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本橋哲也先生に贈る言葉


東経大教職組機関紙「輪」第228号、p.6 原稿(2025)

本橋哲也先生に贈る言葉

山田晴通  


 教員を長くやっていると、本の著者としてしか知らなかった方に、後から知遇を得るということが時々ある。本橋先生との出会いも、そのひとつであった。  本橋先生は、2006年にコミュニケーション学部へ教授として着任された。当時は、1999年からの石原都政の下、先生の前任校であった東京都立大学に対する上からの「改革」の動きが強まる中、特に人文系の研究者には、風当たりが強まっていた。最終的に東京都立大学は、他の都立の大学等を統合する形で2005年に首都大学東京が開学し、この名称が2020年まで用いられた(なお、旧・東京都立大学も、形式上は2011年まで残存した)。そんな中で、本橋先生は、コミュニケーション学部においでになった。私の勝手な理解、というか妄想の中では、世間的な評価からすれば「格上」の都立大学から本学に来ていただけたのは、先生がより自由闊達な研究環境を求められた結果の「亡命」だったのではないかと思っている。
 本橋先生は、もとより英文学者の王道であるシェイクスピア研究者であるが、1990年代前半に英国に留学され、当時急速に影響 力を拡大しつつあったカルチュラル・スタディーズ(以下、CS)に深く接触された。留学とは縁のなかった私も、1990年前半には、CSについて学会発表をしたり文章を書いていたので、当時の英国の潮流には関心をもっていた。本橋先生の名を最初に知ったのは、2002年の『カルチュラル・スタディーズへの招待』(大修館書店)だったはずだが、この時点ですでに私はCSへの関心が薄らぎかけており、あまりちゃんと読まないままになってしまった。続いて出た2004年の『本当はこわいシェイクスピア』(講談社)は、深い内容ながら、読みやすいスタイルで書かれており、楽しんで読んだように思う。2005年にはD・ハーヴェイの『ニュー・インペリアリズム』が先生の訳により出た。その後、2007年に出た同じ著者、訳者による『ネオリベラリズムとは何か』ともども、社会経済地理学を自称する者としては読まなければいけない本であったが、手にした記憶はあるものの、ほとんど読んでいない。不勉強の誹りは免れ得ないところである。
 コミュニケーション学部においでになってからも、先生は著書、訳書とも充実した内容を発表され続けた。その一方で、先生は演劇研究からさらに一歩踏み込んで、演劇活動に寄り添った研究にもコミットされた。各地の演劇祭などにもよく足を運ばれていた。この間、先生は研究活動を通して幅広い世代の後進とも交流された。2013年7月には、先生を実行委員長として、CS系の研究者たちが集うカルチュラル・タイフーンが本学で開催され、ご在職の最終年度となった2024年11月には、先生が受け入れられる形で、本 学を会場として日本演劇学会研究集会が開催された。
 先生は、飄々とした自由な研究者であり、大学行政の役職とは縁が薄いような印象も与えていたが、2020年から2024年にかけてコミュニケーション学研究科委員長を2期務められた。実は、委員長としての先生には、詳らかにできないことも含め、随分とお 世話になり、ご迷惑もおかけした。この際、改めて感謝とともに、お詫びも申し上げてお きたい。
 最後に、『ヘンリー四世第二部』における老いたるフォルスタッフ(彼はいくつものシェイクスピア作品に登場する)の台詞を本橋先生に捧げて拙文を閉じる。日本語訳は敢えて拙訳とした。先生をフォルスタッフに擬するのは余りにも不適切だろうが、今の本橋先生には、ぜひこの台詞を発していただきたいものである。

The truth is, I'm only old in, judgment and understanding.

実に拙者、老熟しているのは分別と呑み込みだけであります。

先生の今後ますますのご活躍を祈念しつつ。



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