私的ページ:山田晴通

英国日記:2003年2月24日〜3月10日


 今回の旅行も、科学研究費を受給した共同研究の一環として英国で行政当局者に面会して話を聞き、関連する資料を収集することが主な目的でした。
 今回も、1ポンドは200円くらいです。

 見出しに示した地名のうち、青字はその日に訪れた主な場所緑字は宿泊地です。
■ 2003/02/24 (Mon)
4ヵ月ぶりのロンドンへ

London:
The Woodville House
 朝まで研究室でだらだらと準備をしてから、6時頃に国分寺駅へ到着。ちょうどやってきた成田エクスプレスを見送って中央線の快速に乗車、エアポートに乗り継いで、成田空港へ9時少し前に着いた。
 以前より更に厳しくなっているセキュリティを通って搭乗手続き。ロイヤルで朝食。
 11時からの搭乗受付にあわせて出国手続き(こちらは以前よりずっと簡素化されている)。VS901便は機材がエアバス。エンタテイメント・システムが以前のものとは異なっており、しかも調子が悪く、結局、音楽を聴くのは断念して、ゲーム、それも上海がないので、トリヴィア、チェス、バックギャモンなどを少しやっては飽きて寝る、という繰り返しだった。チェスではコンピュータが強すぎて歯が立たなかったが、バックギャモンではコンピュータが弱すぎて相手にならなかった。
 ヒースローから地下鉄でヴィクトリアへ行き、前回泊まった「リントン・ホテル」へ行ってみるが空きがない。結局、近くの「ウッドヴィル・ハウス」という所に泊まることにする。一泊60ポンドとやや強気の値段だが、言い値で泊まることにする。ところが、旅装を解いてから、パソコンの電源線を忘れてきたことに気づき、大いに慌てた。駅まで行き、オックスフォード・サーカスからはバスに乗り換えて(セントラル線が、しばらく閉鎖されている)、トッテナムの電気街へ行く。結局、閉店時間を過ぎていて、マックを扱っている「マイクロ・アンヴィカ」というチェーンには入れなかった。明日再度来ることにして、しばらく夜の街をでたらめにバスに乗り、また少し歩いて、チェルシーからコヴェント・ガーデンまで見て回る。ヴィクトリアに戻ってきたのはけっこう遅かったが、長距離バス発着所に近い、前回も入った店でフィッシュ・アンド・チップスを食べ、英国へ来たことを改めて実感する。
 時差ぼけと疲れで、シャワーを浴びてすぐ眠る。
■ 2003/02/25 (Tue)
ロンドン市議会庁舎へ行く

London:
The Woodville House
 8時過ぎに朝食へ下りてゆき、食堂の入口に置いてある旅行ガイドなどを眺める。朝食は普通のブレックファストだが、テーブルにあるブルーベリー・ジャムが粒がしっかり入ったとても美味しいものだった。もう一泊ここに泊まることにして、手続きをする。
 9時半頃宿を出て、トッテナムまでゆくバスに乗り、無事「マイクロ・アンヴィカ」の店(無印良品の隣)で、電源を手に入れる。少しバスに乗ってから、歩いてラッセル・スクエアの近くを横切り、前回も利用したパソコンを持ち込めるインターネットカフェに入り、メール・チェックをする。
 ユーストンまで歩いて、そこからバンク/モニュメント駅へ行き、ロンドン橋を歩いて渡る。テムズ川に沿ってタワー・ブリッジへ向かって進み、大ロンドン市議会の建物に入る。ここでは、資料(パンフレット類)を集めるのが目的だ。地下のインフォメーション・デスクで資料をもらい、その前のカフェで遅い昼食をとる。
 市議会を出るときに、市議会の建物の形のような髪型をした白人のご婦人がいたのが妙におかしかった。建物を出てから、デジカメを忘れてきたことに気づいた。入館の際にセキュリティ・チェックを受けた際に、首から外すように言われて、そのままそこに忘れてしまったのである。戻るとすぐに返してもらえたので一安心。
 次に、タワー・ブリッジを渡った対岸のオフィスにあるロンドン開発庁へ行こうとしたのだが、途中でアイスクリームを食べたりしている内に、幸か不幸か午後3時の橋の跳ね上げに遭遇し、間近でその様子を見物した。ロンドン塔の外壁を眺めながら、途中で右に折れてロンドン開発庁のオフィスへ行き、パンフレットをもらってくる。
 今日はもう仕事は終えた感じだが、まだ4時過ぎなので、歩いてタワー・ヒルの地下鉄駅に行き、まだ日があるので、また地下鉄とバスをこまめに乗り継ぎながら、イースト・ロンドンの町並みを見てまわるつもりになり、ベスネル・グリーンの児童博物館などを見にいった。最後は、ドックランド・ライト・レールで、再開発地区を経てグリニッジ方面へ行き、テムズ右岸側の町並みを見ながら、バスを乗り継いでヴィクトリアへ帰ろうとした。最初は、ゴールドスミス・カレッジ辺りの知った場所を通ってうまくいっていたのだが、結局、バスの乗り継ぎをうまく繋げられず、当初の意図に反してロンドン・ブリッジ駅へ出てしまったので、そこから地下鉄を乗り継いでヴィクトリアへ戻ってきた。
 駅から少し歩いて「箸子軒」という中華料理屋を見つけ、夕食をお腹いっぱい食べる。
 宿に戻って、今日はバスタブがある方の風呂に入る。部屋に戻ってから何もしないままベッドに倒れて寝てしまう。
■ 2003/02/26 (Wed)
バーミンガムへ

Birmingham:
Jury's Inn, Birmingham
 疲れが溜まっているのか、朝は9時近くになって起床し、朝食へ下りてゆく。荷物の詰め替えなどをしてから、バーミンガムへ向かうため、長距離バス発着所へ行き、午後1時の便に乗ることになる。帰路の便を指定した方が少し安いので、金曜日の夜に戻ってくることに決める。1時間以上待ち時間があったのと、週末の宿を押さえないのは不安だったので、近くの宿(今日までの所より、少しグレードが高い感じ)「ライム・トゥリー・ホテル」に行き、一泊70ポンドで週末の予約を入れ、荷物を一つ預かってもらう。バーミンガム市の計画局で対応してもらうことになっているT氏に電話を入れたが、結局つかまらず、代理で電話をとった人に頼み込んで、メッセージをレセプションに残してもらえるようにする。
 バーミンガムまで2時間40分のうち、起きていたのはゴールダー・グリーン駅前のバス停の辺りまでで、後はほとんど熟睡していた。
 バーミンガムの長距離バス発着所から坂を上って、計画局のあるアルファ・タワーへ向かい、ちょうど4時頃オフィスの到着した。T氏からのメモを受け取り、明日朝9時にアポイントをもらった。
 アルファ・タワーを出て、運河のある一帯を再開発した国際会議場の方へ行くが、案内地図にあったここの中のインフォメーションは宿泊手配はしていない。仕方なく、途中の高級ホテルで料金を尋ねたりしながら(当然かなり高い)、市役所前のツーリスト・インフォメーションへ向かったが、何と移転をしている。既に5時になろうとしていたので、慌てて移転先へ向かったが途中で道を間違え、到着したのは5時過ぎだった。幸い、5時半まで開いていることが判り、安心、というか気が抜けた。
 インフォメーションの担当者の女性(Hを「ヘイチ」と発音していた)が、7軒ほどに電話を掛けてくれて、67ポンドとこのクラスのホテルとしては安いレートで国際会議場に近いジュリーズ・インというホテルに泊まることになる。ホテルへとって返す途中で、アメリカン・エキスプレスの窓口を見つけ、TCを現金化する。ホテルで割り当てられたのは7階の707号室で、ダブルベッドが二つある広い部屋だった。バスタブもあり、かなり贅沢な感じで過ごせる。
 夕食は、ツーリスト・インフォメーションでもらったパンフレットを参考に、カシミール系パキスタン移民が持ち込んだ文化だというバルティ料理を食べに行く。ホテルの近くにもやや高級な店があったが、市街地中心部の東の外れにあるロイヤルズ・バルティ・ハットという小さな店に行く。タンドーリもの数品と、バルティ(鉄鍋で煮込んだ、見かけはカレーに近いもの、ただしターメリックは使っていない)を食べ、さらにデザートまで食べて満腹となった。大満足である。食べきれない分は持ち帰った。
いったん部屋に戻った後、少し周辺を探検に出て、ハード・ロック・カフェなどを見つけたが、結局、どこにも入らないで帰ってきた。明日は早いので、あまり夜更かしはせず、風呂に入り就寝。
■ 2003/02/27 (Thu)
強行軍での出発

Birmingham

Liverpool:
The Britania Adelphi Hotel
 朝、7時過ぎにいったん起きる。昨日ロンドンでバスに乗る前に買ったマフィンなどの残りを食べ、8時40分頃に部屋を出て、アルファ・タワーへ向かう。9階の計画局のレセプションへ行き、T氏を呼んでもらい、12階の会議室で10時まで1時間足らずだったが、中身が濃いインタビューをする。
 10時20分頃、いったん部屋に戻り、改めて、運河の再開発がされている一帯の散歩に出る。11時40分頃、部屋に戻って荷物をまとめ、チェックアウト時間ぎりぎりの正午頃に宿を出て、ハード・ロック・カフェにお土産物を買いに行く(何も飲まなかった)。クリーム時代のクラプトンの衣装などが展示されていた。2時のリヴァプール行きのバスに乗ろうと、1時頃に長距離バス発着所まで行ったが、チケットが4時発の分しかとれず、チャイナタウン、マーケット、観光案内所、書店などをめぐって時間を潰す。
 4時発のバスは2時間半ほどでリヴァプールへ到着するはずだったのだが、出発も遅れた上に渋滞に巻き込まれ、大幅に遅れて8時過ぎにリヴァプールへ到着した。この時点でかなり疲れていたためか、お気に入りだったオーストラリアで買った帽子を無くしてしまった。とりあえず自動販売機で地図を買い、駅の方へ歩いて行き、通りすがりの人にホテルのありそうな場所などを教えてもらいながら安宿を探したが、それらしいところは少なく、聞いてみても空き室がないと言われる。どうせある程度以上のところしか脈がないならと思い、古い大規模ホテル「ブリタニア・アデルフィ」に飛び込んで聞いてみると、70ポンドで泊まれるという(部屋代のみ)。レセプションの所に表示してある正規料金よりもけっこう安くなっている。よろこんで泊まることにする。このホテルは、かなり古く、施設も老朽化していてリフトもまともに動いていないが、かつての栄光をよく残している感じもあり、なかなか興味深かった。ラウンジの空間は天井の高さ、広さともに贅沢だし、部屋のバスのお湯が高圧で潤沢に出るのもとてもに快適だった。割り当てられた535号室は、少し狭く、窓が眺めのない光取りだけになっていて、一般的には余りよくない部屋だったが、禁煙室ということもあって、居心地はよい。ベッドはダブルかと思ったら、シングルを2台くっつけて並べたもので、ベッドメイクもベッドカバーはダブルだが、ブランケットはシングル二つと、少々面食らった。
 宿を確保して、一安心してから、夜の街を探検に出る。ホリデイインの近くからセントラル駅周辺に出て、クラブが集まっている一帯を歩き、ギリシア料理店を見つけてタラモサラタとムサカなどを食べる。食べきれない分は、今日も持ち帰った。
■ 2003/02/28 (Fri)
さんざんなバスの旅

Birmingham

London:
The Lime Tree Hotel
 朝は、一昨日のバルティとナンを食べ、9時少し過ぎに部屋を出る。観光案内所で地図などを買い、市役所の場所を教えてもらう。よくあることだが、市役所の施設はいくつもの場所に分散しているため、ややたらい回し気味にされかけたが、何とか都市再生プロジェクトの担当者の連絡先を入手する。役所を出て、近くのビートルズゆかりの「キャバーン・クラブ」一帯をちらりと冷やかす。チェックアウトの時間が近づいてきたので、いったん宿に戻り、正午ぎりぎりでチェックアウトした。
 そのまま荷物を持った状態で、ホテルの脇から、タクシーでウォーターフロントのアルバート・ドックへ行く。この辺りには、イエローサブマリンのオブジェとか、うなぎ犬ならぬ「バナナ羊」のオブジェとかが並んでいるほか、テレビ局の施設や、博物館、モールなどがある。ここの観光案内所で見つけた本を買おうとしたら、1時間ほどで在庫が来るから待って欲しいと言われ、辺りをぶらつき、カフェで昼食代わりにケーキを食べる。観光案内所で本を回収し、再度タクシーでもう一ヶ所の役所のオフィスへ立ち寄り、再開発関係の資料を入手する。2時55分のバスの時間まで少し余裕があったので、歩いて発着所まで行こうとしたのだが、途中で道に迷ってしまい、最後は何と振り出しに戻ったかのように迷い出たブリタニア・アデルフィ・ホテルの前でタクシーを捕まえて、発着所へぎりぎりで間に合った。
 バーミンガムまでのバスの車中では何とか眠ったが、到着は予定より1時間も遅れた。途中で運転手が交代したのだが、途中で乗り込んできた女性運転手に交代した後の男性運転手が、乗客から死角にある昇降口のところで煙草を吸っていたのには驚いた(長距離バスの車中は禁煙)。1時間遅れで6時45分に到着したバーミンガムでは、手数料なしでロンドンまでの便の書き換えをしてもらえたので、当初予定より1時間遅れた7時発のバスでロンドンへ向かうこととなった。このバスの女性黒人運転手は車内放送に特徴があって面白かったのだが、運転はなかなか荒く、乗っているのは結構しんどかった。9時間頃ヴィクトリアに到着した時には、本当にほっとした。やはりバスに6時間以上続けて乗るのは、からだに負担がかかるものである。予め宿を取っておいてよかったと心底思った。ちょっと吐き気がして食欲もなかったので、部屋で食べるつもりで、発着所の近くの店で炭酸系の飲み物とサンドイッチを買った。
 ライム・トゥリー・ホテルの部屋は26号室で、最上階の3階(日本式では4階、もちろん階段で昇降しなければならない=リフトはない)にある、本来なら屋根裏部屋にあたる部屋だ。窓から見下ろすと、けっこう高さがあって怖い感じがする。バスタブ付きのバスが不釣り合いなほど立派で気に入った。いったん4階まで上がると外へ出かける気は起こらず、そのまま就寝した。
■ 2003/03/01 (Sat)
マーケットを回る

London:
The Lime Tree Hotel
 週末は朝食時間が8時〜10時と遅いので、ゆっくり休んで9時過ぎに朝食をとる。10時頃に部屋を出て、ヴィクトリア駅の案内所で週末のトラヴェルカードを買い、まずラッセル・スクエアのインターネット・カフェに行く。溜まっていたメールを開くと、息子から、大学受験の芳しくない結果報告が来ていた。まだ発表が残っている所もあるが、やはりがっかりしている様子が文面から伝わってくる。
 今日はまるっきりのオフなので、市内観光に徹しようと思い、カムデンとポートベロのマーケットを覗きに行く。カムデンでは運河沿いの光景、ポートベロでは近くの住宅地で見つけた旧ジョージ・オーウェル邸のブルー・プラークとその近くの桜が印象に残った。どちらの市場でも、買い物はしなかったが、屋台やちゃんとした店やらで、ホット・チョコレートや紅茶を飲み、甘い菓子類を食べた。その後は、またでたらめ、気まぐれにバスを乗り継ぎ、車窓からケンジントンあたりの町並みを眺める。ハイド・パーク・コーナーへ出たので、ハード・ロック・カフェに入ってみようとしたのだが、入店を待つ行列にあきれて、隣のハード・ロック・ストアで買い物だけして退散する。再度でたらめに移動し、パディントンへ行き、最後はサークル・ラインでヴィクトリア駅まで戻ってきた。
 市場でいろいろ口にしていたせいか、何となく夕食に出そびれたので、リヴァプールのギリシア料理店の食べ残しをそのまま持ってきたムサカと、ポートベロで買った苺を部屋で食べる。体調が悪くなっているのか、なかなか寝付けず、じたばたする。
■ 2003/03/02 (Sun)
ふらふら市内観光

London:
The Lime Tree Hotel
 朝食時間内に下りてゆくことができず、朝食は抜き。ベッドメイクが来た10時過ぎにもすぐには部屋を開けられず、11時近くになって出かける。ちなみに、メイドたちはスペイン語話者だった。昨日のハード・ロック・カフェでも店員同士がスペイン語で喋っていたのを思い出す。
 今日はベイカー街を見にゆこうと思い、サークル線で出かけるが、パディントンで途中下車して用を足し、お昼過ぎにべーカー街へたどり着いた。マダム・タッソーには29年前に入っているはずなのだが、面目を一新しているのだろう、どんな感じだったか全く思い出せない。結局、前までは行ったものの入館はせず、近くのカフェテリアでサラダ中心の昼食をとる。食後しばらく座ったまま居眠りする。地下鉄の駅の出口には大きなホームズ像があるのだが、その近くに、ホームズの装束で観光客の記念撮影に応じている若い男性がいたりした。あれはどこかの店の宣伝なのか、単なるコスプレだったのか。221Bはホームズものが執筆された当時も現在も、もちろん架空のものだが、(当時とは番号の付け方が変更された後の)現在の221B(があるとすればそれを含む場所)にあたるアベイ・ナショナル銀行を一応「詣でて」おいた。
 マクドナルドで一休みした後、バスで、今度は意図的に移動し、昨日は入りそびれたハード・ロック・カフェに入り、地下のバーでしばらくぼんやりする。その後、日が暮れかかる中、歩いてグリーン・パークを横切り、バッキンガム宮殿へ向かう。途中でなぜかドイツ人(?)観光客にマーブル・アーチへの道を教える。すっかり観光客になってトラファルガー広場まで行く。ナショナル・ギャラリーの前では、道路を広場の一部に改装する工事が行われていた。最初はちょっと立ち寄ろうかと思っていたのだが、既に6時近くになっていて断念した。最近ホルバインの「大使たち」に関する論文を読んだので、久々に現物を見ようと思いたったのだが、おあずけである。
 その後、またでたらめにバスに乗り、オルドリッチで乗り継いでホルボーンへ行き、大英博物館からラッセル・スクエア周辺を散歩する。この辺りはなじみがあるので、何か安心できる。宿を変えることを考え、何軒かレートを聞いてみる。これはよさそうだと思うところは、やはり相当に高いが、滞在中に一度くらいはこういう所にも泊まりたいものだ。
 食事をしようと思い、ピカデリー線でピカデリー・サーカスまで行く。「らいすわいん」と看板を出した日本食料品店を見つけ、冷やかしに入る。情報の掲示板に、新薬試験のボランティア(要するに人体実験)の募集チラシがあるのが目に付いた。朝日新聞の衛星版を1ポンド70で買う。結局あたりをひとまわりしたもののここぞという感じの店に出会わず、ヴィクトリア駅まで戻って、駅前のシェークスピアというパブでサラダとフィッシュ・アンド・チップスを食べる。
 満腹で気持ちよくなったのか、宿ではすぐにベッドで熟睡する。10時前に寝たはずだが、深夜1時過ぎに目が覚めたのでゆっくりバスタブに浸かり、荷物の整理などをして明け方まで起きていた。
■ 2003/03/03 (Mon)
大英博物館でハイ・ティー

London:
The Herlingford Hotel
 朝食後、荷物をまとめ、宿を出る。明日からブリストル、カーディフ方面へ行くのだが、ロンドンに戻ってからの宿が未定になっている。今朝までの宿から少し歩いた並びにある、以前に泊まった「リントン・ハウス・ホテル」に行き、週末の空きがあるかを確認する。シングル風呂別40ポンド(ロンドンの小ぎれいな宿としては格安)というので、今回の滞在の最後にあたる週末の2泊を予約し、カーディフ行きに持っていく必要のない荷物を預ける。
 ラッセル・スクエアへピカデリー線で行き、いつものインターネット屋でメール・チェックをする。息子から、大学受験の芳しくない結果を報告するメールがきていた。前夜、大英博物館のあたりで見たような、近くのちょっと高級な宿に泊まってみる気になり、「ハーリングフォード・ホテル」という宿に入る。シングルはないようで、ダブルベッドとシングルベッドが一つずつ入った4階の部屋に入る。床が微妙に傾斜しているのがちょっと気になったが、バスルームが広く気持ちよい。
 これもメールで判ったのだが、最初に面会の予定だったロンドン大学のR教授が出張中ということで、今回は会えないことがはっきりした。今日は、週末の続きのような気分で、昼頃から大英博物館を見学し、グレート・コートでハイ・ティーと洒落込んだ。その後、やはり気になったので、ナショナル・ギャラリーへ閉館間際に行き、「大使たち」を見てくる。トラファルガー広場は、ナショナル・ギャラリー前の道路を撤去して広場の一部にする工事の真っ最中だった。
 その後、気まぐれでウォータールー駅に行ってみたくなり、地下鉄で移動。久しぶりにユーロスターの乗車口などを見てきた。その後は、バスと地下鉄を乗り継いで、ラッセル・スクエアへ戻り、近くのパブで食事をとりつつしばらく時間を潰し、宿へは11時過ぎに戻った。
■ 2003/03/04 (Tue)
不運な一日

London:

Bristol:
Seeley's Hotel
 今日は、不運な一日だった。
 ケチのつき始めは、朝、部屋で備品のガラスのグラスを派手に割り、怪我はなかったが救急隊員たちがやって来る大袈裟なことになってしまった。騒ぎのどさくさで朝食を取り損ねたまま、90ポンドを支払ってチェックアウトした。
 その後、現金が少し心細くなってきたので、トラヴェラーズ・チェックを現金化しようとして、パスポートをなくしていることに気づいた。荷物を預けているヴィクトリア駅近くの「リントン」に行くが、結局パスポートは見つからなかった。グリーン・パークに面したハード・ロック・カフェの並びにある日本大使館へ行き、パスポートの再給付を申請しようとしたのだが、警察への届け出や写真の用意などで、ピカデリー一帯まで歩いて行く。警察はサヴィル・ロウのウェスト・エンド・セントラル署に遺失届けを出し、大使館へ戻る途中で、インド人が経営している写真屋でパスポート・フォトを撮影する。結局、手続きはしたものの、最悪の場合は帰国の日程も左右しかねないことに違いはない。
 ラッセル・スクエアに戻り、今日もインターネット屋でメール・チェックをする。返事を書かなければいけないメールなどが来ていて一時間あまり作業を続けていた。当初の予定からは半日ずれたが、今日中に西へ向かうつもりになり、地下鉄でナイトブリッジ駅まで行き、そこからC1バスで、ヴィクトリアの長距離バス発着所へ行く。あまり日程は考えていなかったのだが、午後7時の便でブリストルへ向かう。車中では、最後尾の3人掛けの席を占領して、横になって寝ていた。
 ブリストルには9時半頃に到着したが、上手く宿が見つからないまま、市街地の外れの鉄道駅付近まで歩いてしまい、そこのホリデイ・イン・エクスプレス(満室だった)で、地図をもらい、市街地の全く反対側にあたる、小規模ホテルが集まっている地区を教えてもらう。ウォーターフロントの再開発地区や、港町らしい坂道なども通って、結局、まるまる1時間以上市街地を歩いていた。最後は道を挟んで並んでいるホテルのうち、最初50ポンドだったのを47ポンドにすると言ったホテルと、最初は67ポンドと言ったのを、後から支配人らしき人物が出てきて50ポンドにしてくれたホテル(どりらもRACの星二つ)で迷い、後者の「シーリーズ・ホテル」に泊まる。割り当てられた3階の4号室は、シングルベッドが二つ入ったツインの部屋だった。改めて食事をとりに外へ出る気はせず、手持ちの菓子類や飲み物、部屋にあったココアなどを飲んで、空腹をごまかす。
■ 2003/03/05 (Wed)
カーディフで運が好転

Bristol:

Cardiff:
The Sandringham Hotel
 今日は、幸運な一日だった。
 朝食をとってから10時少し前にチェックアウトして、市内へ向かう。昨日よりほんの少し雨らしくなったが、まだまだ細かい雨が降っている。傘を差して歩いている人もいるが、自分も含め差していない人の方が多い。市役所へ通じる坂道の下りはじめのあたりにオックスファムの古本屋があったので、中へ入り、2冊買う。坂を下りて、市役所の大きな建物へ行き、計画局の場所を尋ね、裏手にある計画局へ向かう。ここでは、ローカル・プランと中心市街地戦略書などの資料を購入し、27ポンドを支払う。
 次に観光案内所へ行き、明日の宿の資料をもらう。お土産物はあまり魅力的なものがなく、ちょっと残念な気もしたが、結局、ブリストルの街路名についての本を1冊買った。その後、市街地を、だいたいバス発着所に近づくように心がけながら、古い市場や、最近のショッピングセンター、ブロードミードという歩行者天国になっている一番の商業地区などをいろいろ見物する。ショッピングセンターの中の郵便局でハガキと切手を買い、バス発着所に向かった。お昼少し過ぎに着いたのだが、次は、最終的にはスワンジーまで行く午後1時50分発だという。切符を買って、ブロードミードにもどり、コスタ・コーヒーの店に入って荷物を整理したり、ハガキを書いたりしながら時間を潰す。
 午後1時20分頃にはバス発着所に戻った。バスは定刻に発車し、セヴァーン川の三角江にかかる大きな橋(ニュー・セヴァーン橋)を経由してウェールズに入り、ニューポートに停車した後、カーディフに午後3時に到着した。カーディフのバス発着所は鉄道駅の目の前にある。しかも、すぐ隣にカーディフ市の計画局の建物がある。いきなりだがそこへいってみると、何とか中心市街地戦略書を説明してもらえることになり、若くてさばけた感じのM氏から20分ほど話を聞く。ローカル・プランを購入しようとしたのだが、55ポンドと、持ちあわせた現金では足りず(カードもTCも使えない)、購入を断念する。
 観光案内所で、欧州文化都市招致活動の事務所の場所と、宿の見当を教えてもらい、まず、ワーキング・ストリートの旧図書館に行き、資料をもらってディスプレイを見る。一般市民を巻き込んだ招致活動を展開している様子が感じられて面白かった。
 近くにあるサンドリンガム・ホテルへ行き、シングルの値段を尋ねると35ポンドという。観光案内所で聞いたときは30ポンドの部屋もあるはずということだったので、そのように言うと、結局、30ポンドにしてくれた。5階の304号室は、シャワーだけだが、トイレとは別室になっていて、眺めはないが窓もあり、まあまあの部屋だ。これで40未満というのはたしかに安い。階段を上がるのが面倒なだけだが、荷物の少ない旅行の間はそれもそんなに苦にはならない。
 一休みして5時を少し過ぎてから、散歩に出かけ、政府刊行物の店やカーディフ城の入口などを見てから、ビュート公園に入った。ところが、閉門の時間だからこっちから出てくれと管理人に指示され、入ってきた門とは違う門へと誘導される。さらに少し歩いて、行政関係の壮大な建物が並んでいるキャセイズ公園周辺の一角へ行く。最後は、いろいろな改良工事をしている最中のクイーン・ストリートを経て宿に戻ってきた。7時少し前だったが宿の1階にある「ジャズ・カフェ」で夕食を食べる。前菜・主菜・デザートのシンプルなコースだが、モッツァレラ・チーズ・アボガド・トマトのサラダ、サーモンのグラタン、ブレッド・プディングを選んでお腹いっぱいになる。そのまま部屋に戻って、パソコンにデジカメの画像を吸い上げる作業などをしながら、テレビを見始めたのだが、本格的なクイズ番組や、ウェールズ語のニュースなどを見ているうちに、ネルソン・マンデラのドキュメンタリー番組になった。その中で、マンデラの銅像を、トラファルガー広場に建てるという話を紹介していた。この話を聞いて、昔、スペシャルAKAのビデオで、トラファルガー広場の南アフリカ大使館前でパフォーマンスをしている様子を見たのを思い出した。マンデラの番組を一通り見終わった(来週続きがあるようだが、それは帰国後になる)ところで、10時だったはずだが、そのままスイッチも切らずに寝入ってしまった。
■ 2003/03/06 (Thu)
カーディフの旧ドック地区を歩いてまわる

Cardiff:

Bristol:
The Oakfield Hotel
 前夜が早い就寝だったせいか、朝6時過ぎに目が覚める。テレビは点いたままだった。
 少し原稿に手を入れ、8時頃まで呻吟する。また行き詰まったところで、朝食をとるため2階まで下りてゆく。朝食後もパソコンには向かったが、原稿を書く気は起きなかった。
 10時にチェックアウトしたが、そのまま荷物はフロントで預かってもらい、身軽になって街へ出た。まず、昨日のM氏が資料を用意してくれているはずの計画局へ行ってみる。頼んでいた資料とともに、ローカル・プラン一式が50ポンドということで用意されていた。もちろん持ち合わせが足りないので(全部で48ポンドだった!)、泣く泣くあきらめて計画局を後にした。その後、街を散策していて、昨日、クイーンズ・ストリートにアメリカン・エクスプレスがあるのに気づいたことを思い出した。だめ元で、詳しく事情を話し、パスポートがないがTCを現金化できないかと尋ねてみる。すると、大丈夫だと言うではないか(!!!)。さっそくホテルに戻ってTCを荷物から出し、200ポンドを現金化した。まだまだツキがあるようだ。すぐさま計画局に戻り、ローカル・プラン(地図付き)を入手した。これを手に少しまた散歩する。デジカメの電池が切れたので、電池を買ったりした。その後、思いたって、ロンドンの大使館(領事部)に電話を入れると、パスポートはもうできているという。一安心して、思わず自宅へも電話を入れる。その後、アトランティック・コーヒー・カンパニーの店で一休みしながら、資料を斜めに見て、ハガキを少し書く。一息入れたところで郵便局へ行き、さらに絵はがきを買い込む。
 既に正午近くなっているが、再開発が進んでいるらしい、カーディフ・ベイ地区を見に行こうと思い、見当をつけて歩き出した。しかし、結果的には少々遠回しをして、再開発地区に裏側からアプローチするような形になった。これはこれで、むしろ良かったように思う。未利用地、旧来の住宅の残る一角、高級集合住宅のある一角、オフィスやホテルなどが、もともとの港湾地区に並んでいる様子を、歩きながらつぶさに見ることができた。建設中の施設や、奇妙な形(棒餃子かトルティーリヤのような)のインフォメーション・センターなど、いろいろ印象に残る建物があった。再開発地区を抜けて、地元の小学校の近くを通ったら、ちょうど下校時間らしく親たちが子供を迎えに来ている。ベールで頭をくるんだイスラム系の母親や、長身の黒人の父親たちが、子どもたちを迎えている。この地区は、比較的貧しい公営住宅の居住者も多い地域なのだろう。最後にたどり着いたのは、鉄道のカーディフ・ベイ駅の近くにある、昔の立派な町並みがそれなりに残っている一角だった。ここにあるアート・センターに入ってみると、この辺りから、カーディフ駅までの間にあった「タイガー・ベイ」という地区に関する資料(写真など)を展示しているところだった。ここで、関連する資料をもらい、また出版物を買った。短い時間だったが、この地区コミュニティの保全を訴える運動の一環として展開されているものらしく、説明してくれたジャマイカ系という中年の女性も、短時間で熱心に概要を話してくれた。バスの時間まで残り一時間あまりだったが、こうなれば現地を見に行くべきだろう。そのまま、現在は公営住宅地区になっている現地を歩き、最後はカーディフ駅の南側に出た。今回の渡英の中でも、一番密度が高い現地踏査だったように思う。
 ホテルに戻って、荷物を受け取り、近くのTSO(ザ・ステーショナリー・オフィス、つまり政府刊行物センター)に入って、ウェールズの言語政策に関する文献などを買う。バスの発車は午後5時15分だが、5時ちょうどにはターミナルに着いたので、絵ハガキを大急ぎで書く。ところが近くにポストが見あたらない。まだ10分ほどあるのを見て、大急ぎで駅構内まで行き、投函して戻ってきた。
 バスはヒースロー経由ガトウィック行きの、いわゆるフライトリンクだったが、15分ほど遅れて出発した。ブリストルには20分ほどの遅れで6時45分頃到着した。いったんターミナルから出て、商店街の外れのベンチで一休みし、先日もらった宿情報のパンフレットを頼りに、前回の宿のさらに先にある「オークフィールド・ホテル」まで、重い荷物を提げ、重い足取りでゆっくり歩いて行く。結局40分ほどかかって到着した。ここは、観光案内所が勧めたところでは最も安い料金で、一泊35ポンドだった。通された14号室は1階のツインで、バスはなし(共用)だが、ドアのすぐ外に大きなバスタブ付きのものがあって、使い勝手はバス付きと変わりない。部屋の天井が高いのも気持ちがよい。もっともテレビは写りが全然だめだった。とにかく荷をほどき、コーヒーを入れてほっとする。ここ数日の日記に、少し書き足しをし、カーディフで書きそびれた絵ハガキを一挙に書く。
 10時少し前に、夜食をとるため宿を出て、近くのレストランが集まっている一角へ行くが、意外と小洒落た店が多い。途中の郵便局でハガキを投函したりしながら、いろいろ見ている内に、商店街の外れの鉄道駅まで来てしまった。ここはクリフトン・ダウンという場所らしい。結局、レストランには入らず、ケバブがメインの店で、チキンバーガーのセットとコッド・アンド・チップスをテイクアウェイで買ったのだが、持ち帰る段になって日本の感覚よりずっと大きいことにやっと気づいた。どうりで両方で6ポンド40もするはずだ。宿に早速持ち帰り、お茶を入れて食事にしたが、チキンフィレ・バーガーのセットだけでお腹いっぱいになり、ポテトを少し余らせてなお、コッド・アンド・チップスが丸々残ってしまった。やれやれである。食後は、ゆっくりとバスタブに浸かり、気持ちよく風呂に入った。シャワーはないが、風呂桶に2回湯を張り、贅沢な心地になった。久々に「つい宇宙のことを考える」ような風呂の入り方だった。11時頃、風呂から上がり、そのまま寝入る。
■ 2003/03/07 (Fri)
パスポートの再発給を申請

London:
The Lynton Hotel
 夢見が余りよくなかった(内容は憶えていないが)ようで、午前5時頃、まだ真っ暗な内に目が覚める。ふと、パスポートを紛失したのは、帽子を無くしたのと同じバーミンガム→リヴァプールのバスの車中だったのではないか、という思いが降ってきた。万一そうだとしても、日曜日までに取り返すことは難しいようにも思う。一応、ロンドンに戻ったら、聞くだけ聞いてみよう。
 パソコンを開いて、しばらく作業をしながら、BBCの朝のニュースを見る。8時少し前に朝食をとる。9時少し前に宿を出て、相変わらずの細かい雨の中をバス発着所まで行く。バスは定刻の9時50分に発車し、順調に進行して、定刻より10分ほど早い12時10分頃、ヴィクトリアに到着した。さっそく宿に行き、荷を解いて、お茶を入れてから、パソコンだけを持って、パスポートを受け取りに日本大使館(領事館)へ行く。67ポンド96ペンスと、相当に高くついたが、これも自業自得なので仕方ない。ヴィクトリアへ戻って、長距離バスの拾得物関係の問い合わせ先をインフォメーションで訊ね、電話をしてみるが、けっこうたらい回しされた挙げ句、なかなか電話がつながらない。そこで先にメール・チェックをしようと思い、C1バスでナイトブリッジまで行き、ピカデリー線でラッセル・スクエアへ向かった。ところが、何か工事をしているらしく、ラッセル・スクエアは通過されてしまった。結局、キンズ・クロスで下車したものの、テムズリンクの出口に出てしまい、バスを短区間乗って大英図書館の前まで行き、いつものインターネット屋「サイバーゲイト」へ着いた。
 小一時間作業した後、歩いて大英博物館へ行き、近くのセインズベリーで少し買い物してから、ホルボーン駅からナイトブリッジ駅へ移動した。実は、まだ入ったことがない「ハロッズ」(今はエジプト人がオーナー)へ、入ってみようと思いたったのだ。昔風のデパートなので、売り場ごとに壁があったりするところがなかなか面白かった。最初はその足で宿に戻ろうと思ったのだが、バックパックが破れてきて肩ひももとれそうなので、安物でよいから新しいものを買おう、と思い、とって返してカムデン・マーケットの外れの鞄屋まで行った。ここで、スケートボーダー用というちょっと変わった(スケートボードをホールドする)仕掛けの付いたバックパックを、5ポンドで買った。店のすぐ前のバス停で、行き先別の案内を見ていたら、ヴィクトリア方面経由のピムリコ行きが来たので、とりあえず乗り込む。途中、時間は結構かかったがヴィクトリア駅付近まで来て、最後は歩いて宿に戻った。
 夕食は、前日の残りの冷めたコッド・アンド・チップスと、セインズベリーで買った、オリーブ漬けなどで済ませる。ヒットラーをダシにした、リーダーシップ論のドキュメンタリー番組があり、結構楽しんで見た。最高責任者が現場に口出しすると碌なことにならないのは、不変の真理のようだ。その後、しばらく起きていたが、11時前にはテレビを消して寝た。
■ 2003/03/08 (Sat)
帰国の準備

London:
The Lynton Hotel
 朝5時頃目が覚めた。まだ外はまったく暗い。そのまま起きてしまうことにして、ずっと進まないままになっている原稿に取りかかる。7時半頃、ほのかにトーストを焼く香りが感じられたので、地下まで下りて朝食をとる。結局、時々うとうとしながらも、そのまま作業を続け、ベッドメイクも断って午後1時近くまで原稿と格闘していた。
 何とか原稿を仕上げ、1時過ぎに宿を出て、まずヴィクトリア駅へ行って週末のトラベルカードを買い、ヴィクトリア線でキングズ・クロス駅まで行き、サーバーゲイトでメール・チェックをする。2時半頃、歩いて大英博物館へ向かう途中で雨足が強めになったので、ラッセル・スクエアの郵便局に立ち寄ってハガキと切手を買う。大英博物館では、版画類などをじっくり見て、気になっていたTシャツを2点買う。昨日少しだけ冷やかした博物館前の古書店に立ち寄り、本を2冊買う。このとき、少し迷ったのだが、カードを使わず、残りの現金をほとんど使い切る。
 今週末は、ピカデリー線のヒースロー支線が工事で代行バス便になる。明日朝はかなり重い荷物を運ぶことになるので、予めバスへの乗り換え地点になるアクトン・タウン駅を下見に行こうと思い、ホルボーン駅からピカデリー線で直行する。既に今日も代行バス便が運行されていて、たくさんの人たちが駅からバス乗り場へ歩いていた。地下鉄の職員の他、イベント会社の名入りのジャケットで交通整理にあたっているスタッフもいた。次々やってくるバスは、各社入り乱れた観光バスだった。そのまま宿に戻るつもりで駅まできたところで、近くに交通博物館のデポがあり、今日がオープン・デーになっていることに気づいた。足を伸ばしてみると、5時閉場の10分前だったが、何とか入れてもらえたので、大急ぎで辺りを見て回る。車両から看板まで、所狭しと本物の収蔵品が整理格納されているだけでなく、写真や古いパンフレットや模型類などを売るブースや、模型のディスプレイなども出ていて、子供から老人までマニアがたくさん集まっているという感じだった。帰りは、ピカデリー線とディストリクト線を乗り継いでヴィクトリア駅に戻り、宿に帰る。少し疲れを感じたので、早めに寝ておこうと思い、6時過ぎにカーテンを引いて電気を消し、いったん眠る。
 9時過ぎに目が覚め、チャンネル4やiTVなど、おもに民放にチャンネルを合わせてテレビを見る。カイリー・ミノーグのドキュメンタリー番組や、再起を目指す芸能人の勝ち抜き番組「リボーン・イン・ザ・USA」(トニー・ハドリーの歌は聞きそびれた)などを見た。
 結局、荷造りをすべてしてから12時過ぎに寝た。
■ 2003/03/09 (Sun) + /10 (Mon)
帰路にも一苦労

London:

VS900便 機中
 今日はヒースローまでの地下鉄が、バス代行になっていることを考え、早めに起きる。6時少し前には起き、荷造りをする。7時少し過ぎに地下の食堂へ下りていったら、主人はいたが、まだ朝食時間ではない(ふだんは7時からだが、日曜は8時から)と言われる。その通りである。しかし、気さくな主人はすぐに台所に火を入れ、朝食を用意してくれた。まだ洗濯物が干してある食堂の一角で、テーブルを占領して朝食をとった。  8時過ぎには宿を出て、大きな荷物を抱えて長距離バス発着所に近いC1のバス停に行き、ヴィクトリア駅まで乗り、ディストリクト線でハマースミス駅まで行き、ピカデリー線に乗り換えて、アクトン・タウン駅へ行った。ここでバスに乗り換えたところ、バスは順調に進行し、9時過ぎには空港に到着した。  ところが、いざチェックインという段階になって、荷物の重量オーバーを厳しく指摘され、何と800ポンド近い金額を料金として請求された。もちろん、そんな金額は支払えないので、エクセス・バッゲージのサービスを利用することにした。こちらだと160ポンドほどで済む。結局、25キロぎりぎりまで荷物の中味を整理して、エクセス・バッゲージを1個送り、残った荷物は新しいバックパックと、古い(壊れかけの)バックパックの2点となり、前者をチェックインして、11時過ぎに出国手続きを済ませて、その奥の免税品店でお土産類を買い足し、12時過ぎにはゲートで待つことにした。1時少し前にはVS900便に乗り込んだ。  機中では、いろいろゲームをしたり、隣に座った卒業旅行のつもりで三週間の英語研修をしてきたという女学生と話をして過ごした。  短い9日の夜の後、10日の朝が来た。着陸前には、霞ヶ浦や筑波山がとてもきれいに見えた。10時過ぎに成田に到着し、今日中に済ませるべき業務が待っている大学へと直行した。


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