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英国日記:2004年9月5日〜12日


 今回の旅行も、科学研究費を受給した共同研究の一環として英国で都市再開発関係の資料を収集することが主な目的でした。今年度が最終年度ですので、この目的での一連の渡英の最後となります。
 円は前月より少し安定し、1ポンドは215円くらいでした。
 今回の旅は、9月19日に帰国するまで2週間をかけ、後半では共同研究の対象地の一つであるドイツのミュンヘンへも足を延ばしましたが、体調を崩したこともあってドイツ滞在分の日記はまとめていません。悪しからずご了解下さい。

 見出しに示した地名のうち、青字はその日に訪れた主な場所緑字は宿泊地です。
■ 2004/09/05 (Sun)
再び英国へ

SK984便〜SK1507便 機中 / London (Soho)
London:
Rosedene Hotel
 前夜は成田に前泊したのだが、ホテルに着くまでが大変だった。夜の集中豪雨による土砂崩れなどで、JRは千葉で、京成も佐倉の先で電車が止まり、当初はJRで11時までには宿につくはずが、千葉から形成に振り替えられて京成津田沼経由で佐倉まで行き、そこから代行バスでようやく深夜12時を回ってホテルにたどり着いた。結局、部屋に着いてから風呂に入ったりいろいろしているうちに深夜2時を回り、あまりゆっくりは眠れないまま、朝8時前に起きて、朝食をとり、9時頃ホテルを出る。
 今回はスカンジナビア航空(SAS)。機中では、マインスイ−パー→バックギャモン→眠るのパターンを数回繰り返した。コペンハーゲンには定刻より早く着き、2時間ほど空港内で潰してから、ロンドン行きに乗り継いだ。ヒースローの長距離バスのカウンターで、今夜のリバプール行きの空席を調べてもらうが、満席ということで、予定を一日ずらすことにし、ヴィクトリア駅へ向かう。日曜日の地下鉄工事の事を失念していて、ハイストリート・ケンジントンからバスを乗り継ぐという変則的なルートになったが、いつものエビューリ−・ストリートにたどり着き、(リントンが満室だったので)ロウズディーンに泊まる。4階の10号室で、45ポンド。
 部屋に荷物を置いた時点で10時を回っていたが、まず、長距離バス発着所へ行き、リバプール往復と、大陸行きの切符を手配する。ソーホーに出かけ、中華街で夜食を食べる。出て来たコースを一通り残さず食べたが、やはり英国で中華料理はさけるべきだというのが食後の結論だった。
 部屋に戻った時には2時近くになっていた。ベッドの加減が気に食わず、マットを床に下ろして寝る。
■ 2004/09/06 (Mon)
イースト・エンドを歩く

London (East End)
National Express coach to Liverpool (421)

ホワイトチャペル付近の屋台
 朝、9時前に一度部屋を出てリントンへ行き、土曜日の夜の予約をした。10時過ぎにロウズディーンをチェックアウトして、荷物を残して出かける。当初の予定では、到着後すぐにリバプールへ行く予定だったのだが、一日ロンドンで過ごすことになったので、ホワイトチャペルからイースト・エンド方面を見に行くことにする。
 まず、サイバーゲイトへ行って、メールチェックとネットサーフィンを少ししてから、大規模な修復工事をしているセント・パンクラ駅の前を通り、スキングス・クロス駅へ行く。ここから地下鉄で、ホワイトチャペルへ行く。売る側も客も圧倒的にイスラム系の人々が多い、屋台が並ぶストリート・マーケットを冷やかしつつ、大きなモスクなどがある沿道の景観を眺めながら、ブリック・レーンまで行く。今度はインド系の店が目立つようになる。ここでは、再開発によってオフィス・スペースと商業施設に転用されたビール工場などを見て回る。結局、4時過ぎまでイースト・エンドをうろうろしていた。その後、バスに乗って、東側からシティに入って行ったのだが、リバプール・ストリート駅の手前辺りで景観の雰囲気が一変することについて改めていろいろ考えさせられた。
 バンクでバスを降りて、地下鉄駅に降りて行こうとしたら、通路にいた職員が、入ってくるなと身ぶりで示しながら何か怒鳴っている。どうやらボヤか何かがあったらしい。バス停に戻って、トテナム・コート・ロードまで行き、カムデンへ行く。古着屋で、ジャケットとシャツ、そしてネクタイを買う。モーニントンクレセントからバスを乗り継いで、8時過ぎにロウズディーン戻り、預けていた荷物を取り出した。ここで荷物をまとめ直し、リントンに預ける荷物を一つ作った。
 バスでハード・ロック・カフェへ行き、夕食をとる。食事をするというと、普通は地下に通されるのだが、なぜか下には回されず、はじめてガラス越しに通りが見える席で食事をした。周りには誕生日パーティーのグループがいくつかいて、3回ほど「ハッピー・バースデー」の大合唱を聞かされる。いつものようにナッチョスとサラダで満腹になる。
 10時半過ぎに長距離バス発着所に行き、しばらく待ってから、11時半発のリバプール経由ブラックプール行きに乗り込む。途中でしばらく停車するバーミンガムで目が醒めたが、結局車から一度も降りなかった。
■ 2004/09/07 (Tue)
古本屋に沈澱する

Liverpool
Liverpool:
Britannia Adelphi Hotel
 朝、6時過ぎにリバプールに到着し、7時までバス発着所の待ち合い室で休んでから、7時に店を開ける近くのサンドイッチ店に入った。ブラック・プディングまでついたブレックファストを堪能する。ブリタニア・アデンルフィ・ホテルへ行き、1泊75ポンドとちょっと贅沢だが、3泊連泊できる部屋を確保する。荷物を預けてから、中心市街地を散策し、マクドナルドで時間を潰してから、市役所の中にオフィスを構える「リバプール・カルチャー・カンパニー」ヘ行く。パンフレットの類を手に入れるが、あまり役に立ちそうなものがなく、少々外してしまった感じだった。受付の担当者は、明日になれば渉外担当者が対応できるかもしれない、というので、明日再訪することにする。
 次にリバプール大学へ行き、音楽研究所に立ち寄る。会えないかと思っていたT氏が、何とこの9月からオープン・ユニバーシティに移ったという。改めて明日以降、C教授に話を聞きにゆくことにする。大学の中の書店を冷やかしてから、宿に戻る途中でリードという古本屋に立ち寄り、じっくり一時間近くかけて本を選んだ。リバプールの歴史に関する本など、70ポンド分の本を買う。
 3時過ぎに宿にチェックインする。M6号室は、ホテルの奥の方の部屋で、外へ出るのが少々面倒だが、静かで広い。バスタブも大きく、ゆっくり横になれる。前夜が夜行バスだったせいもあり、部屋に入ってから8時過ぎまでしばらくベッドで熟睡する。体調が悪く、夕食をとる気にならなかったのだが、ホテルの朝食はけっこう高いので、10時過ぎに宿を出て、食べ物を買いに深夜12時まで営業しているテスコへ行き、パンやハム、チーズ、サーモンなどを買う。
■ 2004/09/08 (Wed)
図書館でコピーとり

Liverpool
Liverpool:
Britannia Adelphi Hotel
 朝は8時頃に起きて、サンドイッチを作って朝食にする。10時少し前に宿を出て、ジョン・ムーア大学のM氏のオフィスへ立ち寄り、滞在中にアポイントをもらえるか尋ねておいてもらえるよう受付に頼む。リバプール大学の音楽研究所に行ったのだが、あいにくC教授は不在だったので、出直すことにする。さらに昨日訪れたリバプール・カルチャー・カンパニーに行ったのだが、結局、渉外担当者とアポイントをとるのが難しいことが判った。気を取り直し、中央図書館へ行き、4階のローカル・スタディのカウンターでレファレンスの相談に乗ってもらう。少しは資料がありそうなので、改めて午後に出直すことにした。
 部屋に戻り、テレビで議会中継やニュースを見ながら昼食をとり、2時過ぎまで休む。3時にC教授のオフィスへ行くが不在だった。大学のあるマウント・プレザントの丘から坂を下る途中で、また昨日同様に体調が悪くなる。カフェを兼ねたイタリア料理店に入って、お茶とサンデーを頼み、少し休む。そのうち、しばらく眠ってしまった。5時少し前にカフェを出て、新古本の書店に立ち寄り、地元の歴史の本などをいろいろ買う。さらにツーリスト・インフォメーションへ行って、明日のナショナル・トラストのツアーを予約する。
 図書館に着いたのは、6時少し前だった。さっそく午前中に少し調べた資料をリクエストして、出てくるのをしばらく待つ。出てきたパンフレットや新聞の切り抜きをブラウズし、コピーをとるものを決める。コピーは自分でやるのだが、結局、7時半近くまでかかって百枚以上のコピーをとった。
 宿に戻って、買って来た本屋コピーの束を部屋に下ろし、1冊だけ本を持ってホテルの玄関ロビーで読書しつつ、居眠りしつつ2時間ほど過ごす。9時半を回ってから、近くの店にフィッシュ&チップスを買いに行き、部屋に戻って夕食にする。そのまま少しテレビを見て10時過ぎには眠る。
■ 2004/09/09 (Thu)
ビートルズ・インダストリー

Liverpool
Liverpool:
Britannia Adelphi Hotel

メンディップ

フォースリン・ロード20番地

マージー・ビートルズ
 朝は7時頃に起き、しばらくテレビを見る。たまたまリバプールの都市再開発の話題もやっていた。
 9時半頃、部屋を出て、徒歩でアルバート・ドックへ行く。10時20分集合のナショナル・トラストのツアーに参加し、ジョン・レノンが少年期を過ごしたメンディップの家(いわゆる「ミミおばさんの家」)と、ポール・マッカートニー一家が住んでいた当時の公共住宅を見て回る。どちらの家も、想像していたより、遥かに恵まれた環境の郊外住宅地にある家だった。ミミおばさんの家に、学生の下宿人が常にいたこと、おばさんはネコ好きだったことなども、初めて知った。ポールの家には、ポールの弟マイケルが撮影した写真が多数飾られており、母親を早く亡くし、父親と兄弟だけの3人暮しが長かったこの男所帯の雰囲気がよく伝わってきた。1950年代の公共住宅には、屋内だけでなく、伝統的な屋外の便所も残っていたということも発見だった。ツアーは、午後1時頃、アルバート・ドックに戻って解散となった。アルバートドックでは、お土産物屋でTシャツを買い、カフェに入ってフィッシュ&チップスで昼食をとった。
 歩いて宿に戻る途中で、パラダイス・ストリートの再開発予定地の状況を眺め、アイスランドに入り、飲み物と甘いものを少し買う。午後3時半頃まで、部屋で少し休む。ジョン・ムーア大学の欧州都市研究所へ行き、M氏にインタビューする。M氏は気さくな人で、有益な話をいろいろ聞くことができた。話の途中で「ビートルズ・インダストリー」などという言葉も知った。なるほどなるほど。5時過ぎに研究所を出て、ライム・ストリート駅に近い古本屋へ行き、古い地誌書などを買い込む。全部で22ポンド。部屋に戻り、しばらく眠る。
 8時半頃、再び出かけて、市街地を散策し、中華街の辺りまで行く。「サッポロ」という名前の鉄板焼屋を発見する(もちろん入りはしないが)。9時過ぎにキャバーン・クラブへ行き、毎週木曜日に出ている「マージー・ビートルズ」というトリビュート・バンドの演奏を楽しむ。初めて入るキャバーン・クラブは、思っていたより地下深く(地下2階??)、天井も低く、一度破壊されたうえで再現されたものとはいえ、ビートルズがここで演奏していた時代の雰囲気を伝えつつ、ハード・ロック・カフェのような感じもあって、なかなか面白かった。客は観光客が多いようだったが、やけにノリのよいお年寄りのグループがいて、おじさんがノリ乗りで踊っていたのが面白かった。といっても、この人たちこそ、ビートルズと同世代なのだ。Tシャツなどをお土産に買い、1セット演奏を聞いてから店を出る。筋向かいのキャバーン・パブに入り、ザ・キーというバンドの演奏を少し聞く。「ラジオスターの悲劇」や「天国の扉」を、独自のアレンジで演奏している。今夜のステージが終わる少し前に入ったようで聴いたのは4曲ほどだったが、スキンヘッドのヴォーカル/ギターをはじめ、なかなか気合いの入った演奏だった。
 宿へ帰る途中でテスコに立ち寄り、飲み物と食べ物を少し仕入れる。部屋ではオズボーンズを見ようとチャンネルを合わせたのだが、いざ番組が始まるとすぐに、そのまま寝入ってしまった。
■ 2004/09/10 (Fri)
リバプール最終日、資料収集に拍車がかかる
Liverpool
National Express coach to London

リバプール・ビジョン
 朝は7時20分頃に起床。荷物の詰め直しなどをしているうちに意外に時間が早く経ってしまう。10時半頃チェックアウトして、まずミレニアム・ハウスのリバプール・カルチャー・カンパニーへ行き、Sさんと小一時間じっくり話をする。昨日までコンタクトに手間取っていただけに、ここのスタッフから話が聴けたのは収穫だった。話が終わった後、多少寄付をするようなつもりで、マーチャンダイズをいろいろ買った。
 同じミレニアム・ハウスの北端にあるリバプール・ビジョン(再開発関係の公共団体)の1階でウォーターフロント開発についての展示をしているのを見つけ、立ち寄ってしばらくパネル展示を眺める。これは事前には知らなかった展示だったので、思わぬ拾い物をしたように感じた。12時過ぎに中央図書館へ行き、世界遺産関係の資料を探す。量は少ないが、新聞記事などを少しコピーする。1時を回り、昼食に行こうと思ったのだが、外へ出ると雨脚が随分激しくなっていた。隣の博物館に入ってみたのだが、ちょうど企画展のはざまで閑散としている。ショップで2冊、リバプールに関する本を買っただけで、展示は観なかった。
 少し弱まった雨の中をピザハットまで行き、昼食をとる。しばらくゆっくりした後、3時少し前に店を出て、午前中に図書館で確認した資料が今でも入手可能か確認するため、ミュニシパル・ビルディングの受付にある総合案内の「リバプール・ダイレクト」へ行き、資料の手配を手伝ってもらう。結局、探していた資料のうち一つは冊子体はなかったがCD-ROM版があり、もう一つは、市販用に編集されているはすだと言われる。そこで、大きめの書店で探したのだが、WHスミスでもウォーターストーンでも、データがないと言われる。やはり市販版はないようだ。結局、ウォーターストーンで、リバプールの音楽についての本を1冊買う。
 5時過ぎに、セント・ジョンのショッピングセンターで買い物をしてから、ベンチに座りしばらく本を読む。6時頃、アデルフィに戻り、ロビーで本を読む。時間を潰しながら、世の中には理不尽なことが多いものだ、と思う。8時頃、アデルフィを出て、市街地を散策し、最終的にまたキャバーン・クォーター近くまで戻ってハバナというパブでしばらくぼんやりする。10時頃、荷物をとりにアデルフィに戻る。随分と資料を買ったり、コピーしたり、もらったりしたので、荷物は随分と重くなった。長距離バス発着所には11時前についたが、11時半定刻のバスは、少し遅れてやって来た。車中ではなかなか寝つけなかったが、結局バーミンガムでも車から降りず、その後の旅の後半は熟睡した。
■ 2004/09/11 (Sat)
買物三昧

London (Camden Walk, Camden Market)
London:
Lynton Hotel
 朝6時前に、ヴィクトリア長距離バス発着所に到着。出発ロビーに移動して、しばらく休んでから、6時半からやっているカフェに入り、ワッフルなどを朝食にする。リントンが朝食の時間になる7時半の少し前を狙ってリントンへ行き、荷物を預けようとすると、亭主のS氏に、部屋は空いているからすぐ使っていいと言われる。また、予約した時は65ポンドという話だったが、最上階(日本式では5階の屋根裏)でよければ60ポンドにする、という。即座にOKして、荷物を最上階の12号室まで上げる。部屋に入ってほっとして、そのまま2時間ほど寝てしまった。
 今日は完全にオフにして、買物三昧を決め込み行動予定を考える。とりあえず、メールチェックをしなければならないので、9時半過ぎに宿を出てヴィクトリア駅からユーストン駅へ行き、さらにバスでタヴィストックへ出てサイバーゲイトへ行く。思っていたよりメールがいろいろ来ていた、一通り返信を書いたのだが、いざ送信しようとして、何か不都合が生じているらしく送信できないことに気付いた。いったん作業を中止し、サイバーゲイトを出る。近くの古本屋ジュド・トゥー・ブックスへ立ち寄り、都市関係の本を数冊まとめて買う。近くの店で飲み物を買って、ラッセル・スクエア駅へ行き、キングス・クロス-セント・パンクラス駅で乗り換えて、エンジェル駅で下車し、骨董屋が集まっているカムデン・ウォークへ行く。いくつか食指が動くものもあったが、結局ここでは何も買わなかった。
 バスでエンジェル駅まで戻り、カムデン・タウン駅へ行く。カムデンのマーケットは見出すといくら時間があっても足りないので、今日は目的を絞り、月曜日に閉っていた贔屓にしている古着屋へ向かうため、駅前からひと区間バスに乗る。古着屋では、70年代風のジャケットを買う。となりの軍服屋でもシャツを一着手に入れる。カムデンのマーケットのフード・コートは、あまり食指が動かないのだが、昼を食べそこねたままだったので、ラム・カレーを少し食べる。再度バスにわざわざ乗ってサインズベリーまで戻り、飲み物などを買う。
 カムデン・タウン駅から、ウォレン・ストリート駅まで地下鉄に乗り(実はキングス・クロス-セント・パンクラスで乗り換えるつもりが、乗る線を間違えたらしい)、バスでグレート・ポートランド・ストリート駅まで行き、ここからラドブローク・グローブ駅まで移動し、ポートベロ・マーケットへ行く。既にスツールが粗方しまわれている時間だったが、少しだけ買物をして、ヴィクトリア行きのバスに乗る。最初の予定では、いったん宿に戻って買物など荷物を下ろすつもりだったのだが、既に7時になっているのに気付く。ナイツブリッジ駅近くでバスを降り、荷物を抱えたままラッセル・スクエア駅に戻り、8時閉店の少し前にサイバーゲイトにたどり着く。幸い、今度はメールが発信できた。
 宿に戻り、ひと休みしてから9時過ぎに宿を出て遊びに行こうと思ったのだが、少し買物をしようとヴィクトリア駅のサインズベリーに入ったところでついつい買物をしてしまう、いったんまた宿に戻る。10時頃、改めて宿を出て、ヴィクトリア駅からハイベリー&イズリントン駅まで行き、アッパー・ストリートをエンジェル駅方向に散歩しながら、夜食をとれる場所を探す。モロッコ料理のレストラン「マグレブ」を見つけ、フーマスやイワシや小海老の料理を堪能する。コーヒーやミント茶も美味しかった(ただし毎日食べるようなものではないが)。腹ごなしに少し散歩して、エンジェル駅近くでバスに乗り、ソーホーの外れで降りて、深夜0時を回っても人出のあるピカデリー周辺の雰囲気を見て回る。カフェでお茶を飲んでからバスでヴィクトリアまで戻り、宿に部屋に帰ったのは深夜2時近くだった。荷造りなどをしているうちに3時近くになってしまい、作業の区切りがついたところで、すんなり就寝、熟睡する。
■ 2004/09/12 (Sun)
英仏トンネルを通る

London (High Street-Kensington)
Eurolines coaches to Brusselle and Munich
 朝、8時過ぎに起床し、朝食をとる。午前中しかロンドンでの時間が残っていないので、朝からやっているハイストリート・ケンジントンの骨董イベントを眺めに行く。
 午後1時15分頃リントンに戻り、荷物を回収して長距離バス発着所に向かう。初めて国際路線に乗るので、少々戸惑う所もあったが、何とか無事チェックインして2時30分の定刻を少し遅れて出発したドイツ・ナンバーのバスでブリュッセルに向かう。走り始めてすぐに30分ほど寝てしまったのだが、目が醒めたらまだニューゲイト辺りである。こんな調子で大丈夫かと思っていたが、ルイシャムを抜けてからは快調になり、やがて高速道路で快適な走行となった。
 チケットを買った時にはドーバーでフェリー経由だと言われたのだが、実際には英仏トンネル経由だった。英国側の入口手前で休憩があり、せっかくなので何か買おうかとも思ったが、結局何も買わず、フランスの観光パンフレット類を数点貰ってバスに戻った。英国側にあるフランスの国境管理所では、抜き取り検査式でパスポートを集められたが、特に何のスタンプもされずに戻された。英仏トンネルは自動車トンネルではないので、大型バスも含め、すべて貨車に乗り込み、列車としてトンネルを抜ける。貨車内は天井が5メートルはあり、さすがに大型バスは1両に1台しか積めないが、普通の自動車なら数台が一つの貨車に乗り込んで運ばれる。人間の目の錯覚は面白いもので、バスの中に座っていると、バスの窓から眺める貨車内部の壁が全く動かないので、実際には少し揺れがあるのに、全く動いていないように感じる。バスの外に出て、小さく開けられた窓から除いてみると、列車がかなりの速度で動いていることが実感される。視覚の効果は大きいということを、妙な形で実感した。
 バスはカレーを経てリルへ向かう途中、パーキング・エリアで休憩をとった。ここで今回の旅で最初で最後にフランスの土を踏む(まあコンクリートを踏んでいる訳だが)。既に日が暮れてきて、すっかり眠たくなり、その後はブリュッセルに到着する直前まで熟睡した。目が醒めたのは10時半頃で、「タンタン」を使った看板が目に止まってベルギーだと判り、すぐにブリュッセルの市街地を走っていることが分かった。中央駅でバスを降り、ミュンヘン行きの便に乗り換えるのだが、短い時間でチェック・インをしなければならない。  たまたま同じバスから同じバスへブリュッセルで乗り換えた、父親と少年2人のドイツ語話者の黒人の家族連れがいたのだが、どうやら少年の一方がエロ雑誌??を持っていたらしく、最初のバスを降りる際に物凄い剣幕で叱っていた。15分ほど乗り継ぐ時間があるはずなので、手早くチェック・インを済ませ、中央駅でトイレを探したのだが、30ユーロ・セントのコイン式だった。ユーロは札しか持っていないし、もう駅の中の店はすべて閉っているので、諦めてバス乗り場に戻る。
 少し遅れてやって来たアムステルダム〜ミュンヘンの区間を走るバスに乗り換えて、定刻より遅れて11時15分頃ブリュッセルを出発。後は、あまり熟睡したという感じではなかったが、シュトゥットガルトに停車した時に少し目が醒めた位で、ずっとウトウトしていた。


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