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「放射性れんこん」の紹介
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放射性れんこん Vol.16

1994.7.26 発行

目次
  1. れんこんネットをINTROでポンっ(加納正和)
  2. れんこんネット体験記(つとめてCon)
  3. 彗星が木星に落ちていく(なすび)
  4. 怪文書事件続報(レジN)
  5. 「再び、差別論」へのメモ(KJ)
  6. 競馬図鑑・ぱどっく(くじら)
  7. 現在の Formula One の問題について(もぐ)
  8. 「今回書きたかった事」(中嶋嶽志)


れんこんnetINTROでポンっ

 [加納正和]

5/1から現在(7/13)までのボード、プールで起こった出来事をタイトルからのダイジェスト形式にして、筆者からの始点からネット上で起こった話題について追ってみたいと思います。

●ボード編

sys.qanda ★★ システムQ&A ★★

Note 65 Title: BUSY回数報告ノート【浦和】

ときどき浦和でのBusyが報告されます。それほど熱中してつなぎ放しでいるのか、それとも端末の前に熟睡モードか?!興味は尽きませんが、一回線しかないのでなるべく早く終わらせるようにしましょう。

Note 88 Title: 電報?

電報についての質問が有りました。電報とは他に通信している人に短い文を送信する機能の事です。この機能をつかって"hello"攻撃や電報スカッドミサイル遊びなどが出来ます。筆者としてはどんどんこの電報をつかって欲しいと思います。ただ送った電報が返って来るとは必ずしもいえないので(いろいろ事情が有るし)送った電報から返事が来ないからといって落ち込まないように(^_-)

free.new ■ はじめまして(新人挨拶用ぼーど) ■

5月〜現在までに"はじめまして"の書き込みをされた方は次の方々です。
「つとめてCon、さつき、茸一、はげ、はせぇ、さぶろう、MINI320、慎太郎、TOSH、パク、 かわ、かずぽん、ひさ、PAT、としお、ムーチョ、KONNO158、うらめ」の18人でした。

free.nankan ★★ なんでもかんでも ★★

Note 381 Title: 子どもとつきあう

スカートを履きたがる子供についての話題が有りました。なんとスカートめくりごっこをするんですね・・(エッチごっこというのか・・)筆者には考え付きませんでした(^_^;)もう子供にはついていけない・・。

Note 537 Title: スポーツしませんか?

あまりに体力不足になりがちな仕事の人が多いせいか(^_^;)スポーツをしようという話題が有りました。4,5月はサッカー、6月はバトミントンだそうです。7月以降は未定ですが、参加出来るひとは日頃の運動不足を解消しましょう。
この中で水泳についての話題も有りました。これからは水泳の季節でもありますね。

Note 542 Title: こんな葬式にして!!

人間いつかは死にます。でもってそのあとどーしてもらうかとっても重要です・・ということで、どんな葬式がいいかについての話題です。灰にして蒔いて、とか、気球にのせてなどの方法が提案されました。その他、葬式ネットの話しなどで盛り上がりました。

Note 545 Title: 近況ノート - 20冊目 -

近況についての話しが20回目まで続いております。最近のちょっとした出来事について、例えば「忙しぃぃ・・」などの悲鳴や(筆者のことだ・・)ふと思い付いた叙情詩などが書かれています。とにかくいろいろな話しで盛り上がっております。

Note 549 Title: 愛すべき隣人"猫"のノート

ペットとして有名な(?)猫についての話題です。なかなかにみなさん愛着が強いようで、気合の入った(?)コメントが多いようです。そして、猫とどーゆーふーに付き合っているかなどの話しが出ました。しっかしディスプレイの上が好きなのは知りませんでした。(筆者は猫を飼ったことがない・・いや一緒に住んだことがない^^;)

Note 552 Title: サラリーマン共同行動

サラリーマンということについて「スーツ・ネクタイ」についての意見がありました。これら制服が無駄と言う意見と、気持ちを引き締めるのに役立つ、という意見が寄せられました。それとサラリーマン共同行動という名称についての質問なども出ました。

Note 554 Title: 職歴

世の中いろんな職種があります。ただ一つだけケイケンしたんじゃつまらないだろう・・ということかどうかは知りませんが、自らの多種にわたる職歴を公開していただきました。筆者などは「いろんなもんがあるなぁ」と感心する事しきりです^^;交通量調査についての「五分を12倍」には笑わせていただきました(笑)

Note 556 Title: 早大生7人逮捕

六大学の「天覧試合」に早大生が、天覧試合反対のビラを配る等の活動をした所、逮捕された事件に関する話題です。警察、新聞社に直接尋ねた様子などのことやカンパのお願い等の書き込みが有りました。

Note 558 Title: 今日、何食べたぁ?

人間には永遠に尽きない(?)食べ物ネタです。日常どんなものを食べてるかについての日記風な書き込みが有りました。タイ米のおいしい料理の作り方のなどのコメントがありました。

arama.zakki ★★ 雑記帳 ★★

Note 131 Title: 「日の丸・君が代」是?非?

学校における「日の丸・君が代」の「強制」の話題から、卒業式において「日の丸」を引きずりおろすという違法行為が許されるのか、という話しになりました。かなりの激論が交わされています。

Note 318 Title: 北朝鮮脅威論

北朝鮮の核査察問題に関連してか、朝鮮系の学生に対する暴力に対してどのようにしたらいいのか、という質問に、「バッチを広める」という提案がなされました。なかなか「どうすればいいか」という問題に答えるのは難しい問題ですが、「バッチを広める」という手段があることは、なかなか報道されてはいませんし、パソコン通信の特性と言えるでしょうか。

sig.computer ★★ Computer Street ★★

Note 168 Title: HP100LXのノート

非常に小さいコンピュータ、HP100LXについての話題です。使用感の話しから、パワーアップの情報までに話しが盛り上がっております。筆者も見せてもらいましたが、ほんとに小さいですね。

sig.compsoft ★★ Software Street ★★

Note 202 Title: mmmOffWorksのノート[2]

マックユーザー待望の、オフラインでmmmの書き込みができてしまうアプリケーションが出現いたしました。このノートではそのmmmOffWorksについての話題です。ついに正式版が出現いたしました。いいなぁぁ、筆者はMS-windowsだけどそんなもんは・・。

prj.houren ★★ 『放射性れんこん』編集室 ★★

Note 61 Title: NHKから手紙が

NHKからミニコミ紙についてのラジオ番組をやるので、ということで「放射性れんこん」ラジオ番組に出演する事になりました。それについての話題です。スタジオの生の雰囲気や、「インタラクティブ」についての話題も少々。で、筆者も聞きましたが、「だめ連」の人には私も爆笑しました^^;

●プール編

筆者はもともとパソコン通信というのをはじめる際、いわゆる「フリーソフト」ぶっちゃけていえば「無料のプログラム」に惹かれてはじめました。これらの人はDOM(Download Only Member)と言われますが、筆者もかつてはDOMを目指して(?)ました。フリーソフトをもらうだけでなく、多少「文句」なども書くようにはなりましたが、今でもパソコン通信というものの魅力の一つです。

msdos

688番 ファイル名 VOLLEY2.LZH 転記者 KEEN

説明にも有るとおり、バレーボールゲームなのですが、思いっきりはまってます・・のおかげでこの原稿の締め切りは^^;・・やはり対戦でやるのが本来の姿なのでしょうが、一人でやってます。superモードに勝てるのはいつか?!

697番 ファイル名 KF100.LZH 転記者 REN21152

ファイル管理ソフト、いわゆるFDのようなプログラムです。見た目はFDと変わりませんが、[Tab]を打つ事で入力出来る「しおり機能」は思ったより便利なようです。自分だけで使う場合はいらないかもしれませんが、多数の人が使う可能性が有る場合は、結構便利ではないでしょうか?ちなみに筆者はHFを使ってます。

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れんこんネット体験記

 [つとめてCon]

 4月かられんこんネットにアクセスし始めました。
 当初は、通信ソフトの使い方をおぼえたり、モデムのコマンドを調整したりするだけで、やたら時間がかかった。&F1とか、V32.bis.とかすべてはじめてだった。
 アクセスは2日程でできたのだが、それからもいろいろ手間と時間がかかった。
 ハイパーノーツは、どんなコマンドがあるのか、どのプロンプトの出ている時にどのコマンドを使えるのかが、難しくて、すぐに思うところと違うところのコーナーに飛んでいってしまう。そこで、マニュアルをダウンロードしてプリントして読むだけで1日かかる。それも読むだけではなくて、使って何度か失敗して始めて、使えるようになる。
 それから、ノートでの議論が、レスポンスが100に近いような長く続いてるものだったりすると議論の筋がよくわからない。どのハンドル名の人がどんな事を書いていたのかがまったく覚えられない。それでも、ノートによっては、これはと思うテーマでの議論が展開されていて、そういうものは、それ用のコマンドを使って古い書き込みをまとめてさかのぼって読んだ。例えば、「結婚にまつわる差別」のノートは、2、3回、繰り返して読んだ。
 書き込みをするのも大変だった。あるフリーウェアのソフトを使っていて、書き込みを一つするのにも20分ぐらいかかる。それから、いい記事を書こうとか、こんなことを書いたらネットワーク上の人格を疑われないかなどと考えた。この頃、ジャンクテストのコーナーにノートを開いてみたりもした。
 しかし、いまでは、すっかり慣れて、朝コーヒーを飲むのといっしょに、れんこんにアクセスして、新しい書き込みを読んでいる。mmmOffWorks_Version1.0というソフトがれんこんにアクセスしているレジNさんが作られていて、それが、れんこんネットで読んだり書いたりするのを助けてくれる。
 れんこんには、何か事件があるとすぐにそれに関するベースノートが開かれるのがよい。雑記帳も好きなコーナーである。他方で、今日何を食べたとかいったコーナーの方がかえって、その人の人柄あるいは感覚が出るようにも思う。書込みをする人のハンドル名もだんだんに覚えた。
 書き込みもたまにしている。書き込みをするのも、いまでは、mmmOffWorks_Version1.0 のおかげで、1分とかからない。だんだん気楽に書くようにもなって来た。自分の書き込んだ文字が並ぶログを眺めると、気分がいい。
 これからもれんこんにアクセスしようと思います。

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彗星が木星に落ちていく!

 [なすび]

 彗星が木星にぶつかる。衝突する、捕まる、落っこちる、ナンパされる。こんな嘘みたいな事が実際に起きる。この原稿を書いてる現在ではその予定だ。しかしこれが読まれる頃には実はもう起きているハズ。予定日が7月17日から21日までだからだ。詳しい内容は新聞や専門誌にパスして、ちょっと脱線した話をしてみようと思う。

 さて、今回の衝突騒ぎに社会はどう反応しただろうか?人類の観測史上では初めてのコトなので科学者は大騒ぎ。何がどーなるか見当が付かないから言いたいコト言ってるけど、どれか当たるんだろうか?ま、その辺は白黒つくからいいし、わたしにゃ分からない世界だから置いといて、もう少し身近な話題に視線を移してみるとしよう。

 星を見るにはどうする?自分の目で眺めてもいい。双眼鏡で見たら月くらいなら結構大きく見える。少しなら星雲だって見える(だろう)。もっと他の星を、今回の舞台の木星を見たいならどうする?望遠鏡の出番だ。日本にもいくつかの光学機器メーカーが望遠鏡を販売している。よく聞く名前だとカメラメーカーのNIK○NやペンタッX。他にも天文用品を専門に扱うメーカーもある。

不況の昨今、きっと望遠鏡の売上も落ちているだろう。天体観測ってお金かかるんだ。次から次へと欲しくなる物が出てきてそれがみ〜んな高い。だから私は「観測」ではなく「観望」、ぶっちゃけて言うと自分の目で眺めるだけ。たまに双眼鏡くらいは使うだろうか。数年前に近所のスーパーで4000円で買った優れ物があるのだ(最近の物は20万を越える物もあるらしい)。

こんな私のような全国1200万人の「ちょっとケチ」にどーにか望遠鏡を買ってもらえないもんかとメーカーさんは悩んだ。

「今回の彗星の話をエサにして宣伝できないか?」
「でも小型(個人で買える程度)の望遠鏡では(衝突の変化が)見える可能性は
 少ないらしいぞ。」
「いくらなんでも嘘は書けん。」

こんな相談事があったかどうかは定かではない。しかし現実を見てみるとしっかり宣伝には「SL9が木星に衝突!/今世紀最後!!」といった文句が並んでいる。ここでしっかり読んでみよう。どこにも「この望遠鏡で見えます」といったコトが書いてない。このやり方には(ほとんど「否」だが)賛否両論が飛び交った。

私が天文少年だった頃には「星を見るのに消費税は要りません!」が文句の安い趣味としてけっこう成り立っていたんだが。望遠鏡だって学校へ行けば一台くらはあるんだし。もうちょっとメーカーさんにも良識ってもんを持って欲しいんだけどな。

あー、最後は愚痴になってしまった(笑)

さらばだ。

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怪文書事件続報

 [レジN]

反原発運動に多少なりとも関った人達に対して、いやがらせ文書が送られていることは、以前Vol.10で報告されました。その報告は読んでない人も多いと思いますので、簡単に経過を報告してくれているzippさんの文章を引用しておきます。

ヤーガラセが始まったのは確か、89年からだったと思う。これは‘88伊方の反原発の盛り上がりに危機感を募らせた電力資本のPAの戦略と軌を一にする。
最初のヤーガラセは全国(?)の反原発運動体に北海道・東北方面から投函した文書が届いたようだ。内容は基本的に意味不明(^^;。

それ以降エンエンと続いているわけだけど、わけても「芦浜」に関しては執ようにヤーガラセ屋さんは続けている。ぼく自身、ヤーガラセがこんなに執ように送られて来るのは、原発(予定)現地で芦浜ばかりではないだろうと思ってたけど、他で闘ってる人に聞くにも「芦浜」に関してヤーガラセが多いのは事実のようだ。

最近、またこの「いやがらせ活動」が活発になってきています。「特に三重の芦浜原発に反対する運動に関ると、いやがらせのターゲットとなる」という傾向がますますはっきりしてきているようです。

私のところへ届く「いやがらせ文書」は、今年の4月半ばころから再度活発化してきました。そして、単に文書だけでなく、ビデオとか、カセットテープなども送り付けられて、無言電話が夜中に連続でかかって来るというような事件も時期を同じくして発生しました。
れんこんネット上に報告した内容を拾ってまとめてみましょう。

4/10ごろ  無言電話続く
4/14    封書が届く。
4/16   「特集 東京の沿線別 反原発グループ活動拠点巡り  その−5」というラベルのあるビデオが届く。内容は「キャッツ・アイ」という昔のアニメ番組の録画。
4/17    無言電話が明け方に10回くらいある。
4/21    1000円入りの封書が3通届く。
4/27    ハガキが23通、封書が8通、一度に届く。一度に大量に来たのは初めて。

この間、2通、3通程度の封書やハガキがちょくちょく来る。

5/ 9    封書が24通届く。
5/10    封書が55通届く。(この時は、郵便受けがあふれんばかりだった。)

ここまでに届いた文書の内容は、以前からよくあった、雑誌の切り抜き、風俗関係のチラシとか、そういう無意味なものがほとんど。 怒濤のいやがらせ攻撃は、一旦小休止に入る。

6/27    私の住所が引っ越し後の新住所に更新されて、封書が届く。内容も三重の方の集会を「知ってるぞ!」と言わんばかりの、悪質な創作文書。
7/5     封書が2通届く。内容はまた創作文書。レジスターN、どくんご、河内丸といったようなれんこんと関りのある個人や団体の名前が中に見られる。
7/7     封書が2通届く。内容はゴルフ場反対運動関係の資料のコピー。
7/11    封書が5通届く。また創作文書があり、前回と同じようにれんこん関係の固有名詞も登場している。1通には同時にカセットテープが入っていて、青森の方の集会の内容らしきものが録音されている。

ビデオは、けっこうあっちこっちに送られたいたようです。劇団どくんごの事務所にも「劇団どくんご 御一同様」でビデオが届いたようです。

劇団どくんごの時折さんは、これを以下のように分析していました。

最終的には「ほうれん」と「反原発パソコンネットワークれんこん(^^;」への「侵出」がきっかけじゃないですかね。奇しくも88年から始めた旅公演ですが、以降も91年には能登原発前のたんぼで、昨年は敦賀でと原発周りでちょこちょこ公演してましたから、全国的に丹念に情報を収拾してい ればなんとなくこの超マイナー劇団の名前を見かける事があったんではないでしょうか。ああ、地道な公演活動がやっと認められた・・・(^^)。

れんこんネット上では、この「ヤーガラセ屋さん」関係の話題でけっこう盛上がったりして、ダメージを受けるどころか楽しませてもらっている感じがあります。お互いが情報交換できるネットワークさえ確保できていれば、「ヤーガラセ屋さん」の送り付けて来るものに不気味さなど感じることはありませんね。

ヤーガラセ屋さんの存在をどう考える!

私は、こんなことをおそらく仕事のようにしてやっている「ヤーガラセ屋さん」に同情してしまいます。「ヤーガラセ屋さん」というのは極度の人間不信なんでしょうね。人間の、怒りとか喜びとか悲しみ、そういうものが積み重なりながら形成されていくものの大きさが理解できないのでしょう。
「ヤーガラセ屋さん」というのが、電力会社とか通産省とか、そういうところが大本で指示して動いているものなら、真の「ヤーガラセ屋」は、電力会社とか通産省とかになりますね。だとしたら、世の中全体が人間不信に陥って行くのも無理からぬことです。

私は、「ヤーガラセ屋さん」の実体の追求などにはあまり興味はありません。でも、こういうことが世の中に実際に行われているということを、多くの人達に伝えることは重要なように思います。
本当のところはどうなのか知りませんが、たてまえとしては、原発を建設する上で「ヤーガラセ屋さん」のような人達が介在することを社会は容認しないことになっているはずです。「でも実際には介在している」という事実を知った時、原発のことを「なんとなく必要なんだろうなぁー」という程度に思って来た人達はどう考えるのでしょうか。

「ヤーガラセ屋」の活動はブーメランのように自分に戻って来るものだということを、彼らはわかっていないのでしょう。そんなことをはっきりわからせてやれない私達がなめられていると言えば、なめられているのでしょうね。

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『ふたたび、差別論』へのメモ
最近目立った2つの議論から〜小林よしのりと浅田彰

 [KJ]

 数号前で、筒井康隆氏の「断筆宣言」をめぐって、れんこんのボード上で繰り広げられた議論を中心にまとめた。その後、筒井問題については議論が沈静化したが、「差別」をめぐっての議論はずっと続けられてきた。今回はしかし、ボードの議論からは離れ、最近マスコミに現われた2つの議論を取り上げてみたい。というのは、差別とはいったい何か、という根本の認識が、そもそも合意されたものでないということが、わずか2つの資料を見てみるだけで、よくわかってくると思われるからである。

小林よしのりの「絶対弱者論」

 差別をめぐっての、一つの大きな当事者であるマスコミ側からのアクションに注目する際に、無視できない発行物として「週刊スパ」がある。「文春」や「朝日」ほど注目を集めないのはなぜかわからないが、「表現の自由と抗議の自由」と題する特集企画は非常に充実していたし、また小林よしのりの連載マンガ「ゴーマニズム宣言」は、「差別」論議に関して良い意味での「風穴」を開けたことは確かだと思う。
 その「ゴーマニズム宣言」(7/13号掲載)において、小林が自らの「差別観」を簡潔にまとめている。これは朝日新聞の本田雅和記者の「差別=金儲け論」(?)に批判を加えるために書かれたものであるが、これによると差別構造の本質は次のようになる。

 この社会は機会平等の社会である。すると、必ず「ビリになる者」が出てくる。それが「絶対弱者」である。その弱者にも「上昇努力」が強要される。そこで追い詰められた「絶対弱者」が自己のアイデンティティを回復するために、「悲しい防御本能」として、差別を行う。
 これは非常にわかりやすい。「経済・社会構造が差別の原因であって、偏見や心の問題ではない」と主張している(らしい)本田記者に対し、「絶対弱者」の持つ心の卑劣さが差別の原因である、とするのである。もちろん、絶対弱者が生じること自体はこの社会の構造によるが、小林によればこの資本主義社会の「機会平等」の構造は「種の進化の原理にかなっている」ので、それ自体は問題とならない。結局は差別は「卑劣な心」の問題なのである。(社会構造を「結果平等」にしてはならない。)

 私は、このような小林の立場は、差別問題を解決しようとする際に、社会の改革というアプローチを一切取り入れない、単なる「啓蒙主義」のように感じてならない。
「絶対弱者」が、自分自身を多数者の側に身を置き入れるために、自分より「下」の存在を作り出すのが差別であるというのであるが、確かにそこでは差別はすべていわれなきものとして否定され、またいわれなく差別される側からの「糾弾」は当然に承認される。差別は、否定されるべきものであるが、しかしこの社会の仕組から事実上避けられないものとして出現する。(だから、反差別運動はいわば「もぐら叩き的無限運動」となる。)
 しかし、現実に社会にある差別に即して、差別者側と被差別者側の関係を考えてみると、上記のような「差別」は必ずしもすべての場合を覆い尽くすとは思われない。というより、端的に、マジョリティによるマイノリティの排除として現われる差別については、上記の差別論の枠組みでは適切に捉えられないといった方が適当である。
たとえば「障碍者」は、健常者中心の社会構造や制度に対してハンディキャップを背負わされている。それへの是正がなされない状態はいうまでもなく「差別」であるが、この「差別」は「現行」の社会にとっては「いわれある差別」とされかねない。
小林の差別論はそこに言及する構えをそもそも持っていないと思われる。

浅田彰の「構造的反差別」論

 本田記者の「差別=金儲け主義」論は、小林の伝える限りにおいては不正確な極論に思えるのは確かである(浅田彰にも「その独善と偏向は眼を覆うべきもの」と批判されている)が、差別という概念を「個人の意識作用」から切り離して、社会=経済的な要因に規定されるものとして捉える考え方は、何ら否定されるべきアプローチではないと思われる。なによりも、小林の論には、被差別者は「相対的強者」であるという前提が要求される。差別する側の方が弱者なのである。ある意味では、このような転倒した構図に影響された個々人の意識が、浅田の指摘する「ホンネへの(強者の側の)居直り」という現象を引き起こしている(「反差別の言葉狩りこそファシズムなのだ!」という類の)。
 だから、浅田はまず、差別問題とはあくまで、マジョリティ=強者によるマイノリティ=弱者への差別であるという構造を明言する。そして、筒井の断筆騒動はなによりもその構造を「大衆のホンネ」として居直る時代状況と同期したものと捉える。
 そしてそもそも「筒井問題」は、「教科書問題」であって、文学の表現の自由の問題にすり替えるべきものでなく、「てんかんを持つ人が自動車を運転するのはひとしなみに危険であると自動的に判断されるような記述を、だれもが選択の余地なく読まされる教科書に載せるべきではない、ということに尽き」る、とされる。
 そして「第二のレベルの問題」として、「断筆宣言」の中にある「タブーなき言語の聖域」という筒井の主張そのものの中に隠されている政治性を暴き、そのような「文学主義」的な言い方をするのなら、筒井作品の表現の質自体が問われるとして、筒井作品はそのようなレベルでの評価に耐え得ない「二流作品」であると断定する
(が、このあたりは差別論とは直接関係しない)。
 それでは、現在の転倒した時代状況において、「反差別」側が課題にすべきなのはなにか。それは、「意識」=「表現」のレベルでの差別糾弾路線という「枝葉末節」に入り込んでしまった今までのやり方を自己批判し、「文化的」レベルでの反差別から、とりあえず徹底的に「社会的」「唯物論的」現実に対する変革の闘争としての反差別に軌道修正すべきだということである。また、「ロマンティックな疎外論」が陥りがちな、マイノリティが、そのマイノリティ性をアイデンティティとすること(「三重苦が二重苦に勝つ」という落し穴)を批判する。しかし、そのような不毛を排除するためには、現実にある諸分野でのマジョリティとマイノリティの間の社会的・唯物論的な「大きな落差」をなくす努力がそもそも不可欠であると主張する。

 浅田の議論はかなり明快な「反差別論」ではあるが、自分の全人格がマイノリティであるとして強烈な当該意識を抱いている人にとっては、なかなか受け入れにくい構えであろう。現実の社会は差別-被差別、マジョリティ-マイノリティ関係が錯綜していて、単にある人がマイノリティとしての全人格を備えているとは言いにくい。しかし、そこで「では誰が最も虐げられた存在であるか」という方向に行くと、結局は錯綜した諸関係の集合という現実を見逃すことになるし、かといってそもそも世の中は差別したりされたりするものなのだ、と割り切ってしまうと、現実にある差別に何も手をつけないことを正当化してしまう。そのようなジレンマの中で浅田がとろうとする道は、自らをマイノリティと規定するのではなく、逆説的であるが、「ブルジョワ的な傲慢さをもった」マジョリティとして規定することなのであった。少々マイノリティに批判されても逆上しないような余裕をもつこと、そのことがマイノリティの闘争を保障する、という結論である。

2つの「差別論」を見て

 差別は個人の心の問題か、それとも社会的・経済的な問題か。差別をなくしたいという点で一致したとしても、その後にどういう「行動」をとるべきか。この問題に答えがはっきりと出るとしたら、現実にある社会問題の大きな一部に決着がつくことになる。もちろん、ことはそんなに簡単ではない。しかし、筒井問題は、以上のような議論を導き出したことによって、ある意味で、一部の「専門家」から「差別の本質」問題を、大衆的に解放するきっかけとなった(なりつつある、なるかもしれない)とも言える。
 個人的には、小林の論旨は明快だが対象が狭く、浅田の論旨は差別の「性質」を明らかにしているものの差別そのものをえぐり出しているわけではない。ある意味で両者は相互に補っているがまだ不足な部分も多いであろう。
 ここに出したような差別の問題を、それこそタブーとすることなく、冷静に追い続け、妥当な「反差別論」を形成していく作業の継続がなによりも望まれると思う。
(了)

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現在のFormula Oneの問題について

 [もぐ]

☆ はじめに ☆

 1994年 FIA FORMULA ONE WORLD CHAMPIONSHIP (以下F1 又はF1GP)第3戦サンマリノGP(イタリア・イモラサーキット)の公式予選走行2日目(4月30日)・決勝走行当日(5月1日)に、あまりにもショックな死亡事故が起きてしまいました。
また、同サンマリノGPの公式予選1日目・2週間後の第4戦モナコGP公式予選1日目においても、重傷となる事故が多発してしまいました。
この事故が起きる以前(2年程前)より、私自身F1を見ていて思っていた点や大幅に変更された現在のレギュレ−ションについての疑問点等をこれからお話したいと思います。

☆ 現状のF1界 ☆

 近年のF1界は、ハイテクノロジー(以下ハイテク)戦争と言われるほど、チームの間での技術力による競争が激しくなってきました。 昨年までは、ハイテクについてほとんど何も規制がかからなかった為、想像を絶する程の技術力の競争が繰り広げられてきました。
 例えばの話ですが、今日、あるGPを余裕で優勝したマシンがあるとします。このマシンを何も改善せずに次のGPに出場した場合、このマシンは、6位入賞はもちろん、10位にも入れないでしょう。
これ程、現在のF1界での技術力の競争はとても激しいのです。
F1界では、1カ月・1週間という短い期間でもどんどん進歩して行くのです。
また、このような技術を進歩させる為には、多額の資金が必要になります。
この為、スポンサーの獲得という面においても大変激しくなってきています。

☆ ハイテクの禁止 ☆

 先に延べてきたような、競争では多額の資金がかかってしまって、下位のチームがなかなか上位へ上がってこれません。
この為、運営側では、今年から『ハイテクの禁止』というようにレギュレーションを変更しました。
これで、膨大な資金がかかる事を抑制しようとしたのです。
はたして、この『ハイテクの禁止』ということで、上位のチームと下位のチームとの技術力の差は縮まるのでしょうか?

『私は、そうは思いません!!』

去年まで、下位のチームは、上位のチームに追い付こうとして、どんどん上位のチームの技術を真似しようとしてきました。
しかし、レギュレーションが変更になった為、今まで開発してきた全ての物が使えなくなってしまったのです。
それだけではなく、新しいレギュレーションに対応したマシンをF1GPが始まるまでに作らなければならないのです。
上位のチームは多額の資金があるのですぐに対応出来ますが、下位のチームはそんなことは出来ません。
『これでは、レギュレーションを変更した意味はないのではないでしょうか?』

☆ ハイテクの必要性について ☆

 今度は、逆にハイテクの必要性について考えてみようと思います。
 現状のF1マシンを、安全に運転するという事を考えるとハイテクは絶対とは言えませんが、必要なのではないでしょうか?
現状のF1マシンの最高速度は年々いえ、F1GP毎に向上してきています。
このように速くなりすぎたマシンを安全に運転するためにはハイテクは必要なのではないでしょうか?
去年まで、使用されていたアクティブサスペンションを例にとってお話をしたいと思います。
このアクティブサスペンションが登場したおかげで、安全性が格段に向上したと、私は思います。
普通のサスペンションでは、少しでも路面の荒れたサーキットを走った場合、マシンは飛び跳ねてしまってコントロールするのが大変で、しかもマシンがガタガタ揺れてしまうので、とても1レース(約2時間)を完走するのがとても大変です。
しかし、このアクティブサスペンションがあれば、サスペンションがタイヤを路面から離さないので、飛び跳ねて、突然マシンが斜めをむいてしまうというような危険性が減少しますし、ガタガタ揺れないのでドライバーにかかる負担(疲労度)もかなり減少します。

このように安全にレースをするためには、ある程度のハイテクは必要なのではないでしょうか?
もし、ハイテクを全面的に禁止するのであれば、その前に規制しなければいけないことが他にあるのではないでしょうか?

☆ 給油は必要あるのか? ☆

 今年のレギュレーションの変更の中に、昔禁止したはずのものが1つ復活しました。
というのが、この『レース中の給油が可能』である。
何故、このような危険なレギュレーションが復活してしまったのでしょうか?
運営側では、『レース中に給油が行われることによって、よりレースがエキサイトする』等と言っています。
これは、間違いなのではないでしょうか?
なぜ、レースをショーのようなものにしなければならないのでしょうか?
ドライバーは命をかけて走っているのです、このように『面白くなるから』などということの為にドライバーの事を無視してレギュレーションを変更する必要はあるのでしょうか?
また、この給油が行われるということで、始めから大量のガソリンを積まなくてよくなったのです。
そのため、始めからある程度マシンが軽いということでレース中の最高速度が上がっています。
また、給油が行われるということは、ピットに多量のガソリンがあるのです。
もし、このガソリンが洩れ、火がついたらどうなるでしょうか?
給油のためのタンクは1チームに500リットルのタンクを2つあり、チーム数は14あります。
もし、このような事が起こったら最悪です。
F1は、スプリントでよいのではないでしょうか?
耐久の様にする必要はないのではないでしょうか?

わたしは、この給油については、絶対に反対です。

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「今回書きたかった事」

 [中嶋嶽志]

前書き

 「今回書きたかった事」とというタイトルをつけたのは、本来書きたい内容があったのだが、頼んでいた筆者が忙しくて書けなくなってしまったので、私が代わりに「その内容のコンセプト」と「それにかけた思い」について書きたいと思う。ただし、多少感情移入が多い、かなり当たり障りの強い文章になりますので、その辺は御了承ください。
 今回書きたかった内容というのは、簡単に言ってしまえば社会風刺物のパロディを書きたかったが、そのコンセプトというのが「極東の嵐 −第2部−」で私の掲げている「軟派な社会運動」からきている物である。読んでいない方はぜひとも読んでいただきたい。その「軟派な」ってのが今回の一番の元となっている物である。
 そして今回書こうと思っていた内容というのが、その軟派な物を形にしたものであったのだが、そのコンセプトだけができたのだが、それを頼んだ筆者の都合のため、それが書けなくなってしまったのであった。これは私、プロデューサーの力量不足でもあり、自分で書こうとしたのだが、当然人に頼んでいるわけで、そう簡単にかける代物ではなかったのでありました。なおこれからそのコンセプトを書いていくわけですが、もし内容を読んで書いて見たいな思った方は御一報ください。

コンセプト

 「現代風社会運動マニュアル」これが今回のコンセプトに当たるものである。ワーキング会議で社会風刺のパロディを書くといったが、私が今回書こうと思ったのが、社会に対して様々な不満を持って、いろんな活動をやっている人達のパロディである。いわゆる「ポパイ」とか「ホットドック」とかのアプローチで社会運動を扱おうってのが今回のテーマでした。それでいわゆる社会運動のマニュアル的な事をパロディにして書いてもらおうつもりでした。ある意味ではそういう社会運動に参加している人達からみればある意味で、そういうマニュアル的な要素を馬鹿にしている部分がるかもしれないが、その部分に対する私に皮肉がたくさん込められているのだ。はっきり言おう私は今の社会運動のやり方はきらいだ。なぜなら、カッコが悪し、自分のやりたい事を止めてまでやる価値がないと思っているからだ。つまり簡単に言ってしまえば、その運動自体に私が自分がやりたい事以上の魅力を感じないだけの話である。こういった話しは内容は僕が「れんこんネット」の方にも少し書いたので、まぁこれも後でまとめて書くとしよう。

「怠け者革命」

 この事の始まりは、前々号に掲載した「怠け者革命」からはじまっている。ただこれは明確にこういう内容のものを書いてくれてというコンセプトをあたえたわけじゃなくて、好き勝手に書いてねって感じで、あの作品ができてしまったわけです。確かに僕なりのコンセプトみたいなものはあり、「絶対にれんこんにはまらない」作品が欲しかったのでした。あくまでも「放射性れんこん」を意識する以前の問題で、書きたいものを好きなように書いてくれってのが前提条件でした。そして作者の願いもあって今回は縦書き宣言したのですが、それは「4ページ逆読み」になるという、結構暴挙な考えたのでありました。それで最初に「れんこんネット」にあげた時には「まぁそんなのは無理。読みづらくなるし、他の人のことを考えろ」と言うお答えが帰ってきました。でも、横書きでは表現したくは無かったと言うのが僕の正直な気持ちでしょう。やはり縦書きでないとあの内容は表現しきれないものだと思いっていましたので、結構縦書きの原稿しかつくらず、しかもその縦書きにした意味をパロッタ漫画をKEENに書いてもらったんだけど、まぁページ上都合で結局あういう形になったのでありました。したがって漫画も没です。まぁ最初に与えてもらったページも2ページでしたので、「縦書き4ページ計画」は物理的に不可能となってしまいました。いつもなら結構ページが落ちると期待した私がいけなかったのかもしれないのですがね。最終的にはご覧のとおりになっていると思います。実際縦書き4ページ事態も僕なり表現だったのですが、どうやらそれは認められなかったようです。
 まぁその事は置いといて、内容に関しては僕としてはすごく期待していた以上のものが来て作者には感謝しています。読んでない方はぜひとも読んでくださいね。

「今年の闘争ファッションはこれできまりだ」

 こんな感じのタイトルだろうか、もっとタイムリーにするなら、「今年の中電はこうしてせめろ」とかでも良い。この他にも「今年のデモ行進曲はこれできまりだ。」とか「今年のデモファッションはこれが熱い。」まぁこういう感じのタイトルであれば何でもよかったのである。あとは、かなり力の入った、「闘争ファッション」を着飾ったモデルの絵と「闘争アイテム」の絵があり、適当な軽い文書のマニュアルを書けば完璧である。これは当然今風のアレンジをした闘争ファションを描くわけで、決して「糞尿袋」とかそういうものきたないものは持たない。エアーガンとか、カモをも尽きぬくクロスボウとか、そういうがアイテムですね。それも結構マニアックなアイテムとか持たしてしまう。もちろんそういうビンテージ物ので規制前のものとかであれば、なおさらいいのである。例えばMGCの「旧93Rハイグレードカスタム」とかですね。それこそ「今年の必須闘争アイテムはこれだ」って感じのものです。後は軍服を身にまとう。それだといいかにもたんなる戦争(軍事)マニアになってしまうので、多少それなりのアレンジを加える必要があるでしょう。お洒落な感覚でスワッツ風とか、ゲシュタポ風とかそういう感覚です。もしくはSF的な感じな未来物でもかまわないですね。要はトレンディで「かっこいい」という感覚がほしいのです。後この雰囲気を元にしたドラマでも書いてしまいなさい。それが恋愛ものになろうが、どうなろうが当方は感知しないけどね。当然「今年の機動隊はこうして倒せ」みたいな話しはいいですね。
 多少無茶区茶書いているけど、その”のり”みたいのはつかめると思う。いわゆる社会運動の事態は一つの時代のムーブメントとしてとらえ、現時点で社会運動がトレンディとかお洒落の一部として存在し、それこそ「ホットドック」とか「ビックトゥモロウ」とか「ポパイ」などのお洒落週間誌に、あたかも普通のように特集を組まれたり連載されたことを想定して描くつもりでした。

「芦浜水着コンテスト」

 これは今回非常にタイムリーな話しだったのでけど、タイトルからしてあたりさわりの多いこと。このタイトルついてはれんこんネットのKJに一度電話で話したんだけど、どんな話をしたかあまり覚えていない。でもまぁ、あたりさわり多いことは確かで、タイトルだけで考えたら結構芦浜で原発建設反対運動に参加している人に失礼かもしれない。もちろんこれは十分承知の上で書くわけだが、このコンセプトを書いていこう。
 コンセプトは2つあったんだけど、一つは完全に原発ということを無視して普通の観光地としてそれこそ湘南とか九十九里とかそういう位置付けで描くのと、もう一つは思い切り原発と絡めて、それこそ原発と観光地同居していると位置付けで描くという二つのものがありました。当然僕がやりたかったのは前者の方がだが、後者は前者のコンセプトを練っているうちに出て来た案である。
 どちらにせよこのコンセプトの最大の目的は水着ギャルである。あまり文書による内容は気にせず、1ページ以上にわったって女の子の水着を描いてもらう予定でした。絵のタッチはアニメ調は論外、「ノンノ」とかその関係の女の子の水着姿の絵である。作風でいえば「江口ひさし」とか「窪之内英策」とかそういった感じのある程度リアリティがあるスタイルで、水着とかのデザインもきちんと流行を意識して書いてもらう予定でした。当然コンテストですので、3人ぐらい描いてもらうつもりで、確実に1ページから2ページに渡って女の子の水着姿が「放射性れんこん」に載ることになったでしょう。これだけでも結構目立つかもしれませんし、明らかに今までのれんこんにない雰囲気が出るでしょう。
 後はその2つのコンセプトによったアレンジを加えれればいいわけですが、当然前者であればそんなにアレンジの必要はなく、通常のファッション週間誌的なイメージで描けばいいわけである。後者に関しては放射能による突然変異的なもの、例えば、放射能のよるスパーナイスバディな巨乳とか、原子力美人と呼ばれる放射能による美容整形みたいな感じで、原発自体を通常の観光産物として扱ってしまおうってのが後者のコンセプトである。
ある意味このコンセプトは結構キワモノの部類になるかもしれないけど、ある程度ねらっている部分でもある。これはいわゆる「放射性れんこん」への違和感とが裏に含まれています。

「教会端末計画」の末路

 前回だれかさんが夢脹らませて書いたけど、結局お流れになってしまったのよね。別にだれのせいとはいわないけど、いいだしっぺが下りてしまうし、まぁそれじゃどうしようもないよな。
 なんでこの話しが落ちたんだろうね、実に簡単なことさ、教会とコミニュケーションがとれなったんだよ。というより一般的言えば取ろうとしなかったんだよ。ちなみ僕はそれなりのアポイントメントは取っていたと思う。でも当の本人じゃないし、やはりそれ以上のことをやれるわけでもなかったと思う。僕は結構失望したんだぜ。まぁ愚痴ばっか言ってもしょうがないので、経過説明もかねて問題点を探るとしよう。
 そもそもの始まりは僕の家の隣が教会だったことから始まっているのだよ。それに目をつけたのが今回のいいだしっぺ「レジスターN」だよ。僕も結構面白い話しだと思いとりあえず牧師先生とアポイントメントをとったんだよ。それでレジスターNと牧師先生が会えるように1月にレジスターNに教会に来てもらい色々と話しをしたんだよね。その時はそれなりに「教会端末」のなんたるかをある程度説明できたと思うし、牧師先生も今度システムをみたいという話ぐらいまではこぎつけたんだよね。少なくともきっかけぐらいにはなったと思うよ。でも問題はその後からだよ。
 僕が2回目のアポイントメントをとった時は牧師先生はなんと風邪をひいていたのだよ。だから日曜日は話せるかわからない状態だったんだけど、端末システムもできたことだし、とりあえず行くことにしたんだよ。でもだれも礼拝には来なくてさ、礼拝が終わった後僕の家に来たんだよね。でも牧師先生は病から回復していなくて結局会えず終いさ。
 そしてこれが最後かな、もう一回アポイトメントとったんだよ。でも牧師の急用で会う事はできなかったんだよね。でもその時きちんと礼拝からでたのはKJと僕だけだったんだよ。僕は何度もいったんだぜ似非信者でいいから礼拝にでてくれって。僕はこんなことはあたりまえだと思っていた。だってなんだかんだで教会にものを頼みにいっているだろ。だったら少しは教会側の受けを考えろよな。だって礼拝出なくて、これしてださいじゃ、態度悪いぜ。別に俺は信者になれって言っているわけじゃなんだぜ。
 この話しって別に今回だけの話しじゃないと思うぜ。こういうことって結構あるし、その度にこれじゃ受け入れてもらえないし、ましてや途中で投げ出したら相手にも失礼だよ。あんまし「のせといての片空かし」ってのはいいことじゃないよ。
 今回のこの話しって、確かにおもしろい話しだと思う。でもそれを実現するには様々な問題があったんだよね。アクセスツールの開発とか、教会とのコミュニケーションとか、置いた後のサポートとかね。でもその話しって、レジスターN本人が前回のほうれんに夢と問題点なんかを自分で書いているんだよ。その中でやはりその教会とのつながりであるコミュケーションの重要性ってのを自分で書いていたと思う。そういう意味では僕はちょっと安心していたんだ。でもそれは間違っていたのかどうかわからないけど、結局コミュニケーションは取れなかったったんだよね。「僕は忙しくて、そう何度も教会にはつきあえない」って話しはなんどもいったし、この記事を読んだ時は「一人でも行くのかな」と思った僕が馬鹿だったのかもしれない。
 なんか殆ど個人攻撃しているけど、僕は結構怒っているんだぜ。

僕なりの思い

 こんなこと書いているけど、僕なりの思いがあるんだよな。えらそうなこというけど、社会運動って、やはり自分の意図する方向に社会の向きを変えるのだから、やはり人を動かすということだと思う。決して政府動かすのではないよね。だからそのやりかたに関する疑問点なんだよね。本当に今の段階でデモ行進とか座りこみやって人が動くの?って僕はやっぱり疑問符を置いてしまう。そんな気持ちは少なくともないといったら嘘になるし、そういうことをやっている人を見ると別に馬鹿にする気はないけど「やっても無駄だよ」って心の中で叫ぶ僕がいるんだよね。だってよっぽど宗教の方がましだぜ、それこそ結構信者だっているし、宣伝のしかただって100倍ましだと思う。モスクア放送貸し切るとかその変パワーってすごいよ。デモ行進とか座り込みとかより、よっぽど人を動かせると思うし、話題性があると思う。こんなこと書いていると「何を書いているだ」ってどやされそうだけど、でも社会運動に参加することによって得られる利益ってなんですか。これが明確にならないとそう簡単に動員人数なんか増えないよ。
 今で色々とコンセプトを書いたけど、それに言えることってトレンディとかファションにしろそれによって人が動いてしまっているわけでしょ、別にこれに深い意味とか利益がどうとかって問題あんまりないでしょ。いわゆる流行とかそういう生活的風潮の一部みたいな流れできてるでしょ。「かっこいい」とか「ださい」とかそういうレベルの話でしょ。となると社会運動って「ださい」の部類なのよね。その「ださい」って部類からの卒業を考えなさいといいたいわけ。別にあんまり深い意味なんていいの。とにかく動員してしまって世の中変えてしまえばいいのだから。多数決でしょ。より多くの人を動かした方が勝ちなんだからね。
 なんか無茶区茶書いているけど、「人を動かす」ってことを意識しているだけなんだよね。流行でも何でもたくさんの人を動かした方が勝ちの世の中(多数決)なんだからさ。自分がこうだから動くってのがあるでしょ?。僕だって動く動機があれば社会運動に参加するし、それがなけば参加しない。あってもそれ以上にやりたいことがあれば参加しない。これってあたりまえのことだと思う。なんだかんだで運動に参加させる動機付け(モーチベィション)が必要なのよ。そしてそれができたとしても、参加することによって得られることがなければ結局人は離れてしまうわけ一部の物好き以外はね。結局今の社会運動って一部の物好きがやっているに過ぎないと思うわけで、一般大衆が意識されているわけじゃないと思うわけ。最終的に一般受けがしっかり意識されてほしいということです。
 ふー、これで一応おしまいかな。なんか今車にひかれて病院のベットの上なんだけど、まぁなんとか仕上がりました。結構とんでもないこと書いていますけど、あんまり気にしないでください。ちなみ意見反論とかは大歓迎ですけど、あんまししょうもないものはやめてね。疲れるからさ。

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