書籍の分担執筆(項目,コラムなど,論文形式以外のもの):1990:

ロンドン '80s-'90s−「退屈にも燃えない」都市のなかで−.

キーワード事典編集部,編(1990)『キーワード事典・ポップの現在形』洋泉社,pp164〜167.


 上記の書籍は、この文章を含め山田のコラムを4本収録していますが、既に絶版となっております。
ロンドン '80s-'90s−「退屈にも燃えない」都市のなかで−.


「ロンドンは退屈に燃えていた」

 1980年代に入る直前の、経済の英国病が深刻化し、パンクが絶頂期を過ぎかけていたころのロンドンを、鮮やかな映像で捉えているのが映画『ルード・ボーイ』(1980)である。失業中の白人青年レイを主人公に、政治色の強いパンクを自認していたクラッシュの日常を実録風に追いかけたこの映画には、目的を失いエネルギーを持て余した若者のいらだちと、有色人種の急増を背景に深刻化する社会的緊張、その中で限界を悟りつつ突進するクラッシュのエネルギーが描かれている。
 右翼と左翼、白人と有色人種、警察とパンクス、音楽と政治……複雑な対立と衝突の中で、主人公レイも、クラッシュも、それぞれにもがくのだが、出口はなかなか見てこない。閉塞した状況の中でクラッシュは叫んでいた……「ロンドンは燃えている、退屈に燃えている」……そして「ルーディは負けやしない」と。
 『ルード・ボーイ』に描き出された様々な社会的緊張は、英国病を荒療治すべく登場した「鉄の女」サッチャー首相率いる保守党政権下で急速に高まり、やがて爆発することになった。映画公開の翌年(1981年)夏には、ロンドンはじめイギリス各地の大都市で都市暴動が頻発した。
 ロンドン南部ブリックストンでも大規模な暴動があり、リントン・クウェジ・ジョンソンはその様子を「ディ・グレート・インソレクシャン」(1984)で歌った。この曲のビデオ・クリップは地下室風のスタジオでの演奏シーンと、ブリックストン暴動のニュース映像を中心に編集されている。ニュース映像が警察寄りのせいか、歌詞にあるような催涙弾や放水砲を使用する警官隊の映像はないが、燃え上がる建物を背景に投石する有色人種の若者たち、彼らと警官隊の衝突、焼かれた自動車の放置された街路などが淡々と映し出される。冒頭の炎上する建物のシーンから、ビデオの最後でカメラを手でさえぎる黒人の厳しい表情まで、事件の緊張感と、その背景にある社会の緊張感を伝える映像が連続するこのビデオ・クリップの中で、ロンドンはまさしく「燃えて」いた。
 もちろん、現実の社会的緊張の中で、エネルギーを暴走させたのは有色人種ばかりではなかった。例えば、一部のスキンヘッズは、人種主義的な行動に走ることも多く、一般市民にも恐れられていた。しかし、彼らもまた大都市の中で係留点を失い、酒と放縦に身を任せた弱い存在でしかなかった。アン・ピガールの「エ・ストランジェール」(1985)で、缶ビールを浴びながらストリップに押しかけ、虚ろな眼で舞台の女(アン)を見上げるスキンヘッズの姿は、彼らもまた社会的矛盾の犠牲者であることを物語っている。
 しかし、何といっても最大の被害者は、社会の底辺にいる貧しい老人であり、生活に追われる母子であり、差別される移民たちだった。PiLの「ライズ」(1986)では、荒廃した古い住宅街の裏庭で、そうした社会的弱者の静かな怒りの表情をバックに、ジョン・ライドンがメッセージをまくしたてている。
 もっとも、社会の変化によって、平凡な日常にささやかな幸福を見いだすような、昔ながらの生き方が完全に吹き飛んでしまったわけではない。例えば、UB40の「レッド・レッド・ワイン」(1984)は、有色人種の労働者たちに混じって屑鉄処理の汚れ仕事をしてやっと手に入れた金を、パブでスリに盗まれてしまうという哀れなエピソードを描いているが、最後は路上で酔っぱらっているところを父親に助け起こされて家に帰る、というほっとさせるようなシーンで終わっている。このビデオの舞台は、どこであるのか明示されていない。しかし、こうした、戯画的で伝統回帰的な構図は、時代の流れに動じない庶民=白人労働者階級の逞しさや知恵の現れでも、また危機からの逃避でもあり、ある意味ではいつまでも変わらない、イギリスの大都市に共通した一面なのだろう。

退屈にも燃えない「不燃物」……そして90年代

 大都市における急速な社会の変化に翻弄されていたのは、有色人種や貧しい白人労働者階級ばかりではない。社会の中層以上の人々も、やはり都市生活の緊張にさらされていた。しかし、彼らにとっての問題は、政治的対立や人種的衝突ではなく、テクノロジーの進歩が生み出すストレスや、都市文化の表面的な繁栄の陰で確実に進行する精神的頽廃など、より抽象的で、普遍的なものであった。
 ビジネスの国際化は、ロンドンを含め世界各地の巨大都市をネットワーク化し、都市という「場所」の中に、均質な<どこでもない>「空間」を構築してきた。例えば、国際的な金融・商品市場に参加するディーラーは、世界中の「場所」にいながら、それぞれの地域とは隔離された世界共通の「空間」に身を置いている。こうした状況からサイバーパンクのジャグ・イン感覚への距離はほとんどゼロに近い。巨大都市のもう一つの核心部分であるビジネス社会は、均質化、普遍化、脱=肉体化へと突き進み、その中で個々の人間は大きな負荷を背負うことになる。
 均質化されたサラリーマンの単調で味気ない生活を、プリテンダースは「バック・オン・ザ・チェイン・ギャング」(1985)で、テムズ川の橋を渡る日常的な通勤風景と、土を掘り崩す単調な肉体労働に託して描いている。途中でカット・バックされる青空に飛翔しようとする人々が、結局は墜ちていくように、日常から抜けでようとしても、結局は「また鎖につながれる」ことになるのだ。
 イエスの「(オーナー・オブ・ザ・)ロンリー・ハート」(1984)は、より尖鋭化した表現で、<どこでもない>巨大都市の一つとしてのロンドンの姿を捉えている。そこに描かれた雑踏(またしてもテムズ川を渡る通勤風景!)や高層ビルや無表情な人々は、ロンドンに固有ではなく、ニューヨークでも東京でも、世界中の巨大都市のどこにでも共通する要素として映像に盛り込まれている。大量のウジ虫を顔に浴びるシーンなど、生理的嫌悪を感じさせる映像に象徴されたストレスは、雑踏の中の平凡人である主人公を徐々に痛めつけ、精神の疲弊は肉体にも徐々に現れる。やがて、テムズ川を見おろす高層ビルの屋上に追いつめられた主人公は、そこから飛び降り、鳥に変身して滑空する。ついに肉体から離脱した魂が飛翔したのである。再び冒頭と同じ雑踏にいる主人公は、立ち止まり、向きを変えて歩き出し、ビデオは終わる。
 一方、ペット・ショップ・ボーイズ」は「ウェスト・エンド・ガールズ」(1986)で、ロンドンの繁華街に題材を採りながら、繁栄の中の虚無感を歌っている。溢れるほどの商品、数えきれないほどの選択肢、しかしウェスト・エンドは「行き止まりの世界」なのだ。次々と映し出されるショーウィンドウ、ネオンサイン、疾走する車から見た街路の夜景は美しいがその無機質な冷たさは、プラスチックの肌触り、脱=肉体化された現代都市の生活感覚を捉えている。もはやロンドンは、退屈にすら燃えることのない「不燃物」になってしまったようだ。
 こうして「不燃物」と化したロンドンを、1990年代に向けて再び燃え上がらせるのは何か。衆目の一致する答えはまだ出ていないようだが、僕としては「ここロンドンで俺たちの音楽をやる」と大見得を切っているジャジー・B辺りに期待したい。ソウル・II・ソウルのビデオがどれも、無機質的な美しさと肉体的なビートの間に、奇妙なバランスを見せているからである。いずれにせよロンドンが再び燃え上がるとき、その中心にいるのが白人ばかりではないことは確かである。1980年代とは、ロンドンが真のコスモポリスへと突き進む決定的な曲がり角だったのかもしれない。


参考盤
山田晴通(1990):映画“RUDE BOY”を読む、あるいは、誠実な若さについて.

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