私的ページ:山田晴通

英国日記:2002年10月24日〜11月6日


 今回の旅行は、文部科学省科学研究費を受給した共同研究の一環として英国で研究者や行政当局者に面会して話を聞き、関連する資料を収集することが主な目的でした。
 ここでは、個人名等は伏せた形で掲出します。昨年より、円安が進んでおり、1ポンドは200円くらいです。

 見出しに示した地名のうち、青字はその日に訪れた主な場所緑字は宿泊地です。
■ 2002/10/24 (Thu)
強行軍での出発

London:
The Acorns Hotel
未明に国分寺へ車で移動し、出発前の最後の悪あがきで少し仕事をする。
7時少し前に研究室を出て、通勤快速と成田エクスプレスを乗り継いで9時に成田空港へ到着。NEX の車中ではほとんどずっと眠っていた。
VS901便は、エアバスA340。運良く窓側で隣が空席という席につく。
規定になっている安全確認のビデオが、面白いアニメになっていたり、機内食の食器がプラスティックの安物ながら、色がきれいだったりと、細かいところにヴァージンらしいところが感じられる。
12時間あまりのフライト中、2時間くらいは眠ったが、あとはずっと上海をやっていた。
ヒースローで地下鉄のパスを買い、ラッセル・スクエアへ行き、去年も泊まった安宿 Acorns Hotel へ行く。もちろんここでは電話もなくインターネットはできないが、それでも一泊30ポンド(6000円)で泊まれるのは魅力だ。インターネットへの接続が必要になってくる数日後には、いずれにせよ然るべきホテルに赤字覚悟で泊まるのだから、まずは節約である。 部屋は3階(英国式では2階)の21号室。
少し落ち着いてから、電源のアダプターを買ってくる。これで、とりあえずコンピュータはどこでも使える。
夕方6時過ぎから部屋でテレビをつけたまま寝る。
深夜に目が覚め、BBCでオーストラリア映画(タイトル不明)やニュース(深夜時間帯は衛星のBBC NEWS24が流れている)をしばらく見て、3時過ぎに再度寝る。
■ 2002/10/25 (Fri)
ケンジントン再訪

London:
The Acorns Hotel
朝7時前に起きて、しばらくパソコンをいじる。
朝9時になってから、できれば訪問したいと思っていたM教授の所属先であるバークベック・コレッジの地理学教室へ出かける。コレッジの本部の建物で地理学教室の場所を尋ね、歩いて地下鉄のトッテナムコート・ロード駅に近い、地理学教室の入っている建物まで行ったのだがところが、受付で尋ねてみるとM教授は2年ほど前に転出したという。
気を取り直していったん宿に戻ることにしたのだが、途中で寄り道して、ピカデリー・サーカスへ出かけて地図などを買って帰る。宿の近くで古本屋(新古本が中心)を見つけ、3冊ほど本を買う。部屋に戻ってから電話番号のメモを作成し、ラッセル・スクエアの郵便局で用を足してから公衆電話で数件の電話をする。オックスフォードのS教授には4日のアポイントをもらえたが、自宅にいるはずのR教授は留守電になっている。
再度宿に戻り、宿近くのカフェでテイクアウェイにしたフィッシュ・アンド・チップスを部屋で食べて昼食にする。
少し元気が出たところで、サウス・ケンジントンまで行き、RGS−IBGのオフィスへ入会申し込み(fellowship)に行く。2時少し前になっていたが、まだ昼休み時ということで、受付で用紙をもらってホールのソファで書類を書き、ティールームでお茶を飲んでいると、事務担当のDさんがティールームに来て、ひとまわり建物の中を案内してくれた。彼女のオフィスで、自分のページにあるCVをプリントしてもらい、それを添えて、会員管理担当のJさんのオフィスへ行き、入会申し込みの手続きを済ませる。RGS−IBGの年度は暦年なので、来年当初からの入会という扱いを希望しておいた。
サウス・ケンジントンは、1974年にはじめてロンドンへ来たときに泊まったベーデンパウエル・ハウス(BPハウス)のある場所なので、おぼろげな記憶を便りに自然史博物館の周りを歩いてみたら、ちょうどBPハウスの前に出た。外見の印象は変わっていないが、中は全く改装されていて、昔の記憶と結びつかない。お土産にTシャツを買って、対応してくれた女性に尋ねてみたところ、1997年に大幅な改装があったそうだ。
サウス・ケンジントン駅の上の店で飲み物とドーナッツ買ってから、地下鉄を乗り継いでトッテナムコート・ロード駅へ行き、再度バークベック・コレッジの地理学教室へ出かけ、M教授の転出先を調べてもらう。もらった電話番号へ電話をしてみると、何とかM教授の現在の所属が判った。シティ・ユニバーシティの自然科学教室である。M教授は不在だったが、伝言を残し、来週また電話してみることにする。トッテナムコート・ロード駅の辺りは、オーディオやコンピュータ関係を中心に、ちょっとした電気街になっているのだが、英国規格の電話への接続用のケーブルと電池を買う。
手持ちの現金が少なくなってきたので、TCを現金化しようとしたのだが、空港のトラベレックスでは手数料なしだったのが、市内の窓口は3〜5パーセントを手数料として取るようだ。ピカデリー・サーカスの辺りの両替屋を数軒回って嫌気がさし、そのまま宿に戻った。まだ6時少し前だったが、お茶を入れ、適当に買ってきたものを部屋で食べて夕食にする。9時頃、宿に近い公衆電話から、今日3回目くらいの電話をR教授宅に入れる。女性が出てきたのだが、11時頃にならないと教授は戻らないという。明日は朝9時から10時の間はいるはずだという。結局、電話から戻ってそのまま寝入ってしまい、目が覚めるともう夜中の1時過ぎになっていた。
それからしばらく、起きてテレビを見ていたが、3時頃に再度消灯して眠る。
■ 2002/10/26 (Sat)
田園都市訪問

Welwyn Garden City

London:
The Lynton Hotel
朝5時頃に目覚めるが、テレビをつけたまましばらくベッドでまどろんでいた。
チェックアウトしなければいけないので、荷物をまとめたりする。
朝9時半頃、R教授のご自宅へ電話を入れる。結局、昼頃再度電話を入れることになった。
電話帳で見つけたヴィクトリア駅近くの宿に電話を入れ、部屋を確保する。部屋は空いているということだったので、早めにチェックインできるというのもありががたい。
10時少し過ぎに、荷物をまとめてチェックアウトし、近くのインターネットカフェに行く。ここでは自分のラップトップをブロードバンドで接続させてもらえる。最初はちょっと不安だったが、問題なくメールを読み出すことができて、ほっとする。大袈裟に言えば、ライフラインが確保された感じだ。数通の返事のメールを書き、30分ほどで店を出た。これで3ポンド(600円)は安いのだろう。
ユーストン駅からヴィクトリア線でヴィクトリア駅へ行き、番地を頼りに Lynton Hotel という宿にたどり着く。部屋は4階(英国式では3階)の9号室。ツイン・ルームなのでゆったりしている。階段を上がるのは大変だが、ヴィクトリア駅のショッピング・アーケードのガラスの天井などが望める眺めは、悪くない感じだ。トイレとシャワーは共用だが、結構広いし、清潔な感じがしてよい。ロンドンで40ポンド(8000円)にしては値打ちがある。
荷物を置いて、お茶を飲んでから、1時過ぎに出かける。ヴィクトリア駅の案内所で尋ねてみたところ、ウェリン・ガーデン・シティへは容易に行けることが判ったので、ヴィクトリア線でフィンズベリー・パーク駅へ行き、ここでWAGN(ウェスト・アングリア&グレート・ノーザン)鉄道に乗り換えてウェリン・ガーデン・シティへ向かうことにする。乗り換えのついでにフィンズベリー・パーク駅の周りを歩こうとしたら、ちょうど地元アーセナルの試合があるらしく、駅の周りは赤いシャツを着た若者でごった返していた。近くのフィッシュ&チップス屋に列ができていたので、列に加わり、ずいぶん量が多い一人前を手に入れる。街頭で歩きながら、半分ほど食べ、駅で列車を待ちながらまた残りを食べる。
駅で最初に来た列車に乗ったのだが、どうやら行き先が違うことに気づき、分岐駅にあたるアレクサンドラ・パレスでいったん下車して、ウェリン・ガーデン・シティ行きが来るのを待って、乗り換えた。
ウェリン・ガーデン・シティに到着したのは午後3時頃だった。駅前一帯をみてから駅のショッピングセンターに入っている本屋で100ポンド(2万円)ほど本と地図を買う。といってもそんな量にはならない(つまりそれだけ1冊が高い)。
地図を頼りに、キャンパス(地区の名前)にあるインフォメーションへ行ってみたが、今日はオフィスが閉まっている。さらに地図を頼りに散策して、結局5時過ぎまであちこちを見て回った。途中で、デジカメの電池が経立ってしまい、最後はだましだまし撮影をしていた。
帰路は、快速列車で終点のセント・パンクラス駅まで乗ってみた。セント・パンクラス駅は大改装の最中で、地下鉄駅までたどり着くのにかなりの距離を歩くことになった。ヴィクトリア線で宿に戻り、デジカメに普通の電池を入れてみたのだが、ちゃんと動かない。夜食を買うついでに、長距離バス発着所の近くの店で工具を探したが、上手く見つからない。結局あきらめて宿に戻り、激しい風で窓が揺すられるのを聞きながら、8時過ぎに床につく。夜中の2時頃目が覚めテレビをつけ、お茶を飲んでから、テレビをつけたまま眠る。
■ 2002/10/27 (Sun)
イースト・ロンドンを歩く

London:
The Lynton Hotel
朝7時頃に目覚めてテレビをつけると、モスクワの人質事件が強行突入で終わったことが報じられている。2人の英国人の安否はまだ判明していないようだ。
その他、リチャード・ハリス(ハリー・ポッター映画のダンブルドア教授)の死去のニュースなどが繰り返しテレビで流れる。
朝食の時に、宿の主人にコンセントのアダプターを借りて、デジカメ用の電池を充電する。
9時半にハイベリー&イズリントン駅でR教授と待ち合わせているので、ヴィクトリア線で出かける。途中の駅の時計が夏時間から直っていなかったので、一瞬、大遅刻をしたかと不安になるが、これはすぐに誤りだと判った。ところが、これでほっとしたのか、居眠りをして乗り過ごしをしてしまい、セブン・シスターズ駅で慌てて折り返した。結局、9時40分頃にR教授と落ち合うことができた。
彼の車で、ご自宅のテラスハウスまで行き、サーカス学校へ行くというお嬢さんを乗せて、イースト・エンドの外れにある、19世紀末の発電所跡を改装したサーカス学校の前に車を置き、お嬢さんがレッスンを受けている間、イースト・エンドを少し歩く。日曜で市のある日なのだが、大風の日なので人出は普段より少ないようだ。園芸市やバングラデシュ人街などを通って、大規模な市場(臨時休業していた)の周辺などを歩き、昼時にもとの場所へ戻ってきた。
それから、レッスンの終わったお嬢さんを乗せてご自宅へ戻り、今度は奥様も一緒になって午餐に出かける。彼女はトルコ系だそうで、トルコ料理を食べに行くということだったが、当てにしていた店が1軒目はガス機器の不都合で臨時休業、2軒目は廃業したらしく別の店になっていて、結局、2軒目の近くにあった別のトルコ料理店(the Cut の TAS という店)で食事を取る。
食後に一緒にご自宅まで戻り、ご夫妻が気に入っているという日本の音楽や沖縄の音楽の話で盛り上がる。結局、すっかり暗くなった6時過ぎに、帰ることにして、教授に近くのドルストン・キングスランド駅まで歩いて送ってもらった。
シルバーリンク鉄道でハイベリー&イズリントン駅まで行き、ヴィクトリア線でヴィクトリア駅へ戻った。部屋に帰っ手見ると、ちゃんとシーツとタオルが替えてあったので、嬉しかった。この水準の安宿ではシーツも出発まで替えてもらえないことがよくあるからだ。まだ7時頃だったが、一日でかけて 結構歩いていたようで、すぐにベッドに潜り込む。11時頃目が覚めて、少しパソコンをいじるが、夜中の1時過ぎに再度就寝する。
■ 2002/10/28 (Mon)
混乱の中、田園都市を巡礼する

Welwyn Garden City
Letchworth Garden City


London:
The Lynton Hotel
朝6時前に起きるが、8時近くまで部屋で荷物をひっくり返したり、パソコンをいじって過ごす。
朝食に降りて行き、さらに2泊することを亭主に告げる。
今日は、土曜日に買いそびれた資料を買いにウェリンへ行き、さらにレッチワースへ行くことにする。田園都市の巡礼だ。
9時過ぎに宿を出て、まずオックスフォード・サーカス駅近くのリージェント・ストリートにあるアメックスへ行き、TCを全額両替する。次いでフィンズベリー駅へ行き、WAGN鉄道に乗り換える。ところが、昨日の大風の影響でいろいろ不都合がでているらしく、ダイヤが大幅に乱れている。遅れてやってきた電車に乗り込んだものの、これが途中でしばしば停止してしまう。結局、普通なら40分ほどの行程に、倍以上の時間がかかった。ウェリンでは、キャンパス・ウェストのインフォメーションに直行し、土曜日に買えなかった本と地図を買う。駅に戻る途中で、大木が風になぎ倒されたところに出くわし、少々驚く。地元の週刊紙の事務所へ立ち寄って新聞を一部買い、駅へ戻ったのは1時頃だった。ところが切符を買って、いったんプラットフォームまで行ってみると、1時少し過ぎの列車はここまでで運行がうち切られるというではないか。しかも、次の列車は1時半の予定だが、やや遅れるという。腹ごしらえをする気になり、駅に近いフィッシュ&チップス屋でしばらく時間を潰す。
結局、1時半頃に駅に戻り、列車が来たのだが、これが途中のスティーヴニッジまでしか行かないという。そこから先は、連絡バスに乗り換えろと駅員に言われ、とにかく乗り込む。スティーヴニッジで下車したのだが、どこに並ばなければいけないのかが皆目わからない。改めて出札窓口で聞いてみると、タクシー乗り場へ並べという。行ってみると長蛇の列が出来ていた。ざっと百人以上は並んでいる。バスの振り替え輸送というのは経験したことがあるが、タクシーとは驚いた。断続的にやってくるタクシーに少しずつ乗り込んでレッチワースへ向かうのだ。その先のケンブリッジ方面へ行く乗客が結構多いのだが、レッチワースから先がどうなっているのかは、その場にいた駅員でも判らないと言う状態だ。途中で大型バスが一台来て列は一気に短くなったが、それでも小一時間は並んでいたことになる。結局、ケンブリッジへ行く女性達と一緒にタクシーに乗り、A1を経てレッチワース駅へと到着した。既に4時近くになっている。歩いて州庁舎の建物へ行き、簡単な資料をもらって、さらに田園都市博物館の場所を教えてもらう。
博物館へ行ってみると、中世風の農家を模した小さな住宅を改装した建物だった。入館料は1ポンド(居住者は半額)。この家は、建築家パーカーが仕事場付きの自宅として建てたもので、建物自体も興味深い。展示スペースは、企画展用の部屋(レッチワースのパブに関する展示をやっていた)のほか、ハワードの蝋人形が置かれたメインの展示室と、パーカーの蝋人形やスケッチが置かれた部屋がある。ゆっくり見ていればきりがないのだろうが、あっという間に一通り見て回った。
受付のところで、販売している資料やポストカードを買う。そのうちの一冊が、残部がなかったので、どこかで入手できないかと受付の女性(結構高齢)に聞いてみたところ、駅に近いアーケードにあるインフォメーションへ行って見ろと教えられた。そこで、インフォメーションへ行ってみたのだが、4時半を少し回っていて、もう中に入れなくなっている。仕方なく、博物館(こちらは5時まで)へとって返し、展示用の1冊を譲ってもらった。5時近くなって辺りはすっかり暗いが、さらにしつこくピクスモア・ロードあたりを歩いてみる。駅へ戻る途中で、David's という本屋を見つけ、博物館で買えなかった本をさらに買う。ついでに外の棚に出ていた古本も2冊買った。
5時半頃に駅に着き、駅員に運行状況を尋ねてみると、とにかく動いてはいるが次の列車が何時になるかも判らない状態だという。いったんプラットフォームに降りてみたが、当分列車が来そうにないので、駅の入口に戻った。売店にアラブ系の文字やインド系の文字の新聞があるのに気がつき、どんな新聞を扱っているのかちょっと眺めていたら、何とモーニング・スター(英国共産党機関紙)があった。しかもザ・サン(代表的なタブロイド=大衆紙)の隣に置いてある。太陽の隣が明けの明星とは、出来すぎている。思わず手に取り、50ペンス払って買ってしまった。
結局6時過ぎにキングス・クロス行きが来て、乗り込む。幸いすぐに座ることが出来たので、しばし眠る。しかし、来た時ほどではないしろ、いつもよりゆっくりしたペースのようだった。結局、フィンズベリーでヴィクトリア線に乗り換え、宿まで戻ったのは8時少し前だった。入口から入った奥の事務室のドアをノックして、今夜から2泊分の宿代を支払い、さらに最終日11月4日の予約を入れる。また、それまで荷物を預かってもらえることにもなった。本や資料がだいぶ増えたので、荷物は置いて北へ向えるのはありがたい。
BBCのテレビでピラミッドの話をしているのを見たり、荷物を整理したり、下着を洗ったりしているうちに、11時近くになる。テレビの音を消し、ラジオ(96.9ロンドン)を点け、そのまま眠る。
■ 2002/10/29 (Tue)
ゴールドスミス・コレッジ訪問

London:
The Lynton Hotel
朝6時前に起床。7時過ぎに朝食に降りて行き、食後は部屋でテレビを見てから、8時20分頃に部屋を出て、ラッセル・スクエアに近い先日のインターネット・カフェへ行こうとする。ところが、ヴィクトリア駅で、地下鉄への入構を制限するようなラッシュになっているのを見かけたので、バスで行くことを思いつき、ユーストンを経由してゆくバスを見つけて飛び乗った。2階席からデジカメで通りの様子を収めながら、オックスフォード・サーカス、トッテナム・コート・ロードを経て、最後はキングス・クロス/セント・パンクラス駅前で下車した。
9時15分頃から30分ほどメールの読み出しと送信をやったのだが、途中でユードラがクラッシュするようになってしまい、作業を止めた。
ここから歩いてラッセウ・スクエア駅へ行ったのだが、本当は、キングス・クロスへ戻るべきだった。いずれにせよ、ピカデリー線、ハマースミス&シティ線、イースト・ロンドン線と乗り継いで、1時間ちょっとかかってニュー・クロス・ゲイト駅へたどり着いた。ゴールドスミス・コレッジへ行き、R教授と会い、仮設のプレハブのオフィスで少し話をしてから、学内のカフェテリアで、サバティカルで滞在している九州大学のM氏で話をする。M氏とは数年ぶりの再会である。R教授が所用で席をはずしている間、M氏としばらく話す。
R教授が戻ってきたところで、M氏と別れ、1時過ぎに学外へ出て、R教授と「タイランド」というタイ料理店で昼食をとる。ここのウェイトレスは、日本人の血を引いたタイ人ということで、ほんの少しだけ日本語で話をする。
食後、R教授のオフィスに戻り、コピーさせてもらう資料を持って一緒にコピー室へゆき作業をする。コピーが終わったところで、最後に学内の本屋へ案内してもらい、再会を約してR教授と別れる。本屋では3冊ほど本を買ったが、買いだしたらキリがなさそうな書架だった。ついでに、ゴールドスミスのTシャツも買う。これは自分用の土産である。
時間に余裕があったので、バスで戻ることにして、大学の前の停留所で、ヴィクトリア駅を経由してゆく36番バスを待ってみた。時刻表だと4〜8分に一本は来るはずなのだが、他の路線が来るばかりでなかなか36番が来ない、業を煮やして他の路線でもいいから乗ろうかと思ったところへ、やや旧式のタイプの36番バスがやってきた。2階へ上がり、一番前の席を占領してデジカメでいろいろ撮影する。ペッカム辺りは、黒人をはじめ、有色人種の住民が少なからずいるところだが、街頭を歩いている人々を見てその度合いを実感する。
ヴィクトリア駅でバスを降り、長距離バス発着所まで行って、ミルトン・キーンズ行きのバスの時間などを確認する。近くの店でフィッシュ&チップスを買い、部屋に戻って夕食にする。
しばらくテレビを見て(「Family Fortune = 百人に聞きました」なんかをやっている)から、8時過ぎに思いたってヴィクトリア駅へ鉄道の運行状況やチケットのことを質問に行く。ニュースで、ユーロスターの運行が停止して大混乱になっていることが報じられていたので、気になったのである。とりあえず、明日のミルトン・キーンズ行きはバスが無難と判断し、長距離バス発着所へ回って、明日9時30分発のチケットを買う。
■ 2002/10/30 (Wed)
ミルトン・キーンズで待ちぼうけ

Milton Keynes:
Vignoble
午前5時頃に起床し、しばらく、昨日読み出したメールに返事を書いたりする。
BBCの朝のニュース「Breakfast」で、文化都市としてふさわしいのはどこ?という話題をやっていて、リバプールやニューカッスルからの中継が入っていた。そのほか ITV digital(デジタル・テレビ)の話題などをついつい見てしまう。
8時半頃、荷物を預けて、チェックアウトする。外は、小雨がだらだらと続いている。近くの横丁で少し撮影をしてから、9時頃にバス乗り場へ行く。9時30分発のノーサンプトン行きに乗ってミルトン・キーンズへ向かう。乗客はほとんどいない。最初はインド系と思しき女性と、スラブ系の言葉をしゃべる一家4人と自分の6人が乗り込んだのだが、スラブ系の一家は最初に停車したロンドン北郊のゴールダー・グリーン駅で降りてしまった。替わりにそこで2人が乗り込んできて、結局、乗客4名だけでミルトン・キーンズの長距離バス停留所に11時頃到着した。ここで下車したのは自分だけだった。
今日、会うことになっているオープン・ユニバーシティのGさんのオフィスに電話を入れてみるが、まだ大学へきていないという。
ミルトン・キーンズの中心部まで無料の連絡バスがあるという案内板があったので、しばらく待ってみたのだが、一向に来る気配がない。結局やってきた路線バスの運転手に尋ねてみると、無料バスはとっくになくなっているという。結局、このバスの次まで待って、中心部のショッピング・センターへ行くバスに乗り込んだ。結局12時過ぎにミッドサマープレイスに到着し、ビジターセンターで資料を買い、ショッピング・センターでまた電話を入れるが、まだGさんは来ていない。
昨年7月に来たときに、対応してもらった都市計画担当のM氏に挨拶しておくことを思いたち、市役所へ行ってみると、幸運なことにM氏がすぐに出てきてくれた。昨日は不在で、明日も出張の予定だというから、実に幸運だったというべきだろう。その後の展開の話を少し聞き、次回の渡英の際にはゆっくり話を聞きたいと伝えて、10月に出たばかりの新しい計画提案の関連資料一式を購入して帰る。
市役所を1時過ぎに出て大学へ電話を入れたところ、Gさんからの伝言として、急用で時間がとれなくなり、会うのを明日にしてもらえないかと言われる。ちょっとスケジュールに響くが、仕方がない。明日の午前中に大学へ行くことを伝えて、再度インフォメーションへ行き、宿泊案内をもらう。これを頼りに、大学に近そうなゲストハウス「Vignoble」を見つけ、電話を入れて泊まれることを確認した。
既に2時を回っていたが、ショッピング・センターのピザハットがランチの食べ放題(4ポンド99ペンス、つまり1000円)をやっていたので、久々にお腹いっぱい以上になる食事をする。食事の後、バスで宿まで行こうとして、停留所を探そうとしたのだが、見つけ方がなかなか判らず、結局小一時間ショッピング・センターの一帯を右往左往していた。結局4時20分頃に18番のバスをつかまえて、無事目的地に直行した。
番地を頼りにたどり着いた所は、まったくの住宅地の中の、ごく普通の(やや大きめの)家だった。一泊38ドルのB&Bだが、居心地は非常によい。亭主のJ氏は、ランド・サーベイヤーだったというが、1984年にこの家に移ってきて、しばらくしてから奥さんとB&Bを始めたそうである。奥さんは今は休みを取ってフロリダのタンパへ行っているという。なかなか羨ましい老後のようだ。二階にある三つのベッドルームのうち、シングルベッドが2台入った部屋を選び、荷物を降ろす。しばらく下の居間でJ氏と雑談してから、今回の渡英でははじめてバスタブに浸かり、ゆっくり風呂に入る。
7時過ぎからテレビを見てリラックス。ここにはCATVが入っているようで、衛星系のチェンネルがいくつか見える。VH1(UK)で今年のUKナンバー1ヒットを振り返るというのをやっているが、ほとんど知らない。最近の音楽事情に疎くなっていることを痛感。
しばらくテレビを見ながらうとうとし、そのまま眠ってしまった。11時頃一度目が覚めたが、今度は電気を消して就寝する。
■ 2002/10/31 (Thu)
良いことも悪いことも満載の長い一日

Milton Keynes
Birmingham
Glasgow


Renfrew:
The Normandy Hotel
朝6時少し前、まだ外が暗いうちに目が覚めるが、再度ベッドに潜り込んで眠る。
7時過ぎに起床して、テレビをつける。
朝食をとりに7時半に降りてゆくと、初老の女性が既にテーブルに就いていた、続いて若い男性が降りてきて、三人で雑談しながら朝食をとる。
8時過ぎに散歩へ出かけようとして、準備をする。ところがトイレでデジカメを床に落としてしまった。そのときは何でもないと思ったのだが、玄関を出て宿の写真を撮ろうとしたとき、デジカメの異常に気づいた。撮影できない上、ふたが閉まらない。このままではメモリもとり出せない。
結局、そのまま20分ほど歩いて宿に戻り、電池を入れ替えたりいじれるところをいじってみたりしたのだが、どうやらおシャカになったらしい。とにかく代わりのデジカメを手に入れなければ仕事にならない。とりあえず、宿の辺りの風景や、オーブン・ユニバーシティの写真はおあずけだ。
ついていない一日になるような予感がする、いや昨日の予定がキャンセルになった段階でついていなかったということだろう。
9時半頃、荷物をまとめて宿を後にする。公園を横切る遊歩道(Redway)を通って、オープン・ユニバーシティのキャンパスに入る。ちょうどこちらが正面から見て裏側になるので、キャンパスをほぼ横切る形で正面の受付へ行く。まだ15分ほど早かったが受付でGさんとの面会の約束を伝え、ビジター・カードをもらってソファでしばらく待つ。10時になってGさんが現れ、カフェテリアへ行ってコーヒーを飲みながら打ち合わせをする。実は、事前にもらっていたメールでは依頼していた件に前向きではない返事が来ていたのだが、誤解があったことが判り、快く協力を約束してくれた。一安心である。
結局、一時間あまり話をしてから、セントラル・ミルトン・キーンズのショッピング・センターまで車で送ってもらった。
故障したデジカメを、ディクソンズというヨドバシカメラの英国版のような店に持ち込んでみたが、修理はしていないということで、すぐにあきらめ、150ポンド(3万円)のデジカメを代わりに買う。機能的には落ちるものだが、仕方がない。
歩いてミルトン・キーンズ・セントラル駅まで行き、バーミンガムまで電車で行く。シルバーリンクの緩行便で、途中うとうとしながら2時頃にバーミンガム・ニュー・ストリート駅に到着した。昨年来たときには大きな空間がぽっかり空いていたブルリングには、大規模な建物が建設中だった。昨年7月に来たときには運河辺りを歩いたのだが、今回は時間がないので、前回立ち寄れなかった市役所へ向かい、まず計画局がどこかを受付で尋ね、アルファ・タワーの9階にある計画局へ行く。ここで、来年初めの再渡英に向けて、対応してもらえる人物がいないか尋ね、T氏の連絡先をもらう。更に、都市計画の十年計画書と地図を手に入れることが出来た。次いで、受付に戻り、欧州関連業務を担当する部局のJさんから、2008年の欧州文化都市にバーミンガムが名乗りを上げていることに関連して話をきく。飛び込みだったにもかかわらず、小一時間も時間を頂き、関連資料も入手できた。こちらにも来春また話を聞きに来ることになるだろう。
ミルトン・キーンズとバーミンガムで入手した資料が相当な重さになり、運んでいた紙袋が破れてしまったので、郵便局から東京へ資料を送ることにする。結局、12キロあまりの大きな荷物になり、最初に箱を買って梱包したニュー・ストリートの郵便局では重すぎて受け付けられないと言われ、市役所前の郵便局まで担いで行き、何とか発送した。90ポンド近い金額を現金で支払わなければならず、手持ちの現金が急に心細くなってしまった。
英国では一般的に、都市間の移動は鉄道よりバスが安い。駅から少し南東へ下って、長距離バス発着所まで行き、グラスゴー行きの切符を買おうとしたのだが、どうやら週末と重なって券がないといわれてしまう。仕方なく、駅へ戻り、午後7時過ぎのヴァージンの急行でグラスゴーへ向かうことにする。こちらも発車時間まで間がないという理由で指定席はとれなかった。定刻は7時5分、5Bプラットフォームだったが、5分ほど遅れるというアナウンスがあった後、列車の到着直前になって、プラットフォームが6Bに変更されるという慌ただしいことになった。確か去年もこんなことがあったような気がする。やってきたピカピカの新しい列車に乗り込んでみると、とりあえず空席がありほっとした。しかも隣にいた男性客が、最初のウォルヴァーハンプトンで下車したので、ラップトップ用に用意されているコンセントを使ってパソコンで作業をはじめる。
その後、しばらくうとうとしていたら、プレストンに停車している時に何やら車内に動きがあった。よく判らないが、グラスゴーまで行く客は別の列車に移れと言っているようだ。もう11時近くになっていて、定刻より一時間近く遅くなっている。とにかく荷物を持って下車し、プラットフォームにいたヴァージンの乗務員?に尋ねてみると、隣の3番線に来る列車に乗り換えろという。言われたままに、移動してやってきたやや旧式の列車に乗り、テーブル付きのボックス席を占領して足を伸ばし、座席に残っていたタイムズ紙を読む。
結局、11時17分到着のはずだったグラスゴー・セントラル駅に着いたのは0時20分頃。この列車が最後の便らしく、駅は閉鎖の準備に入っている。なぜか街頭に人がたくさん溢れているが、ざっと見回してもホテルらしい建物は見あたらない。駅の警備員に、ごっちの方へ行ったらホテルがあるかと聞くと、駅を出て右へ行って最初の角を右へ曲がるとホテルがあると言われる。言われたとおりに行くと、確かにホテルはあったのだが、満室だった。どこに当たればよいかと尋ね、次の候補へ行くと、ここも満室。同じことをまた尋ねてさらに駅から離れる方向へ行ってみたが、ホテルらしい建物は見えない。十分以上歩いたところで酔っぱらいに小銭をせびられ、とっさに英語が出来ない振りをして切り抜ける。さらに進んでゆくといよいよ寂しくなってきたので、駅へとって返すことにする。最初に教えられたのと反対方向へ行くと、まずラディソンの看板が見えたのだが、ここは建設現場で営業はしていない。その先のホテルへ行くと、やはり満室。何でもサッカーの試合があってどこも満室なのだという。そこで教えられた次のホテルもだめ。更にそこで、その先にあるマリオットへ行けと言われる。
マリオットに到着した段階で、既に1時20分頃になっていた。細かい氷雨の中を一時間もほっつき歩いていたことになる。マリオットはシングルが150ポンド以上(3万円以上)という値段だったが、幸か不幸かここも満室だった。しかし、さすがにこうした高級ホテルのフロントはしっかりしている。数軒のホテルを照会してだめだった後も、何とか探すからロビーで待っていてくれ、見つからなければそのまま朝までいていいから、と言われる。言われるままにしばらくソファでうとうとしていると、10マイルくらい離れたホテルに空き室があると言う。現金の持ち合わせがなく、クレジットカードしかないと言ってあったので、わざわざカードを使えるタクシーを呼んでもらった。このコンシェルジェには、ポケットの小銭をひとつかみ渡す。
やがて、初老の女性が運転するタクシーがやってきて乗り込む、スモール・トークもしんどいくらい疲れてしまい、ぼんやりしているうちに、レンフリューという空港に近い町のザ・ノルマンディーというホテルに到着した。
一泊朝食付きで60ポンド。2泊することにして、237号室に入る。既に2時になっていた。
朝食は10時までやっているということなので、もうしばらく起きていて、風呂に入って洗濯もすることに決める。テレビでスカイニュースやBBCニュース24を見ながら、荷物を開き、パソコンにデジカメの画像を吸い上げ、日記を書く。結局、風呂から上がってベッドに入ったのは4時近くになってからだった。
■ 2002/11/01 (Fri)
グラスゴーの新しい顔

Glasgow

Renfrew:
The Normandy Hotel
6時半頃一度目が覚めるが、つけっぱなしだったテレビを聞きながら、そのまま再度眠る(テレビが日本語で喋っているように思えたから、その時には眠っていたのだろう)。8時過ぎに起床してシャワーを浴びる。
9時頃、朝食に降りてゆく。ビュッフェ方式なのでついつい色々とりすぎてしまう。レストランの前は緑の芝生が広がっていて、犬の散歩をさせている人が通り抜けてゆく。静かでのどかだなと思ったら、とたんに飛行機の轟音がして、空港の近くだということを思い出した。
9時半に、宿を出て、バス停へ行く。背広を着て出かけるのは、渡英後はじめて。天気は、今日も細かい氷雨である。最初に来たバスに市内へ行くかと聞くと、グラスゴー行きというのが来るからそれに乗れと言われる。程なくして、グラスゴー行きが来た。乗車するときに少し安い券はないかと聞いたら、一日の乗り放題券1ポンド75ペンスを勧められ、これを買う。
昨日のタクシーとは違って、バスは、バイパスを直行するわけではなく、クライド川左岸の、元の造船所が集まっていた辺りを、ジグザグとあっちへこっちへ行きながら、だんだん中心部へ近づいていく。
セントラル駅の少し先で下車し、観光案内の絵地図を頼りに、目的地のジョージ・ストリート40番地を目指した。道を塞ぐように建っている古い教会を過ぎ、クリスマスの飾り付けが始まっているジョージ・スクエアを過ぎると、ジョージス・トリートが始まる。最初は200番台の番地だったが、50番地のストラスクライド大学の建物の先には、しばらく番号のついた建物がない。うっかりその先のデューク・ストリートまで行ってしまう。戻ってみたのだが、それらしい建物がない。しばらく右往左往し、一度は訪問先の王立スコットランド地理学会に電話を掛けてみたのだがあいにく話し中だった。考えあぐねて、50番地の隣の、同じ大学の工事中の建物に入ってみたら、中の案内に40番地にあるはずの建物の名前があった。これを頼りに、無事、王立スコットランド地理学会に到着した。
L字形の細長い空間を上手く使って、会議室、写真資料室、事務局長室、資料室は仕切られ、残りの空間が細長い事務室になっている。ここでは、常時5名ほどが仕事をしているらしい。しばらくスタッフと雑談してから、事務局の代表者のM先生のオフィスへ招じ入れられ、IGC2004の準備状況や、王立スコットランド地理学会の歴史、近年のグラスゴーの再開発のことなどをいろいろと話す。関連資料もいろいろ頂戴し、また学会の出版物を数点買い、入会申請もした。
12時少し過ぎに学会事務局を辞し、ジョージ・スクエアに面したインフォメーションへ行く。ここでは収穫はなかったが、ボーダース(ハワイやシドニーにもあった書店)に行くことを勧められる。結局、ボーダーズへ回って、グラスゴー一帯の空中写真アトラスと、建物ガイドを買う。
IGC2004の会場となるのは、中心市街地から西へ外れた、かつて造船所などが集まっていた一帯である。ここには電車(地下鉄?)で行くのが便利だという話だったので、まずクイーンズ・ストリート駅へ行ってみたのだが、この駅へ行くのはセントラル駅からだと教えられ、鉄道路線図などをもらう。セントラル駅方面へ向かい、ついでにセントラル駅の付近を一回りしてから、90ペンスの切符を買って、二駅目のイグジビジョン・センター駅で降りる。ここから数百メートル、チューブ状の歩道橋を抜けて、SECC(スコティッシュ・イグジビジョン&コンベンション・センター)へ到着、外から建物を一通り眺める。会議場では何か大会が行われていたが、大ホールの入口でSECCの関連資料をもらえないかと尋ねてみると、隣の建物へ案内され、そこでSさんが対応してくれた、しばらくホールでお茶を飲みながら待っていると、簡単な日本語のパンフレットを含む関連資料を持ってきてくれた。それを元に一通り話を聞いた上で、会議場やホールを一通り見学させてもらうことができた。正直なところ、思わぬ収穫だった。
会議場のオーディトリアムの予定を眺めていたら、エルトン・ジョンやマッドネス(懐かしい!)、ステータス・クォー(さらに懐かしい!!!)など、一流どころのコンサートがけっこう組まれている。また、展示ホールの方を利用するのだろうが、ホリデイ・オン・アイスやプロレスの興業もある。こういうのが、各種の学会や、業界のコンベンションと同列で予定表に並んでいるところが、何とも面白い。
雨はしとしと降り続けていたが、SECCを出て、クライド川にかかる歩道橋を渡り、左岸側の科学館に行く。ここは入場料を取って子供向けの科学体験が出来るようにしてあるところで、IMAXシアターが併設されている。入館はしなかったが、辺りの風景をデジカメに収め、さらに適当に見当をつけて南へ歩いてみる。かつての造船用と思しき掘り割りが残っている一帯から、小規模な作業所がいろいろある辺り、それが割合と新しい住宅になっているところ、さらにそれより古い労働者向けの住宅と思しき低層や高層の住宅が並ぶ一帯と通り抜けて、イブロックスという辺りに出た。ちょうど学校が終わる頃のようで、子供達が下校しているのだが、有色人種の子供がけっこういる。白人ばかりに思えた昨夜の繁華街での印象とはずいぶん違う。
ここで、乗り放題券が使えるアリーヴァのバスが来たので、レンフリューへ行きたいのだがどうすればいいかと聞いてみる。アクセントがきつくて今ひとつよく聞き取れないが、このバスは直接通らないが、乗り換えられるところで教えてくれるということらしい。けっこう雨粒が大きくなってきた雨の中を歩いていたので、バスで座って一安心する。途中で、案内標識にレンフリューとあるところをどんどん通過して行くので多少心配になり運転手に確認したが、とにかく乗っていろと言われる。結局、ペイズリー駅のターミナルまで来たところで、ショッピング・センターの裏側の乗り場から101番バスに乗るように、と教えてもらい、下車する。雨は結構本降りになっている。言われたとおりに行くと、ちょうど101番バスが来ていた。一安心して乗っていたが、途中で、このバスは宿の前までは行かないように思えてきた。運転手に確認すると、少し先で降りて乗り換えろと言う。レンフリューの町中で、再度乗り換えて、宿の方向へ向かうバスが来るバス停へ向かった。ここでも、さほど待たずにバスが来て、4時少し過ぎには無事に宿に戻った。最後の方は雨が本降りで背広はしっかり濡れてしまったが、ズボンの方は大した被害がなく、やはり日本の大粒の雨とは違うと再認識する。
昨夜の睡眠が不十分で、雨の中をかなり歩き、またバスの行く先を気にして気疲れもしていたので、部屋に戻るとベッドで一眠りしたくなった。4時半から7時過ぎまでと時間は短めだったが、本格的に眠る。

The Scottish Exhibition & Conference Centre:2002年11月1日(金)
■ 2002/11/02 (Sat)
7 時間の列車の旅

Glasgow

Oxford:
Westgate Hotel
未明に何度か目が覚めるが、結局起床したのは8時少し前だった。
朝食に降りてゆくと、いっぱいの人で埋まっている。団体客というわけでもないようだが、高齢の人も結構いるし、フランス語の会話もあちこちで飛び交っている。ゆっくり朝食をとって満腹になってから、部屋に戻る。
荷物をまとめなおしてから、9時半頃にチェックアウトし、ホテルの近くの古い可動橋(今は動かない?)を見に行く。ホテルの前のバス停まで戻り、やってきたグラスゴー行きの2階バスに乗る。片道の料金を聞いたら、1ポンド69ペンスだという。それならと、一日券1ポンド75ペンスを買い、前回バスに乗ったときに気になったショッピング・コンプレックスで途中下車する。
ここでは、本屋を2軒まわり、それぞれで数冊本を買った。再度、バスに乗ってセントラル駅へ行く。到着したのは11時20分頃だったが、ちょうど都合のよいヴァージンの列車(プール行き)が12時5分発だったので、そのままコンコースで時間を潰し、11時50分頃に列車に乗り込む。事前にバーミンガムで空席状況を聞いたときには、事前の予約分はいっぱいだという話だったので、ある程度は混んでいることを覚悟したのだが、実際に乗り込んでみると、どの席も予約なしという表示になっている。しばらくして車内放送で、コンピュータの不都合で予約ができなかったので、全席自由席だという説明があった。発車直後にリンゴとマフィンの昼食をとってから、小一時間熟睡する。
目が覚めると、丘陵に羊が放牧された、田園風景が広がっていた。今回の旅は、観光らしいことはしていないが、こうした車窓を眺めることが、一番の観光なのだろう。この列車は、バーミンガムから先、コヴェントリーからオックスフォード方面へ行く。ちょうど都合がよいので、車内精算して、オックスフォードまでそのまま乗って行くことにする。
窓側の席で、パソコンの電源が使えるので、気をよくしてパソコンを開けたのだが、原稿を書く気が起きない。暇つぶし同然のページの構築(当然、掲出するのは帰国後)や、メモの作成などをして時間を過ごす。途中で検札に来た車掌に尋ねてみると、6時45分頃にはオックスフォードに着くだろうと言う。どうやら、定刻より少々遅れ気味で運行されているらしい。結局、列車は予定より小一時間遅れて、バーミンガムまで戻ってきた。ここからコヴェントリーを経て、オックスフォードの方へ向かうわけだ。ところが、ちょうど6時40分頃(本当ならもうすぐオックスフォード到着という頃)に、不意に列車が停止してしまった。どうやら誰かが非常停止装置に触れたらしい。ここでまた復旧までにしばらくかかる。乗客の多くは、バーミンガムから乗ってきた人たちで、それまでほとんど座れていた車内が、にわかに通路に人が立ったり、座ったりしている状況になっていたのだが、こうした列車のトラブルには慣れっこなのか、あきれた顔はしても、ほとんどが黙って待っている。ただ、隣に座っていた若者は、列車の遅れにけっこうへこんだのか、家に電話をして愚痴をこぼしていた。
7時過ぎにようやくオックスフォードに到着。駅前には見覚えがあった。以前来たときは、バス・ツアーでやってきて数時間勝手に散策するというスタイルだったはずだから、その時に駅前まで足を伸ばしていたということだろう。駅裏のウェストゲイト・ホテルへ行ってみると、ドアには空室ありとなっていたのに、部屋がないといわれる。一旦はあきらめて、その並びのリヴァー・ホテルへ行ったのだが、そこではシングルはないがダブルならあると言われ、80ポンド以上の値段を提示された。そこで、再度ウェストゲイト・ホテルへ戻って尋ねてみると、今夜はシングルはないが、ダブルは60ポンド(シングル利用)である、明日の晩は44ポンドの安い(トイレ別の)シングルがある、という話になり、ここに泊まることにする。今晩は3階(英国式では2階)の11号室ということで部屋にはいると、バスタブもあって、居心地は良さそうだ。ところが、バスタブの湯栓が壊れているようで、お湯が出てこない。洗面台の方では湯が出るのだが、これでは湯船に湯を溜められない。とりあえず、洗面台から溜めた湯で足だけ洗い、ベッドで大の字になる。
テレビは、BBCで十八世紀の歴史(ジャコバン党の反乱とか)をやっているのを、思わず引き込まれてみた後、SKYニュースを少し見て、さらにITV1でヨーロッパ十カ国の代表が競うという趣向のそっくりショー(歌マネ)コンテストのような番組(Stars In Their Eyes European Championship)を見る。各国で予選にあたる番組があって、その優勝者が競うという仕組みだが、こうした事が成り立つ背景には、各地のホテルなどで「トリビュート」を謳ったそっくり歌謡ショーがよく客を集めているという状況があるのかもしれない。しかし、仏語話者と思しきベルギー人が大袈裟にまねるフリオ・イグレシアスは結構笑えた(お笑いを狙った番組ではないようなのだが)。
10時過ぎにテレビを消して、パソコンをいじりながら、しばらくしてそのまま眠ってしまう。
■ 2002/11/03 (Sun)
オックスフォードの休日

Oxford:
Westgate Hotel
夜中に一度目が覚めて、パソコンを片づけ、熟睡する8時過ぎに起床。9時頃朝食に降りてゆく。食後は部屋に戻って荷物をまとめ、10時過ぎに荷物を持って下へ降り、鍵を返す。 しばらく出かけることにして、まず駅へ行き、ロンドン行きの電車の運行状況と料金を確認する。駅前のピカピカの建物、サイード・ビジネス・スクールの前を通って中心部へ向かう。長距離バス発着所で、ロンドンまでの料金と予約の要否を確認する。料金は9ポンドで、一日中(夜中も含め)発着があり、通常は予約不要ということで、一安心する。近くにあるツーリスト・インフォメーションへ行ってみると、11月からの冬季は日曜が休みになるとあった。つまり今日が、この冬最初の休みなのだ。そのままぶらぶらと中心部を歩き、マンスフィールド・ロードにある地理学教室棟(明日訪れる予定)の場所を確認し、日曜日は11時から開いているブラックウェル書店で、170ポンド(3万4000円)ほどの買い物をする。ここでは、時間もお金も、いくらでも使ってしまいそうだ。更に、ブラックウェルのディスカウント店で、地図類を買う。このほかにも土産物屋などを冷やかしてから、午後1時過ぎに宿に戻る。 宿では、今夜泊まる8号室の鍵を受け取って、荷物をもって再び3階(英国式には2階)に上がる。テレビをつけると、ITV1のJonathan Dimblebyという番組で保守党党首ダンカン=スミスのインタビュー番組をやっているのを、しばらく見る。2時半頃から1時間あまり昼寝。4時頃、インターネット・カフェを探して中心部へ出るが、カフェでeメールが読めるところはあったが、持参したパソコンの接続はできないようで、早々にあきらめて、ただの散歩に切り替える。ところが、そう思ったとたん、雨がやや強めになってきた、仕方なくショッピング・センターで雨宿りしてから、雨足が弱まったのを見て宿に戻り、4時40分頃に部屋に帰り着く。しばらくまたテレビを見る。Five で Britain's Worst Driver という、他人事に思えないような「ビッグ・ブラザー」の裏返しのような番組(その週に一番改善が認められた危ないドライバーは、新車をもらって家に帰ることができるが、残りは次の週に進む)があり、思わず見てしまう。 5時半ころ、夕食をとりに宿を出る。駅の近くの、中華料理のビュッフェで、本を読みながらゆっくり食べる。味の方はともかく、満腹満腹。帰りは、駅に立ち寄ってグラスゴーからの列車のタイムテーブルを手に入れる。昨日の列車は結局一時間ほどの遅れだったことが判る。7時半頃、部屋に戻り、またテレビを見る。貴族院の改革で、議員の職を失った世襲貴族たちのドキュメンタリーが面白かった。その後もそのままテレビを見ながら、眠りにつく。
■ 2002/11/04 (Mon)
コレッジを垣間見る

Oxford

London:
The Lynton Hotel
8時前に起床。8時過ぎに朝食をとりに降りてゆく。週末だった前日とは違い、今朝は客も少ないようだ。同じタイミングで席にいたのは男性客一人だけだった。 10時少し前に荷物をまとめて下へ降り、チェックアウトして、荷物を預ける。身軽になって中心部へ行き、古本屋を数軒ハシゴする。チチェスターの1960年代の地図や、1920年代のロードマップなどを手に入れた。郵便局で切手を買って、ハガキを書く。そうこうしているうちに正午近くになったので、地理学教室棟へ行き、S講師(肩書きはReader)に面会する。 しばらく、研究室で話をしてから、コッレジでの昼食に誘われる。ありがたく誘いを受けることにして、彼が所属するセント・ピーターズ・コレッジへ一緒に行き、教員の食堂で一緒に昼食をとる。この建物自体は十年ほど前に建てられた新しいものだが、教員がテーブルを囲んで一緒に食事をする雰囲気には一種の感銘を受けた。先週、教員の一人が亡くなって、その葬儀に出席するために半数以上の教員が不在だったそうだが、人数が少ない分、親密さが強く感じられる食卓だった。 2時少し前にコレッジの前でS氏と別れた。今回の旅も、これで一区切りがついたことになる。 宿に戻って荷物を受け取り、長距離バス発着所で最後の絵ハガキを書いて出し、2時47分発のオックスフォードチューブのバスでロンドンへ向かった。 4時20分頃にヴィクトリア駅に到着し、リントンに向かったのだが、あいにくオーナーが出かけていて、留守番の女性しかいない。とりあえず荷物を置かせてもらい、パソコンだけを持って、ヴィクトリア線でキングス・クロス/セント・パンクラスへ行き、先日と同じインターネット・カフェでパソコンを接続する。ところが、前回の最後に起こった問題がまた起こり、メールを送ることはできたようなのだが、受信ができなかった。帰国してからいろいろとメールの処理に追われることになるのだろう。 帰りはラッセル・スクエア駅からピカデリー・サーカスへ向かい、バーバリーの店にお土産を買いに行ったのだが、既に店は閉まっていた。少し散歩する気になり、トラファルガー広場から、パルマルを通って、グリーン・スクエア駅へたどり着いた。一駅だけ地下鉄に乗ってヴィクトリア駅へ戻り、宿へ行くと、オーナーが戻っていて、4号室の鍵を渡される。2階(英国式には1階)の通り側の細長い、天井の高い、ツインの部屋である。テレビで面白い番組をやっていたので、しばらくひっくり返ってテレビを見る。アンコール・ワットの歴史番組、若いBNP(英国国民党=新右翼)党員の密着ドキュメンタリー、BBCのニュース、フィル・コリンズのバイオグラフィー等と、ついつい11時過ぎまで立て続けに見てしまう。
■ 2002/11/05 (Tue)
■ 2002/11/06 (Wed)
ゲーム三昧のフライト

London

VS900便 機中
朝8時頃起床し、すぐ朝食に降りてゆく。朝食後、荷物をまとめ部屋を出たのだが、まとめた大きな荷物が30キロほどになり、担いで少し歩いては、一休みするという有様担ってしまう。9時半少し前にチェックアウトしてホテルを出たのに、地下鉄駅にたどり着いたときには10時近くになっていた。 ディストリクト線でハマースミス駅まで行き、ピカデリー線に乗り継いで、ヒースロー空港へ向かう。ヴィクトリア駅からだと、このルートが一番乗り換えが楽のようだ。結局、空港に到着したときには11時をかなり回っていた。 ロンドンは出国手続きはないのだが、セキュリティ・チェックのところが人の流れのボトルネックになっていて、結構時間がかかる。集合時間をもう過ぎているので、免税店でお土産物を買う余裕もなく、搭乗ゲートへ向かう。搭乗ゲートでも、抜き取り検査式のセキュリティ・チェックをされる。しかし、ほとんど待つことなく、搭乗することになった。
フライトは12時間ほど。東行きのフライトなので、時間は9時間短くなる。その間に短い夜が過ぎてゆくことになる。最初は少し寝ようかとも思ったのだが、そのままゲーム(もっぱら上海、ときどきテトリス)をやりながらできるだけ起きているようにする。
定刻の10時過ぎに成田に到着。総武線の快速エアポートから錦糸町と御茶ノ水で乗り継いで、2時過ぎに国分寺に到着した。


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