回、初めてだったので、真面目に見過ぎて、途中ちょっと疲れてしまいました。  今度見に行く時は、右手に紅茶でも持って、左手にチョコレートでも持って、かるーい気持ちで、見に行こうと思っています。

 ああ、全然意味が判らないかもしれませんが、怒らないでね。
 以上が、初めて見た「どくんご」の公演の感想です。

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<イカレンデータお料理教室>

 レジN

 この連載で「放射線入門」もかねていきたいということを、先号で表明していたのですが、今号は特集記事が目白押しで、ページ数が1ページしかとれませんでしたので、データ分析だけにしておきます。
 今度もまた八王子、浦和、荒川しかデータがないのかと半分あきらめていたら、9月末になって国分寺の東経大の先生が1台買って設置してくれました。
 それで、今回は6ヶ所からの通報データを分析します。

 7/1〜10/15までの1時間毎のカウント値に関して統計をとってみると以下のようになります。この期間は雷による停電が数回あり、そのせいで止まってしまったイカレンがかなりありました。停電に備えて、イカレンに電池を入れておくのは忘れてはいけないようです。
 国分寺のデータは9月下旬からなので、20日分くらいしかなくてサンプル数が少なくなっています。その他は停電で止まった時間に応じてデータ数が減っています。
[浦和][荒川][国分寺][八王子子安][八王子北野][八王子上野]
平均118.4698.2110.07117.1128.25134.56
標準偏差11.3110.2111.2811.5911.6512.06
最高162135140158175181
最低797074798193
サンプル数22292566445190022292226

 グラフは、1週間単位で平均化したデータで作ってみました。
1日単位の平均化だとかなりデータがばらつくのでグラフも振動してしまうのですが、この位の単位で平均化すると、ほとんど振動しなくなって、だいたい平均値付近で安定しているのがわかります。
 あいかわらず、八王子の私の自宅に設置しているものが一番高い値を示しています。荒川区の「れんこんネット03ホスト設置場所」は、低い値で安定しているようです。

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芦浜点描 95年夏のキャンプから

 [編集:KJ]

 すっかり恒例となった夏の芦浜キャンプ。今年も猛暑の中、れんこんネットからも10人近い人数(初参加も含む)が参加しました。いまや秋も深まり、あの夏の暑さも遠い記憶になりつつあるようです。
 芦浜は熊野灘のリアス式海岸の中に、ぽっかりとたたずむ弓形の浜です。三方を険しい山に囲まれ、キャンプ参加者は用具を背負って山越えしてこなければなりません。そのちょっとした苦労を乗り越えると、そこは人里から隔たった別世界。電気も水道もありませんが、一日中好きに遊んでいられる究極のリゾート地(?)です。
 芦浜をめぐっては30年以上にわたる電力資本と地元住民との係争があります。芦浜はその地形的な特徴から原発立地に最適とされ、中部電力によって原発建設計画が立てられています。この芦浜キャンプも、芦浜原発反対のアクションのひとつとして、れんこんネットが中心になって呼び掛けて来たという経緯が存在します。
 芦浜原発をめぐる情勢はいまだ予断を許さない状況にあります。しかし、芦浜はことしも私達を歓迎してくれました。芦浜は不意の来訪者にも最大限のもてなしをしてくれているのでしょうか。
 芦浜には「風景」があります。「風景」には癒しの作用があるように思えます。芦浜に来た人は誰もがまた来てみたいと思うはずです。また誰かを誘ってきたいと思うことでしょう。そうした思いが残る限り、芦浜キャンプは続くのだと思います。

 今年のキャンプに参加したうちの何人かに、それぞれの芦浜への思いや発見を書いてもらいました。これを読んだ方が「次回は行ってみようかな」とでも思ってくだされば編集人としては幸いです。

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秋の芦浜 [zipp]

 芦浜キャンプからもう二カ月、芦浜は秋の盛りだ。
 芦浜池は、しじみ採りの人が池に入らなくなる季節を迎え、池面は澄み、藍に緑に色を変えている。池の周囲のハマナツメは、実をたくさん付け枝が池面に届かんばかりに身を曲げている。
 浜は、9月、列島近海を舐めるように北上していった超大型台風の高波によって見事に姿を変えた。海水は池に入り込むほどで、池から海へ流れる水路はなくなり、浜の高低差、砂の堆積による高低差を均一化し、のっぺらぼうな砂浜になった。

 季節というサイクルによって変わるのはなにも草木ばかりじゃなく浜自身の姿も季節により変わっていくのだと云える。  海の波は、通常南島側から錦側(堤防側)へと砂を運ぶ(沿岸では黒潮本流と逆向きに潮は流れる)。
 また芦浜池の水は、芦浜本谷と長井谷(キャンプで使う飲み水はこの谷の水)からのもの。通常、地表を流れ直接池に流れているわけではないが、それらの谷の水は芦浜池に供給される。本谷を訪れた人はご存じだと思うが、思わぬ水量の谷があることにびっくりする。またこの谷にはいくつもの滝があり、直接落下する滝としては、7m程の高低差を持つものもあるのだ。それら谷の水が全て芦浜池に注ぐわけではないだろうが、芦浜池を囲む姫越山(502.9m)を頂点とする山々…芦浜水系とでも云うべき地域は、この熊野灘沿岸地域に点在する芦浜池と同じような海跡湖の背後の水系域と較べ、最も広大なはずだ。それらの水系域に降った雨は芦浜池に流れ、池に水が充満すると浜を刻み海へと流れる。  いまののっぺらぼうな砂浜は、こうやって池の水量と海の波によって徐々に姿を変えていき、夏のキャンプの時期には、堤防の前には砂が大量に堆積し、浜を深く刻んだ池から海への水路ができ上がるのだ。

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「第6回芦浜キャンプに参加して」 [大西 にわこ]

 キャンプへの参加は2回目ですが、タープの下に集い、食事を共にしたのは始めてでした。Eggsさん特製のしじみとみょうがのお味噌汁は絶妙でした。
 息子のおうじろうは、芦浜池でしじみを餌に針と糸だけで釣った極楽ハゼの焼いたのが、最高においしかったそうです。
 彼はきれいな海には寄り付かず、始終池となかよしでした。そして両生類のあかちゃんを見つけ、サンショウウオかイモリか持ち帰って育ててみようとエキサイトしていたにもかかわらず死なせてしまいました。が後日その死骸を博物館へ持って行って調べてもらおうとした瞬間、ぐちゃぐちゃの細胞は確信を語らず、夢を残してゴミ箱へ...
 温泉気分でプカプカしていたところ、まむしが一緒に泳いでいてギョ! しじみとりのおじさんたちに捕まって、あえなく頭を打ち砕かれて全貌を露にしましたので暫くは、蝶採りに興じていました。
 アオスジアゲハ(オス)は彼いわく、水を飲みに来ていたからオスだと言うのですが、本当でしょうか? アゲハモドキという蛾、モンキアゲハ、ジャコウアゲハ(腹部が赤い)緑色の光沢をもつアゲハをカラスアゲハかミヤマカラスアゲハではないか?と言う声にも尾がなかったからナガサキアゲハと断定してしまうところの危険性・・・Conさんに危険だと言われてたおうじろうです。
 Fooさんに教えてもらった水源地へ行くまでの蝶の道で、夏休みの自由研究であった「蝶の鱗粉転写と鱗粉調べ」に使う蝶の採集に親の方が血眼になってしまったのでした。鱗粉転写というのが画用紙にろうそくをこすりつけ、その間に羽をはさみ、紙の上からスプーンの裏でこする(息子に教わった)のですが、案外きれいに転写できるもので私の方がはまってしまったり・・・アオスジアゲハのあの美しい青色は転写することが出来ず、あの青は鱗粉ではないということを知るに至ったのでした。
 ところで今『天才たちは学校がきらいだった』という本を読んでいるのですが、「初期のコンピュータは一種の高度な数学を簡単にプログラムすることができた。しかし現在の最も進歩したコンピュータでも、小さな子供が容易にできること、たとえば猫と犬の区別がきわめて難しい。」要するに従来の訓練と能力は高度な知的オートメーションに置き代わり、人間的な技能や特性が大きな価値を持つ。そしてどちらかというと、創造的な視覚思考型の失読症や他の学習障害を持つ人々がしばしば特別な才能や能力を持っているというような内容なのですが、私はこれを読みながら、れんこんと芦浜キャンプは大正解でBKO(※1)は必要悪?なのだと思ってしまったのです。

編集部注
(※1)BKO:"Beer Keeping Operation" の略。芦浜に来てもアルコールの摂取はやめることができない、できればビールをぐいぐいやりたい、という生理的欲求が生み出した特殊任務。せっかく芦浜まできたのに、また山を越えて里に戻ってビールを買い込んで来るという英雄的行為で、志願制をとっている。参加者の高齢化および一種の空しさというかアホらしさにより、今年限りで廃止しようと言う声が隊員から出ている。存続を願う声も根強いと言われる。

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蛇島 [レジN]

 蛇島とかいて「ジャジマ」と呼ぶ事は、今回のキャンプ前日にFooさんがスライド上映をしながら解説してくれたことによって初めて知りました。柴原さんのコメントで古和浦の人達は「ヨコシマ」と呼ぶのだということも知りました。「ヨコシマ」というのは、なんか言われでもあるのかと思ってしまう呼び方です。
 私は、今までずっと、「ヘビシマ」なのだと思って来てました。

 その蛇島に今回初めて上陸することができたので、その感想を書いておきます。

 芦浜の沖合2キロ位(かな?)にあるこの島は、島というより岩礁に近いような場所で、満潮時には波が島全体を洗っている時の方が多いのではないかと思われます。芦浜から見ると、なんとなく沖の方に海から出ている岩のかたまりがある、という感じに見えます。  私は、以前から「一度あの島まで泳いで上陸してみたい」という気持ちを抱いていました。しかし、2年前の大波キャンプの時は、考えるだに恐ろしいほど海が荒れてて、「そんなこと考えるのはもうよそう」と思ったほどでした。

 しかし、あの時植え付けられた恐怖感も、今年の凪いだ海を見たらどこかに飛んでしまったようでした。
 芦浜に到着して、テントも張り終って、さぁー一泳ぎと思って海につかった時の体の軽さ、それまでひたすら重力と闘って重い荷物をコントロールしてきた体が水の浮力によっていっきに自身の重みすらも解放されてしまったわけですから、何か心がウキウキしてくるような解放感につつまれてしまいました。
 砂浜から海に入ると、まずは沖合100メートルくらいのところに出て見るというのが私の常で、この時もそういうつもりで泳ぎ始めました。しかし、心がウキウキしているせいか、ついついかなり沖合の方まで行ってしまったようです。
 そこで、ぼんやり沖に見える蛇島を見ながら、ふと「このまま、あの島まで泳いでやろうか」という気持ちが心をもたげて来ました。しかし、蛇島まではまだ相当の距離がありそうだったし、「行こう」と決心したわけではなく「いつでも引き返せるし、とりあえずあの島に向かってしばらく泳ごう」という気持ちで、そのままどんどん沖に向かって泳ぎました。

 海が凪いでくれていたおかげ恐怖感のようなものは全然ありませんでした。瀬戸内育ちの私は、波よりも潮流の方が怖いので、知らず知らずの間にどちらかの方角に流されていないかということは非常に気になるところでしたが、それもあまりないようでしたから、のんびり散歩するような気分で泳げました。

 泳いでいる途中で、身体中にチクチクチクっと痛みが走り、思わず体を撫で回したことが3回位ありました。去年、赤潮のようになっている部分で泳いだ時に同様の痛みが走った覚えがあったので、「あー、あれは、赤潮のようになっているところだけにいるというわけではないのだなぁー」と思いながら、過ぎ去ってくれるのを待ちました。

 そのうちに、蛇島と芦浜の中間地点くらいまでは来ていて、この時にはもうすっかり「蛇島に行って上陸する」ということで腹が決まっていました。でも、それからがけっこう長かったような気がしました。

 蛇島がだんだん近づいて来ると、浜から見ると一つに見えるこの島が、実は30メートル程離れた2つの島であることがわかりました。浜側にある小さい方の島と、沖合側にある大きな方の島です。小さい方の島は、ひょっとしたら大潮の満潮時には消えているかもしれない、と思えるくらいで、波もけっこうかぶっているし上陸しにくそうだったので、私は大きな島の方に上陸することにしました。
 島の近くでは少し潮流が早くなっているようで、若干島から引き離される感じで西側に流されているようでした。ちょっと真剣に泳いでいっきに島に近づき、凪いでいるとはいっても、それなりに波がしぶきを上げているところが多いので慎重に波の弱そうで上陸しやすいところを選んで島に近づきました。

 蛇島の岩はそんなにゴツゴツしていませんが、フジツボだらけで足場はよくありませんでした。磯から陸に上がる時というのは体がふらついてこけそうになり、擦り傷、切り傷をしてしまうことが多いのはよくわかっているので、慎重に上陸しました。
 上陸して島の上の平らな部分にくると、フジツボもさほど多くなくて、裸足でも十分歩き回れるし、横になれる場所もすぐにみつかるくらいでした。「こんなことしても見えるわけはないだろう」と思いながらも、浜に向かって手を振ってみたりとかもしながら、島の上をうろちょろしてみました。しかし、ほとんどの時間は座り込んで芦浜の方をのんびり眺めてすごしました。
 以前も書いた覚えがありますが、海側から芦浜を見ると、その全景を見ることができます。
 蛇島から見える芦浜を中心とした大パノラマの範囲は相当広かったです。芦浜を取り囲む山は全て見えました。芦浜の両側に続く磯もかなり見渡せました。はるか西側には紀伊長島の沖合あたりにある島でしょうか、いくつか島も見えました。
 メガネを持って来なかったのが非常に悔しい思いでした。「最初から蛇島に来るつもりなら、きっとメガネを海水パンツの中にしまいこんで来ただろうに」と思うと、無計画に蛇島に来てしまったことを少し後悔しました。

 蛇島から見ると、芦浜という場所がいかに特別な場所なのかということが実感できます。似たような地形は日本全国にはたくさんあるでしょうが、これだけスケールの場所はそうないでしょう。そして、その中心に浜と池があり、そこでキャンプできているとなると、これは並み大抵のことではない幸運な体験ができているのだと思えました。

 蛇島には30分近く滞在したでしょうか。その後、帰りはフジツボだらけの岩をそろそろ降りるのも面倒だったので、深そうなところめがけて海に飛び込み、そのまますたこら泳いで蛇島を後にしました。
 帰りも一回、例のチクチクに見舞われはしましたが、他は何事もなく浜に帰りつきました。のんびり泳いだので、けっこう時間はかかったように思いました。

 今回のような凪いだ海なら、小さなビニール製のボートでも十分蛇島には渡れるでしょうから、次回はカメラや多少の食料を持ってボートで行ってみる機会を作れたらいいでしょうね。でも、6回キャンプして初めて出会ったような凪いだ海にまた出会えるかどうか、そっちのほうが難しそうですね。

このページの先頭に戻る 夏のキャンプについて [あやこ]

 芦浜キャンプの詳細については皆さんがもう述べられていると推測して、私は夏に行われるキャンプについて考えたいと思います。  まず、なぜキャンプと言えば夏なのか。あんまり冬にぞろぞろキャンプにお出かけになる方々にはお目にかかっていません。冬だと、下手をすると凍死するからでしょう。夏なら気候で死ぬことはあまりありません。熱射病などはありますか、それも凍死に比べたら死亡率は低いでしょう。第2の理由としては、夏休みがあるからでしょうか。子供はどっさり休みがあるし、親も一応夏休みは取れる。そこでぞろぞろ家族キャンパーが発生するわけです。夏なら海に入ることもできるし、生き物もいろいろいます。
 つまり、夏は人も生物も生命活動が活発であるということです。これがキャンプが夏に行われる最大の理由でしょう。キャンプには活発さが不可欠です。死んだようにやっていてはいけません。
 芦浜も、いろいろな生命が活発に生息しておりました。汽水に住む巨大なしじみ、海の中を泳ぎ回る魚、人めがけて襲ってくるアブ。どれもこれも、日常生活の中ではなかなかお目にかかれません。夏のキャンプならではの生物達です。
 しかし、死んだようになって、夏のキャンプに向いていないものもあります。それはなにか。私です。何故なら、私は暑いのが大の苦手だからです。毎年夏などいらないと思いつつ、苦しみながら秋を待ち望んでいるような人間です。そんな超貧弱耐熱性を持った人間が夏にキャンプをするとどうなるか。芦浜に行くためには、山をひとつ越えなければなりません。夏の登山です。ばてます。浜に着いたら着いたで、太陽はさんさんと照っています。テントの下にいても紫外線は降りそそぎます。夜は大変涼しくて過ごしやすいものの、朝になりひとたび太陽が現れると、ぐんぐん気温が上昇します。下手にテントの中で寝ていたら、蒸し焼きになります。水につかっていても特別涼しいわけでもなく、クーラーが恋しくなります。もう完璧に夏ばてです。家に戻ってからも、なかなか体調は回復しません。
 夏のキャンプについての結論は、一般人は夏にする事を好み、都合がいいのであるようだけど、私は暑くて苦しいので、キャンプは秋にしみじみすべきだと言うことです。

 しかしこんなことを書いていると、暑いだけで全然楽しくなかったように思われそうですが、そんなことはなかったです。芦浜はきれいなとこだし、泊まりのキャンプは初めてだったんで、暑いのを差し引いても楽しかったですよ。

このページの先頭に戻る 今回の芦浜キャンプ食事 [zipp]

 5日 夕食 … ・調理した(※2)カレー(おいしかった!)。しょうこさん風。
         ・Eggsさんの芦浜調達のシジミ&ミョウガの味噌汁も美味しかった!

 6日 朝食 … ・カレーピラフモドキ(^^; 前日の残りをあやこちゃんとともだちが調理
         ・パン食。レタス,マヨネーズ,チーズなどあるものを各自がサンドイッチにして食べる

    昼食 … ・そうめん (ぼくの知らない内に出来ていた。池で麺を洗った?)
     :
     :    ・サザエの壷焼き,アワビ(※3),カツオのタタキ(※4),焼き肉…
     :
    夕食 … ・中華風焼きソバ(牛肉,キャベツ,ニンジン入り),サニーレタスサラダ
 7日朝昼食 … ・炊き込みとり肉ご飯(具はレトルト)(池の水を使った…レジNサン!)
         ・残りもの整理(サンドイッチなど)
         ・炊き込みご飯もお握りにして、錦の公園で全て食いきった。

編集部注 (※2) 調理したカレー:芦浜でのカレーは通常レトルトを使用。最近のレトルトは結構いけるけど、やはり本格的に煮込んで作る方がうまいのはいうまでもない。しょうこさんに感謝。 (※3) サザエはレジNさんと Eggs さんが採ったもの。アワビはレジNさんが採った(私は無念にも食い損ねた)。 (※4) 全然知らない別のキャンパーの集団が、帰りに「食べて下さい」と持ち込んで来たもの。焼肉もそうかな。

このページの先頭に戻る むすび(来年も芦浜へ!) [zipp]

 今年のキャンプほど、海が穏やかだったことはなかった。年がら年中芦浜に入っているぼくだけど、こんな芦浜の海は初めてだった(海に入ってゆったりするのはキャンプの時ぐらいしかできないのだけど)。磯に近寄ることができたものね。いつもだと波がザブン!とくれば磯に打ちつけられ岩に付いているフジツボなどで身体中ガリガリ!キズだらけになってしまうところだものな。しかし、ナンボ海が静かだって云ったって、蛇島(南島町と紀勢町の境界,古和浦漁協と錦漁協漁業権の境界の目印でもある)上陸の気力はないのだよ(笑)。海にからだ浮かせてもらって、色んな魚など見てるのが楽し。

 キャンプ参加者を見てて勝手にぼくが思うんだけど、楽しんでるんかなぁ?てっ。
 今回一人で参加した女子大生は、芦浜で昼夜関係なく寝てばかり,起きてれば見るもの感じるものに感動してた(笑),ヘンなヤツだった。でっ、こういう風にそれぞれの楽しみ方があるわけだけど、せっかく荷物背負って歩いて芦浜に来たんだからもっと芦浜を楽しんでよぉ〜!なんてお節介に思っちゃうのだ。かと云って一つの遊びのテーマなんなりキャンプで設定する気はサラサラなくって、ただ時間空間的にいま現在、自らそこに居るってことをもっと味わって欲しいのだ。具体的はれんこんの芦浜キャンプに参加して、自分が芦浜というか、自然の中にいるってこと,もっと云えば、日常の複雑な関係のことを解き放って、もっと単純明解なところにいる自分自身になってほしいと思うのだ。芦浜原発闘争のことなど考えなくっていいからさ…とゆ〜か,単純明解なところに自らを置けば、原発なんていらん!って結論になるはずだけど(^^;。

 そいでは、来年の自ら解き放ってナンデモアリ!の芦浜キャンプでお会いしましょう!!楽しみにしてます。

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芦浜に白い花咲く頃 Vol.1

 [Foo]

今から50年前のことである。太平洋戦争末期の1945年8月6日、広島市はセミの声響き太陽の照りつける夏の朝であった。広島市の人口は当時約41万人であったが戦時中で疎開する人々が多くその時の正確な人口は分からない。およそ35万人の人々がいたと言われている。いつもどうりの月曜日の朝が始まり、午前8時、ほとんどの職場は仕事を始めていた。8時14分、特に意識して見つめる人もいなかったが上空に侵入した米軍機の機体がキラリと光った。それは原爆投下機エノラ・ゲイであった。
午前8時15分、エノラ・ゲイの爆撃手は自動装置のスイッチを入れた。17秒後、原子爆弾リトル・ボーイは機体を離れ、広島市に向かって落下していった。午前8時16分、広島市の上空 580メートルでリトル・ボーイは炸裂した。その一瞬、目もくらむ閃光と大音響があった。
爆心は摂氏数百万度という超高温となり、投下真下にあったものは、道を歩く人も建物も、郵便ポストも何もかも、太陽の表面に等しい高熱に襲われ、瞬間にバターのように溶けてなくなってしまった。半径1km以内は少なくとも1800度に熱せられた。溶けた屋根がわらの表面が沸騰し、ぶくぶく泡立った。
けたはずれの爆風と熱線、建物は崩壊し粉々に飛び散り、大木が根本から中に浮き上がった。そして爆風が去ったあとの静寂の中、噴煙が空を覆いあたりは夕闇のように薄暗く広島市は地獄と化していた。
黒こげの死体、焼けただれた半死半生の人々。即死を免れ、廃墟を逃げ惑う人々は次は火災に襲われていった。大火災が発生していたのだ。恐怖はそれだけではない。そこには死の灰・・・・放射性物質がばらまかれていた。
目に見えない恐怖である。運よく外傷のなかった人も1日後には激しい嘔吐、全身のだるさ、異常な出血に苦しみ始めた。症状のひどい人は10日以内に死んだ。2週間後、髪の毛の抜ける人々が続出しはじめた。発熱、口の中がただれ歯茎や目から出血、理由が分からないまま、爆心地に近いところにいた人々は間もなく苦しみながら死亡することとなった。 原爆投下時、広島市にいた人々は35万人ほどであったが、あとから救援のために被災地にかけつけた人々や肉親を捜しに来た人々、のちに放射能を含む黒い雨にうたれた人々など10万人を含め、45万人が被曝したと言われる。そのうち約14万人が3か月以内に死亡した。生きのびた人々にも、白血病、異常出産、癌などの病が待っていた。何年もたってから苦しみの中で死亡する人々があとをたたなかったのである。
原子爆弾は核分裂によって生ずる熱や爆風、放射能を兵器としてもちいるものである。リトル・ボーイが炸裂したとき、核分裂をおこしていたのは正味700gのウランであったと
という。たった700gの核分裂が40万人都市を壊滅させた。核分裂とはなんと恐ろしいものであることか。
広島に原爆が落ちた日の3日後8月9日、ウラン爆弾リトル・ボーイよりさらに恐ろしいプルトニウム爆弾ファット・マンが長崎市に落とされた。長崎市の被害が広島より大きくなくて済んだのは、山に囲まれた地形に守られたからである。もし、広島に落とされたのがウラン爆弾でなくプルトニウム爆弾であったら、広島の悲劇はさらに大きいものとなっていただろう。
こうして日本は、実戦で核兵器が使用された唯一の被爆国として、歴史の証人となった。原爆の威力はそれを使用した米軍でさえをも戦慄させるもので、あまりに恐ろしくてその後実戦では使われていない。現在、人類は世界人類全体を何度も滅ぼすことができる量の核兵器を持ちながら使うに使えない、という奇妙な状況である。ちなみに現在の核兵器はウラン爆弾ではなく、作りやすくて威力の大きいプルトニウム爆弾である。
さて、この恐怖の核分裂を兵器として使えば原子爆弾、発電のために使えば原子力発電であるが、これらはどこが違うのだろうか。核分裂をいっぺんにおこすのが原子爆弾で、原子炉の中で制御棒によって核分裂をおさえながら少しずつゆっくりおこし、その熱エネルギーで蒸気を発生させ、タービンを回して発電するのが原子力発電である。しかし核分裂は極端な世界である。石油や石炭を燃やすのとは訳が違い、桁外れの熱を発生する。制御棒で分裂の速度を押さえても、それでも熱すぎる。だから、海水で冷やしながら、発電することになる。核分裂は熱だけではなく放射性物質も作り出してしまう。そのまま放出して殺傷に使えば核兵器、外へ出さないように封じ込めてどこかへ収納しておくのが原子力発電である。
100万KW級の原発が一基稼働すると、1年で作り出される放射性物質の量は、広島原爆1000発分に相当するという。今日本で稼働しているすべての原発が生み出す死の灰の総量は広島原爆何発分に相当するか、誰か電卓をもって計算してほしい。今三重県で建設計画が進められている芦浜原発は、 135万KW4基、一か所で計 540万KWである。
原爆のことから話を始めてしまったが、原爆と原子力発電所は切っても切れない関係にある。私は原子力発電所の是非についてと、現在この日本の中で、計画が持ち込まれてから32年間原発を建てさせず今も反対闘争が続いている小さな漁師町、三重県度会郡南島町のことを書きたいと思っている。南島町の原発予定地芦浜海岸へは、「れんこんネット」主催の恒例芦浜キャンプで直接行く機会のあった人も多いと思う。この11月、 南島町の呼びかけで、三重県では全県民による芦浜原発反対の署名活動が始まる。

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れんこんヘルパー体験記

 [MI-DO-RI]

Note 1 ★★ インフォメーション ★★ (sys.info)
[ RESPONSE: 34 of 34 ]
Title: 今週のヘルパー
Subject: 10/1-10/7はMI-DO-RIが担当します。
Bytes: 408 Date : 12:41am 10/ 1/95 Author: HELPER (helper)

今週10月1日(日)から10月7日(土)のヘルパーはMI-DO-RIが担当します。
ID変更希望、ネットに関する質問などは、ヘルパーあてにメールを送って下さい。
実は私はパソコン所有歴1年、パソコン通信歴10カ月(といっても「れんこん」しか知らない)なんですぅ。
私ではわからない質問はわかる人に聞いたり、手をつくしてお答えしますから、どうぞよろしくお願いします。
MI-DO-RI

 ここのところ数回、れんこんネットワーキンググループ会議に参加している。会議の最後にヘルパーと次回の議長を決めるのだけど、参加者が少ないのに5〜6人必要ときている。これまでは私も長野県松本に住んでいたし、その議題は私には関係ないものと思っていたが、9月の会議の際、ヘルパーに名乗り出た。浦和に引っ越したこと(電話代が安くてすむ)、仕事をしていなかったこと、簡単だよと言われたこと、そして何だか面白そうだったこと、そんないくつかの理由によりやってみる気になった。

 私の担当は10月1日(日)から7日(土)までの7日間。KJさんから引き継いで、河内丸さんにバトンタッチするまで。もちろんその間、プールの監視員のように、常にれんこんにアクセスしているわけじゃないし、食ったり寝たり、普通の人は仕事だってするだろう。それにパソコンを他の用途に使うことだってある。1日1回くらいヘルパーIDでアクセスすればいい、と言われていたので、とりあえずヘルパー着任挨拶を、今週のヘルパーのボードに書き込んだ(上記)。

そして、1日夜7時半にアクセスした時、

-- メールが 1 通届いています --

のメッセージ。早速だ。すぐに読んだ。

Sender : xxxxxxxx(xxxx)
Stamp : 95/10/01 18:47:00
Size : 144 Bytes
Title : こんにちは
パソ通初めての初心者です。プロフィールを書いたのに、メッセージがでます。
もし、こちらに手違いや何かがあったら、メールください。お願いします。

ほっ。これは私でもわかる。念のためマニュアルを読み直して返事を書いた。

[メール送信]
タイトル : xxxxさま
メールありがとうございます。
プロフィールを登録したのに、まだ新人向けのメッセージが出る、とのことですが、登録した途端に一般会員になるのではなく、数日の余裕が必要です。もうしわけありませんが、少々お待ち下さいませ。なお、一週間くらい経ってもまだ変わらない場合は、もう一度メールを下さい。ご面倒をおかけしてすみません。
よろしく。
helper(MI-DO-RI)

このメールを送信し終わった時、今度は

-- 電報が届きました --
*from [x] xxxxxxxx(xxxx) 21:42
"あの-シスオペのかたですか。"
-- 以上です --

今、メールを送った相手からだ。応答する。

電文 : いまメールを送りました。
-- 電報を送りました --
電文 : 今週のヘルパーMI-DO-RIです。
-- 電報を送りました --

翌日、また1通。同じ人から。

Sender : xxxxxxxx(xxxx)
Stamp : 95/10/02 15:37:42
Size : 334 Bytes
Title : xxxxです。
昨日初めてパソ通して、BBS電話帳でこのネットを知りました。
他のBBSと比べて、メニューの見やすさや使いやすさがよく、また、みなさんいい人そうでとても気に入りました。ぼくの家は八王子なのでこのBBSには一番アクセスすると思います。早く正式な会員になって、常連になってみたいです。
Helperno
Helperのみなさんがんばってください。

わーい、ヘルパーをやって良かった。うきうきして書いた熱心な返事。

[メール送信]
宛先のID又はハンドルネームは ? : xxxxxxxx
タイトル : メールをどうも。
励ましのメールありがとうございます。
このネットはいわゆるシスオペがいません。会員の中からhelperを募って、一週間ずつ勤めます。私は今回はじめてhelperをしています。helperをやってて良かった(^_^)
新人さんの挨拶ボードがありますので、ぜひ書き込んでみて下さい。
main>>(実際は半角)と出ているところから、open_begin.aisatsu(半角)と入力すればそこへ行けます。
書き込みの方法などは、open_begin.manual(半角)で学んで下さい。
はじめた日にメールが出せるくらいだから、たぶんやすやすとネットの中を動き回れることでしょう。
ご健闘をお祈りします。
helper(MI-DO-RI)

これを送信しようとしたら、またまた、メール来信。

Sender : xxxxxxxx(xxxx)
Stamp : 95/10/02 22:41:30
Size : 128 Bytes
Title : ダウンロードについて
ダウンロードしようとすると、「タイムアウトがおきました」と言うメッセージがでるんですが、意味が分からないので教えてください。

えっなんだぁ?私じゃわからんぞ。ダウンロードしたことないし。マニュアルを読んだけど、わからない。こりゃ、公開メールにするか、誰かに聞いてみないと。ってことは、相手の了解をとる必要があるな。と、回答を出せぬまま、次のアクセス時にまた1通届いた。

Sender : xxxxxxxx(xxxx)
Stamp : 95/10/03 00:04:32
Size : 345 Bytes
Title : たびたびなんですが・・・・
たびたびもうしわけありません、あの--、ダウンロードの際にファイルを選ぶと「送信します」ってでますよね。それからどうしたらいいのか・・・
ちなみに、パソコンはマックで、通信ソフトはActive Talkです。
だれか、マックに詳しいHelperの方がいたらよろしくおねがいします。
こんな風にメールで聞くのって、いいんですか?
なにぶん、初心者な物で・・・・。

あらららら。初心者だって言われたって、こっちよりもずっと詳しいじゃないか。マックに詳しいHelperの方?こっちは一人なのよ。ま、しかし答えないでだんまりじゃ失礼だし、ともかく返事を出す。

[メール送信]
宛先のID又はハンドルネームは ? : xxxxxxxx
タイトル : こちらも初心者なんです(^_^;;
ご質問メール2通、拝受いたしました。
私はパソコン通信のシステムなどについては全く初心者なものですから、ダウンロードに関してはわかりません。
ヘルパーは、一週間ずつ一人ですので、メールの内容をネット上で公開してよろしければ、わかる人が書き込みますから、比較的早く解決できるかと思います。
profileには、転載OKとなっておりますが、いちおう確認を取りたいと思います。お返事お待ちしております。
なお、main>>から、open_sys.infoと打って、「今週のヘルパー」の最後のメッセージをお読み下さい。
初心者helper(MI-DO-RI)

はぁはぁはぁ、こんなメールを受け取ったら、ヘルパーの頼りなさにあきれるんじゃないか、なんてことはこの際もう言ってられない。矢継ぎ早に次のメールが。

Sender : xxxxxxxx(xxxx)
Stamp : 95/10/03 01:44:16
Size : 342 Bytes
Title : MI-DO-RIさんへ。
返事をありがとうございました。転載のほうはOKです、ぜひとも公開してください。
それと、ダウンロードの方は、プロトコルをYMODEMに設定したら成功しました。
いろいろとありがとうございます、それと、迷惑ついでに質問しちゃいますけど、アクセス記録表示って何なんですか?ズラーッと名前が出てきて、わけわかんなかったです。それでは、しつれいします。

おお、よかった。プロトコルをYMODEMに設定ってどういうことか私にはまるでわからないけど、ともかくダウンロードに成功したのね。それで次はアクセス記録表示のことね。main>>からlogと打つと、その日アクセスした人のIDとハンドルが出てくるやつね。君は今わからないでもいい。そのうちわかるようになるって。なんてヘルパーがこんなこと答えちゃいけないか。うーん、返事はどうするかな。

3日4日とパソコン及びモデムを持たずに出かけてたら、4日(水)夜にアクセスした時は3通もメールがたまっていた。2通は例の新人さんで、3通めは河内丸さんから、ヘルパー引き継ぎについてのメールだった。

Sender : xxxxxxxx(xxxx)
Stamp : 95/10/03 19:53:34
Size : 60 Bytes
Title : ID変更について
IDをかっちょいいIDに変更する方法おしえてくだちゃい。(^_^);

Sender : xxxxxxxx(xxxx)
Stamp : 95/10/03 23:34:36
Size : 217 Bytes
Title : こんにちは
先日、会員になったxxxxです。
他のBBSと違って、Helperというシステムに感動しました。
できれば、Helper no
Helperの仕事や、どこで、何を、どうしてるのかなどを教えてください
(自分もできればやってみたい・・・)
w

その返事。

[メール送信]
宛先のID又はハンドルネームは ? : xxxxxxxx
タイトル : 遅くなりましたが。
お返事が遅くなり、大変もうしわけありません。
ヘルパーあてに「IDを変更したい。希望するIDは○○○です。」というようなメールを送って下さい。数日かかりますが、他の人と同じIDでなければ、好きなものにできます。
ヘルパーの制度について関心を寄せて下さり、ありがとうございます。main>>から、open_sys.infoと打ち、「新人宛メールの内容」というボードの「れんこんネット活動案内」を読んでみて下さい。概略がおわかりになるかと思います。ヘルパーの仕事に関しては、私個人でお答えする性格の質問ではないようです。いままでの一連のやりとりを、ネットで公開しますので、おそらくいろんな人から、反応が返ってくるでしょう。楽しみに待っていて下さい。
また何かわからないことがあったら、遠慮なくご質問下さい。ボードへの書き込みもすでにマスターされているようですから、そちらもご利用下さい。いろいろなボードが、あなたの書き込みを待っていますよ。
helper(MI-DO-RI)

かなり調子のいいことを書いてしまった。八王子局にアクセスする時はいつも、前述のlogと、いまアクセスしている人を知るためのwhoを打ってみるのだが、ちょうど、whoとやってみたら、次の表示が出た。

Ch1
Ch2
Ch3
Ch4 xxxxxxxx [xxxx ] (MAIL ) 14400/ARQ/V32/LAPM/V42BIS
Ch5 HELPER [helper ] (WHO ) 14400/ARQ/V32/LAPM/V42BIS
Ch6

お、いるいる。電報を送った。

電文 : ヘルパーMI-DO-RIです!
-- 電報を送りました --

-- 電報が届きました --
"すいません、チャットの方で質問していいですか?"
-- 以上です --

電文 : OKです。chatは初めてだけど。
-- 電報を送りました --

ほんとにチャットは初めてのこと。そのやりとりを(ミスも含めて)お伝えしよう。

enter room(1-5)/[q]uit : 1
room title :
-- entering room 1 --

[helper(ヘルパーすなわち私。以下、hと記す)]
q
[h] q
/
/e
-- echoback off --
-- xx comes in --
[xx(例の新人さん、以下同じ)] こんばんは
[xx] さっそく質問なんですけど
[h] chatはいはい。
[xx] あのですな
[h] なんでしょう
[xx] MMM OFF WORKSというのをダウンしたんですけど
[xx] なにをするのかわからなくた・・・
[h] MACを使うひとにはいいみたい。
[xx] ああ-そうらしいですね
[xx] これってじどうてきにやってくれるんですか?
[h] ええと、ボード上でいろいろかきこみがありますよ。
[xx] えっ!かき込み?
[h] 私はMACに詳しくないから、コンピュータをめぐるボードで、質問したらいいんじゃないかな。
[xx] 一かき
[xx]ひとつかきこんだんですけど
[xx] こたえがなくて・・・
[xx] みどりさんは98ですか?
[h] れんこんネットの会員はおおよそ2千人暗位です。
[xx] すげ---!
[h] 98です。エプソンですが。
[xx] 今日、浦和の方も見てみたんですよ
[xx] 新人になってました・・・
[h] で、あんましすぐに反応するって人よりは、じっくり返事を書いてくれる人が多いようです。
[xx] じゃあ待つしかないですね
[h] 浦和にもフロフィールを書くと、一般会員になれますが、八王子も浦和も一つのボードを除いて同じです。転送というシステムで、半日遅れですが、同じ物が読めます。
[xx] いま八王子ですか?
[xx] HELPERってどこでやってるんですか?
[h] ヘルパーは、八王子から入りますが、ふだんは浦和にアクセスしています。はい、ヘルパーは、DJボックスみたいなところにはいっているわけじゃなくって(あたりまえか)自宅から、IDをヘルパーとして、入ってるだけです。
[xx] へ-自宅はどちらなんですか?
[h] 埼玉県浦和市です。
[xx] とおいですね
[h] ところで、とっても電話代がもったいないので、私はCHATをやめます。おやすみなさい。
[xx] みは--い
[xx] おやすみなさい
[h] あとの質問とかは、メールなどでどうぞ。
[xx] はい!
-- echoback on --

[h]
/E
-- echoback off --
-- xx goes out --
-- echoback on --
OFF
[h] OFF
BYE
[h] BYE

チャットをしていると、2回線がふさがって他の人に失礼だし、えんえんと続けていたら電話代もかなりかかるだろうから、そそくさとやめてしまった。

5日(木)から7日(土)まではメールもなく、次のヘルパー河内丸さんの都合で、7日(土)早朝に引き継ぎをした。10/1(日)00:38〜10/7(土)06:01、およそ150時間、(八王子局だけで数えて)のべ約800人がアクセス。その間にヘルパーとしてのアクセス回数27回。

パソコンやパソコン通信のシステムのことなどまったくわからない私だが、もしわからなくてもほかの人に助け舟を出してもらえばいいや、と割に気楽に考えてたからヘルパーをするつもりになったんだし、始めに書いたとおり、仕事をしていない時期だったから頻繁にアクセス出来て対応も早く出来たんじゃないかと思う。幸い私がヘルパーを勤めた1週間に何度もメールをくれた新人さんにはれんこんネットの良さがわかってもらえた。ヘルパー冥利につきるってもんですね。もしまたヘルパーをやることになったら、皆さんよろしくね(^^;;

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