私的ページ:山田晴通

韓国「まるっきりの観光旅行」日記:
2007年8月22日〜9月1日(韓国滞在は8月23日〜31日)


 これまで、韓国には8回も出かけたことがあるのに、なぜか一度も旅日記を作成しませんでした。今回の旅行は、まるっきりの観光旅行です。メインとなるソウルの滞在は、大学の労働組合の「組合学校」という形の懇親旅行でしたが、この団体行動にはソウルで合流、離脱しました。その前後は、自分とパートナーの二人で移動しました。
 韓国の旅日記が初めてなら、私費渡航の日記を公開するのも初めての試みということになります。

 文中にある料金のうち、食事代や宿泊費は二人分の金額です(ただし、宿泊費については、韓国では一人でも二人でも金額に大差がないことの方が普通)。1000ウォンは125円くらい(1円=8ウォン)です。
(2007.09.10. 仮公開:2008.08.30. 画像追加)
■ 2007/08/22 (Wed)
大阪から出航

大阪
PanStar Dream 船内

WTCから眺めたPanStar
 前日(21日)、国分寺から登戸へ出て、小田急に乗り換え、小田原から「ムーンライトながら」に乗った。少々変ったルートになったのは、青春18きっぷを使う都合だった。久々に列車の車中泊だったが、そこそこ眠れた。朝6時ころに名古屋でいったん下車し、小一時間ほど駅裏(駅西)を歩く。せっかく名古屋で降りたのだから、喫茶店でモーニングと思ったのだが、上手くそれらしいところを見つけられず、駅に戻ってきしめんを朝食にする。米原、大阪で乗り換え、さらに弁天島で地下鉄に乗り換え、コスモスクエアでニュートラムに乗り換え、11時頃にトレードセンター前に到着した。
 前回、大阪に出張したときにパンフレットで見つけていたWTCコスモタワー46階のワールドビュッフェへ行き、早めの昼食をとる。ここは眺望が売り物で、嬉々として写真をとる。これから乗船する国際航路のフェリーPanStarの船も、眼下の正面に見えている。開店時刻が11時で、開店後間もなく行ったのだが、団体客で結構混んでいる。どうやら国際フェリーターミナル近くでやっているサーカス「ドラリオン」の公演を見にゆく人らしい(後で確認したら昼の部が正午開演だった)。食欲は今ひとつなのでサラダなどを中心に食べていたが、それなりに満腹になるまで食べた。本来なら90分で出なければいけないそうだが、店員が何も言って来なかったので、気づくと1時近くなっていた。食べ放題2人分とビール1杯で3300円ちょっとだった。
 店を出て下へ降りると、ロビーでちょっとした古本市をやっていた。まだ時間に余裕があるの、公費購入と発送が可能かを確認した上で、昭和4年の英文のディレクトリーなど3点を購入した。郵便局に立ち寄り、コスモタワーを出て、強い日差しの中を国際フェリー・ターミナルまで歩いていった。途中で連れが、コンビニへ行き、船中で食べるおにぎりや飲み物の類を買ってきた。ちょうど2時頃にターミナルに到着して、乗船手続きをする。出国手続きが始まったのは3時10分頃で、ターミナルから船の乗船口までは(距離はないのに)バスで移動となった。
 船内に入ると、エスカレータで2層分ほど上がってロビーがあり、そのフロントで、同じフロアにある506号室の鍵を受け取った。部屋は、船体後部の客室スペースの真ん中で、窓はない。ドアを開けると、二段ベッド式の寝台が左右にあり、寝台車のような感じだ。まだ他の客は来ていなかったので、自分に指定された向かって左上1番の寝台に荷物を上げる。電源があってパソコンが充電できるのがありがたい。乗客の大多数は韓国人だが、この部屋には日本人が割り当てられていて、しばらくすると大学生風の青年3名が後から入ってきた。
 出発は4時が定刻だが、エンジンが動き始めた音がしたので、上部デッキへ出てみると、ちょうど離岸するところだった。大阪港を出たあたりで、一度部屋に戻ったが、神戸沖でまた上へ上がり、そのまま明石大橋の辺りまで、デッキで景観を楽しんだ。その後も、日没近い頃の小豆島の辺りと、夜になってから瀬戸大橋の辺りで甲板に出たが、その後は部屋に戻り、船内のコンビニを冷やかしたりしながら過ごした。とりあえず、2万円分を8.14ウォンのレートで両替した。8時過ぎに、風呂へ行った。施設は、大学の合宿所のような感じだった。つまり豪華でもなく、実用的ということだ。浴槽は二つあり、数名の子どもたちが大騒ぎしている方は避け(というより入りようがない)、横の浴槽で粛々と入浴した。サウナもあってなかなか快適だった。
 部屋のベッドは、座ると頭が支えるくらいなので、横にならざるを得ない。少しだけパソコンをいじったが、長続きせず、結局早めに就寝した。
■ 2007/08/23 (Thu)
久々の釜山

釜山
ソウル行き高速バス車中
 朝は5時頃から少し寝苦しくなって目が覚めかけたが、ちょと飲み物やお菓子を口にして、そのままに7時頃までベッドにいた。連れが声をかけにきたので、ひと呼吸置いて起床し、甲板へ上がる。案内パンフレットだと対馬が見える頃のはずなのだが、何も見えない。しばらくして降りてみて、行程を表示するディスプレイを見たりしているうちに、船内放送があって、昨晩急患が出たので松山港に寄港したため、定刻より1時間半ほど遅れているということがわかった。再度、甲板に上がったが、天候もあるのか、やはり対馬は見えなかった。そうこうしているうちに10時近くになったので、部屋に戻り、昨日の日記を書いたり、荷物の詰め直しなどをしているうちに、入港したらしい長い汽笛が鳴った。今度はこちらから連れに声をかけ、甲板へ上がると、既に釜山港内に入っている。コンテナ埠頭や造船所などを眺め、旅客ターミナルへの接岸を見届けて、部屋に戻った。他の一般客が一通り先に降りてしまった後だったので、団体の子どもたち(女子もいるボーイスカウトの一行)と一緒に下船し、入国管理、税関と抜けてターミナルのホールに出た。
 出て正面の案内所で、日本語の地図とパンフレットをもらい、高速バスターミナルの場所を教えてもらう。以前の記憶とは違って、老圃洞(ノポドン)にターミナルがあるという話なので、とりあえず地下鉄の北の終点でもある老圃洞まで地下鉄で行くことにする。地下鉄の1日乗車券は3,500ウォンで、案内所の女性の話だと、4回乗るとこちらの方がよいということだった。地下鉄の「中央洞」駅まで行き、券売機で1日券を買おうとして手間取っていると、バッヂを付けたおばあさんが声をかけてきて、きっぷの買い方、紙幣の両替などを助けてくれた。一種のボランティアガイドらしい(他の場所でも同様の老人のボランティアを見かけた)。
 老圃洞へ到着し、高速バス・ターミナルの案内所で、夜行便を予約する。夜行便は、昼の便より倍近い値段だが、その分座席はゆったりしていて、宿泊費が節約できる。結局、地下鉄の時間を考慮して、深夜1時発の便を予約した。地下鉄の終電で来ると到着は0時20分頃のはずだ。ここで、荷物をロッカーに預け、昼食にする。バスターミナルのホールの一角(ロッテリアの向かって左)にある食堂に入り、冷麺(ミルミョンというらしい)、野菜ブルゴギビビンバ、キムパプを二人で食べる。11,000ウォン。久々に韓国へ来たことを実感する。食後のデザート代わりにコンビニGS25(昔のLG25)でアイスバーを買う。500ウォン。
 連れが行きたいと言っていた店がジャガルチにあるので、地下鉄で逆戻りし、2時半頃ジャガルチに到着した。ところが、どうやらその店は無くなっているようで、仕方なく、近くのダンキンドーナツに入る。連れがソファで熟睡し始めたので、しばらく店内で粘って日記を書いたりする。その後、連れが起きてから追加注文もして、しめて11,100ウォン。
 店を出て、国際市場の中を、縦横に歩き回る。腐敗臭と美味しそうな匂いがごちゃ混ぜになった空気、狭い通路を通るバイク、物乞いをする障害者、韓国へ来る度に経験する市場の雰囲気だ。国際市場は、以前にも来た事があったが、繊維関係だけを見ていたようで、今回、雑貨や生鮮関係のところまで足を伸ばしてだいぶイメージが変わった。続いて、道を渡り、水産市場から新しくなったジャガルチ市場の建物の辺りを冷やかして回る。飲み物やお菓子などを買いながらの市場めぐりは、なかなか愉しい。

西面の屋台
 6時近くなっていたので、そろそろ何かを食べようということになり、観光案内所でもらったガイドブックに載っていた西面(ソミョン)の屋台通りへ行く事にする。地下鉄で西面で降り、ちょうど目の前にあった観光案内所で地図のどこに当たるのかと確認したら、流暢な日本語を話す女性に、「屋台通りですか?西面じゃないんじゃ?」と言われ、少々面食らった。ガイドブックを示したところ、「それなら3番出口を出て...」と説明された。どうやら西面は、釜山の住民にとっての銀座か新宿のような場所で、観光客向けではないようだ。それでも、それらしい屋台が並ぶところへたどり着いた。屋台の中身はどれもほぼ同じで、韓国風のおでん、トッポギ、イカ入りのチジミ、餃子風の饅頭、キムパプ(海苔巻き)などが並び、アジュマ(おばさん)が仕切っている。連れが直感で選んだ屋台で、こんにゃくと餃子風の饅頭、それにキムパプをもらう。全部で1600ウォン。小腹を抑えるのに最適という感じで、どの屋台も、若い女性たちや、カップルで繁盛していた。

廣安里ビーチから眺める「刺身センター」地区
 地下道を歩いて西面駅へ戻り、今度は地下鉄を乗り換えて廣安(クァンアン)駅へ向かった。駅を降りて、廣安大橋を望む廣安里ビーチへ行き、「刺身センター」地区で夕食にした。一番目立つ「マンラクタウン」という刺身を食べさせる店ばかりが入った10階建てのビルに入り、最上階の「オリョクド」という店に入る。刺身の盛り合わせ(鰈や鯛など白身の魚ばかりを、ふぐ刺しのように盛ったもの)は「小」にしたのだが、例によってパンシク(伴食)が山ほど出て、食べきれないほどだった。こちらとしては、結構レベルの高い店だと思った。二人前にビールで53,000ウォン。
 11時前には店を出て、廣安駅へ向かったのだが、意外に時間がかかってしまい、水営(スヨン)、蓮山洞(ヨンサンドン)で乗り換えて、老圃洞に戻ったときには0時を回っていた。ロッカー代金の計算上は無情にも二日目になって、追加料金が必要だった。ターミナルの店はGS25だけが営業していて、他の店は閉まっている。おにぎりや飲み物などを買って、バスの到着を待つ。0時45分頃に1時発のバスが入ってきて、すぐに乗り込む。座席はかなりリクライニングできる、ゆったりとしたもので、これなら眠りやすそうだ。昼のバスより運賃が高いのは、バスの座席の違いだろう。定刻に発車したバスは、ターミナルを出ると間もなく高速道路に乗り、快調に進み始めた。こちらも高速に乗ってすぐに眠りに落ちた。
■ 2007/08/24 (Fri)
ソウルで団体行動に合流
ソウル
Capital Hotel, ソウル・梨泰院

未明の食堂でのキムパプづくり
 夜行バスは午前3時少し前に途中のサービスエリアで休憩した(アンサン?だったか)。車内の電気が点灯し、目が覚めたので、トイレに降りる。15分ほどで再び走り出し、すぐ眠る。ソウルまでは5時間ほどと聞いていたので、もう1回はトイレ休憩があるだろうと思っていたのだが、次に車内が点灯して起こされたのは、まだ明けきらない午前5時すぎで、既にバスはソウルの高速バス・ターミナルに到着していた。慌てて下車すると、既にトランク類は下ろされていて、バスはすぐに移動して去っていった。
 バス・ターミナルは地下鉄の駅に隣接しているが、数百メートルは距離がある。連れに荷物を見てもらって、地下鉄駅の位置や始発の時刻を確認しに行く。既に地下鉄は動いているようだったが、連れが待っている降車場の近くで食堂が3軒ほど営業していたので、とりあえず、朝食をとる事にした。キムパプと、(インスタントの)辛ラーメンをとり、MBC文化放送テレビ・ドラマ「大長今」(再放送)を訳も分らずしばらく眺めて時間をつぶした。
 6時頃に地下鉄駅へ向かい、3号線で北上し、薬水(ヤクス)で6号線に乗り換えて、梨泰院(イテウォン)まで行く。ところが、いざ梨泰院で地上に出てから、目的地のホテルの位置を、思い込みで勘違いしていた事に気づいた。今日から泊まるホテルはホテル・キャピタルなのだが、どうした訳かちゃんと調べもせずに、駅からすぐの、実際にはハミルトン・ホテルがある位置にホテル・キャピタルがあるように思い込んでいたのである。改めてソウルのガイドブックで、ホテル・キャピタルの位置を確認し、いったん緑沙平(ノクサピョン)の方へ進んでから左折し、クラウン・ホテルの前を通って、ようやくホテル・キャピタルに到着した。チェック・インはもちろんできないが、ここで大きな荷物を預け、ほっとする。荷が軽くなったところで、地図で見当をつけ、また逆方向でやってくる高校生の流れを頼りにして、住宅地の中を抜けるルートで梨泰院駅へ向かい、谷戸を登り詰めてハミルトン・ホテル前のT字路に達した。まだ朝9時前だが、コーヒービ−ンというチェーン店のカフェが開いていたので、入って一息入れる。結局、10時過ぎまで少しウトウトもしながら時間をつぶした。
 午後2時過ぎには、金浦空港で組合の一行と合流するのだが、それまで、しばらく中心部へ行くことにし、地下鉄に降りてゆく。ところが、三角地(サンガクジ)で4号線に乗り換えた後、正しく乗り換えていたのに、間違った方向に向かっていると錯覚し、わざわざ淑大入口で逆方向に乗り換えてしまった。ほっとした(実は間違っていた訳だが)のもつかの間「二村(イチョン)」の駅名の放送に「あれっ?」と思い、慌てて地図を見ようとしたら、列車は漢江にさしかかって地上へ出たので、完全に間違っている事に気づいた。結局、漢江左岸の地上駅である銅雀(ドンジャク)で下車して、逆方向に乗り直した。こんなに混乱したのは、ニューヨークでブロンクスのどこか知らないところまで間違って行った時以来のような気がする。

復活した清渓川
 結局11時過ぎに、会賢(ヘヒョン)で下車して、南大門市場を冷やかし、新世界百貨店ともうすぐ竣工しそうな中央郵便局新庁舎の前を通って、明洞から三一路を経て、河川が復活した清渓路を越えてタプゴル公園に至った。公園脇の郵便局に入り、切手を買い、公園の北側を回って仁寺洞(インサドン)へ行く。仁寺洞は、最初に渡韓した24年前には、骨董屋と古本屋が集まった街だった。以来、ソウルへ行くたびに近くに泊まり、古本屋で本を買って来たが、最近では急速に観光地化して土産物屋や洒落たブティックなどが増え、今では古本屋は3軒だけ、それも頼りになるのは1軒だけというのが現状になっている。とりあえず、3軒を回り、頼りになる1軒で少し探し物を頼み、定宿にしている安宿に27日からの2泊の予約を入れる。
 そうこうしているうちに、既に1時をずいぶん回っている。午後2時過ぎには金浦空港へいなければ行けないので、コンビニで飲み物を買って、地下鉄で移動する。鐘閣(チョンガク)から1号線に乗って新吉(シンギル)で5号線に乗り換え、久々に金浦空港へ向かった。金浦空港では、地下鉄駅から上がるエスカレータ脇の壁面のディスプレイ・アートが昔のままでちょっと嬉しくなった。国際線ターミナルへ行くと、到着出口にはまだ誰も来ていないようだったが、出迎えの旅行社のガイドのKさんがいたので一声かけておく。全員が出てくるまでには、まだ小一時間はかかるということなので、少し買い物をしに、ターミナルの2階に上がってみた。江華島(カンファド)に仁川(インチョン)国際空港ができてから、金浦の国際線ターミナルの規模は以前の半分(以下?)に縮小されているが、その分、普通のショッピングセンターのような売り場が新たに広がっているようだった。大学芋と冷たい飲み物などを少し買い物し、再び下へ行くと、既に第一陣は到着していて、第二陣が出て来るのを待っているところだった。程なくして、第二陣も到着し、3時過ぎに全員で観光バスに乗り込み、金浦を出発した。
 漢江左岸のオリンピック道路が結構交通渋滞していた事もあって、団体旅行お約束の免税店への到着は4時過ぎになった。新羅ホテルの免税店で1時間ほどを潰す事になるので、少しだけ店内を冷やかした後、屋上のテラスに行った。屋上では、カフェでケーキと飲み物をとって、先に来ていた同行の人たちといろいろ雑談し、のんびりと過ごした。
 免税店から、再び観光バスでホテルへ向かい、6時過ぎにツイン仕様の1218号室にチェック・イン。荷物を置いただけで、すぐにロビーに再集合して、観光バスで焼肉店に行き、夕食となった。
 夕食後、一度、ホテルに戻ってから、Rさんと三人で、梨泰院から地下鉄を乗り継いで安国(アングク)まで行き、夜の鐘路(チョンロ)の屋台を回り、焙ったイカやトッポギなどを食べ、金曜の夜の雰囲気を楽しんだ。ホテルに戻ったのは11時過ぎだった。
 部屋に戻って、風呂に入り、ついでに洗濯をして、就寝したのは1時ころになった。
■ 2007/08/25 (Sat)
久々の景福宮再訪

ソウル
Capital Hotel, ソウル・梨泰院
 朝7時半にモーニング・コールで起こされ、8時半にロビーに集まって、徒歩で梨泰院駅近くへ向かい、一松亭という食堂に入った。朝食は、鮑粥かカルビクッパが選べ、カルビクッパにした。食後、そのまま地下鉄で、薬水を経由して、景福宮へ行く。この駅で降りるのは初めてだと思う。韓国を訪問するようになった1980年代には、まだ朝鮮総督府の建物があって、国立博物館になっていた。その頃には景福宮へも行ったが、実際には現在の景福宮には、本当に古い建物はないこともあって、あまり有り難みを感じられず、その後は景福宮には来ていなかった。前回、2005年に観光旅行気分で来た時も、ちょうど総督府を撤去した跡の整備中で、博物館には入ったが、景福宮には入らなかったので、ざっと二十年ぶりくらいで入場する事になる。ちなみに今回は、光化門の再建工事中だった。
 ひと通り景福宮を通って、民俗博物館へ行き、ここの入口で再集合してからは、しばらく自由見学となった。けっこう歩き疲れていたので、しばらくカフェで過ごしてから、展示やミュージアムショップも少しだけ見た。
 午後1時にまた集合して、最近こぎれいな店がいろいろ進出しているという三清洞ギルの通りを徒歩で進み、三清洞(サムチンドン)の伝統料理の店に向かった。ここでは、伴食が実に充実した昼食を食べた。特に、サンチュの類がいろいろあって、嬉しかった。
 食後は、再び徒歩で、徳成(トクソン)女子中高の間の道を抜けて、仁寺洞へ向かった。途中の小さな文具店で、ノートと糊を買い、「領収書が欲しい」と言ったら、領収書の用紙を買うのと勘違いされて少々慌てた。そのまま進んで仁寺洞に着いたが、既に自由行動になっていたようで、こちらもゆっくり仁寺洞を南下し、まず普段の定宿にしている新宮荘旅館の前など、裏道を同行した人々に見せて回る。さらにインサドンイヤギ(「インサドン物語」と日本語で書いている)という名の喫茶店に入って韓国風のかき氷「パッピンス」と、パフェというよりクリームソーダに近い「パルフェイ」を注文し、冷房で涼をとる。事前の打ち合わせでは4時に仁寺洞北の案内所のところに集まることになっていたのだが、喫茶店の席が珍しいことにハンモック式で、うたた寝をするのに絶好だったために、連れも自分も眠り込んでしまい、気がついたら既に4時半になっていた。
 次の集合のポイントは、午後6時にロッテ・ホテル2階のツアー・ラウンジなので、昨日歩いた三一路から明洞への道を逆に進み、ロッテ・ホテルに5時頃に到着した。当然ながらまだ誰もいないので、一休みしてから、隣のロッテ百貨店の9/10階にある免税店を冷やかしに行く。ホテルと百貨店の間にある免税店への直行エレベータへの通路には、2年前にはペ・ヨンジュンのポートレイトが並んでいたのだが、今回はいい男ではあるとしても何となく「見栄晴」のような雰囲気もある韓流スターになっていた(名前を知らないのは、自分がこの方面に関心がないからで、他意はない)。免税店や、百貨店のフロアを眺めて回るが、昨日の新羅と同じで、何も買い物はしなかった。6時少し前にロッテ・ホテルのツアー・ラウンジに戻ると、既に多数集まっていた。定刻になってから観光バスに乗り込み、梨泰院にも近い月尾島という「日式専門」と看板を掲げた店で、(どう見ても日本食には見えない)海鮮鍋を楽しんだ。(後日ネットで調べてみたが、この店の評価はやはり微妙:
 食後、ホテルに向かうバスから梨泰院駅で降りて、東大門市場へショッピングや屋台を冷やかしに行く一行とともに、東廟(トンビョン)経由で東大門へ行った。地下鉄から上がっていく階段の踊り場で、3,900ウォンのTシャツを1枚だけ買ってから、全員で川に降りて記念写真を撮り、それから買い物組と屋台組に別れて、後者についていくことにした。
 東大門市場は、2年前に清渓路の工事がまだ終わっていなかった頃に来た時から、さらにいろいろ再開発が展開したようで、見違えるようなファッション・ビルが林立し、運動場は市場に転用されていた。三つ並んでいるファッション・ビルの前には、それぞれステージは設けられ、ロックやスカのライブをやっている。人出も凄い。H先生の話では、週末には全国から地方の衣料品店関係者が仕入れのためにここに集まるようになってきているそうだ。観光地化している南大門市場とはまた違う形で繁栄しているという雰囲気がよく感じられた。連れはけっこう飲んだようだったが、こちらも海鮮チジミなどをつつく。割り勘で一人10,000ウォンだった。
 帰りはいったんタクシーに乗ったのだが、思い直してすぐに下車し、地下鉄で三角地を経由して梨泰院に戻った。最初は店に入るつもりだったが、結構疲れていることを自覚したので、ゆっくり歩いてホテルまで戻ることにする。途中の店で飲み物やシャンプー(ホテルでは石けんしか備品になっていなかった)などを買って、11時前に部屋まで戻ってきた。
 連れはすぐに休んだが、妙に目が冴えていたので、テレビでNHKのBS1の音楽番組(ゴスペラーズ、桑田圭佑)を流しながら、日記のメモを作り始め、気づくと3時を回るまでになっていた。3時を回って連れが目を覚ましたので、入れ替わりで就寝する。
■ 2007/08/26 (Sun)
24年ぶりの水原華城、韓国民俗村

水原、ソウル
Capital Hotel, ソウル・梨泰院
 朝は7時半にモーニングコールで起こされるが、結局テレビはつけたものの8時半の集合ぎりぎりまでベッドで寝ていた。ロビーに集合して、バスに乗り込み、朝食へ行く。昨日の夕食をとった月尾島の少し先(坂を下った方向)にある店で、ソルロンタン(牛の脊髄のスープ)を食べる。塩味をつけるために伴食においてあったエビの塩辛?が珍しかった。朝食後、バスは水原の韓国民俗村へ向かった。今日は、東経大の協定校である培材大学のI先生が同行されていて、水原への車中で、1997年の経済危機以降の韓国経済の動向についてのレクチャーがあった。話を聞きながら、なるほど韓国は「美しい国」なのだと改めて思った。

水原城・西門
 水原では、まず華城の西門で下車し、城壁の上を東門まで歩いた。24年前に来たときには、逆に南側の一番高い丘の上まで登ったのだが、今となってはよくも元気があったものだと思う。水原城は世界遺産になっているが、実際に古い城壁はほとんど残っていない(土塁はあったはず)、景福宮もそうだが、あるべき状態、理念型のようなものが大切だということだろう(伊勢神宮も同じだ)。空にはうっすらと雲があり、日差しは強烈とまでは行かないが、それでも上下があるルートを歩いているうちに汗だくになる。途中でペットボトルの水を売っているおじさんがいたので、1.000ウォンで1本買ったが、コンビニで500ウォンのものを半分凍らせた状態で保冷箱に入れて売っているのだから、500ウォンは冷凍代ということだろう。
 東門の駐車場で再びバスに乗り、韓国民俗村へ向かう。以前来た時より(当たり前かもしれないが)周りが開発された感じだ。規模も少し拡張されているようだし、記憶とあまり重ならない場面も多かった。予定より早めの午前11時半頃に到着したので、先に簡単に一周することになり、ガイドのKさんの説明を聞きながら、時計回りに園内を回る。ほぼ同じペースで、年輩の英語ガイドのグループが回っていたが、説明の内容に随分と密度の差があって、Kさんの生真面目な感じがよく伝わってきた。民俗村はもともと民間企業の事業だが、史劇ドラマや映画の撮影地としても活用されているそうで、建物の所々に、この番組、映画の撮影に使われました、という説明があったりする。この日にもドラマの撮影が行われるらしく、SBSのスタッフが機材を運んでいるのを見かけた。
 園内を一回りしてから、入口に近い「韓国館」というレストランで昼食になり、石焼ビビンパを食べた。Kさんの説明では元々ビビンパは身分の高い人の宴会の残り物を、下々の者が公平に分けられるよう混ぜて食べたのが起源だという。石焼きはここ20年くらいで普及した新しい食べ方だという話だったが、確かに、24年前に秘園に近い店(名前は忘れた)で初めて食べたときには、どこにでもあるメニューではなかった。昼食の後は、1時間ちょっと過ぎから3時まで、自由見学となったが、結構歩き疲れていて、園内に戻る気になれず、土産物を少し買って(円で払うと、釣りをウォンでもらえた)、そのあとで、冷房の効いた茶屋に入り、柚子茶を飲みながら時間をつぶした。同行したメンバーが入れ替わり入ってきて、前半はPさんご夫妻と、後半はQさん、Rさんと、いろいろお喋りする。3時に集合して、バスに乗り込むと、すぐに熟睡してしまう。
 日曜日は高速にバス専用レーンができるそうで、予定よりこれまた早く、4時過ぎにはホテルに到着した。夕食へ出かけるのは6時なので、部屋でシャワーを浴び、ベッドで仮眠をとる。6時にロビー集合。今夜の夕食はプルゴギで、忠武路駅近くの大林亭へ行った。今日は団体での行動の最後の夜なので、多くのメンバーは二次会でどこかに飲みに行くらしい。ところが、QさんとRさんが「占い」に行くというので、そちらに同行することにして、忠武路駅から誠信女子大前駅へ向かった。ガイドブックを頼りに、途中で道を聞きながら辿り着いた「占い師村」は、そうと知らなければ何の変哲もない住宅地にしか見えない。看板が点灯しているところに入り、盲目の女性の占い師に二人が見てもらっているのを隣の待合室から眺めていた。オンドル房で、小さな机を前に座った占い師は、まず生年月日と住所を尋ねてから、右手に鈴を持って何度か振って鳴らし、しばらく沈黙する。やがて、ぶつぶつと声にはならないが何かを唱えるように唇を動かす。しばらくすると、点字で記載されているらしい大きな帳面を出して、何かを調べるように何度も触ってから、またしばらく沈黙し、やがて、よどみなく一気にご託宣を語る。独特の抑揚で、朗誦するという感じだ。ひとしきり語り続けてから、何か質問は?と言って、見てもらう側が質問すると、少し沈黙してから、またご託宣がある。こちらは最初より、普通の喋り方に近いが、やはり独特の感じだ。もちろん言っていることは皆目分からないが、韓国語を解するQさんがうなづいたり、笑いながら聞いていたところからすると、難解なことを喋っている訳でもなさそうだった。ちなみに、見料は、二人で5万ウォンだったそうだ(一人だと3万ウォンらしい)。
 その後、4人で仁寺洞へ行くことにしたのだが、地下鉄を逆方向に乗ったりと、失敗もしながら、鐘路3街まで戻り、屋台でトッポギを突ついたりしながら、ゆっくり仁寺洞まで辿り着き、新宮荘前に新たにできたお洒落な今風の韓国風のカフェ「ヌリ」(このページの中段を参照)に入る。最初は、もう閉店だと断られたのだが、Qさんに「近くに良い店はないか」と韓国語で聞いてもらったところ、「時間はどれくらい?」と聞かれ、結局、小一時間ならよいということになった。ヤマブドウのお酒や、柿の葉茶などをとり、良い雰囲気に感心しながら、歓談する。(後日この店の前を通ったら、夜12時近くまで営業していたので、たまたま日曜は早仕舞いということだったようだ。)
 帰りはタクシーでホテルに戻った。タクシーの運転手は、冗談を交えてQさんとお喋りしながら、南山公園の辺りの裏道をスイスイ進み、一体どこへ行くのかと思っているうちに梨泰院へ抜け、料金5,200ウォンでホテルについてしまった(素晴らしい!)。タクシーを降りて、ホテルの前のコンビニで飲み物などを買う。部屋に戻ってしばらくしてから、Qさんから部屋に電話があり、電源の変圧器つきのコンバータを貸してくれるというので、ありがたく借りに行く。連れは早速携帯電話の充電をしていたが、こちらも連れもあまり遅くならないうちに眠ってしまった。11時過ぎだったと思う。
■ 2007/08/27 (Mon)
定宿へ移る

ソウル
新宮荘旅館, ソウル・仁寺洞
 朝はゆっくり寝床で過ごし、ここ数日の疲れを回復する。団体行動の最後として、11時半前にロビーに集合する。今日で帰国する組合の一行はバスに乗り込み、居残る私と連れとQさんの三人で、ホテルの前で見送った。それから三人でタクシーに乗って梨泰院駅まで行き、ハミルトンホテルの向かいの中華料理店「アソウォン」で、昼食を一緒にとった。女性二人は4月の「ブラック・デー」に食べるというチャジャミョンをとり、こちらは海鮮炒飯を食べた。
 駅でQさんと別れ、連れと二人での行動に戻った。地下鉄を薬水で3号線に乗り換えて、安國駅で下車し、今夜から2泊する仁寺洞の「新宮荘」へ向かった。仁寺洞辺りは本当に変化が激しく、来るたびに街の姿が変わっていたり、なじみのあった店が消えたり、新しい面白そうな店が出たりといろいろあるのだが、安國駅はこれまで使った記憶がない。最近伸延されたということか。
 新宮荘に着いたのは1時半頃だったがもう部屋が使えるというので、早速203号室に荷物を入れ、身軽になった。前回2年前に来たときは、確か隣の204号室だった。どちらも東側の寝台つきの部屋である。2時過ぎに宿を出て、連れの趣味の品を買うため、まず西大門区の某所を目指し、タクシーに乗った。運転手氏は車を走らせながら、先方に電話を架けてくれたが、応答がない。結局、場所がはっきり分からず、弘済駅近くで下車し、交番に行ってみたりもしたが不在だったので、あきらめて地下鉄で東大門市場へ行く。
 東大門市場では、店というよりは作業場に近いところへ行ったり、別の店で独学で日本語を勉強しているという店員とよく通じていない長話をしたりと、いろいろ珍しい目に遭った。連れの趣味がらみで、いろいろ買い物もした。また、仁寺洞あたりで1,000ウォンで売っている中国製の奇妙なウォーターボールというものが、こちらでは500ウォンなので、試しに2個買ってみた。

(旧)競技場と野球場
 少し歩いて、新しくできたファッション・ビルの一つ「ミリオレ」に入り、メンズのフロアでTシャツ類を眺める。ここは必ずしも安売りということではなく、そこそこの値付けになっているようだ。フードコート風になっている最上階の9階まで上がって、かき氷を食べ、競技場(今は駐車場と市場に転用されている)と野球場を眼下に見下ろす眺望を楽しみながら、二息くらい着く。
 帰りにも少しメンズものを見てから、6時過ぎにミリオレを出て、連れがエステに行くという迎賓ホテルまで歩いてゆく。ここはもう、東大門駅よりも東大入口(東国大学校が近いという意味)駅が一番近いところだ。ホテルの位置を確認してからひとブロックほど先まで歩き、待ち合わせる場所を決めてから別行動になる。出国してからインターネットに接続する機会がずっとなかったので、近くの「PC房」に飛び込んでラップトップを直接接続できないかと尋ねてみるが、3ヶ所見つけた全部で、接続はできなかった。仕方なく、待ち合わせ場所にした飲み屋の向かいの2階にあった昔風の(最初に来た24年前によくあった雰囲気の)喫茶店に入ってアイス・コーヒーを飲みながら、前日までの分の日記を少しつける。当初、約束した時間が近づいてきたので、店を出て通りに立ってみた。しかし、待ち合わせ場所にした店は結構繁盛しているようで、長居をするのがちょっとためらわれたので、迎賓ホテルとこの飲み屋の間を行ったり来たり数回往復したり、途中の不動産屋の物件紹介を眺めたりしていたが、ちょうど中間地点の辺りにある時計屋に目が止まり、たまたま持っていた、バンドが破損したスウォッチを修理してもらうことにした。主人は一目見て5,000ウォンというので、その場で修理を頼み、見る間に数分で元通りに直してもらった。こういうことは、日本ではこの値段では無理だろう。
 9時近くになってようやく連れと合流し、目印にしていた飲み屋「ハングムチュチョンジャ」に入る。やたらと体格の良い若い店員(というか店主?)が、全く英語も日本語も解さないので難渋していると、彼はいきなり店の前に出したテーブルで盛り上がっていた7人ほどの一行に「誰か日本語ができない?」と声をかけた。一人がこちらへやってきて、片言の日本語と、英語で、通訳というか仲介をしてくれて、何とか注文ができた。その一行が食べていた、イカ入りのチヂミに似たものと、やかんに入ったどぶろくのような酒をとる。さすがに流行っている店らしく、美味しかった。どぶろくは飲みきれず、先ほどの一行に残りを譲ってから席を立った。
 東大入口から安國へ戻り、宿の近くの食料品店で飲み物と菓子を買い、11時頃に宿に帰着した。疲れていてシャワーを浴びる気にもならず、飲み物を飲んでから、冷房をつけたまますぐに床に着いた。この宿のテレビでは衛星系の多数のチャンネルが見えるが、NHKワールドはニュースで内閣改造を詳しく報じている。内閣の顔ぶれを見ていると、(あくまでも思いこみだが)一部の大臣の身辺は大丈夫なのかとちょっと心配になる。また、省庁を統合して随分経ったのに、今回もまた特命の乱発で大臣の数が減らないというのも、情けない感じがする。
■ 2007/08/28 (Tue)
郊外を右往左往し、最後は南大門市場へ

ソウル
新宮荘旅館, ソウル・仁寺洞
 ゆっくり起きて、ベッドの中でテレビを観るというよりは聞いていた。10時頃に、連れが旅館のサービスで提供されている簡単な食事(ジャムつきトーストとインスタント・コーヒー)を作ってきてくれて、朝食にする。昨日シャワーを浴びなかったので、シャワーを使い、シャツと下着を洗面台で洗濯して、部屋に干す。
 今日も連れの趣味の買い物が目的で、昨日同様に少々怪し気な情報源をもとに出かけることにしたが、宿から仁寺洞の通りに出た所で、古書店に頼んだ本をチェックすることを先にしようということになり、立ち寄ってみた。店にはいると、早速用意されていた分厚い本が数冊積み上がった。カードで代金を支払って、お礼を言って店を出ようとしたら、日本語を話せる店員に、「前回来店したときに、入ってきた男性客が失礼なことを言っていましたが、気になさらないでください」と声をかけられた。そう言えば、確か韓国語で何かを話しかけながら握手を求めてきた男性がいた。その時は何のことか分からなかったので、とりあえず握手に応じて店を出たのだが、その際に何か侮辱的なことを言っていたらしい。こちらは言葉が分からないから気づきもしなかったし、気づいていた所で(外国で無難に過ごす知恵として)気づいていないフリをしたことだろうから、結局は同じことだ。しかし、店員がかなり恐縮して一声かけるくらいだかり、どうせコイツは分かりゃしないと高をくくって、かなり厳しいことを笑顔で言っていたのだろう。それはそれで、かなり高度なコミュニケーションだったということになる。
 本を部屋まで持ち帰り、改めて買い物に出かける。まず、禾谷駅まで地下鉄で行き、住所を頼りに訪問先を探すと、地番通りの建物があっさり見つかったのだが、そこには目的の店はなく、教会の牧師さんが人生相談に応じるという怪しげな「研究所」が置かれていた。仕方なく、近くのダンキン・ドーナツの店に入って、ベーグルとドーナツに「クーラッタ」と称する冷たい飲み物をとって休憩する。さらに、店を出てから、地下鉄入り口近くにあった屋台でトッポギを食べる。こうして、あちこちでいろいろ食べたり飲んだりしていると、この国のファースト・フードが相体的に非常に高いことが感じられる。
 気を取り直して、地下鉄で二駅戻り、新亭駅で下車した。目的地は新亭6洞なのだが、地番が連続していないようで駅やバス停にある案内図では行き先が分からない。4洞、5洞は駅から地上に上がってすぐに分かったのだが、6洞の位置は見当もつかない。駅からすぐの交番は(例によって?)不在で閉まっている。駅の案内図に、少し離れた所にある5洞の役所(区役所の出張所のようなもの)があったので、とりあえずそこへ行って尋ねてみることにした。英語も日本語も堪能な人はいなかったが、ここで地図類を見せて貰い、6洞が少し離れた所にあるということは分かった。そうこうしているうちに、5人ほどいる職員のうち唯一の男性で、明らかにここの責任者と思われる温厚な雰囲気の年輩の人が、連れの持っていた資料を見て、こちらが訪問しようとしていた先方に直接電話をしてくれた。その結果、どうやらそこは製造工場で、訪問しても対応してもらえないことが分かった。仕方がなく帰ろうとした所、その所長(と勝手に呼ぶことにするが)に、手招きされ、フロアの奥に仕切られた自分の席に入って来いと促された。言われるままに奥へ行くと、何と所長氏は、韓国語に断片的な日本語を混ぜて説明しながら、(連れの趣味に通じる)彼自身の趣味に関するデジタル写真などを見せてくれたのである。同好の日本人が、唐突に飛び込んできて、うれしかった様子だった。こちらも驚いたが、いろいろ勉強になった。
 駅へ戻る途中で、小さな食品スーパーを見つけ、何か飲み物を買おうと入ってみたが、そこでケロロ軍曹(韓国語ではノグリチュンシ=かえる中士[軍曹の意]=ケロロ)のキャラクターがあしらわれた小さなリュック状の菓子の詰め合わせ(ロッテ製品ばかり)があり、思わず衝動買いする。
 再び、地下鉄で移動し、今度は、弘益大学駅で下車して、これも連れの趣味がらみの店に歩いてゆく。途中で、明日開店するミスタードーナツの店を見かけた。明日の正午開店にあわせて、先着二百名に抽選で景品が当たると告知されていた。韓国ではダンキンドーナツはよく見かけるが、ミスドは見たことがない、いや金曜日に明洞を歩いていて見かけたかな?などと思い返す。結局、10分ちょっと歩いて目的の店に到着。こちらは店内の空気に付き合いきれないので、店の外で階段に腰掛け、しばらく休息していた。結局、連れは何も買わずに店から出てきた。今日は、連れの趣味の関係では3カ所を周ったが、右往左往するばかりで、何も買い物をしないこととなった。
 弘大駅へ戻るよりも近いかもしれないと判断し、一緒に合井(ハプヒョン)駅まで歩いてみたが、結局、同じくらいの距離だったようだ。そこから会賢まで移動して、南大門市場へ到着し、ここでは、自分も連れもそれぞれ衣類などを買い込んだ。冷静になって考えると、Tシャツだけで10枚も買っていた。さすがに持ち合わせが乏しくなったので、市場の一角で屋台を出していた女性の両替屋さんにレートを聞くと、何と10,000円を80,500ウォンにするという。こちらへ来て以来、フェリーの船中を除けば一番よいレートである。早速、手元の日本円を、少し多めに両替した。結局、6時半頃まで南大門市場にいて、買い物を楽しんだ。
 7時少し前に宿に戻り、買い物を置いてから、宿に近く、この辺りへ来るたびに立ち寄っている「土房(トバン)」という食堂に入る。元々ここにあった民家の建物を活かした、小さな店だが、安くて美味しく、行列ができていることも多い店だ。入り口の扉の辺りまで行列ができていたが、大して待たずに隅の席に入れた。テンジャンチゲとスンドゥブを注文し、伴食とともに大いに味わって食べる。伴食には半生の蟹の和え物もあって、なかなか贅沢である。これで、料金は二人合わせて8,000ウォンと格安だった。
 食事後、最近できたらしい仁寺洞の観光案内所に立ち寄り、ラップトップがつなげられるPC房があるかどうか調べて貰う。また、電源のコンバータが近くで買えないかと尋ねたところ、鐘路を東へ進んだところにある清渓川電気街のビルあたりにある可能性はあるが、本館の閉店時間は午後7時半だという。既に8時近いが、まだ空いている可能性もあるかと思い、早速そこまで歩いて行ってみた。確かに本館は閉まっていたが、近くの小さな店がいくつかまだ開いていて、幸い、変圧器つきのものを10,000ウォンで入手できた。宿へとって返し、部屋に籠もって、菓子類をかじりながら、書くのが遅れている日記を書く。
 11時頃に、一区切りつけ、観光案内所に教えて貰ったPC房へ出かけた。案内所でもらった説明では、「YMCAの近くで1階がLGテレコムの店になっている建物の2階」ということだったが、実際に行ってみると確かにその通りのPC房があったものの、教えて貰ってところとは名前が違う。とりあえず2階に上がり、店番をしている細身のメガネのお兄さんにラップトップをつなぎたいと告げると、ちょっと困った様子をされた。やはり違う店だったかなと思っていると、最初は客かと思っていたもう一人の店員がやって来て、自分の席の隣に座るように促し、自分がオンラインゲームをしていたマシンの設定をチェックして、こちらのラップトップをマニュアルで設定をしてくれた。これで何とか無事に、一週間ぶりにオンラインとなった。メールを読み落とし、新・東経ちゃんねるにアクセスし、連れの用事も一緒に済ませた。連れが使っている間に一度店から出て、YMCAの辺りを確認してみたら、もう一カ所「YMCAの近くで1階がLGテレコムの店になっている建物の2階」に該当するPC房があった。案内所で電話をしていたのは、どうやらこちらだったようだ。店に戻り、用事が済んだ所で出ることにした。何分いたかはちゃんと確認しなかったが、料金は1,500ウォンだった。
 宿に戻る道は既に0時を回っていた。部屋に戻ってからは、お菓子を食べながら荷物を詰め直したりしながら、結構遅くまで起きていた。
■ 2007/08/29 (Wed)
いいことあるか〜? ソウル最終日

ソウル
釜山行き高速バス車中
 昨日の朝と同じように、連れがインスタント・コーヒーと卵サンドを作ってきてくれたので、起床して朝食にする。今日でソウルを出て、夜行バスに乗るので、荷物をまとめ直して宿に預けなければならない。一通り作業をして9時過ぎに、荷物を預けに行くと、207号室に入れて置いてくれと言われたので、そのようにした。

開店を待つ行列
 今日は最初にPC房に寄ってから、昨日見かけたミスタードーナツの開店イベントを見に行こうという話になり、先ず昨夜と同じPC房へ行った。昨夜の、メガネのスタッフがまだ当番だったらしく、すぐに事情を了解してくれて、数時間前と同じ席についてインターネットに接続した。メールを読み落としたが、返事を書いている余裕はない。とりあえず、昨夜より短い時間だったようで、料金は1,000ウォンだった。
 PC房を出てすぐの鐘路駅から地下鉄に乗り、市庁で乗り換えて、10時頃に弘大駅で下り、ミスタードーナツへ向かった。まだ行列の形にはなっていないが、20人くらいの客らしき人たちと、同じくらいはいるのではないかと思わせるスタッフ(ポンデライオンのTシャツを着ている人が多い)が店の周りでうろうろしている。どこに並ぶのかと聞いてみると、もう少し人数が集まったら行列にするので、とりあえず店外のテーブルがあるスペースに入っているよう促されたので、テーブルについた。時間つぶしに、パソコンを開いて、遅れている日記の続きを書く。11時を回った頃に列を作るよう促され、席を立って行列に入る。列を作っているのは、先着順に200名まで引ける空クジなしの抽選に参加するためだが、途中でわれわれが日本人であることに気づいた、韓国人の重役と覚しき人が達者な日本語で声をかけてきて、しばし雑談した。この店は明洞に次ぐ韓国2号店で、一週間後には別の場所で百貨店内にインショップ形式の出店をするそうだ。また、韓国ミスドのオリジナルであるフルーツドーナツの売れ行きが予想以上に好調だという話や、人材教育が一番気を遣うところで難しいという話、ドーナツ類の価格は日本より2割程度高い設定で、これは他のファースト・フードと同様だ(韓国のスターバックスは世界一高いという話もある=このページの中段)といった話題が出た。その後も、韓国ミスドのスタッフが宣伝用に行列している客のインタビューをして回っているのにつきあったり、日本から派遣されてきているという日本人スタッフ氏と話をしたりしているうちに、風船が配られ、離れた所からディキシーランド風の演奏が聞こえてきた。チンドン屋ならぬブラスバンドと3匹?のポンデライオンが現れ、演奏と踊り?で場を盛り上げ、開店記念イベントが始まった(ブラスバンドからニューオリンズジャスへの歴史を考えれば、これぞ正しい音楽の使い方か)。定刻の正午より少し早く、テープカットとともに開店し、並んでいる客に抽選をさせながら少しずつ入店させ始めた。われわれは二人とも末等の携帯ストラップを引きあてて、店内に入った。混雑する初日の対応ということなのか、ドーナツの注文は、事前に注文品のリストを書いて渡すと、店員が用意するという方式だ。韓国オリジナルのフルーツドーナツ類と冷たい飲み物をとり、店内でほっと一息入れた。
 12時半を少し回った頃、ミスドを出て、しばらく周辺を散歩というかうろついて回る。途中の観光案内所で手に入れた日本語の案内図によると、この辺りはドラマ『春のワルツ』で撮影に使われたポイントがいろいろ集まっているところらしい(そのありがたみがこちらには今ひとつ分からないのだが)。
 今夜の高速バスの予約をするため、高速バスターミナルへ行かなければならない。連れとは後で梨泰院のコーヒービーンズで合流することにして、弘大前から地下鉄に乗り、合井で乗り換え、梨泰院で連れを先に下ろして、薬水でまた乗り換え、高速ターミナルへ到着した。ところが間違って、新しい方の湖南線のターミナルへ行ってしまい、そこにあるはずのない釜山行きの窓口を探して右往左往したが、窓口で隣の建物だと教えられ、ようやく誤りに気づいた。どうにか釜山行きの窓口で、深夜1時半発の便のチケットを買い、梨泰院まで戻ったのは3時近くになっていた。
 連れと合流してから、連れがガイドブックで見つけた梨泰院のはずれ(むしろ漢江鎮に近い方)にある食堂「シゴルパプサン」(「田舎食膳」の意)へ行き、昼食とも夕食ともつかない食事をとる。ここは仁寺洞の土房のように、本当の民家ではなく、コンクリートのビルの一部をそれ風にないそうで演出しているだけのだが、店内にはふた昔み昔前の雑多ものが置いてあり、なかなか興味深い。しゃもじに韓国語と日本語で手書きされたメニューが出てきて、いつも土房でとっているのと同じテンジャンチゲとスンドゥブを注文してみた。いざ料理が出てきて、ともかく伴食の種類の多さに驚かされた。20種類以上ある。立地を考えると、これは外国人観光客向けの演出の一部なのだろうか。確かに、客はもう一組いたが、そちらも日本人(ただし、こちらに住んでいる?)だった。しかし、店のおばさん達2人は、テレビのバラエティ番組を楽しげに眺めていて、一度料理を出してしまうと客にはお構いなしだ。何というか、非常に自然体で天然な感じもした。料金は二人で14,000ウォンだった。
 食後、満腹になって歩くのもおっくうになりながら、下り坂を漢江鎮駅に向かって下りて行き、三角地で乗り換えて明洞へ向かった。最初は、連れの買い物が目的だったのだが、目的の店がどうやら同業他社に変わっていたようで、そこでの買い物は断念した。しかし、近くにあったTeenie Weenieというブランドの路面店にふらふらと入り、ついつい買い物をした。その後、教保ブックセンターへ行くことを思い立ち、ロッテ百貨店の前から食堂街の裏道を抜けて、教保生命のビルへと行ってみたが、めぼしい資料は見つからず、安いDVDソフトを買っただけで仁寺洞に戻ることにした。
 仁寺洞では、まず観光案内所へ行き、連れの韓服(撮影用の簡略化されたもの)のコスプレ?に付き合う。韓国民俗村や、他の観光地などでこの種のサービスを受けると、ちゃんとした服を着てプロが写真を撮影する本格的なものになるかわりに数万ウォンはかかるが、ここはたったの3,000ウォンで、写真は勝手に自分たちで撮ることになる。無料のインターネットを少しいじらせて貰い、地下鉄安國駅から高速ターミナルへ向かう終電の時間を確認する。どうやら平日は0時過ぎまで運転があるようで安心した。
 食事は、仁寺洞の通りから少し脇に入ったところにある食堂「チンジョルハンヒョンジャシ」(「親切な大お姉様」の意か)へ行き、焼き魚定食とブルゴギのスープ、それにトントン酒(どぶろく)をとる。結局ずいぶんゆっくり食事をし、途中で二人とも食事をしながらうたた寝をするような有様で、店を出たのは閉店間際の10時少し前になってしまった。食後は、仁寺洞の通りに面したスターバックス(店名がハングルで書いてある)に行き、韓国オリジナルのマグカップを買い、「世界一高い」カフェラテを注文する。ここには閉店の11時まで居残った。11時を少しだけ回ってスタバを出ようとして、(紙コップを店内で返却すると50ウォンがリファンドされる)韓国のリサイクル法がらみのルールを思い出し、誰もいなかった1階のレジで声をかけてスタッフを呼び、100ウォンをリファンドして貰う。忘れていたら、そのまま店を出る所だった。
 荷物を預けている新宮荘に戻り、お礼を言って荷物を回収する。おばあさんに声をかけられたので、片言の韓国語で、今夜これから高速バスで釜山へ行き、それからフェリーで大阪へ帰国する、などと説明する。新宮荘を出て、北に向かって進み、新しくできた建物の脇を抜けて安國駅へ下りるエレベータへ最短距離で到達する。荷物が膨らんでいるだけに、定宿が地下鉄で便利になったのは本当にうれしい。
 0時頃に高速ターミナルへ到着、いったん地下鉄駅の改札から1階だけ上がり、連れに新しい湖南線のターミナルを偵察してきて貰う。韓食の店以外はコンビニとマクドナルドくらいしか開いていないということだったので、とりあえず釜山行きのゲートまで行くことにする。ちょうど0時30分発が、出発準備をしている所だった。ロビー側の待合いスペースはやや蒸し暑く感じられ、戸外の方が涼しいので、そのまま乗り場の目の前の席に荷物を置いて、連れに待っていて貰うことにした。車中での飲み物と食事を調達すべく、コンビニをまわり、また、ソウルに到着した朝にキムパプを食べた食堂まで足を伸ばして、キムパプをテイクアウトした。そうこうしているうちに、1時10分頃に乗り場にバスが入ってきた。運転手に1時30分発かと確認してから、一番乗りで荷物を入れ、席に着く。直前の運行の後、清掃をしていないのか、座席前のネットにはゴミが入ったままだが、気にせずすぐに座席を倒して寝る体制に入る。動き出す前から、夢うつつだったが、切符をもぎりに来たときと、車が動き始めたあたりは起きていた。結局、少し菓子をかじっただけで、飲み物もあまり飲まず、キムパプには手を付けず、途中の休憩時も一時的に目覚めはしたものの、車中にとどまってぐっすり休んでいた。
■ 2007/08/30 (Thu)

市場から市場へ

釜山
Marina Motel、釜山・中央洞
 朝5時半ころ、バスが高速からインターチェンジで下りるところで目が覚めた。バスは、老圃洞駅の前をいったん通過してから回り込むようにターミナルに入った。既に地下鉄は動いているようだが、とりあえず乗車券販売所のフロアにある待合いスペースの椅子に落ち着いて、キムパプと飲み物で朝食にする。思えば一週間前には、ここでソウル行きの高速バスを待っていたのだった。

マリーナモーテル 608号室
 6時を少し回った頃に、地下鉄に乗って、国際旅客ターミナルの下車駅である中央洞に向かった。高架で地上部分を走る辺りの印象では、本降りではないが雨がずっと降っているようだった。そこで、中央洞で下車したあと、連れに荷物を託して、地下鉄の乗降口近くの地下通路で待っていてもらうことにして、雨が降る中を一人で、近くの心当たりがある宿へ向かった。海員会館の建物の上の方のフロアを使っている「マリーナモーテル」は、2000年に釜山を訪れた際に、偶然見つけた、国際旅客ターミナルに一番近い安宿である。受付のある6階へエレベータで上がってみたが、受付の窓口がある部屋には電気が点っておらず、不在時にはこれを押せと書かれた呼び鈴を押しても応答がない。まだ午前7時半だから仕方がないといえば仕方がない。とりあえず海員会館を出て、周りに同じような宿がないかと周りを見回したが、それらしいものはない。結局、すごすごと連れが待っている所まで戻って相談し、とりあえず、荷物を持って再度マリーナモーテルに行き、誰かが来るのを待とうという話になった。
 地下鉄の駅から、大分ふくれた荷物を抱えて移動し、再びマリーナモーテルの受付へ行くと、何と部屋に電気が点いている。さっそく「今晩、空き部屋がありますか?」と尋ねると、40,000ウォンで泊まれるといい、さらに荷物を置きたいと言うと、すぐに部屋の鍵をくれた(何と幸運なことだろう)。早速608号室に入って、荷を解きをする。このモーテルは、とにかく部屋が妙に広くゆったりとしていえるところがよい。思いっきり荷物を広げられる。午前中はゆっくり休むことにして、ベッドで一眠りする。これがなぜが円形ベッドだというのもなかなか妙だが、この料金で24時間以上この部屋を使えるのは、実に贅沢なことだ。
 正午近くまで休んでから、連れの買い物につきあって、西面(ソミョン)のロッテ百貨店まで行く。この辺りの雰囲気は、1980年代のソウルに似ているように思う。ソウルを見ている限り、「韓国は日本に○○年遅れている」といった議論は当てはまらず、社会のあり方について日本とは異なる選択肢がそこに実現しているという感じがするが、ソウルと釜山を見ると、その間に一種の「時差」があるように思えてしまう。免税店を出て、一週間前と同じ屋台まで行く。おばさんも覚えていたようで、われわれが行くと少し驚いたように笑顔を見せてくれた。トッポギなどで昼食代わりのおやつをとる。
 西面駅まで戻り、地下鉄で凡一洞駅へ行き、釜山鎮市場へ歩いていく。こちらも連れのリクエストで、衣類の他、生地や手芸用品などが充実した市場だ。ここでもいろいろ小さい買い物をする。もう一駅分、釜山鎮駅まで歩こうとして、町工場というか縫製などの作業場が並ぶ商店街の小路を進んでいくうちに道に迷い、港湾地区の方へ外れていっていることに気づいた。何とか線路の北側に出ようと道を探し、大きな跨線橋を越えてようやく線路の北側に回った。リヤカーの工場や木工の作業場の前を通って、ようやく反対側に渡る歩道橋が現れ、ロッテリアが見えたので、とりあえず反対側に渡りロッテリアで一息つく。ここでもかき氷と冷たい飲み物をとった。
 少し元気を取り戻して、店を出ると、すぐそこが釜山鎮駅の入口だった。ここからジャガルチ駅まで行き、国際市場の登り坂の先にある、宝水洞の古書店街へ行く。これまで釜山に古書店街があることは不勉強で知らなかったのだが、案内に載っているのを見つけて、見ておかなければいけないと思ったのである。ジャガルチから国際市場を抜けて到着すると、筋の良さそうな店もいくつかある。2軒目に入ってみた「古書店」で目当てのものを2冊ほど見つけてもらい持ち合わせが足りず、カードも使えない(使うと割高になる)ので、明日取りに来ることにする。次に入ったところは釜山の地元紙の年鑑『釜日年鑑』と『ククチェ(国際)年鑑』の1990年代のものがあったが、これは安いと思いつつ断念した。少し戻って、別の店(ウリグルバン=「わが文房」の意)に入ってみたところ、そこにはめぼしいものはなかったが、ちょっとずれたテーマの本を2冊出してもらい先ほどの店と同じように明日取りに来る約束をする。その店の店員が筋向かいの別の店も見るよう促し、連れて行ってくれたのだが、その筋向かいの店の店員は、更に別の店(ビルの2階から4階を占めている「大宇書店」)へ連れて行ってくれた。そこでは日本語が少しできる若い店員がいて、店主にこちらの希望を伝えてくれた。店主は少し待ってくれと言って消えてしまったので、しばらく店内を見て回っていると『東亜日報史』の5巻セットが出てきた。値付けもリーズナブルだ。ここはカードでもよいという話だったが、明日来ればもう少し探しておくということだったので、敢えて引き取らずに名刺を渡して明日再訪することにした。
 こちらの買い物の間、連れは店の外で待っていてくれたので、今度は連れの希望でジャガルチ市場で魚を食べると言うことになる。国際市場を抜けて、ジャガルチ市場へ行き、魚料理の店の店頭の席についた。ところが、にわかに雨脚が強くなり、少しテーブルの位置をずらすことになった。言葉は通じないが、何とかフィー(韓国式の刺身)と焼酎を注文する。出てきたのは、アジのような魚を刺身というよりタタキに近い細長いかたちに切ったもので、骨が残っていて少々食べにくい。隣の席の人の食べ方を見よう見まねで、エゴマの葉に切り身をいくつか載せ、みそ状のものなどをつけてくるんで食べてみる。正直なところ、食べにくい感じもあって、特段美味しくは感じなかったが、それでもお腹いっぱいになるまで残さずに食べきった。
 ジャガルチ駅まで歩いて戻り、釜山駅駅行く。KTXの開業で全く面目を一新した釜山駅のイメージに昔の姿がなかなか思い出せない。次に、地下鉄駅の通路を通って道路の北側へ行き、ロシア語の看板があふれる上海門周辺を見に行く。7年前よりもロシア語の看板は増えているように感じた。カフェと看板が出ていても、店の内部は薄暗いピンク色の照明だったり、店の入り口にいかにもというお姉さんが、座っていたり、間違って普通の喫茶店に入ったフリをする勇気はとうてい出ない。少し南まで歩いたので、もう宿まで歩いていくことも十分可能な距離だが、かなり歩き疲れていたのと、横断歩道もない道を渡るのが難儀そうだったので、釜山駅駅に戻り、中央洞駅まで一駅地下鉄に乗る。部屋に戻ったのは10時頃だった。せっかくバスタブのある部屋なのに、風呂を用意する気にもならず、連れが先に眠ってしまったので、こちらも日記を付けてから12時頃に寝た。
■ 2007/08/31 (Fri)
本は重い

釜山
PanStar Dream 船内

40階段
 朝8時過ぎに目覚めたはずだが、すぐに起床できずしばらくベッドでぼんやりしていた。起床後もあまり食欲がなく、菓子類とインスタントコーヒーで朝食がわりにする。連れは体調が悪く、部屋で休んでいるというので、9時半ころに一人で部屋を出て、昨日取り置いてもらっている本の回収に行く。地図で位置関係を確認し、徒歩で40階段を経由して、近代歴史館前を通り、国際市場の上に出た。新韓銀行で1万円分を両替して、書店街へ着いたのだが、クレジットカードを忘れてきたことに気づいた。まだ、大宇書店はまだ開いていない。古書店は既に開店していたので、ここで2冊を回収し現金で代金を渡す。とりあえず、一度宿まで戻らなければならない。歩いて宿に戻り、まだ休んでいる連れと、行動の段取りを相談し、とりあえず、荷物の詰め直しを優先して済ませることにする。
 結局、11時半頃に部屋を出て、荷物を抱えて国際旅客ターミナルまで歩いて行った。ターミナルの1階の便利店の前のベンチ脇に荷物を並べ、連れがそこで待っているというので、カードを持って、もう一度さっきの新韓銀行まで歩いていった。ウォンの現金が足りないので、さっきと同じように両替をしたのだが、驚いたことに僅かながら先ほどとレートが違う。どうやら相場の変化に連動して、同じ日でも時間によってレートが違うらしい。
 さっきの2冊の本だけでも結構な重量だったので、トロリー付きの旅行鞄を買わなければどうにもならないと思い、国際市場へ下りて鞄店を探す。ところが、鞄店をよく見かける一角の位置を勘違いしていたようで、見つけるのに少し手間取ってしまった。それでも何とか鞄屋を見つけ、40,000ウォンで手ごろなものを見つける。古本屋街は既に多くの店が開いていて、ウリグル房で2冊、大宇書店で『東亜日報史』一揃い5冊を受け取り、すっかり重たくなった旅行鞄を曳いて表の通りへ出て、タクシーを拾って国際旅客ターミナルへ戻った。もう2時近くになっていた。
 ターミナルで連れと合流してから、荷物を再度まとめ直し、PanStarのカウンターで発券手続きをして2階のロビーへ移った。出国ゲート脇の食堂に入って、牛肉クッパとラーメンで昼食をとる。出国ゲートに入ろうとしたら、2時30分過ぎに指示があるまで待つよう係官に言われた。まだちょっと時間があるので、こちらが荷物を見ながら待つことにして、その間に連れが買い物に行き、程なくしてお土産を買って戻ってきた。出国ゲートが開いて手荷物検査で「本が入っているか?」と質される。もちろん「そうだ」と答えると、鞄を開けろとも言わずにあっさりそのまま返してくれた。出国手続きをして、免税店でお土産にする煙草を買い、連れのロッテ百貨店の免税店での買い物を受け取って、乗船口でさらにまた少し待たされることになった。

離岸前のPanStar船上から眺める釜山
 3時を少し回ったくらいの早めのタイミングで乗船し、523号室のキーを受け取った。船は行きと全く同じPanStar Dreamである。同室になったのは韓国人の学生風2人組だった。連れが疲れているので休むというので、こちらも荷物を部屋に置いて、すぐに風呂へ行く。まだ出港前だが風呂は既に開いている。真っ先に入って脱衣場にいると、3人ほどの韓国人の一行が入ってきた。われわれが一番乗りというわけだ。ところが、浴槽の一方には水が張ってるものの、湯が入るはずの浴槽は空になっている。勝手に湯と水の蛇口を開き、湯を溜めることにして、サウナに入って汗を先にかく。気がつくと、船は動き出しているようだ。サウナから出てシャワーを浴び、湯加減を見ながら浴槽に浸かる。窓の外には、釜山港のコンテナターミナルの景色が流れて行く。風呂場で見る景色としては、なかなか面白い部類だろう。風呂を出て部屋に戻り、とりあえず寝台に横になった。ちょっと寝苦しいが、そのまま7時過ぎまでやや遅い昼寝をする。外海を航海しているので、揺れが結構厳しいのも、寝苦しい原因の一つだった。
 7時過ぎに起きて、連れに声をかけに行き、甲板に上がろうとしたのだが、揺れが激しいこともあって、連れはかなりしんどい様子だった。最初はホールのベンチ(USJの宣伝用に大きなエルモが置いてある)で座っていた。連れが少し眠ってしまったので、目の前でフィリピン人と覚しき男女の船員がシャンデリアの電球を取り替えているのをぼんやりと眺めていた。連れが目覚め、とりあえずコンビニで飲み物を買い、船内の一つ上の階層の自動販売機のところでベンチに座って休む。そのまま揺れに耐えながらしばらくうとうとしていたが、途中でオーストラリア人と覚しき(フォスターズのポロシャツを着ていた)白人の若者が同じコーナーにやってきて、キリンの缶ビールを飲みながら、黙々と電子辞書を引き、ラインマーカーを使いながら、日本語の分厚い本を読みはじめた。本当に勉強しているという感じがした。
 8時から食堂が一般客向けの営業になるが、8時40分までに注文しなければならない。船内放送があって、食堂へ下りていったが、メニューが少なく、あっさりしたものがない。代わりにコンビニでキムパプとインスタントのうどん、それにアイスバーを買い、その場でうどんを作ってもらって、外部甲板に上がる。既に沿岸に達しているのか、波はかなり穏やかになっていて、九州の陸地の光も見えている。後方を向いた木製のベンチに座り、穏やかで気持ちのよい風に吹かれながら北九州市と下関市の市街地の明かりを眺め、そのまま関門橋の下をくぐるまで座っていた。既に10時近いが、コンビニは10時で閉まるので下へ降り、飲み物とキムパプを買う。部屋に戻って横になり、すぐに眠った。
■ 2007/09/01 (Sat)
帰国

名古屋
自宅
 7時半頃に目覚める。眠りは浅かったように感じるが、時間は十分にゆっくり寝た。8時半頃、明石海峡を通るというアナウンスがあり、寝床を抜け出す。連れの船室に起こしに行こうと通路に出たら、ちょうど向こうがこちらへ来る所だった。同じことを考えていたようだ。上部甲板に上がり、昨晩買ったキムパプと飲み物で朝食にしようとしたが、昨日と同じうどんも食べようということになり、連れがコンビニに買いに降りた。戻ってきた連れが持ってきた熱いうどんとキムパプで、韓国気分の朝食をとり、そのまま船が明石大橋の下をくぐるのを見物する。
 大阪への入港予定は10時20分ということで、定刻より少しだけ遅れている。それぞれの部屋に戻り、荷物をホールに持ち出す用意をする。本を入れた二つの鞄がとにかく重い。トロリー式になっているとはいえ、段差があると持ち上げるのが、かなりしんどい。下船してバスで入国審査棟に行くのだが、そこから二階へ階段で上がるのが先ずひと苦労だった。入国審査を経て、税関では2-3質問されただけで荷物も開けずに通り、外へ出ると、さっき乗ったバスが待っていて、今度は最寄り駅のコスモスクエア駅まで送ってくれた。もちろん、入国審査、税関があるのだから仕方ないのだが、重い荷物を持ち上げて同じバスの元の位置に置き直すのは、なかなか徒労感があった。
 コスモスクエア駅から、地下鉄で弁天町へ行き、18きっぷでJRに乗り換え、大阪、野洲、米原、大垣と乗り継いで、名古屋へ3時頃に到着した。ところが、途中で連れの具合が悪くなり、名古屋駅で援護所のお世話になる。幸い、一休みして動けるようになり、気を取り直して名古屋のHRCへ行くことにする。山ほど荷物を抱えてたどり着き、店のスタッフに荷物を運んでもらい、フロアの隅の席に着いた。なじみのメニューをつつきながら、日本へ戻ってきたことを実感する。
 一段落した所で、しばらく連れをHRCに残し、栄まで歩いて行き、5月27日の晩に立ち寄ったネットカフェに忘れていたパソコンの電源を回収する。また歩いて伏見まで戻りながら、荷物がないとこんなにも身軽なものかと思う(普段は荷物がなくても自分の体重だけで辟易しているはずなのだが)。
 出戻ったHRCは、出たときとは一転して満席に近くなっていて、一つ置いた隣の席で子供が8人もいる状態で誕生日会をやっている。飲み物のお代わりとデザートを注文する。
 7時40分頃に店を出て、地下鉄の伏見駅へ向かうが、途中で18切符を紛失していることに気づいた。どうやら、名古屋駅で連れの具合が悪くなってばたばたしていたときに無くしたらしい。地下鉄で千種に出て、駅で松本までの料金を確認し、最後に1回分だけ残っていた別の18切符で入場して、中津川で乗り継ぐ帰路に就く。


このページのはじめにもどる
海外旅行歴にもどる
韓国への入口にもどる
過去を振り返るにもどる
山田の私的ページへの入口へゆく
山田晴通研究室へゆく    CAMP Projectへゆく