詩人・瀬沼孝彰を悼む

1996年8月28日未明に急逝した詩人・瀬沼孝彰氏を偲んで
焚火」(1995)

 瀬沼さんは、アルカディアの常連の一人でした。
 山田は、瀬沼さんと特別に親しかったわけでもなく、特に長いつきあいだったわけでもありません。寡黙な瀬沼さんと、カウンターに並んで話すときは、こちらも丁寧に言葉を選び、考えながら話をしていたものです。瀬沼さんが帰らぬ人となったあの夜、山田は病院のICU(集中治療室)に駆けつけることはせず、アルカディアの仲間たちが病院へ行ってカラになった店で、連絡のために留守番をしていました。それが、瀕死の瀬沼さんに対するせめてもの務めでした。

 瀬沼さんの死から1年あまり、このページには『ガレージランド』に掲載された瀬沼さんの詩「焚火」を紹介し、瀬沼さんへの追悼の気持ちを表してきました。このページはこれからも、このまましばらく残しておきたいと思います。
 瀬沼さんの死から1年を経て、一周忌にあわせる形で、ようやく瀬沼さんの第四詩集=遺作集が刊行されました。「焚火」もこの詩集に収録されています。
(1997.09.16.記)


 瀬沼さんの個人誌だった『ガレージランド』の9号が、この6月5日付で発行されました。
 この号には、瀬沼さんを追悼する形で集められたエッセイや評論を中心に、筏丸けいこ、倉尾 勉、添田 馨といった詩人たちの作品や文章が掲載されています。
 奥付を見ると、発行所の記載は、下記のようになっています。
  ガレージランドの会
  〒167-0041 東京都杉並区善福寺1-22-13
  第二野田荘・倉尾方
 『ガレージランド』は、瀬沼さんの未発表稿の掲載などを含め、今後も続刊されることになったようです。
(1998.06.18.記)
 倉尾 勉さんによる『ガレージ・ランド』のホームページを偶然発見しました。瀬沼さんの詩「ガレージ・ランド」などを読むことができます。
 さて、迂闊なことに「ガレージ・ランド」にナカグロの点が入っていることに、これまで気づいていませんでした。これまで書いた分も改めようかとも思ったのですが、遡っての訂正はしないことにしました。悪しからず。
(1999.02.19.記)
 倉尾 勉さんが引き継いだ『ガレージ・ランド』の10号が、3月1日付で刊行されました。
 山田はアルカディアで1冊手に入れました。
(1999.04.06.記)

瀬沼孝彰(1954-1996)
『夢の家』は、本体定価1800円
七月堂は、〒156-0043 東京都世田谷区松原1-38-5 電話03-3325-5717


焚火
                  瀬沼孝彰

空き地にはたくさんの人々が集まっていた
沈んでいく太陽の姿は
ビルの影に隠れて見えなかった
かすかに西の空が赤くぬれていた

何かとても寒くなって ここにきてしまった
人の波に身を置けば
寂しさがまぎれるように思えた
でもそれはなくならなかった
背中あわせの寂しさたちが
どんどん
大きなかたまりになってふくれ上がる

ガソリンの匂いが漂い
風が砂ぼこりを上げていく
長い髪のブルゾンを着た少年が
背の低い少年のカバンを押し開け
笑いながら ゴミのようなものをつめている
新聞紙を持った老人を
スーツ姿の中年男が ののしりはじめる

(いじめは一人 一人が違う人間だから
(なくならないと思います…

テレビドラマで中学生役の少女が
呟いた言葉が蘇ってくる
こんな空き地まできたのに
学校や職場と同じことを繰り返してしまう

途方にくれて
青白いやせ犬のように坐り込む
見ると
傍らの人もうずくまっていた
泣き顔だった

夕闇がこくなってきた

ここはとても寒いから
ちぢれた耳の夢 瞳の夢

(ふくれ上がったいたみと寂しさたちを
(あつめて
(焚火をすることができれば


            [ガレージ・ランド 6号(1995) より]

瀬沼孝彰さんのご冥福をお祈りいたします。
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