雑誌論文(その他):1990:

映画“RUDE BOY”を読む、あるいは、誠実な若さについて.

こすもす(東京大学教養学部イギリス科),11,pp38-45.


 この論文は、大学の同窓誌に発表したものです。
 掲出に際して、明らかな誤りは訂正し、その部分を青字としました。
映画“RUDE BOY”を読む
     あるいは、誠実な若さについて


 一九八〇年代がまさに終わろうとしている時点で、一九八〇年前後にイギリス科で過ごした日々を思い出すとき、学問の対象としての「イギリス」の姿とは別に、強烈な印象と一種独特な懐かしさをもって甦える「イギリス」がある。それは、ある種の閉塞状況の下で、スカ・ビートやレゲエ、スキンヘッズやパンクスといった記号群に彩られた、同時代における最先端の文化ないし風俗の場としての「イギリス」である。
 実際には直接体験を欠く僕が、こうした個人的感傷を覚えるというのは奇妙かもしれない。あるいは、メディアを介してのみ知り得る世界への感傷は、直接経験する世界に対する感傷とは別個の感情であるかもしれない。いずれにせよ、当時の僕は多様なメディアを介して同時代のイギリスの情報を浴びていたし、今日でも様々な形態の記録媒体を通じて断片的に当時のイギリスを疑似体験することもできる。僕のレコード棚にも、サルサやスカやレゲエ、あるいはパンク・ロックやフューチャリストの音が残っているし、当時の状況については少なからぬ量の文章が手近にも存在している。しかし、ここで取り上げたいのは、直接に現場を経験していない僕の目から見て、この時代のイコン(視覚的象徴)として最も魅力的な映像作品=映画『ルード・ボーイ』(“RUDE BOY”1980)である。
 この映画は、当時「政治的」パンク・ロック・バンドと見なされていたクラッシュ(Clash)の日常と、彼らをとりまく時代状況を、記録と虚構を交えながら描くドキュメンタリー仕立てのフィクションである。舞台は一九七八年のロンドン、中心となるストーリーは、二十歳の白人青年レイを狂言回しに展開する。ブリクストンの高層住宅(towerblocks と称される公営住宅)に一人で住むレイは、失業保険を受けながらポルノショップで働き、酒浸りの荒れた生活を送っている。クラッシュの大ファンであるレイは、バンドのメンバーと個人的な知り合いでもあったことから、マネージャーであるバーニー・ローズ(Bernie Rhodes)に誘われて演奏旅行にローディーとして参加することになる。映画は、このレイの目を通じて見たクラッシュ周辺の日常を描きつつ、彼とバンドのリーダー/ヴォーカルのジョー・ストラマー(Joe Strummer)らとの会話を通じてクラッシュの思想や政治姿勢を語り、またバンドの舞台裏を紹介していく。
 ボサボサの髪、ジーンズにTシャツと黒いジャンパーというレイは、風俗としてのパンクスでもスキンヘッズでもないが、当時のパンクやその他諸々の若者文化を支えた層である白人労働者階級の無職青年の典型である。政治を軽蔑し、左翼を嫌い、有色人種を快く思わず、拾った女にも自分は「愛なんて信じない」と繰り返し口にする。彼はクラッシュの音楽の熱狂的なファンだが「あんたたちの音楽は最高だが、くだらない政治の事なんか歌うな」とジョーに絡んだりもする。ローディーとなってもまともな仕事はできず、酒をくすねては昼間から酔っぱらい、女漁りに熱中する。結局ローディーを馘になった後も、レイはバンドについて回り、敬遠され、軽蔑されながら、生活を変えようとすることはない。
 映画の前半は、ロンドンでのクラッシュの日常(スタジオ練習、反ナチ集会でのギグ、裁判沙汰、etc.)と「北」(北部イングランドとスコットランド)への演奏旅行(コンサート会場内や舞台裏での暴力沙汰、逮捕劇、etc.)の描写に費やされている。登場人物の性格も的確に描き分けられているが、とりわけ(決して盲信ではない)確信的左翼であるジョーの冷静さと誠実さが、熱狂したコンサートのシーンでも、レイとの会話のシーンでも際立った印象を与える。

*      *      *

 僕の手許に「真実は宿無しにしかわからない」(“The truth is only by the Guttersnipes”)という奇妙な標題の論文がある。これはクラッシュの曲“Garage Land”の歌詞の最後の一行からとられたフレーズで、映画『ルード・ボーイ』の前半にも、スタジオ練習中のクラッシュがこの曲を演奏するシーンがある。ボブ・ジャービスの手になるこの論文(Jarvis, 1985)は、ロック・ミュージックに頻繁に取り上げられる環境的(environmental)テーマの一つに都市の日常生活の荒廃を取り上げ、そこから生じるラディカルな思想性について論じている(pp115〜119)。ジャービスは、都市生活についての否定的視座をローリング・ストーンズの“Satisfaction”(1964)前後に始まるロックの政治化という文脈で捉え、その到達点にクラッシュを置いている。冒頭いきなり(都市の疎外の象徴としてしばしば言及される)高層住宅群の遠景から始まるこの映画は、ジャービスの議論と共鳴するところが大である。
 しかし、クラッシュの例に限らずよく指摘されるように、消費社会/都市生活の負の現実を直視し、現状批判の立場からラディカルな左翼的政治姿勢をとる、というスタンスは、やがてバンド自身の商業的成功と共に、矛盾を抱えた曖昧なものとなっていかざるを得ない。クラッシュの関係者自身、この点については深刻に受け止めていた。総体としてのロック・ミュージックは、カウンター・カルチャーであると同時にビッグ・ビジネスでもある。また、ロックに限らず大衆文化の世界においては、政治的/社会的主張が容易にファッション化し、風化していくのが常であり、それはフォーク・ソング系のプロテスト・ソングでも、政治的パンク・ロックでも、あるいはカルト・ミュージックでも同じである。
 試みに、映画の中の演奏シーンだけを並べていけば、最初は文無しで粗野な姿だったクラッシュの面々が徐々に高級なステージで演奏するようになり、衣装もそれなりに変化していく過程が、微妙な演出で描かれていることが判る。最初に「赤い旅団(Brigade Rosse)」のTシャツ1)姿でステージに上がるジョーは、最後の“I fought the Law”では、バンドの全員と同じ黒いユニフォームの衣装に身を固めているのである。そしてリフレインでこう歌うのだ。

 クラッシュの日常を映像に固定したこの映画は、彼らの政治的/社会的主張を記録すると共に、その限界、矛盾、風化をも記録している。その意味では、これは彼らの主張の単純なプロパガンダではない。しかし、演技の部分も含め、彼らは自分たちがどのような姿で残されるのか充分に意識していたはずである。映画の中の彼らの姿は、彼らがこう見られたいという姿に違いない。その意味では、これは彼らの存在の歴史的意義を擁護する最も強力なプロパガンダである。
 しかし、自らの確信も限界も何もかもを詰め込んで映像作品に残そうとしたクラッシュは、やはり高度に「政治的」な(少なくとも「戦略的」な)バンドであった。この映画によって彼らが観衆に伝えたかったのは、閉塞した時代状況に反抗し、自らの政治性に誠実であった自分たちの姿だったのではないだろうか。あるいはこの映画は、彼らが後世に残したかった、ある種の「若さ」の記録なのかもしれない。もっとも、「歴史に残す」などという発想はパンクスにはおよそ似つかわしくないが…。

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 さて、この映画では本筋(レイやクラッシュの絡み)と関係なく、時代状況を表現する場面をあちこちに盛り込む、一種のモンタージュ技法が採られている。この傾向は後半部で強い。そうした場面の大半はドキュメンタリー・フィルムで、冒頭のタイトルに続く右翼の国民戦線(National Front)や「反ナチ・反NF」を叫ぶ左翼のデモ、サッカー・フーリガン(?)と警官隊の街頭での衝突、保守党支持者の集会でサッチャー首相が警察力の強化を訴える演説、そしてエンディングのダウニング街一〇番地風景などが、例として挙げられる。しかし、とりわけ重要なのは、映画の後半部で展開される「ドラム」という名の黒人青年をめぐる脇筋である。バス停での集団スリを内偵していた警察が彼を逮捕する顛末と、逮捕された彼と黒人弁護士との会話から成るこの脇筋は、本筋とは全く関係をもたないまま、映画の最後に向かって画面に占める比重が高まっていく。
 本筋と脇筋は直接の交点を共有せず、全く別個の無関係な物語として展開していくが、両者は確実に時間と空間を共有している。ドラムの逮捕シーンの直前のシーンは、スタジオで自作の曲“Stay Free”のヴォーカル・パートを収録するミック・ジョーンズ(Mick Jones:ギター)とレイの会話である。クラッシュの他の曲とかなり趣の違った「感傷的」な曲であり、ミックはブリクストンで過ごした十代の思い出を歌っている(親友が盗みで投獄されるエピソードが軸になっており、ドラムの話の伏線ともとれる)。レイは、自らもブリクストン出身であり、この曲にひどく心を揺さぶられる。しかし、「この曲はブリクストンの者以外には判らない」というレイに、ミックは「そんなことはない」と反発する。なお、このシーンに限らず、ジョーがレイを無闇に排斥しないのに対して、ミックはレイに対して毅然たる姿勢を見せるように描かれている。
 ドラムたちの逮捕シーンはこの直後に短いシーンとして描かれ、画面はクラッシュのコンサート風景となり二曲の演奏が続く。そして、さらにその後、独房内をドラムが歩き回る短いシーンが挟まり、レイがバーニーに仕事を断られる場面以降、ストーリーはしばらく本筋へと戻る。レイは依然としてバンドにつきまとうが、ろくに相手にされず、旅先のホテルに置き去りにされたりする。
 コンサート会場の楽屋で、「黒人が『白い暴動』(“White Riot”)を歌っているのが、おかしかった」と揶揄するレイをミックは「どこがおかしい、お前は変だ」と強く批判する。次の場面では、小さな練習場でジョーが古いアップライト・ピアノに向かい、ブリクストンの白人と黒人のやり取りをレイに歌ってみせる。レイはジョーに「俺は黒人かもしれない、みんな俺をニガーみたいに扱う」とこぼし、「政治と音楽が混ざるといらつく」と絡む。そして、「ニガーみたいに歌う白人を見つけりゃ億万長者さ」というサム・フィリップス(プレスリーのマネージャー)の言葉を口にする次のシーン、十代の若いローディーに「あんたはいつも酔ってるね」といわれたレイは、「老け込んだ気分だ、実際歳をとった」と自嘲する。レイは相変わらずバーニーらを頼ってホテルにいくが、ベッドから放り出されて風呂に放り込まれ、濡れ鼠で夜の街へと飛び出していく。
 次のシーンは、ボブ・マーリーの曲“Rudi”をBGMにロンドンのダウンタウンが俯瞰されて始まる。BGMがフェイドアウトすると、街頭でドラムと黒人弁護士が訴訟手続きについて立ち話をしている。続いてクラッシュのコンサートで“I fought the Law”(まさにドラムの状況に当てはまる)を演奏するシーンが一曲だけあり、夜の闇の中を高層住宅へと帰っていくレイがカットバックされ、すぐに弁護士がドラムの前で調書を読み上げるシーンとなる。弁護士が調書の途中でドラムが取調官を威嚇した部分を読むと、ドラムは「俺はそんなこといってない」という。なぜサインした」という弁護士にドラムは「殴られ、蹴られして、あんたならサインしないのか」という。場面は唐突に変わり、再び“Rudi”をBGMにダウニングス街一〇番地にサッチャー首相が到着し、歓声に応えるシーンとなり、そのままエンディング・タイトルになってしまう。
 このように、やや不可解で唐突な後半部は、(貧しい)白人の世界と黒人の世界が、相互に接点を持ち得ないまま、微妙に共鳴する状況を描いている。そこでは、白人の世界における事態の展開とは違ったところで、少しつ確実に黒人の世界の比重が拡大していく(映画の終末に向かって脇筋の比重が高まっていくように)。実際、この映画が製作された当時は、あの一九八一年の一連の都市騒乱の直前であり、ロンドンのみならずイギリス各地の大都市で有色人種のプレゼンスが拡大し、彼らに対する社会的抑圧が強まるとともに白人青年の場合とは全く違った反体制のエネルギーも爆発寸前まで蓄積されつつあったのであろう。
 左翼を標榜するクラッシュにとって、人種主義は敵であり、人種対立は唾棄すべき事態である。しかし、レイに典型的な労働者階級の素朴な伝統的感覚は、反エスタブリッシュメントとしてのクラッシュを支持しても、一方では有色人種への差別意識と深く結びついている。映画の冒頭近くに描かれる、レイの店で「黒人女」のポルノを求める勤め人の姿は、そうした意識の象徴かもしれない。
 自分たち自身が国際関係において搾取する側にいるということ、そして、流入する異邦人たちに対する一般大衆の感情的反発は、豊かな国の貧しい者(あるいは貧しい者の側に立とうとする者)が左翼的反体制の姿勢を取ろうとする際に避けて通れない事実である。前者についてはひとまず棚上げするとしても、後者は当時のクラッシュに(少なくともジョーに)、レイが象徴するような若者たちを自らの陣営にどう引きつけるか、という戦略論的課題を提起したはずである。2)レイは自覚的な人種主義者ではない。彼は、ボブ・マーリーのTシャツは着ても、「国民戦線に一票を」といったTシャツを着るようなことはない。しかし、映画の中でレイは、黒人と話すことも同席することもないし、黒人への言及にはいつも侮蔑のニュアンスがが漂っている。ちなみに、十年余り経た今日、同じ構造の問題が僕たちの国でも深刻化していることは、多言を要すまい。

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 クラッシュというバンド自身は、決して長くはない活動期間で解体していった。他の主だったパンク・ロック・バンドもしたような経過をたどった。しかし、パンク・ムーヴメントの本当の影響力は、むしろこれからの時代、十代でパンクにどっぷり漬かった世代が社会の中枢に入っていくにしたがって、徐々に姿を見せてくるものと考えられる。アメリカにおけるドラッグ文化が、一九六〇年代のカウンター・カルチャーから、今日のようにメインストリームの文化になるまで二十年の歳月を要したように、パンクが形を変えて文化のメインストリームにインパクトを与えるのはこれからなのだ。そして、クラッシュの若く、誠実で、「政治的」なメッセージが、彼らの戦略的意図を達成できたか否かの答えは、これから来世紀にかけてのメインストリーム文化の中に見つかるはずである。SF文学におけるサイバーパンクの登場なども、その序曲でしかないのかもしれない。
 僕たちの国のある世代を指す「全共闘世代」という表現がある。その世代の人々の内、実際に「全共闘」に参加したのはごく一部でしかないし、シンパであったり敵対勢力にいた人々を加えても、同世代の大半にはなり得ないのだが、この言葉は(もちろん限定つきでだが)この世代の精神傾向を有効に表現し得るものと考えられている。それと同じ意味において、近未来の、そして二十一世紀におけるイギリスを見ていく上で、「パンク・ジェネレーション」は有効なキー・コンセプトとなる可能性を秘めている。二十一世紀を舞台にしたSF・TVシリーズ『マックス・ヘッドルーム』に登場するブランク・レッジの雄姿を知る読者なら、彼がレイと同世代人であることを容易に悟るだろうし、そんな突飛な例を持ち出さずとも、僕たちの身近にもスーツに身を固めた元ルード・ボーイがいるはずである。果してパンクスは世紀末のイギリスをどこに導いていくのか、同世代の異邦人としてその成行きをゆっくりと見つめていくことにしたい。


NOTES
(1) 映画の中段では、このシャツを洗っているジョーにレイが「何だいそれ」とたずね、ジョーが「ピザ屋さ」と応じ、レイが「チンザノとかマティーニかと思った」というやりとりがある。
 このTシャツは当時かなり話題になったものらしく、ジャービスにも「(ロックの歌詞が)ラディカルな思想を常々もて遊んでいるとしても、それは『ニュー・ミュージック・エクスプレス』誌の裏表紙に載った赤い旅団のTシャツの広告の域を出ていない」という一節がある。(Jarvis, 1985, p118)
(2) クラッシュがどのような戦略を自覚的に展開したかは、議論の余地もあるが、レゲエへの接近は重要な手がかりとなろう。この映画でクラッシュが最初に演奏する“Police and Thieves”は、ジュニア・マービン(Junior Murvin)のレゲエ曲をパンク風にカバーしたもので、演奏シーン直後のレイが街を歩くシーンではBGMにオリジナルがかかるので、クラッシュのレゲエへの傾斜がすぐに判るようになっている。また“Rudi”が全体のテーマである点にも注意したい。

JARVIS, Bob (1985): The Truth is only known by the Guttersnipes. in BURGESS & GOLD (eds) Geography, The Media & Popular Culture, Croom Helm (London), pp96-122.
[ウェブ版のみの注記:BURGESS & GOLD (1985) は、1992年に『メディア空間文化論』の表題で翻訳が出ています。]


(リンク:ウェブ版のみのおまけ)

.....このほかにもクラッシュ関連サイトは多数あります。

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