私的ページ:山田晴通

               

英国日記

                  


12th-29th February, 2008
London, Cheltenham, Manchester & Liverpool, England
               




   

 
2008年      
2月12日〜29日


 今回の旅行は、学内の研究助成費を受給した、Whiteway Colony という英国コッツウォルド地方の特殊な集落に関する資料を収集することが主な目的でした。
 今回の旅には、連れが同行しています。文中にある料金のうち、宿泊費は2人で泊まる場合の金額です。この旅行では、1ポンドは230円〜240円くらいでした。

 見出しに示した地名のうち、青字はその日に訪れた主な場所緑字は宿泊地です。
■ 2008/02/12 (Tue)
4年ぶりの英国へ

VS901便 機中 / London (Soho)
London:
Lynton Hotel
 今回も、前夜は成田に前泊、ゆっくりと出発できるはずだったのだが、わざわざ出かけたハードロックカフェ成田が貸し切りで入れなかったりと、前日にもいろいろあった。特に、この調査に持参するつもりだった重要な論文のコピーが出発直前になって見あたらなくなり、出発当日の朝になって、その取り寄せを図書館にお願いしたりで、朝から結構ばたついてしまった。
 前泊した成田U-シティホテルは、インターネット接続がかなり遅く、夜中まで起きていた。朝は朝で8時前に起床。朝食なしのプランだったので駅の表側のミスドに朝食をとりに行った。9時過ぎにホテルに戻って、チェックアウトし、9時45分発の送迎バスで空港に向かった。
 今回はひさしぶりのヴァージン航空。たまたま「チェックインのコンピュータ・システムが使えなくなった」という設定で、手作業でチェックインする演習をしているということで、普段と様子が少し違ったが、無事に搭乗した。予約時のあやがあって連れと離れた席になっていたのだが、オフシーズンで定員の半分くらいしか埋まっていない機中でCAに事情を話し、空いている席に適当に座ってよいということになった。離陸時は二人の日本人CAと対面になる非常時出口の席に座り、巡航中は中央の4列席に移って、連れを横に寝かせ(3席占領)、残りの席でひたすらバックギャモンをし続けた。北海上空に達して、窓が開けられ、軽食(朝食のかわり)が出された後で、翼が眺望を邪魔しない少し後ろの窓側の席に移り、上空から見るイングランドの眺めを楽しんだ。
 到着後は、いつものように地下鉄をハマースミスで乗り換えてヴィクトリア駅まで行き、とりあえずリントンまで行く。ところが呼び鈴に応答がなく、携帯電話の番号に連絡をとってもすぐにはつながらなかった。結局、小一時間、ホテルの前で連れを待たせ、近くの長距離バス発着所まで公衆電話を使いに行き、戻ってくるというのを、前後2回繰り返した。
 このホテルの宿主で、巨漢のS氏は、相変わらず意気軒昂で、大声で「ドクター・ヤマ」と呼びかけてくる(もはや、いちいち訂正する気もおきない)。今回は、3階(Second Floor)の7号室で、ツイン仕様。1泊70ポンドという話になり、3泊分210ポンドを先に支払った。2004年に最後に泊まったときより高くなっているが、これも最近の経済情勢を考えると仕方がないだろう。その代わりという訳でもないが、新たにWi-Fi が導入されていて、そこそこ快適なインターネット環境があったのは、ありがたかった。図書館からのファックスも無事届いていて、胸を撫で下ろす。
 部屋で少し休んでから、午後8時頃に部屋を出て、地下鉄でグリーン・パークまで行き、パーク・レーンのハードロックカフェの物販の方を冷やかしに行った。結局、買い物は後日ということにしたが、シグネチャー・シリーズの25として、ボノがデザインしたというTシャツが並んでいたのが目を引いた。手に取ってみると「レソト製」というのも興味を引いた。
 バスでキングス・ロードを通ってピカデリー広場まで行き、ブリュワー街辺りのレストランを眺めて回る。以前より日本食店がさらに増えたような気がする。結局、いろいろ考えてタイ料理の軽食屋に入ろうとしたのだが、営業が終わろうというところで持ち帰りのみと言われてしまった。少し、がっかりして、宿に戻ろうかという話になりかけたが、地下鉄のピカデリー駅まで戻ってから、ハイストリートケンジントン駅近くのスティッキー・フィンガーズへ足を伸ばす気になり、サウスケンジントン駅で乗り換えて10時少し前に店に到着した。スティッキー・フィンガーズでは、シーザーサラダとリブステーキ、そしてチョコレートチーズケーキで豪勢な食事をとり、閉店時間の11時になって他の客が帰ってしまった後で、わざわざマーチャンダイズ類の倉庫を探してもらってTシャツなどを買った。ウェイトレス同士が小声でお喋りしているの耳に入ったので、「ひょっとしてポーランド語?」と尋ねるとその通りという話だった。4年前に、この近くで泊まった宿のことを少し思い出した。
 ハイストリートケンジントン駅近くのTESCOでルート・ビアなどの飲み物を買い、セルフ・チェックアウトに戸惑ったものの、何とかカードでの支払いを済ませ、地下鉄でヴィクトリア駅に戻ったのは、11時半頃だった。駅の構内放送で運転終了などと言っているのが気になったので掲示されていたポスターをよく読んだところ、工事のため、月曜日から木曜日までの終電が繰り上げられていることが分った。気をつけなければならない。宿に戻ってすぐにインターネットでメール処理をしようとしたのだが、部屋ではやや電波が弱いようだ。パソコンを持って1階と2階の間の踊り場へ行き、椅子に座って作業をしていたら、思わずそのまま眠ってしまった。小一時間は経っていたようだ。部屋に戻ると連れもベッドの上に服を来たまま倒れ込んで寝ていたので、声をかけ、そのまま直ぐに休むことにした。
■ 2008/02/13 (Wed)
久々のカムデンと初めての大英図書館

London (Camden, etc.)
London:
Lynton Hotel
 朝は7時前に起きて、一番乗りで朝食に降りてゆく。少し遅れて、ニースから来たというフランス人一家6人連れが降りてきた。
 明後日に訪問して英国農村の景観について情報交換することになっている自治体国際化協会(CLAIR)のロンドン事務所の場所を確認しに行くことにし、10時過ぎに宿を出た。自治体国際化協会へはアポなしだったが、手みやげを持ってトラファルガー広場に近い事務所を訪れ、明後日に向けて簡単に挨拶をした。
 昼時になって来たので、カムデンへ向かい、数日前の火災がどこのことだったのかを確認しがてら、適当に昼食をとろうと考えた。カムデンタウン駅からいつものように市場に向かうと、運河に架かる橋のところで、前方右手のカナル・マーケットが火災の現場だったことが分った。ひいきにしていた古着屋があるステーブルス・マーケットとは違ったので一安心したのだが、ステーブルス・マーケットの奥の方では再開発が進められていて、なじみのあった一角がごっそり無くなっていた。結局、ステーブルス・マーケット内の二カ所の店からタイ風カレーをそれぞれ3ポンド50で買ってきて、ベンチで食べた。
 サインズベリで、飲み物とお菓子を買い、ユーストンへ戻り、大英図書館へ行く。大英図書館にはこれまで縁がなく、建物に入るの初めてだ。研究に関連する書誌情報を検索した後、利用者登録をしようとしたところパスポートだけではできないことが分り、少なからず落胆した。気を取り直してギャラリーの展示(20世紀前半の欧州の前衛芸術運動、常設展示の貴重書、ブルームズベリ・グループ)を見て回る。マグナ・カルタ関係の展示も印象に残ったが、シェークスピアのフォリオの現物を初めて見たのは(これまでさんざん画像としては見てきただけに)なかなか嬉しい経験だった。また、前衛芸術運動の展示で取り上げられていた映像作品の多くが、自分のメディア表現の授業でも触れているものだったのも、何だか嬉しくなった。ところが、展示を見て回る途中で、体調が悪くなってきた。
 大英図書館を出て、その後に回るつもりだった古書店へ行くのをキャンセルしようかと迷い、迷いながらバスを乗り継いでラッセル・スクエアの郵便局まで行く。ここでは、切手を買ったのだが、日本を出るときより、さらに円安になっていることを知り、調子が悪いところでさらに落胆する。
 だいぶ体調が悪くなってきた感じなので、ナイツブリッジまで地下鉄で行き、そこからC1バスで宿に戻り、しばらく横になって休む。連れも同じように調子が悪い。9時少し前に過ぎまで休む。ヴィクトリア駅にあるサインズベリ・ローカルの店が11時まで営業しているので、買い物に行くが、食指が動く物がなく、瓶詰めのオリーブと連れ用のギネスだけを買った。サインズベリには文具類がなかったので、さらに駅構内のW・H・スミスへ行き、(それしかなかったので)結構値の張る便箋と封筒を買う。宿への帰路、少し遠回りして長距離バス発着所に近い店でフィッシュ&チップスを買い、部屋で夕食にする。
 とにかく体調が下降気味だ。明後日に向けて、少しネット検索などを始めるが集中力が続かない。かといってすんなり眠りにつける訳でもない。
 夜中に何度となく目が覚めるというか、意識が戻るが、起き上がる気がなかなかしない。それでも数回トイレ(部屋を出て階段を半分上ったところにある)まで行った。
■ 2008/02/14 (Thu)
体調不良

London (Belgravia)
London:
Lynton Hotel
 バレンタイン・デーである。しかし、原因は分らないのだが、すこぶる調子が悪い。咳やくしゃみはないが、からだの節々が痛く、頭痛がし、腹具合が悪い。こういう感じでいっぺんに悪くなるのは、自律神経や免疫系が良くないのかもしれない。連れも同様の状態のようだ。何か食べ物が悪かったのかとも思ったが、必ずしもそうではない気もする。
 とりあえず、寝心地がすこぶる悪く、5時前から目が覚めたりもしたのだが、また寝てしまったりと、朝はすっきり起床できなかった。朝食は7時から9時の間なのだが、9時少し前に地下の食堂に降りてゆくと、一度にたくさんの客が降りてきててんてこ舞いだった。9時を回っても構わないというので、いったん2階へ上がる途中の踊り場で休みながら15分ほど時間をつぶす。9時を少し回って、食卓に就き、昨夜買った便箋に向かい、Whiteway への手紙を書き始めた。食事は、不味いと感じる訳ではないのだが、ほとんど手が付けられず、結局10時近くまでだらだらと居座って、紅茶を飲みながら、何とか、手紙を仕上げる。
 連れも自分も、かなりへばっていて、出かけなければと思いつつ、出かける気がなかなか起きない。部屋に戻ってから一休みと思ってベッドに横になったまま、午後1時半頃まで寝た、というより起き上がれなかった。せっかく書いた手紙を投函しなければと思い、やっとのことで起き出して、ヴィクトリア駅までの途中にある郵便局へ行く。実は、ネット上の郵便番号検索で、Whiteway の番号が分らなかったので、わざわざ局内に入って列に並び、調べてもらった。ところが、局員が操作していた端末でも、やはり分らないということで、結局そのまま番号を書かずに投函することにした。
 部屋に戻ると、連れもやはりかなりしんどい状態で、起き上げれないような状態だった。そのまま、ベッドの中で小一時間から二時間ちょっとくらいの間隔で、眠りが浅くなることを繰り返した。少し楽な感じになると、明日に向けてネットでの調べものを少しするのだが、長くは続けられない。ずるずる深夜までそんな状態を続ける。空腹感はないわけではないのだが、胃がしんどくて何も食べる気にならない。朝食の後は、瓶詰めのオリーブと飲み物類だけしか、口にしないまま、一日が過ぎた。
 午後11時頃、テレビを点け、アフリカ南部のドキュメンタリーなどを見る。午後にメールを送ったチェルトナムの宿ステイン・クロスから返事が来て、とりあえず16日から4泊することになった。明日の朝までには、体調が戻っていないとと思いつつ、熟睡できないまま、作業をしたり、寝たりを続けているうちに、北イリノイ大学の乱射事件の報道が入る。
■ 2008/02/15 (Fri)
CLAIRでレクチャー
London (West End)
London:
Falcon Hotel
 まだ調子が良いとは言えないが、前日よりは少しマシになった感じはする。朝は7時前に起床し、7時半頃朝食に下りてゆく。今日はM氏(このホテルを切り盛りしている兄弟の弟の方)が厨房にいた。シリアルだけにしようかとも思ったが、一応、フル・ブレックファストを頼み、少しずつ頑張って食べる。昨日よりは食べたが、それでも豆は残した。連れを先に部屋に戻し、1階から2階へ上がる途中の踊り場の椅子に座って、ネットの作業をする。
 今夜の宿をまだ決めていない。明日、パディントンから列車でチェルトナムへ行くとすると、パディントン駅近くへ移る方が良いが、体調が悪いことを考えるとこのまま延泊してもいいかとも思う。幸い、少し検索して見つけた、パディントン駅近くの宿に予約が取れたので、この宿は今日でチェックアウトすることになった。本来は10時チェックアウトのはずだが、ベッドメイクのおばさんに一声掛けて、11時頃まで部屋に居座る。連れは荷物をまとめた後、ずっとベッドで休んでいた。
 11時過ぎに、M氏に鍵を返し、荷物を引いてヴィクトリア駅へ行く。ここからパディントンへ行くのだが、何も考えずにエスカレータを下りてしまいヴィクトリア線のホームに来てしまったので、そのまま乗り込み、オックスフォード・サーカスで乗り換えてベイカールー線でパディントンへ向かった。結果的には、ホテルは、ベイカールー線の出口から近いところだったので都合が良かった。今夜泊まるファルコン・ホテルは、Norfolk Square という細長い公園を囲んだ一角にある。この一角も、小さなホテル、B&Bが集中している、ロンドンのターミナル駅近くにありがちな場所だ。フロントにいたのはインド系と思しき青年だった。チェックインは午後1時からのはずだが、まだ正午過ぎなのにすぐに部屋に入れるという。部屋は4階(third floor)の16号室で、室内にシャワーはあるが、トイレは1階半階段を下りたところに専用のものがある、というちょっと変わったところだった。現金なら59ポンド、カードだと3%のサーチャージをのせて60ポンド77だというが、カードの方がレートが良いと判断し、カードで支払った。ここはインターネットは有料のWiFiということで、とりあえず、使わないことにした。
 ベッドで一休みし、シャワーを浴び、午後2時少し前に宿を出た。わざわざヒルトンのロビーを通ってパディントン駅構内へ出、パディントン・ベアの像の写真などを撮り、切符売り場で明日のチェルトナムまでの列車を予約する。片道50ポンド、往復51ポンドという料金設定に半ば呆れながら、当初の予定とは異なり、往復の切符を買う。
 地下鉄駅へ降りてゆこうとして、パソコンのアダプターを忘れたことに気づき、慌てて宿に戻る。再度、ベイカールー線でオックスフォード・サーカスまで行き、連れの買い物に付き合ってハムレイズへ立ち寄る。時間がないので簡単な下見だけをして、すぐに店を出て、159番バスでトラファルガー・スクエアへ行く。約束の3時直前に、自治体国際化協会(CLAIR)のロンドン事務所が入っている建物に到着したのだが、受け付けのところに長蛇の列ができている。何事かと思っていったん並びかけたのだが、明らかに間に合わなくなってしまいそうだったので、無理やり奥へ行くと、一昨日にもいた同じ受け付け係の老紳士が、簡単に通してくれた。後で聞いたところ、この建物の1階に南アフリカ共和国の領事部があるらしく、その関係ではないかということだった。
 到着後、すぐに準備を済ませ、所長M氏以下、職員の方々8名を相手に、簡単なレクチャーというか、話題提供のプレゼンテーションを行う。「途中で席を外す者が出ると思いますが...」と最初に断られていたのだが、結局ディスカッションを含めて2時間ほど、全員に熱心に聞いていただき、大変ありがたかった。
 6時から、夕食を用意していただいたということだったので、それまでの小一時間を利用して、地下鉄で連れとハムレイズに戻って一品だけ買い物をし、さらにバスでトラファルガー・スクエアに戻って近くの土産物屋でも買い物をする。6時に事務所に戻ると、建物の外で、長野市から派遣され農村関係の調査に取り組んでいるS氏が待っていた。建物が入れない時間帯にかかっていたらしい。この後、M氏、S氏とわれわれ二人で、トラファルガー・スクエアに面した Albannach というスコットランド料理の店に行く。一階はパブでアトリウム越しの二階席にテーブルがあるというスタイルのお洒落な感じの店だ。ウェイトレスの女性達が、微妙に肌の露出度が高い、というのもスタイリッシュな演出なのだろうか。金曜の夜とあって大混雑している一階を横切って席がほとんど埋まっていない二階に上がり、体調を考慮してベジタリアン・メニューとミネラル・ウォーターの食事をとった。
 M氏は、特に任期が決まっていないそうで、すぐに本省に戻ることになるかもしれないし、意外と長く居るかもしれないという。S氏は任期2年の一年目が終わろうとしているところで、報告書をまとめる準備が本格的になるところらしい。修士論文を控えた大学院生のような感じのお立場なのであろう。今年は夏以降にもロンドンへ来る可能性が高いので、その頃にはまたお目にかかる機会があるかもしれない。
 食事後、ベイカールー線で途中までS氏とご一緒し、ホテルに戻った。まだ8時半くらいと早いのだが、そこそこ疲れているし、明日移動することや、このところの体調も考えて自重し、そのまま就寝する。
■ 2008/02/16 (Sat)
チェルトナムへ移動

Cheltenham
Cheltenham:
Steyne Cross
 前夜早く眠ったせいか、一度、深夜2時半頃に目が覚め、その後も眠りが浅いまま朝6時前に起床し、前日までの日記に手を入れるなどしてから、朝シャワーを浴びた。7時半から朝食ということなので、7時半まで待って食堂へ下りる。食堂を切り盛りしているのは中国系と思しき女性たちだった。イングレッシュブレックファストでいいか?と聞かれたので、イエスと答えると、なぜかソーセージがなく卵が二つというのが出てきた。食事をしながら、日記の続きを書く。
 食後はまた、部屋に戻り、荷造りをして、小一時間ベッドで休む。調子が悪いのは抜けきれていないが、今日は朝食もちゃんと食べられたし、徐々に良くはなってきていると思う。9時半頃にチェッックアウトしたとき、フロントには中国系の女性が座っていた。パディントン駅まで行き、タイムテーブルと切符(座席指定券)に記された時刻が違うことについて確認したりしているうちに、発車間際になってしまった。要するにストロードを経由して行く直行便が何らかの理由で今日は運行されておらず、スウォンジー行きに乗ってブリストルで乗り換えるということらしい。位置関係が今ひとつピンと来ない。
 10時15分の定刻で発車する列車にぎりぎりで乗り込み、先頭車両の指定席へ行く。先に座っているやや年長のご夫婦がいて、申し訳ない気もしたが、指定席券を見せて、席を空けていただいた。
 以前、ブリストルとカーディフを回った時は、長距離バスだったので、ブリストルを経てその先はウェールズなどへ向かうグレート・ウェスタンの本線に乗るのは初めてだ。それほど時間もかからずロンドン郊外を抜けると、車窓には、田園風景と郊外小都市の景観が入れ替わり立ち替わりで現れる。全体的に起伏は非常に少なく、かなりの範囲で、線路と並行して運河が走っていたりするのが、印象に強く残った。閘門やボートの様子から、きちんと維持され、使用されていることがよく分る。列車は、途中で、レディング、バース・スパに停まり、ブリストルのターミナルであるブリストル・テンプル・ミーズに停まってスイッチバックした。程なくして、午後0時15分頃に、乗換駅であるブリストル・パークウェイに到着した。ここは、郊外のパーク&ライド用という風情の駅だ。
 乗り継ぐ列車は午後0時40分発なので、今夜からの泊まるチェルトナムの宿ステイン・クロスに電話をしようと考え、いったんホームからエレベータで橋上駅に上がった。改札を出て待合室へ行き、連れに荷物を託して待っていてもらう。公衆電話を探して、階下まで行き、そこで大きな失策に気がついた。宿の電話番号を控えていなかったのである。パソコンには、宿からのメールは残っていたが、そこには電話番号も所在地も書かれていなかった。ネットにつなげばすぐ分る訳だが、駅のWi-Fiは有料だ。とりあえず、チェルトナムまで行ってから考えることにする。
 定刻通りコーンウォルの方からやってきたダンディー行きの列車に乗り、指定席へ行くと、今度も女性客が乗っていた。指定席券を見せて、少し先の席に移ってもらった。30分ほどでチェルトナム・スパ駅に到着し、下車する。駅の地図を見ると、この駅は中心地から徒歩で15分ほどの距離にあるようだ。ツーリスト・インフォメーションも中心地にある。とりあえず、けっこう閑静な感じの住宅地の中を通る道を抜けて、中心地へ向かう。荷物を引いて歩きながらから、ところどころで宿り木を見かけることに気づいた。
 チェルトナムのインフォメーションは、大きな白亜の殿堂という感じの建物の一角にあった。宿のことを説明するとすぐにインターネットのページのプリントアウトをとってくれた。ついでに Whiteway のことを聞いてみると、若い男性の職員の方は全く知らない様子だったが、いかにもベテランといった感じの年輩の女性が、「あそこは private organization だったわね...」と呟きながら、ネットで検索をしてプリントアウトをくれた。既に持っている情報だったが、手際の良さに感心しながらありがたく資料をいただく。ここでは、地理院(Ordnance Survey)の地図(2.5万の1)なども買った。ここの棚には、アーティストが手作りした署名入りの羊のぬいぐるみ?なども置いてあって目を引いた。
 インフォメーションを出て、左へ進み、昔ながらの電話ボックスが並んでいるところで、宿へ電話を入れた。電話に出たのは、宿の奥さんである日本人の女性だった。すぐに車で迎えに来てくれるというので、指示通りに、先ほどの白い大きな建物の裏側にあるバスターミナルの方へ回って待つことになった。裏側に回ってみると警察が何か取り締まりをしている。ちょうど本とレコード類専門のオックスファムが目の前にあったので、連れに荷物を見てもらい、ローカル・ブックの棚だけを見て、2冊を選び、すぐに店を出た。店を出て改めて考えてみると、警察の取り締まりに遠慮してたっていた位置(オックスファムの前)では、交差点に近すぎて車は停めにくいように思えてきた。そこで、荷物を引いて少し場所を移動しようとしていたら、道路の反対側から、白人の男性に日本語で声をかけられた。電話に出た奥さんではなく、ご主人が迎えに来てくれていたのである。道を渡り、駐車してあった車に荷物を載せて、自分たちも乗り込み、無事、宿に到着した。
 通された部屋は、階段を上がった二階の南西の角の部屋で、部屋の中央と南側の窓際に、それぞれシングルベッドが置いてある。連れが窓側を先にとったので、部屋の中央のベッドを占領することになった。部屋には、日本から送ってもらった資料が届いており、大変助かった。また、手紙を出して連絡がとれるのを待っていた Whiteway の Tさんから電話があって、6時頃に再度電話が来るという。これも大朗報だった。
 荷解きを少ししてから、取りそびれている昼食と、夕食代わりの食料の調達のために、3時過ぎに宿を出て町の中心へ向かった。プロムネード、ハイストリートなどを少し見て、裏通りのリージェント・ストリートの「リージェント・カフェ」で、パニーニとホットチョコレートで昼食代わりにする。連れはスープが随分気に入ったようだった。カフェを出て、百貨店のギャラリーを少し冷やかして、表に抜け、ウォーターストーンズに行く。ここでは、コッツウォルドの地名の解説書を買ったが、他にも目を引く面白そうな本が何点かあった。『読んでいない本について語る方法』という本があって、思わず手に取ったが、もう5時を大きく回っていたので、買わずに出てきた。
 地図を頼りに、バスターミナルのさらに裏側にあたる方へ抜けて、ウェイトローズの大きな店に行き、急ぎ足で食料を買い込んだ。飲み物はジンジャー・ビアとシャンディーのペットボトルにした。この店の敷地は、引き込み線の跡と思しき遊歩道があったり不思議な感じの立地だった(後日宿で尋ねたら、屠殺場跡らしいということだった)。  6時前に、宿に戻ったのだが、なかなか電話が来ない。連れはだいぶ疲れたようで、少し横になるつもりがしっかり寝ている。テレビでは、マンチェスター・ユナイテッド対アーセナルの試合が、マンUの一方的優勢になっている。結局、7時近くにTさんからの電話があり、月曜日の午後1時半に、現地へ伺うことになった。電話のあとしばらく、買ってきた食べ物を齧りながら、月曜日の移動方法などを考える。そのうち、連れも起き、やはり適当に食事をして、テレビを見ながらパソコンでいろいろ雑用をする。テレビでは、「The One and Only」という、そっくりさんタレント(いわゆるトリビュート・ショー)のチャンピョン大会のようなことをしていて、結構面白い。決勝に残ったのは、シェール、ロビー・ウィリアムズ、ライオネル・リッチー、フランク・シナトラ、ダスティ・スプリングフィールドのそっくりさん達だった。番組は視聴者投票を組み込んだ生放送で、ドラマ枠を挟んでの二部構成。結局、優勝したのはダスティ・スプリングフィールドのそっくりさんで、ラスベガスのショーへの出演権を獲得した。
 連れが早く就寝した後、宿のご主人がインターネットを使ってみるかと声を掛けてきた。いろいろやってみたのだが、上手く設定が読み込めず、結局接続を断念した。そのまま部屋に戻り、作業をしながら、眠気がきたところで、早めに就寝した。はっきり憶えていないが11時頃だったのではないかと思う。
■ 2008/02/17 (Sun)
フリーマーケットと民俗音楽

Cheltenham
Cheltenham:
Steyne Cross
 朝、7時過ぎに連れに起こされ、トイレに立ったが、そのままベッドに戻って、またウトウトしてしまう。今日は日曜日で平日より少し遅い8時半が朝食ということだったが、ぼちぼち定刻かなと思っていたら、わざわざ呼びに来られてドアがノックされた。階下へ降りてゆくと、まずリンゴを甘く煮たものにヨーグルトが添えられたものが出され、シリアルで済ますかブレックファストを作るか確認された。当然、フル・ブレックファストをお願いすると、しばらくして実に見事な皿が出てきた。煮豆はないが、しっかりキノコが添えてある立派なブレックファストである。
 今日は、チェルトナム市内にいて、図書館で調べものをしたり少し観光のようなこともしようと考えていたのだが、奥さんの話では、日曜日は図書館も閉まっているという。いろいろ話をしていて、市街地の北の外れにある競馬場で行われる「Car Boot」というフリー・マーケットへ行くのを勧められた。早速地図を取り出して場所を確認する。午前中が中心で午後になると店じまいしてしまうところが多いということだったので、先に競馬場まで行き、帰りに中心部で食事にすることにして、朝食後直ぐに準備して出かけることにした。
 洗濯をお願いするものを預け、午前9時半頃に宿を出たのだが、息は白いし、芝生には霜が降りている。駐車してある車の窓には一面に霜がおりて真っ白になっている。昨日行ったウェイトローズの正面側の方へ向かい、自転車道として整備されている廃線跡(ハニーボーン線)に沿って北上し、それが途切れたところで、東に向きを変え、競技場の脇を抜けて、また少し北へ、また東へと進み、水路に沿ってピットヴィル公園の中を歩いた。途中で、表面がうっすらと氷結した池にいる鳥たちに、チェルトナム・バラの公用車に乗った管理人らしき親父が、パンを投げているところなどに遭遇した。
 そのまま、公園内のトイレに寄った頃から、日差しが強くなってきた。日向では霜が消え、日陰には残っている様が面白い。遊具で遊ぶ子どもたちや、犬を訓練する人々を眺めながら(ハウンド系の犬の走りは、間近で見るとものすごく迫力がある)、公園を横切り、かつての社交場の面影を残す建物「Pittville Pump Room」まで辿り着いた。改装中らしいが、内装はなかなか見事なものだ。そこから、住宅地の中を抜けて、しばらく歩き、ようやく競馬場の入口にたどり着いた。
 ところが、競馬場には着いたものの、フリーマーケットの案内らしい掲示は何も出ていない。変だなと思いつつ、パラパラと徒歩で行く人々がいる方向へ行くと、ちょっとした高みを越えた先の方へ自動車が続々と進んでいっていることに気づいた。坂を上ると「Car Boot」と書かれた、いかにもありあわせという感じの案内看板が見え始めたので、それに従って進むと、その先の広大な駐車スペースに、多数の人々がうごめいているのが遠望できた。
 とにかくいろいろな売り手がいる。プロの商人もいれば、普通の人が不要品を処分しに来ているという風情の人も多い。「このシートの上のものは、みんなただです」というところさえあった。連れも、こちらも、いろいろ掘り出し物を見つけたのだが、日本へ持って帰ることを考えると、片っ端に買う訳にも行かない。また、スーパーで売られていた日切れ品のパン類を格安で売っているところがあったのには驚いた。結局、何やかやと二人で10ポンド余りを使ったが、ショッピングの楽しみとしては、随分と費用対効果がよかったと思う。連れのためには、衣類や玩具類など、自分のためには、コカコーラ社の歴史の本と、第二次大戦中に英国政府が国民向けに出した戦時体制について解説する本、そして(明らかに持ち歩くのが大変なのでかなり迷ったのだが)ちょっと変わったパブ・ミラーを一枚買った。

Dobells

店の奥のコーナーの様子
 結局、午後1時半頃まで「Car Boot」にいて、ぼちぼち多くの売り手が店じまいという頃になって徒歩で戻ることになった。ゆっくり歩いて、中心部の一角にあるパブ「Dobells」に入る。最初は、昨日と同じ「リージェント・カフェ」に入ろうとしたのだが、今日は日曜日で休業だったので、こちらに回ったのである。入るときに、今日の正午から午後2時まで、フォーク・フェスティバルの一環としてのパフォーマンスがこの店であり、入場は無料だったということを、掲示されていたポスターで知った。時間を確認すると、2時を少し回ったところだった。何と間が悪いのだろうと、がっかりしながら店に入ると、奥の方で演奏の音が聴こえる。ふらふらと音に惹かれて進んでいくと、店の奥の一角で、それぞれ楽器をもった十人ほどのプレイヤーが、(車座ならぬ)テーブルを囲むように四角に並んで座って、延々と演奏をしている。これが、ポスターにあったパフォーマンスなのか、それがはねた後にセッションをしているのかは分らないが、しばらくぼんやりと身を委ねて聴いていた。連れは「ブラック・シープ」というキャスク・エールを、こちらはレモン・ビターを飲みながら、リラックスした時間を過ごした。
 Dobells を出て、プロムネードにあるはずの46番バスの停留所の位置を確認してから、いったん宿に戻った。一息を入れてから、再度出かけることにして、午後4時40分頃に宿を出て、閉店ぎりぎりのタイミングでウォーターストーンズへ飛び込み、昨日、目を付けておいた『コッツウォルドのパブ・ウォーク』と『読んでいない本について語る方法』を買った。連れがいきなりパスタが食べたいと言い出し、辺りを一回りしてみた結果、「ピザ・ハット」入ることにした。食事をしながら、『読んでいない本について語る方法』の最初の部分を斜めに読む。
 食事後、店を出ると、急速に冷えてきているのがよく分った。南西部イングランドでは、冬場の晴天は少ないはずだが、晴天時の夕方以降は、冷却効果が強く出やすい。今夜も寒くなりそうだ。早足で宿に戻る途中で、ゴミとして出されていた、パネル状のものの梱包材だったと思しき大きな段ボールを拾った。昼間に買ったパブ・ミラーの梱包用に使えるだろう。
 7時過ぎに宿に帰着すると、洗濯がきれいに仕上げられて用意されていた。連れはお茶を用意してくれた後、すぐに寝入ってしまった。こちらは、日記を書き、明日の Whiteway 行きの準備をしながら、深夜1時頃まで起きていた。
■ 2008/02/18 (Mon)
ホワイトウェイ・コロニー訪問

Whiteway Colony
Cheltenham:
Steyne Cross
 朝は7時過ぎに目が覚めるが、あまりすっきりとは起きられず、8時に朝食に呼ばれるまで、ベッドの中にいた。朝食は昨日と全く同じで、茸がおいしい。朝食をとりながら、奥さんとゆっくりいろいろ話をするうちに、8時50分頃になる。
 9時10分に宿を出て、プロムナードへ行き、46番バスに乗り込む。まず、2階バスだというのに少々驚かされた。若い運転手に、地図を見せてどこで降りたいのかを伝え、往復の運賃を支払い、2階席に上がって最前列右側にすわる。窓はまだ朝露がついていて、カメラを構えるのには向いていない。程なくして走り出したバスは、チェルトナムの市街地を抜けて坂を下りながら南へ向かい、やがてローマ街道のある谷筋を過ぎで南方に広がる、結構な傾斜になっている丘陵の西斜面を登っていく。思っていたよりあっさりと、走り出してから30分ほどで、クラナム Cranham という村の入口にあたるバス停に到着し、下車した。
 ここからは、2時間ほどの歩きになるはずだ。時刻は、9時40分を少し回ったところだ。まず、バス停のある分かれ道から東へ向かう枝道に入り、まっすぐクラナムの集落へ向かう。しばらくはだらだらした緩やかな下り坂が続く。沿道にはところどころに住宅もあるが、北側がおもに森で、南側は羊が放牧されている牧場になっている。いよいよ集落に近づくと急な下り坂になって、小さな川が流れている。この辺りは谷底で陽が射しにくいようで、朝霜がきれいに輝いている。

クラナムの谷底集落

フォストンズ・アッシュ
 郵便局の看板が目についたので、立ち寄ってみようとしたが、入口がよく分らない。そのまま「Reception」と書いてある案内看板に従って裏手の方に回ってみると、そこはグロスタシャー州のスカウト連盟が管理するキャンプ場の入口だった。駐車場にトイレがあったので、用を足しに入っているうちに、駐車場にいた連れを見て管理人が出てきたようだ。郵便局のことを尋ねると、週に二回、火曜日と木曜日にしか開いていないのだという。この集落にはカントリー・パブもあるはずなので、そちらについても尋ねてみたが、折悪しく月曜日は休みだという。管理人氏に一言礼を言って、道に戻る。
 この集落は、谷底から台地の上まで、急斜面を一気に上る坂を挟んで斜面の上下に家屋が集まっている。かなりの急坂ということで、途中にベンチがあるが、霜が降りていて座面は真っ白になっていた。左手の斜面では大きな牛が数頭、牧草や、餌として与えられたらしい小さなリンゴなどを悠然と食べている。急坂を登り切って上の集落に至ると登り坂の傾斜がやや緩くなり、さらに行くとようやく台地上の平面に達した。一枚数町歩という感じの区画が広がっている。近所の家の番犬が出てきて吠えかけられたり、騎乗した女性とすれちがって挨拶を交わしたりしながら、ゲートを開閉してブライドルウェイに入り、蹄鉄の後がたくさん残った農地の中を横切ることになった。
 改めて周囲を見回す。風は穏やかで、空には、文字通り見渡す限りどこにも雲がない。この時期のイングランドで珍しいだけでなく、自分の人生でも、こんな天気の日に歩くという記憶はほとんどない。やや湿った農地を横切りながら、イングランドの田舎を歩く楽しみの醍醐味のようなものを感じ、気分がとても高揚してきた。出口のところにあった看板で、この横切ってきた土地がナショナル・トラストのものだということが分った。結構な交通量がある一般道に出て右折し、この道路沿いに南下して、昼食の場所に予定していたカントリー・パブ「フォストンズ・アッシュ」に到着した。道に面したもともとの入口だったはずのところは、封鎖されていて、ぐるっと裏へ回り、庭側から店に入る。こじんまりとした居心地のよさそうな空間だ。まだ、11時20分で、予定よりも早く到着できた。食事のサービスは正午からということで、とりあえず、飲み物をもらって席に着く。料理を選び、先に注文だけでもと思ってオーダーを出したら、11時50分頃にはサービスしてくれた。スープ、チキンシーザーサラダ、アンチョビーと辛い腸詰めを連れと二人で分け、最後に紅茶とブラウニーをとった。
 正午過ぎに、パブを出て、いよいよホワイトウェイ・コロニーへ向かう。案内看板をたどって15分ほど歩き、ホワイトウェイの集落に到着した。集落には、(後でコロニーの範囲外ということを確認したが)かなり立派な邸宅や、自動車関係の事業所もあるようだ。バス停の前には移動図書館の車が停まっていた。デジタルカメラを構えながら歩いていたら、約束の午後1時半になっていた。足早に待ち合わせの場所になっているコロニー・ホールへ向かうと、駐車していた車からTさんが出てきた。少しその場で話をした後、コロニー内の様子を見せていただくこととなり、それからおよそ1時間半ほどをかけて、ゆっくり集落内を見て回った。
 最初に入植者が利用した古い羊飼いの家、昔のパン工場、1935年にホワイトウェイに関する最初の本を書いたネリー・ショウが住んでいた家、かつての共同作業場だった家、小さな一棟から徐々に増築したというTさんの自宅、初期に本職の大工が自宅として建てた家、1920年代に建てられ1968年まで人が住んでいたという家(現在は物置)、かつて小寺廉吉(1893-1992)が1927年に訪問したG・マランの家(現在も遠縁にあたる方が住んでいる=ここも増築中だった)、当初はコロニーの一部だったが初期に切り離されたという一画、運動場、プール、等々を見て回り、3時頃にコロニー・ホールへ戻ってきた。ちょうど、お年寄りのお茶会をやっていて、紅茶とクッキーに呼ばれた。ここで、改めてTさんに小寺のことを説明し、また、その場にいたお年寄りたちとも少し話をする。
 Tさんが、近くまでなら車で送ってくれると言うので、お言葉に甘えてペインズウィックまで送ってもらうことにして、3時半頃に、コロニー・ホールを出る。車は台地上の道からやがて狭隘な下り坂で谷へ下り、谷底からはじまって尾根に市街地があるペインズウィックに到着した。Tさんに御礼を言って車を降り、振り返ると、彼女は偶然顔見知りを見かけたようで、男性に車の中から声を掛けて話を始めていた。
 ちょうど目の前を46番バスが通過していったので、次のバスまで小一時間ある。とりあえず、指示標識に従って坂を下り、ツーリスト・インフォメーションへ向かったのだが、途中で、チェルトナムで買った本に載っていた百年前の写真と同じ構図の風景が飛び込んで来て、驚かされた。思わずデジタルカメラを構えたが、逆光で上手く撮影できない。とりあえず、後で再度試みることにして、インフォメーションへ行くと、そこは地域の図書館に併設されていて、月曜日は休みであった。先ほど、カメラを構えた「ファルコン・ホテル」まで戻り、飲み物をもらって席に着く。バス停はすぐ隣の建物の前なので、4時49分のバスが来る直前まで休み、最後にホテルの前で撮影をして、やってきたバスに乗り込んだ。来るときにチェルトナム〜クラナムの往復券を買っていたので、クラナムまでの片道分を一人1ポンド支払う。来る時と同じように、2階へ上がり、最前列には先客がいたので3列目に陣取った。
 5時半頃にはチェルトナムに帰着し、地図に載っていたインターネットカフェを探しに行く。ところが、その番地へ行ってもそれらしいものが見あたらない。結構、疲れていることもあって、宿にそのまま帰ることにして、6時過ぎに部屋に戻った。少し、荷物の整理などをしているうちに少し体調が悪くなり、一度横になったが8時くらいに一度目が覚めた。しかし、仕事をする気にはなれず、再度就寝した。連れはこの間、いろいろ作業をしていたようだ。夜中の12時頃に目覚めて起き出し、日記を書いたり、いろいろ細かい作業をしながら4時近くまで起きていた。
■ 2008/02/19 (Tue)
本とインターネット

Cheltenham
Cheltenham:
Steyne Cross
 水曜日の朝にいったん宿の期限が来るのに、まだ、水曜日以降の行動計画を固めかねている。朝食に起こされて階下へ降りてゆくが、宿泊を延長するか、チェックアウトするか、あるいは、ストラウドあたりへ行ってまた舞い戻ってくるか、明日まで待ってもらうことにする。今朝の朝食は、「毎日イングリッシュ・ブレックファストじゃ飽きるでしょう」ということで、基本的には同じようなものだが、少しオムレツ風になっていた。昨日、インターネット・カフェを見つけ損なった話を奥さんにしたところ、1階が古本屋で、2階がインターネット・カフェという、場所を教えてもらった。その辺りには、チャリティショップなどもいろいろ集まっているそうだ。チェルトナムへ来てからは、インターネットに接続していなかったので、早速、9時過ぎに宿を出て、教えられた Moss Books へ行く。二階がネットカフェになっていて、持ち込んだラップトップを接続し、メールを読み落とす。「東経ちゃんねる」への書き込みも試みたが、ホスト規制にかかって書き込めないことがわかった。しばらく、連れが用事を済ませている間に、階下へ降り、郷土史関係の棚を眺める。店主にも、ホワイトウェイ関連の書籍について尋ねてみたが、(ホワイトウェイがらみも含め)民芸運動関連の本は非常に需要があって、入荷してもすぐに売れてしまうという話だった。
 郵便局の場所を店主に教えてもらい、日本円を両替しに行く。ハイ・ストリートのTESCOの並びにある郵便局にたどり着いてから、パスポートを持ってこなかったことに気づいた(鞄に入れて、連れのところに置いてきた)。仕方なく、モス・ブックスまで戻り、パスポートを取って出直し、10万円を両替した。レートは240円近くで、かなり悪いが仕方ない。10時15分頃になって連れの用事が済んだところで、いろいろ返事を要するメールが来信していることに気づいた。返信は後にして、いったん作業を打ち切り、お仕舞いにする。料金は1時間3ポンドだった。
 階下へ降り、先ほど目を付けておいたコッツウォルド関係の本など4冊を買い、18ポンドを支払う。少し財布の紐が緩んだ感じで、ハイ・ストリートのチャリティー・ショップへ入ってみることにする。最初に入ったのはキャンサー・リサーチだったが、ここでは何も買わなかった。ところが、次に入った PDSA で連れが随分と時間をかけて服を選び始めた。結局、連れの服のほか、CDや古切手など50ポンド以上を買い込んだ。とりあえず、お昼になったのと、荷物が増えたので、TESCO で食品を少し買い、宿へ戻ることにした。

チェルトナムの図書館
 いったん宿に戻って、スープやサンドウィッチなどで食事をしてから、1時半頃に宿を出て、今度は図書館へ向かうことにする。途中で、最初にスー・ライダーの店に入り、連れが服や帽子を見ている間に、ジャケット類などを見てみたが、結局、何も買わずに出てきた。次にツーリスト・インフォメーションへ行き、ストラウドの宿の手配を依頼する。返答に30分ほどかかるということだったので、待たずに後で出直すことにして図書館へ向かった。図書館では、入って直ぐに、カウンターでショーの1935年の本の有無を確認してもらったところ、ちゃんと所蔵しているという。また、ここでは無料でWi-Fiが使えることが分った。ちょっと登録作業に手間取ったが、無事Wi-Fiが使えるようになったので、連れにはネットをやって時間をつぶしてもらうことにする。ここで、連れを残していったん図書館を出て、ツーリスト・インフォメーションに戻り、ストラウドの宿の件を確認したが、こちらの条件や予算を超えたところしか空室がないという。結局、68ポンドで提示された駅の南側のホテルをあきらめて、このままチェルトナムで延泊することにした。図書館に戻り、閉架から出してもらったショーの本を開いて、郷土史関係の書架の前に陣取り、ブラウジングとコピーを繰り替えす。コピーの使い方も最初は少し戸惑うことがあって、無駄になったところもあったが、結局、4ポンド分のコピーを取った。そのまま、午後5時半の閉館まで居続ける。
 図書館を出て、ウォーターストーンズへ向かい、少し本を眺め、6時頃早めに宿に戻る。缶詰類やスープとサンドウィッチで食事を済ませ、そのまま眠気が来たので3時間ほど休む。だいぶ遅くに目が覚め、メールで来ていた急用への対応に取りかかる。連れは連れで、寝たり起きたり、自分の作業をしたりしている。こちらの作業は、思ったよりに順調に進む。
■ 2008/02/20 (Wed)
ストラウドで買い物

Cheltenham, Stroud
Cheltenham:
Steyne Cross
 深夜遅くから後は、寝たり起きたりを繰り返して、8時になって朝食に呼ばれた頃は少し沈没していた。連れに少し遅れて階下へ行き、朝食を食べる。滞在を3泊延ばすことを告げ、先に150ポンドを支払う。また、洗濯の実費として4ポンドを支払う。今朝も、朝食をとりながら奥さんといろいろ雑談をする。図書館の開館にあわせて10時頃に宿を出て、図書館へ行き、インターネットに接続して急ぎのメールを発信する。昨日に引き続いて、ショーの本を出してもらい、一部をコピーする。
 今日は、一時間ほどで図書館を出て、11時25分の46番バスに乗り、ストラウドへ向かう。バスは定時運行し、ちょうど40分でストラウドの Merrywalks センター裏のバスターミナルに到着した。
 映画館の入口の脇からエレベータで地上階から2階へ上がり、やや閑散とした感じのショッピングセンター(映画館やボウリング場も入っている)の中を抜けて、小高い丘の縁に載っている旧市街地の縁に出た。短いアーケードの途中にある Spuds という軽食屋が目に入った。そのままツーリスト・インフォメーション目指して少し坂を上ろうとしたが、途中にスー・ライダーの店があったので連れをそこで待たせ、インフォメーションへ行って、ストラウドの図書館と役所関係の場所などを確認する。カウンターにいたベテランの男性は、District Council の役場の計画課に電話を入れて、地図について詳しく照会してくれた。役場は少し離れた、バスで行く距離感の場所にあり、日中は15分おきに便があるそうだ。買いたい地図類もいくつか目に入ったのだが、もう一度来ることにして、インフォメーションを出た。
 連れが時間をつぶしていたスー・ライダーに戻り、役場へ行くより先に昼食を済ませることにして、先ほど目を付けておいた Spuds に行く。簡素な店だが、昼時で結構繁盛している。スープ、ベーコン・バップにケーキ類をとって10ポンドちょっとだった。センターの中を通ってエレベータで地上階へ降り、バス停に行くとちょうど20番が来ていた。行き先を告げると往復なら一日券の方が良いと勧められ、言われるままに一人3ポンドのストラウドライダーを買う。走り出してしばらくして、運転手にここで降りるようにと促される。降りてみると、一見して廃工場跡の再開発に取りかかっています、という感じの場所だ。しかし、よく見ると奥の方の一角にある背の高い工場は、既にオフィスに転用されている。
 建物の正面から入り、受け付けに用件を告げると、プランニングの担当者に取り次ぐから待っているようにと言われて、その場でしばらく待つ。程なくして呼ばれて、すぐ先のデスクで、オランダ系と思しき名の女性の担当者に対応してもらうことになった。研究のためにホワイトウェイの地図が欲しいと説明すると、実際に建築申請するのでなければ地図は売れないと言われてしまう。おやおや。そこで、観光案内所から電話で確認してもらったのだが、と食い下がると、「上階」(本来のプランニング部局があるのは Second floor)に電話で確認するという話になった。電話を架けてもらい、ようやく申請しなくても地図を出せるという話になったが、待っている間にも、自分でネット上の ProMap から購入した方が安いはずだと言う話をさんざん聞かされる。それでは、研究資金での支払いが間に合わないと、いちいち説明する。プリントするフレームをどうするか、という話で、最初は1:1250 でいくつフレームをとるかという話だったが、(もちろんこちらの英語力の問題もあるのだろうが)上手くこちらの意図が伝わらず難渋し、結局、上から別の若い女性が降りてきて、あっさりとこちらが臨む範囲ぴったりの1:2500 のプリントアウトを出してくれた。やはり本家本元の大英帝国だ(末端の担当者が、自分の知らないことについて、自信満々に間違った断言をすること=山田は英国、豪州、南阿で何度か同様の経験がある)。結局A4判のプリントアウト6枚で33ポンドを支払った。決して安くはないし、確かにネット上で買った方がもっと手軽で安いのだろうが、紙の状態でフィールドに地図を持って行けるというのは何よりありがたい。
 3時過ぎに役場を出て、バス停に戻るが、よくよく見ると30分近くバスが来ないことに気づいた。バスのルート沿いに少しだけストラウド側に歩いて戻ることにして5分ほど歩き、少し店があるところへたどり着いた。オリジナル・ファクトリー・アウトレットという店のウィンドウを連れが目に留めたのだが、もともとの正面であるはずの道路に面した側には入口がない。変だなと思って横に回るとぎりぎり人ひとりが通れるかどうかというくらいの隙間を経て、裏側の駐車場と入口にたどり着いた。普通は、もう少し先のラウンドアバウトから裏に回って駐車場に入るということのようだ。連れが結構ゆっくり物色している間に、何とずっと探していたパット・ブーン版の「トゥティ・フルティ」(以前から授業で使いたいと思っていた)が入った安物(2枚で5ポンド)のコンピレーションCDを見つける。結局、何やかやとCD6枚を買い、他にも少し買い物をした。買い物を終えて、ラウンドアバウトのちょっと先のバス停で待っていたら、やって来たのは待っていた20番ではなく、チェルトナムまで行く46番だった。一瞬、そのまま戻ろうかとも考えたが、結局、ストラウドで降りる。
 既に5時近いが、図書館へ足を運ぶ。ここには、ショウの1935年の本が複数所蔵されていた。一部だけでもコピーを取ろうと作業をし始めたが、コピー機の調子が悪いのと、折悪しく5時閉館の日だったので、すぐに断念する。明日、木曜日は午後1時閉館、金曜日が午後7時までということなので、次ぎに来るのは金曜日にしようと思う。
 図書館を閉館時刻ちょうどに出て、メリーウォーク・センターへ向かい、Wilkinson で飲み物、クッキー、パンなどを買う。バス停へ行くと、まだ20分ほど時間があったが、そのまま待つことにして、しばらくバス・ターミナルの様子を観察する。やがてやって来た46番バスに乗り込み、宿に戻ったのは7時過ぎだった。
 部屋に戻ってから、夕食を済ませ、明日のホワイトウェイ再訪に向けて、Tさんへの手紙を書いたり、これまでに撮った画像の確認などをする。途中で、眠たくなったのでベッドで寝てしまうが、やはり熟睡できず、夜中に起き出してまた少し作業し、また寝る、ということを繰り返した。今夜は皆既月食だったが、その時間(深夜2時〜5時)は、ちょうど眠っていた。
■ 2008/02/21 (Thu)
再びホワイトウェイへ

Cheltenham, Whiteway Colony
Cheltenham:
Steyne Cross
 朝5時台に目覚め、ぼんやりテレビを見たり少しパソコンをいじったりしていたが、朝食の時間が近くなってから、シャワーを浴びる気になって朝シャワーを使った。朝食のパンは、クランペットというちょっと変わった種類だった。今日も朝食の席では、奥さんと、ミルトン・キーンズのB&Bに泊まった時の話など、いろいろ話をする。食後、部屋に戻り、資料を読んだりしているうちに、昨夜あまり寝られなかったらしい連れが、ベッドで熟睡し始めた。結局、11時少し前まで待ってから、一緒に図書館へ向かう。
 図書館では、ショウの本の他、クラナムの歴史の本(ここにあったサナトリウムの建物の一部を移築したのがホワイトウェイの集会場)、コッツウォルドのバスについての記述を含む本、などの一部をコピーした。正午が近づいて来たので、図書館を出たが、風が冷たく、少し強めになっている。思い立って、バス停へ向かう途中にあるスー・ライダーの店で、先日目を付けていた防寒着を9ポンドで買う。バス停が並んでいるプロムナードの一角へ行くが、23番バスの停留所が見あたらない。観光案内所へ飛び込むと、どの乗り場かはわからないが、建物の裏手の方の停留所のはずだ、と教えてくれる。あと数分で定刻になる、足早に建物の裏へ回ると、まだそれらしいバスは来ていない。うろうろしているうちに、23番の数字を表示したカントリー・リンクという小型のバスが来ていた。このバスの運転手は黒人の男性で、ホワイトウェイまでの片道料金は2ポンド40だった。既に席はお年寄りで結構埋まっている。一番後ろの席に連れと収まる。1時15分の定刻に出発。走り出してから人数を数えてみたところ、我々を入れて乗客は13名だった。
 バスはまっすぐホワイトウェイに向かうのではなく、途中でBirdlipの村から東に迂回してBrimpsfieldへ行き、その辺り2カ所で一人ずつを降ろし、そこから西へ向かって Calf Way に戻り、フォストンズ・アッシュの前を経て、2時頃ホワイトウェイに到着した。我々を含め5名ほどが下車したはずだが、そのうちの一人が先日集会所で話をしたEさんだとは気づかなかった。バスが出発して、地図を取り出したりしていると、Eさんの方から話しかけてくれて、同じバスに乗っていたとわかった。ひとしきりスモール・トークをする。
 先日同様、ウェット・グラウンド、ドライ・グラウンドの順で、ただし、先日Tさんに案内された時とはほぼ逆回りで、コロニー内を歩く。先日は、入らなかった、旧ビッドウェル(工事中)のところでは、この建物を母親のために改装中だという旧バンガローの住人一家と話をした。Tさん宅に立ち寄って、ちょうど庭に出ていたご主人にメッセージを託すなどしながら、前回よりも、より具体的なイメージを持って、コロニー内を歩いた。庭を通っていいかと声を掛けたW邸では、お茶を飲んでゆくかと声を掛けてくれた。丁重に辞退したが、何だか嬉しくなった。旧ベイカリーの前まで出て来たところで、自動車を運転して出て来たこのベイカリーを作った人物の孫という女性に声をかけられた。彼女はオーストラリアNSW州のウーロンゴンとこちらで、交互に住んでいるらしい。
 掲示板を見ると、今夕には、近傍のミースデンの郵便局が閉鎖されようとしている件で、行政からの説明会が集会所で7時半からあるようだ。ウェット・グラウンド北辺の導入路の入口には、旧ビッドウェルの工事に関する行政の確認書も掲出してあった。当然のことではあるが、アナキスト云々というのは歴史だということである。
 陽のあるうちにドライ・グラウンドの方へ行こうと、バス停のところまで戻ったところ、Eさんが出て来ていて、お茶に誘われた。一瞬迷ったが、お言葉に甘えることにして、お邪魔させていただく。息子さんは独立して別の町に居を構えており、お連れ合いを(一昨年?に)なくしてからは一人暮らしをされているということだったが、よく聞くと娘さんのご一家がコロニーに住んでいるということだった。庭の餌台に集まる鳥たち(彼女は「My birds」を呼んでいた)を眺めながら、ご家族のこと、昔話、そして、以前一度だけ日本人が来た(隣の畑にパラセールで不時着した日本人がいたそうだ)ことなどをいろいろ伺った。
 ゆっくり話を伺っている間に、4時近くになってしまい、Eさんのお宅を辞してドライ・グラウンドを回ることにする。集会所では、男の子たちが歓声を上げて遊んでいた。集会所の前の屋根の張り出し部分は、かつてサナトリウムだった頃に撮影された写真で見られる特徴を良く残していた。前回上手く撮れなかったプールの写真なども撮り直したりしながら、コロニー内を一回りし、ホワイトウェイを出た。
 道路を北上してフォストンズ・アッシュまで行き、飲み物とつまみをとって休憩する。本当は6時からしか料理は出さないのだそうだが、オリーブ、アンチョビー、辛いサラミに、干しトマトの盛り合わせを出してくれた。全部で10ポンド弱になった。
 ここから、カルフ・ウェイをひたすら北上するのだが、連れが履き慣れない靴だったこともあって、思いのほか時間がかかってしまう。日は暮れて、すっかり夜になってしまったのだが、ようやくたどり着いたバードリップの村には、目指していたパブが見あたらなかった(別のバプ兼ホテルがあった)。また、ここからはバスの便はない。おかしいなと思いながら、かなりの自動車交通量があるルートを、車道の白線の外側を辛うじて歩くような形でバードリップの集落からさらに1マイル以上歩き、ようやく目指していたパブ「エア・バルーン」が見えて来た。既に午後6時を回っている。少し手前にあるバス停でバスの時刻を確認したが、既に30分以上前に終バスが出た後だった。
 エア・バルーンで尋ねると、チェルトナムまでは、歩いて行くのでなければ、タクシーを呼ぶしかないという話だったので、ここで腰を落ち着けてゆっくり食事をする。ベジタリアンの茸のラザニア、フィッシャーマンズ・パイ、野趣に溢れるマッシュルームのスープ、デザートにはカスタード・プディングと、なかなか贅沢な田舎料理を堪能した。連れは、フォストンズ・アッシュでも飲んだ「Old Speckled Hen」というキャスク・エールを飲み、こちらは(なぜか紅茶がなかったので)カフェ・ラテを飲む。食後にタクシーを呼ぶと、二十分ほどしてやって来たのは、ドレッド風のパイナップル頭にした黒人の女性運転手だった。グロスターのタクシーということで、地図を見せながらルートをひと通り確認してから、出発となった。往路で23番バスが走ったルートをほぼそのまま逆に進み、宿には9時過ぎに到着した。料金は9ポンドちょっとだったが、10ポンド渡して釣りの分をチップにした。
 宿に入り、部屋へ上がって行くと、奥さんがドアをノックした。Tさんから連絡の電話があったそうだ。
 今日は随分歩いたので結構疲れている。むりせず先にベッドへ入り、夜中に目が覚めて少し作業し、また寝た。
■ 2008/02/22 (Fri)
今度は一人でホワイトウェイへ

Cheltenham, Whiteway Colony, Stroud
Cheltenham:
Steyne Cross
 5時過ぎに目が覚め、連れも起きたのでそのまま日記を書いたりする。8時過ぎに朝食に下りてゆく。パンは今日もクランペットだった。
10時頃に宿を出て、図書館へ行く。今日は連れと少し別行動をすることにして、11時25分の46番バスでクラナム・コーナー(ロイヤル・ウィリアム)へ向かった。一人で、ホワイトウェイ周辺の景観を撮影しようと考えたのである。連れとは、後で、ペインズウィックで合流することにした。
 11時55分頃にバスを降り、月曜日と同じ経路でクラナムの集落内の橋まで、途中でサンドウィッチを齧りつつ歩いて行った。ペースの少し余裕がありそうだったので、少し回り道をして、クラナム・コモンの丘を回り込んで谷に降り、またOvertown農場の斜面をブライドルウェイ沿いに直登して、ナショナル・トラストのEbworth Centreへの導入路へ出て東へ進み、カルフウェイに達した。カルフウェイに出てからは、フォストンズ・アッシュの前を通過し、Wateredge農場までは前回と同じ経路をとったが、その先で左へ逸れて行く(コロニーの北端につながるはずの)フットパスの方に入ってみた。赤土の粘土質の畑の縁を、トラクターの轍に沿って、足を取られながら歩くのは、なかなかしんどかった。谷筋へ下った行く道から、林地の手前で右へ斜面を登って行くはずの道が、境界を作っている木の列のどちら側なのかがよく分らないまま、何とかコロニーの北端の位置にたどり着いた。午後1時半くらいになっていた。
 前回、あまり見なかったコロニー北端の一帯を通りながら景観を撮影し、集会所の前へ出て、バス停まで上がって来た。次いで、公道沿いに南東へ進み、道が少し下がってまた上がる位置まで数百メートルほど行き、振り返る形でコロニーの方面を撮影する。さらに、その先で右折してフットパスへ入り、さらに撮影を続ける。しかし、木々が多く、遠くから見ても何を撮影しているのか分りにくい図柄になってしまう。
 ひと通り、コロニーの撮影を終え、そのままコロニーから流れ出る小川の先にある谷に降り、古い歴史があるらしいWishanger農場の脇を南下してペインズウィックへ向かう公道へ出た。あとはこの道をひたすら西へ進むだけなのだが、既に3時を回っていて、余裕があまりない。しかし、Hazle Manor 下の公道の十字路で、コロニーを谷を挟んだ西側から撮影できないかと考え、十字路を右折して北へ坂を登り、登りきったところからHazle manorの北側のブライドルウェイに入ろうとした。しかし、地図上は直線のブライドルウェイは、実際には畑を横切る不明確なもので、足元も悪いし、数百メートル以上先へ下って行かないと、上手く撮影はできないようだ。ここは断念して、国道へ戻り、南へ落ちて行く斜面の畑を横切るフットパスを進み、漸く元のルートに戻った。
 シープスコムの村へ降りてゆくルートを進みながら、何とか時間に余裕が残っていることを確認し、ふたたび景観の撮影を始める。村へ入って行く最初の辺りでは、ナショナル・トラストのトレーナーを着た男性と、そのパートナーらしき女性が、生け垣の手入れをしていた。根が生えている状態で上に何本も伸びた灌木を、低い位置で切り付けて横倒しにし、からませていくという独特の方法だ。道が間違っていないか確認しようと思い、声を掛けてスモール・トークをする。

東側から眺めた Paiswick
 シープスコムの集落の上を通過する道沿いに、フォストンズ・アッシュの辺りから下りて来た谷の美しい景観を堪能しながら進んでいると、やがてペインズウィックの聖メアリ教会の尖塔が見えて来た。まだ小一時間の余裕がある。やがて、急坂を下り、昔はきっと水車があったろうと思わせる流れを渡る橋に至り、今度は急坂をペインズウィックへ登って行くことになった。ほっとしたせいか、急に足の裏の痛みが気になって、スピードが落ちる。それでも何とか市街地に入り、聖メアリ教会に近い公衆トイレで用を足し、連れの待つファルコン・ホテルについたのは3時半頃だった。
 ファルコンで、コーラを飲んで一息つき、郵便局を兼ねた土産物屋を冷やかしてから、46番バスでストラウドへ向かった。
 ストラウドでは、まずツーリスト・インフォメーションへ行き、書店の場所を教えてもらい、ハイ・ストリートのストラウド・ブックスという店で郷土史関係の本などを買う。既に5時近くなって来たので、バスの案内所へ立ち寄り、情報をもらってこようと思ったのだが、案内所は坂を下りて行ったところになるので、連れにはショッピングをしていてもらい、コスタ・コーヒーで合流することにして、坂を下りる。戻って来る頃には、連れは既にコスタで一服していた。こちらも特大の、両手で持てるように把手のついたカップで、カフェラテを堪能する。
 6時前にコスタを出て、まず、駅へ行き、明日の運行状況を確認するが、ストラウド経由だとバス代行区間などがあってやはり相当の時間がかかりそうだ。とりあえず、駅舎の写真などを撮り、次に図書館へ行く。今日は金曜日で、図書館は7時まで開館しているのだが、残っている小一時間で大急ぎで郷土資料の棚を漁り、コピーをとった。郷土資料の並べられた部屋に、ストラウド行政区のレリーフ・マップが飾られていたのが、印象的だった。
 7時の閉館まで粘り、常連らしい女性客一人を別にすれば、最後に図書館を出た。チェルトナムに戻るバスは、7時40分のあとは10時台になってしまう。連れと相談し、とりあえず、バス停へ降りて行く途中の坂に並んでいる3軒のバルチ料理店のうちから、良さそうな感じがした Balti Spice を選んで、入ることにした。時間がないことをウェイターに告げ、大急ぎで用意してもらい、食事の途中で精算した。ベジタリアン系のバルチを選んだのだが、久々に食べたバルチ料理はなかなかおいしかった。30分足らずで食事を終え、無事7時40分発のバスに乗車した。チェルトナムまでの帰路、連れはほとんど熟睡していた。
 宿に着くと、Tさんのご主人が届けてくれたというTさんからのメッセージが届いていた。今後、また連絡をとることがあるだろう。明日朝の出発に向けて、荷物の詰め直しをするうち、随分遅くまで起きていることになった。
■ 2008/02/23 (Sat)
ロンドンへ戻る

Cheltenham, London
London:
Lynton Hotel
 一週間滞在したチェルトナムの民宿ステイン・クロスも、今日で発たなければならない。7回目の朝食は、パンが、イースターの季節につきもののホットクロスバンだった。干しぶどうが少々苦手なので、いつもより食べたパンの量が少なかった。朝食後、荷物を食堂に下ろし、鍵を返して、出発の段取りを相談する。この宿では駅まで荷物を車で運んでもらえるのだ。ご主人がいろいろネットで調べてくれ、11時31分の列車で、途中のバースで乗り換え、パディントンへ向かうことになった。
 9時半頃に宿を出て、まず図書館へ向かった。今日はインターネットを使うだけで、資料のコピーはしなかった。10時を回ったところで、モス・ブックスへ行き、研究と関係ないものを含め数冊の本を買う。図書館へ戻り、11時近くになってきたところで、図書館を出て、スー・ライダーの店に立ち寄り、前に立ち寄ったときに気になっていたイタリア製のコートを15ポンドで買い、宿に戻った。これでチェルトナムでの買い物は打ち止めである。
 宿のご主人に車で送られて駅へ着き、増えた荷物を抱えて11時31分発のブライトン行きに乗り込んだ。この列車は、まずグロスターで、次いでブリストル・テンプル・ミードでスイッチバックし、バースで分岐して南へ向かうので、乗り換えはブリストルかバースでということになる。いったん乗り込むと、席を離れるのがおっくうになり、結局、バースまでそのまま乗り続けることにした。途中で、キャドバリーの工場[あとで調べると近いうちに閉鎖されるようだ]があるケインシャムという町の辺りで、列車への妨害行為があったらしく、警察が駅に来たり、運行が遅れるといったハプニングがあり、予定より20分ほど遅れてのバース到着となった。
 元々バースでの乗り換え待ち合わせが20分ちょっとだったので、待ち合わせ時間がほとんどない状態でパディントン行きが来たので乗り継ぐ。バースは有名な観光地だが、見たのは駅のプラットフォームだけ、印象に残ったのは、「出汁」という屋号の日本食も扱う店がプラットフォームに出ていたことくらいだった。
 やがて、定刻より少しだけ早く、午後3時少し前にパディントン駅に到着した。ここから、少々考えなければいけない。今日は土曜日なのでヴィクトリア線は全面運休しているし、他の線でも区間運休が結構出ている。サークル/ディストリクト線のプラットフォームまで下り、サークル線が来たので乗り込んだがヴィクトリアの一つ手前のスローン・スクエアで下車して、ここからC1バスに乗り込んだ。荷物を抱えて(大混雑しているであろう)ヴィクトリア駅へ行くより、賢明だったと思う。
 バスを降りてリントンへ行くと。何と、今回も応答がない。仕方なく、連れを残して、長距離バス発着所へ行き、携帯の方に架けてみるが、スイッチが切られているようだ。少し時間を置こうと思い、バスの発券窓口へ行って、マンチェスター行きのバスについて情報を収集する。その後、また電話を架けたのだが、結局、つながらないので、ホテルの前で待っている連れの元に戻ってみると、何と、既に荷物を預けてしまったという。宿主の弟の方のM氏が、開けてくれたそうだ。どういうことかは分らないが、最初に何回か呼び鈴を鳴らしたときに、作業をしていて聴こえなかったらしい。
 荷を降ろした所で、早速出かけることにして、まず、長距離バス発着所へ行き、マンチェスター行きのバスの切符を買いに並んだ。次にヴィクトリア駅へ行くが、サークル/ディストリクト線が混乱していて、ホームに停まった地下鉄が一向に出発する気配がない。そこで、バスで移動することにして、地上に上がり、52番バスでナイツブリッジ方面に向かい、ハイド・パーク・コーナーで地下鉄に乗り換えて、さらに乗り継ぎ、カムデン・タウンへたどり着いた。もう5時近くなっていたが、連れの買い物に付き合い、駅近くのタイ料理の食べ放題の店 Veg(実際に切り盛りしているのは中国人)で夕食を済ませた。
 食事の後、カムデン・タウンからセント・パンクラスへノーザン線で行き、ユーロスター乗り入れですっかり面目を新たにした駅の様子を見て回った。さらに、ピカデリー線でハイド・パーク・コーナーまで行ってからバスで戻って、ハードロックカフェに入る。テーブルを待つと一時間半くらいかかると言われたので、バーで飲み物だけなら大丈夫かと確認し、地下のバーへ下りて行く。幸い、テーブルを確保できたので、しばらく一人でぼんやりビデオを見ている。その間に、連れは、従業員相手にピン・トレードをしてきたようだ。
 10時過ぎに店を出て、バスでグリーン・パークまで行き、ピカデリー線でナイツブリッジへ移動し、さらにC1バスで宿に戻った。部屋では、明日からの北への旅行中に向けて預かってもらう荷造りのし直しを少しするが、体調が思わしくなく、風邪気味なので、もっぱら連れに作業をやってもらい、先に潰れてしまった。
■ 2008/02/24 (Sun)
収穫が今ひとつの古本漁り

London
National Coach
442 Service to Manchester
 調子が悪くなってきたので、元々眠りは浅かったのだが、未明の4時過ぎにふと目が覚めたら、連れが起きているのに気づいた。連れも体調が下降気味で、荷造りをしているうちに眠れなくなったらしい。そのまま、朝食まで起きていようとも考えたが、しばらくしてから電気を消して少しでも眠ることにした。
 8時少し前に朝食に下りていった時に、荷物を預ける段取りを少しM氏と話す。とにかく体調が下降しているので、朝食後にも、少し休み10時頃に荷物を降ろして預ける。荷物4つを次回の宿泊まで、1つを夜まで預かってもらうことになった。M氏に鍵を返し、カードでよいというので今回は支払いをカードにした(兄のS氏は現金にしてくれといつも言うのだが)。

古書店キント と フォーラム・カフェ
 ヴィクトリア駅へ行き、1日券を買って52番バスでノッティング・ヒルへ向かう。ポートベロへ行き、蚤の市のスツールでコッツウォルドの1910年代の地形図(6ポンド75ペンス)や英国シングル・チャートのデータ本(5ポンド)、さらに知人への土産になりそうな本などを買う。バスでノッティング・ヒルへ戻りセントラル線でホルボーンへ向かい、大英博物館へ行く。博物館の前では、王制時代のイラン国旗を掲げた人々が、世界遺産に指定されているパサルガダエ遺跡の保全を求めるアピールの署名を集めていた。一応、博物館へも入ったが、目当てにしていたのは博物館前にある古書店キントである。隣のフォーラム・カフェで連れに待ってもらい、しばらくいろいろ探したのだが、目覚ましいものは出て来なかった。1950年代のオーストラリア紹介本を買っただけで、隣のカフェに戻り、遅い昼食にする。
 途中の店でTシャツを買ったりしながら、歩いてトテナム・コート・ロードへ向かい、ノーザン線でカムデンへ向かった。市場でバンクシーのモチーフのTシャツなどを冷やかす(結局一つも買わなかった)。ステーブルス・マーケットのガードの所にあるバンクシーの「作品」を見てから、どうして時間をつぶそうかということになり、かなり歩き続けていて、座りたかったこともあって、31番?バスでシェパーズ・ブッシュへ向かうことにした。ところが、到着したシェパーズ・ブッシュでは、行こうかと思っていたレストランが無くなっていた上、改修工事とかで地下鉄駅自体が閉鎖されていた。
 連れが歩くのもしんどそうだったので、再びバスでカムデン・タウンまで戻ったが、手頃な店が思いつかない。当てずっぽうに店を探す元気もなかったので、多少勝手が分かっているラッセル・スクエア周辺に行くことにする。ノーザン線とバスを乗り継いでラッセル・スクエアへ行き、数軒知っている店が並んでいる一角へ行く。パブは、経営が変わったのが、内装は以前のままのようだったが、外見も屋号も以前とは変わっていた。その先のインド料理店2軒のどちらにしようかと考えているうちに、にわかに雨脚が強くなったので、目の前のモティジェールに決めて入る。
 連れがラムを食べたいと言ったので、ラム・チョップのタンドーリと、ちょっと変わっていて気になったサーモンのカレーを選び、さらにナンも、ガーリック風味のものと、甘い(カボチャ?のようなものが入っている)ものを一つずつとってみた。これに飲み物で14ポンドちょっとだったので、16ポンド支払った。
 店を出たときには、もう雨は上がっていた。早めにリントンへ戻ることにして、ラッセル・スクエアからピカデリー線でナイツブリッジまで行き、C1バスに乗って10時少し前にはリントンに着いた。今日の夜までということで預けていたオレンジ色のバッグを出してもらい、荷物の詰め替えをして、結局、再度このバッグを来週まで預けることにした。そのまま、階段の踊り場でしばらく無線LANでインターネットを使う。
 11時頃に宿を出て、長距離バス発着所へ行き、11時半のバスを待つ。422番のバスは、ミルトン・キーンズやバーミンガムを経て、マンチェスターへ行き、更にその先のバーンリーまで行く。出発の定刻ぎりぎりになって乗車がはじまったバスは、意外に空いていて、二人で後ろの方の二列を占領して横になった状態に近い状態で、バーミンガムまで行くことができた。もっとも、こちらの体調が悪いのと、バスの運転がいつものことながら荒っぽいので、ぐっすり休むという訳にはいかなかった。
■ 2008/02/25 (Mon)
初めてのマンチェスターだったが

Manchester
Manchester:
Britannia Hotel Manchester
 バスの中は比較的空いていて、最初のうちは2−3席を占領して横になることも可能だったが、途中で乗車してくる客のために、バーミンガムなどいくつかの停留所では、一度、きちんと座り直しをさせられる(空席を確保するため)。バーミンガムまでは、連れとそれぞれ2人席、3人席を占領していたのだが、バーミンガムからは、連れと二人で3人席となり、更に途中のどこかの停留所からは、新たに乗り込んで来た男性客と3人で3人席となった。少しずつウトウトとはできても、降車するのが終点ではないということもあり、なかなか熟睡する感じにならない。
 朝6時頃、バスはマンチェスターに到着。しばらく発着所のロビーで時間を潰してから、見当をつけて近くにあるはずのピカデリー駅の方向へ歩いて移動する。まだ早朝とあって車の交通量は決して多くないが、路面電車が既に動いている。駅前までたどり着くと、いかにも駅前食堂という感じの軽食屋アントニオズ・カフェが既に営業している。いったん駅の構内へ行き、リヴァプールまでの運行状況や料金について確認し、さらに駅前にあった市街地の案内を見てから、軽食屋に入って朝食にする。ここは、見るからに中東系という感じの人たちが切り盛りしている店だ。まだ客もまばらで、(24時間営業ではないようだが)「夜明け間際の吉野屋」[牛丼の吉野家のイメージだが、歌詞ではこう表記されている]のような雰囲気がある。
 7時過ぎに店を出て、とりあえず、市街地中央の市役所の中にあるツーリスト・インフォメーションの位置を確認しに行く。途中で、市街地内を「無料バス」が走っているのに気づくが、停め方というか停留所に場所も、ルートもわからず、とぼとぼと歩いて市役所にたどり着く。インフォメーションは10時から、近くの図書館は9時からやっているようだ。こうした施設が開く時間まで、どこかで時間をつぶさなければならない。
 とりあえず、今日の宿を決めなければいけないので、事前に見当をつけておいたブリタニア・ホテル・マンチェスターへ行くことにして、ピカデリー駅の方向に戻る。この時間から空いている施設があまりないので、ホテルなら少なくともロビーでほっとできるだろうという計算でもあった。途中で、予算的に難しいのを承知で、ノヴォテルに立ち寄って、泊まれるかと尋ねてみたが、満室ということだった。ちなみに、泊まれるとしたらいくらなのかと尋ねると、200ポンド近い金額だという。かなりの強気だ。ノヴォテルから、中華街になっている一角を経て、ブリタニア・ホテルを探して進むと、何と最初に到着した長距離バス発着所のすぐ隣のブロックの建物であった。到着してみると、事前にネットで調べた割引価格の条件で部屋が用意できるという。バス付きだが窓がない部屋の素泊まりで49ポンドだという。ネットだと必要になる予約手数料も要らないということだったので、もうここで決めてしまうことにする。荷物を預けられるかと尋ねると、大丈夫という返事だったので連れと、預ける荷物の作り直しを始めたところ、もうこの時間から部屋を使っても結構ですよと言われ、鍵を渡された。まだ朝の8時を少し回ったばかりだから、チェックインまでは6時間ほどあるはずだが、これは実にありがたかった。さっそく部屋へ行き、この旅に来て初めてバスタブに浸かり、ベッドで熟睡する。

プリントワークス内部
 11時台になってから目覚め、再び歩いてツーリスト・インフォメーションへ行く。ここでは、半日しかいないのだが、と前置きして、お薦めの場所を尋ね、無料バスの乗り方などを教えてもらう。また、連れが行きたがっていたハードロックカフェの場所も確認した。イギリスの地方都市では、元々の数ブロックの町並みを公道ごと丸々潰してショッピングセンターにしているような例が結構あるのだが、そういう場所の一つであるアーンデイル・センターの中を通って、プリントワークス(元は印刷所があったのだろうか?)へと行き、ハードロックカフェに至った。既にお昼の時間になっていたが、結局、物販だけで済ませ、席には着かなかった。プリントワークは、古い建物のファサードなども取り込んであり、ハードロックカフェの入っている部分は昔は出版社が入っていたようだ。また、建物の中に入るとアトリウムが、ちょうど横浜のラーメン博物館のような演出になっていて、ちょっと面白かった。
 プリントワークを出て、隣にあるウルビスという施設に行く。ここは、ローカル・テレビ局のスタジオが入っていたり、現代美術関係の展示スペースがあったりする複合的な公共施設だが、ちょうどこの辺りから、にわかに体調が悪くなって来た。風邪を引きかけている感じだが、もっとメンタルな気がする。連れも調子が優れない様子だ。結局ウルビスでは、ミュージアム・ショップを見ただけで(といっても、結構充実した品揃えで、随分時間もかけて見た感じだったのだが)、展示類は見ず、ホテルに戻ることにした。近くの無料バスの停留所からバスに乗ろうとして待っていたら、何と、その路線しか停まらない停留所で待っていたにも関わらず、こちらがシグナルをしなかったということなのか、あっさりと通過されてしまった。十分程してやって来た次の便に乗って、町中の繁華街へ行き、そこでホテルの近くを走る別の無料バスの路線に乗り換えて、ホテルに戻った。
 部屋で、2時間程休んでから、4時頃、改めて中華街へ行き、遅い昼食をとることにする。ひとり6ポンド弱の中華料理の食べ放題の店(飲み物代は別)に入り、英国風?の中華料理をいろいろつまむ。英国の中華料理は、何度か大はずれを経験しているのだが、ここは値段の割にはそこそこの感じだ。途中からは、食事というよりもデザートの食べ放題という感じになり、結構ゆっくり店にいた。
 やはり体調は、かなり悪い。食後はすぐにホテルに戻り、体調が戻ったら夜遅くに出かけることにしようと連れと話しながら、結局、どこにも出かけず、ホテル内のバーにも行かず、潰れて休み、少し目が覚めると、日記を書いたり、作業を少しだけしたり、ひとしきり起きているとまた寝るというパターンを繰り返す感じで過ごした。窓がない部屋だったということも、時間感覚を曖昧にした一因だったかもしれない。
■ 2008/02/26 (Tue)
久々のリヴァプール

Manchester
Manchester:
Britannia Hotel Manchester

マンチェスター・ピカデリー駅構内

エリナ・リグビーのブロンズ
 前日の体調不良を引きずってか、朝は4時過ぎに目覚め、寝苦しそうな様子ながら、寝ている連れを起こさないよう気をつけながら、数日分溜まってしまった日記を書き続ける。7時頃に連れも目覚めたが、結局こちらよりも体調が悪い様子で起き出せず、朝食をとりにホテルの外へ出かけることもなく、持ち合わせの食料で朝食を済ませ、そのまま10時過ぎまでだらだらと部屋にいた。
 10時半頃にチェックアウトして、無料バス1番で、ピカデリー駅へ向かう。ここはマンチェスターの市街地の西端の駅だが、東からやってきてリヴァプールまで行く比較的長距離の急行列車が停まる。駅で切符を買い、マークス&スペンサーでクッキーとジンジャー・ビアを買って、駅舎の南端の14番線まで行き、11時07分発の列車に乗り込んだ。
 車中では、連れがすっかり眠ってしまったので、こちらも少しうとうとした。一時間足らずで、リヴァプールのライム・ストリート駅に到着した。プラットフォームの一部は改装工事中だった。
 駅を一歩出てみると、4年前とはいろいろ勝手が違っていることがあった。まず、ツーリスト・インフォメーションだったはずの建物へ行くと、そこは交通局の案内所になっていた。仕方なくそのまま入って、ツーリスト・インフォメーションの移転先を教えてもらう。たまたま今年の欧州文化首都についての冊子が置いてあったので、売っているのかと尋ねると、そうだという答えだったので、1冊5ポンドで買う。
 ツーリスト・インフォメーションでは、かなり疲れていた連れがソファで休みたそうだったので、こちらは、土産物をゆっくり物色し、さらに、比較的最近に新たに加わった見所はどこか、などと質問をしてみた。ひと通り、買い物をしてから、連れとどこへ行くか相談するが、とにかく体調が悪いらしい。まず、トイレに行かせようと考え、インフォメーションで教えてもらった新しいショッピング・コンプレックス「メットクォータ」へ行き、用を足す。ここは元の郵便局の場所らしく、地上階には郵便局にあったという第一次大戦戦没者のモニュメントが、形を変えて復元されていた。
 この建物の側面にあたる位置にある、エリナ・リグビーのブロンズ像を見てから、お約束のマシュー・ストリートを通り、アルバート・ドックの方向へ向かった。ところが、新しいコンプレックス「リバプール・ワン」がまだ完成していないようで[後で調べたら、5月に開業の予定らしい]、道路が閉鎖されていて先へ進めない。仕方なくロード・ストリートの坂を上がって、ヴィクトリア女王の記念像の脇にあるパブ Goose at the Queens に入って昼食をとることにした。テーブルを確保して、疲れきっている連れを座らせ、食事のメニューをもって列の最後に並んでいたら、声を掛けて来た男性がいた。見た所60代だろうか。列に並びながら、スモール・トークをし、そのままテーブルに一緒について話を続ける。この男性S氏は、英語教師としてヨーロッパのいろいろな国で教えていたが、今はもう引退して、悠々自適らしい。結構いろいろな話をするうちに、小一時間ほどが経っていた。
 店を出て、アルバート・ドックへ向かう。4年前とは随分店も変わっていて、ツーリスト・インフォメーションもなくなっており、少々面食らったが、4年前にも入った(と思う)カフェ La Crepe Rit に入って、紅茶とケーキでおやつにする。本当は、ここで調子の悪い連れに待っていてもらって、新しくできた「奴隷制度博物館」へ一人で行こうと思っていたのだが、この店は午後3時で閉店するらしく、長居ができないことに気づいた。仕方なく、ゆっくり二人でケーキを食べ、3時半頃に、元々あった「海事博物館」のフロア(Third Floor)に開設された「奴隷制度博物館 International Slavery Museum」へ行く。連れには、最初は入口の脇のベンチで、途中からは「奴隷制度博物館」内の少し柔らかいベンチで休んでもらい、こちらは駆け足ながら1時間半ほど掛けて展示を見て回った。
 リヴァプールの商業的繁栄が奴隷貿易によってもたらされたこと(リヴァプールは、英国最大の奴隷貿易の拠点で、一時期には英国全体の奴隷貿易額の8割=欧州全体の5割を扱っていたという)は、欧州文化首都の選考の過程でも、世界遺産登録の過程でも強調されていたが、こうした形で過去を克服する取り組みへの姿勢が示されるというのは、やはり特筆すべきことであろう。
 こちらにも閉館時刻の5時ぎりぎりまでいたが、次に、ツーリスト・インフォメーションで、ここ数年に新しくできた場所として薦められた高層ビルのレストランへ行くことにして、オフィスが並ぶ中心市街地の北部へ行き、38階建て?の新しいビルへ行く。ビルのレセプション周辺には、飲食店があるというような表示は何もない。まるっきりの高級オフィス・ビルのように見える。おそるおそるレセプションにいたコンシェルジェに尋ねると、「ああ、パノラミック Panoramic のことですね」と言って、奥のエレベータで34階へ行くよう案内された。言われるままに上へ行くと、ガラスのドア越しに、アイリッシュ海が遠望できた。とてつもなく、眺望の良い空間である。荷物と上着を預かりましょうと言われ、素直に従い、市街地を一望できる方向の席につき、飲み物だけを注文すると、おつまみに大きなオリーブと、ナッツを包んで揚げたおかきのようなものが出て来た。とにかく眺望に感激しながら、以前訪問した場所の見当をつけたりしているうちに、時刻は6時を回り、眼下は夜景になってきた。メニューの料理やワインの値段を見る限り、ここはかなり値の張る場所のはずだ、しかも、一番安いソフト・ドリンクしか注文していないのに、かなり豪華なおつまみも出て来た。一体いくら請求されるのだろうと思っていたら、サービス料まで入って全部で6ポンドだった。これはかなりの値打ちがある。

The Grapes
 パノラミックを出て、オフィス街を抜け、マシュー・ストリートへ戻り、ここにあるグレープスというパブに入る。ここには初めて入ったのだが、店内には、デビュー直前の頃、ピート・ベストがドラマーという4人を店内で撮影した写真が飾ってある。当時、キャバーン・クラブの周辺にあったのは倉庫ばかりで、トラディショナル・パブはこの店しかなかったのだそうだ。ビートルズの面々も(また、他のバンドも)キャバーン・クラブでの出演の前(あるいは後?)には、このパブで一杯引っ掛けるということが、よくあったらしい。件の写真が撮影された席のあたりには、壁いっぱいにビートルズ関連の写真や、イラストなどが飾ってある。カウンターで飲み物をもらって、件の席に向かうと、おばあさんが二人、テーブルについて話に夢中になっている。その近くの席に陣取り、半世紀前のリヴァプールに思いを馳せた。やがて、おばあさんたちが帰ると、早速その席に連れが座り、記念写真ということになった。
 8時近くなって、グレープスを出て駅の方に向かい、以前訪問したときにも利用した TESCO の店に入る。ここでは、ドライ・ジンジャーエールとポテトチップス、それに瓶詰めのオリーブを買った。店を出て数歩進んで向きを変えると、以前来たときに連れが気に入ったパブ Crown Hotel が見えた。早速近づいて行くと、外装がきれいに化粧直しされている。素晴らしい彫刻の施された天井の内装も、ピカピカに塗り直され、ところどころには金色の彩色も施されている。素晴らしい。カウンターで飲み物を買って、いつ改修したのかと尋ねたら、二週間前に仕上がったばかりだという。2008年の欧州文化都市のイベントに合わせて、民間需要も掘り起こされているということだ。連れをパブに残して、いったん駅へ行き、9時35分に乗ってマンチェスターに戻ることに決めて、またパブに戻った。小腹が空いたので、フィッシュ&チップスを注文する。枝豆のマッシュが付け合わせだったのは、意外でもあり、また、気が利いていた。
 8時15分にパブを出て、駅へ行く。乗るのは8番線から出る9時35分発のノッティンガム行きだ。マンチェスターが終点ではないので、寝過ごさないように気をつけなければいけない。列車が動き出してする、連れが眠りに落ちたので、こちらはパソコンを取り出して、溜まっている日記を書いたりしながら、何とか眠らないよう頑張った。
 無事、寝過ごさずにマンチェスター・ピカデリー駅で下車したのは10時半頃。もう無料バスは走っていないので、徒歩で裁判所の前を通り、ホテルまで戻った。預けた荷物の引換券を紛失していたのだが、荷物の特徴を言って、すぐに出してもらった。そのまま、ロビーの席に腰を下ろし、無線LAN接続でネットに接続する。
 11時半頃にホテルをでて、すぐ近くにある長距離バス発着所に行く。バーンリーからの422番バスは、定刻通りにやってきた。乗車してみると、日曜日の夜にやって来たときより乗客も多く、空席はほとんどないようだ。幸い一列二席が空いている所があったので、連れと二人で並んで座ることができた。少々窮屈だが、バスが動き出すと意外とあっさり眠ることができた。
■ 2008/02/27 (Wed)
事実上のロンドン最終日

London (Camden, West End)
London:
Lynton Hotel
早朝6時にロンドンのヴィクトリア長距離バス発着所へ到着、しばらく出発ロビーの方に移ってベンチで休んだ後、7時頃に宿へ向かい、呼び鈴を押して中へ入れてもらう。今回も4号室で、もう使っていいという話になり、さっそく部屋に入ってありあわせの食料で朝食にし、ベッドで休む。マンチェスターのときもそうだったが、こういう使い方ができると本当に助かる。
 今日は、午後5時にCLAIRのオフィスへ行き、M氏、S氏とホワイトウェイ・コロニーの話をすることになっているほかは、スケジュールが入っていない。昼過ぎまで休んでから、出かけることにし、宿の近くの英国赤十字の店で買い物をしてから、まずカムデンへ向かった。カムデン・タウン駅が閉鎖されていたのでモーニントン・クレセントで降りでバスでカムデンへ行き、中華系の食べ放題 Max Orient で昼食をとった後、再びバスでチョーク・ファーム駅まで行き、そこから地下鉄を乗り継いでオックスフォード・サーカスへ行き、リージェント・ストリートで連れの買い物に付き合ってから、CLAIRに行った。
 M氏が急に重要な来電があったらしく、お忙しい様子だったが、S氏とホワイトウェイの話をしているところに現れ、3人でしばしばブレーンストーミングをする。
 CLAIRを出てから、まだどこかへ出かけてもいいかなとは思ったのだが、体調がやはり思わしくないので、自重して宿に戻ることにし、11番バスで長距離バス発着所まで戻った。近くの店でフィッシュ&チップスを買い、宿の部屋で突つきながら、明日の移動のために荷物の作り直しをする。
■ 2008/02/28 (Thu)
■ 2008/02/29 (Fri)
帰国便

VS900便 機中
VS900便 機中
 朝7時半頃、食堂へ下りてゆき、朝食をとってから、現金で支払いをする。膨れ上がった荷物と格闘しながらヴィクトリア駅まで行き、地下鉄でハマースミスで乗り換えて、10時過ぎにヒースロー空港に到着した。
 チェックイン・カウンター前で、秤に載せながら荷物を詰め直し、預け荷物も、持ち込み荷物もぎりぎりいっぱいの状態で通してもらい、なお、丸々ひとつ残ったトランクを Excess Baggage Company に託して、送ることにする。この別送サービスにすると£180程度で25kgまで送れる。これでも結構な費用だが、ヴァージンの超過荷物料金が約12kg で£500と聞かされた後だったので、安く感じるから不思議なものだ。
 荷物が無くなって、ほっとして、昨夜の残りのフィッシュ&チップスをロビーで食べてから出国手続きに入った。靴を2回脱がされる厳重なチェックだった。無事、手続きを終え、免税品を少しショッピングする。
 ゲートまでは随分延々と歩き、定刻でエアバスに乗り込んだ。離陸後は、往路と同じようにバックギャモンを続ける。

 日本到着は、日が改まってから。ずっと雲の上を飛んでいたのが、険しい雪山が見えはじめ、やがてそれが上越国境のあたりだと気づいた。晴天で眺望が効き、富士山も遠望できる、気持ちのよい降下で空港に近づき、最後の着陸も上手だった。


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