私的ページ:山田晴通

大垣女子短期大学の解雇事件


 大垣女子短期大学(岐阜県・私立)は、学科の廃止を理由に当該学科に所属していた専任教員全員に退職を求め、これに応じなかった堀江一晃助教授に対して1999年度末をもって解雇する旨を通告しました。1999年12月28日に至り、堀江氏は岐阜地裁に「2000年4月1日以降雇用関係存在確認」を本訴提起し、この件は裁判に持ち込まれています。
 ここでは、訴状(堀江氏以外の個人名を伏せたもの)により、事件の概要を紹介します。もとよりこれは、文書の性格上、堀江氏側の主張がまとめられているものです。解雇した大学側の見解を示した資料をお持ちの方は、山田までお知らせ下さい。できれば両サイドの意見を並列する形で情報を広めたいと思います。



       訴 状       

             原告  堀江一晃  
             被告  学校法人大垣女子短期大学

        請 求 の 趣 旨     

一 原告と被告との間において、二〇〇〇年四月一日以降も雇用契約関係が存在することを確認する
二 訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求める。

       請 求 の 原 因     

第一 当事者
一 原告は、一九六六年三月に立命館大学法学部を卒業し、一九六九年三月に同大学大学院法学研究科修士課程(公法・法哲学専攻)を修了した後、同年四月に被告が経営する大垣女子短期大学(以下、大垣女子短大という)の教務課職員兼幼児教育科講師として採用され、一九七五年四月から専任の講師(担当科目は日本国憲法、哲学)、一九七八年四月から助教授となり、現在に至っている。
 原告の専門は公法・法哲学であり、一九九九年度は日本国憲法、生活意識論(哲学を名称変更)、総合科目などの講義科目及び教養演習(ゼミナール)を担当している。
 原告と被告との雇用契約は期間の定めのないものである。
二 被告は、一九六九年三月一日に設立された学校法人である。
 一九六九年四月に幼児教育科第一部(昼間部学生が対象)が開設されたが、実際の第一部学生はわずかで、翌一九七〇年四月に幼児教育科第三部(昼夜間二交代の勤労学生が対象)が開設されたことによって、本格的な開校となった。
 その後、学科及び募集定員の増加が順次行われ、一九九九年四月時点においては左記のとおり学科数は五学科であり、学生数は第一部が七九五名、第三部が四六八名の合計一二六三名である(但し、国際教養科第一部は二年生のみ、歯科衛生科第三部は 三年生のみ)。
  幼児教育科   第一部二七二名、第三部三九九名
  音楽科     第一部一四八名
  デザイン美術科 第一部一七七名
  歯科衛生科   第一部一六五名、第三部六九名
  国際教養科   第一部 三三名
三 原告は、文部省への届出上は幼児教育科第一部の所属であったが(なお、現在も届出上は幼児教育科第一部の所属である)、学内運営上は教養科に所属し、同科の助教授と扱われていたが、後に詳述するように、一九九七年三月の教養科の廃止に伴い 、同年四月から国際教養科に配転された。
 なお、教養科とは、学内運営上の組織であり、それ自体としては学生募集は行わないが、全学の一年生を対象に、教養科目の履修を担当する学科で、財政及び人事の面において他の学科と同様に独立に運営されていた。

第二 解雇予告の存在
一 被告は一九九八年二月二〇日の理事会において、国際教養科を二〇〇〇年三月三一日をもって廃止すること、及び一九九九年四月から同科の学生募集を停止する旨を決定した。
 これに伴い、一九九八年九月、原告を含む国際教養科所属の一二名の教員(教授、助教授、講師)に対して、同年一〇月三一日までに所定の退職届を提出すること、その届出がない場合には二〇〇〇年三月三一日付けをもって解雇する予定である旨を告げ、退職を迫った(右の時点における同科の教員は一三名であるが、一名は二〇〇〇年三月三一日が定年退職のため、退職勧奨の対象は一二名であった)。
 右教員のうち一〇名は期限までに右退職届を提出したが、原告他一名はこれを提出しなかった。すると、被告から一九九八年一二月二一日までに退職届を提出するようにとの再度の通知がなされたが、原告他一名はこれも提出しなかった。
二 すると、被告は代理人を介して、一九九九年四月七日付けの内容証明郵便をもって、改めて二〇〇〇年三月三一日をもって原告両名を解雇する予定であることを通知してきた。
三 なお、原告とともに退職届の提出を拒んでいた教員は、一身上の都合により、一九九九年一〇月に退職届を提出している。

第三 右解雇予告の違法性
一 右解雇予告に至るまでの経緯
1 大垣女子短大の設立から国際教養科の開設まで
1) 被告は、一九六九年二月に大垣女子短期大学幼児教育科第一部(入学定員一〇〇名)の設置認可を受け、同年四月に同大学を開設した。しかし、この時には同科第一部の学生募集は行われず、開設されていない第三部の学生募集が行われ、この第三部学生を第一部学生と偽って文部省に届け出ていた。このため、実際には第一部学生は七名しか存在しないという不正常な形でスタートした。
 被告は、翌一九七〇年四月に幼児教育科第三部(入学定員二〇〇名)を開設し、大学としての本格的な運営をスタートさせた。第三部とは、昼夜間二交代の勤労学生を対象とするもので(第一部が昼間部、第二部が夜間部の学生を対象としている。従って、第三部の修業年限は三年)、その設立の経緯から、大垣女子短大は大垣市内及びその近郊に所在する工場等で働く女子工員を対象としたもので、同短大後援会に加盟する企業の福利厚生的な色合いが濃厚であった。実際、一九七六年ころまでは、理事 は右加盟企業の工場長が占めていた。
 その後、
 一九七一年に音楽科(入学定員五〇名)、美術科(同五〇名)の開設
 一九七四年に保健科第一部(同五〇名)の開設(後に、歯科衛生科と改称)
 一九七六年に幼児教育科第三部の定員増(二〇〇名から三五〇名へ)
 一九七七年に保健科第三部の開設(但し、一九九七年四月から募集停止)
が順次行われ、学生募集が行われていった。
2) 原告は、文部省の届出上は幼児教育科第一部に所属するものの、学内運営上は教養科所属の教員と扱われ、主に日本国憲法の授業を担当してきた。日本国憲法は幼児教育科における教員免許取得のための必修科目であり、全学共通の一般教養科目である。大垣女子短大においては、一般教養科目は一年生の間に履修するものとしていたので、教養科は全学科の一年生を対象に、一般教養科目の授業を行っていた。
3) 大垣女子短大においては、一九八〇年代の後半から、第三部への入学生が減少してきた。主たる理由は、地元企業の合理化によって、新規採用される女子工員が減少したためである。
 このため、第一部学生の増加をはかるべく、学科増設による入学生の確保が考えられた。折しも、文部省によって、学科の新設あるいは改組転換(従来の学部・学科を別の学部・学科に改める場合にはこう呼ばれる)は、@国際化、A高齢化、B情報化のいずれかに対応したものでなければ認められないという方針が示されていたため、被告は大垣女子短大に「国際教養科」を開設することとし、一九八九年頃から手続を進め、一九九〇年一二月に国際教養科の設置認可、翌一九九一年四月に同科開設の運びとなった。
2 国際教養科の開設から教養科の廃止、国際教養科への配転まで
1) ところで、国際教養科の学生総数(一、二年生の合計。一学年の定員は一〇〇名)と教員数の推移は次のとおりであった。
         学生総数  教員数
  一九九一年度  七八名  一二名 (但し、初年度で一年生のみ)
  一九九二年度 二〇二名  一二名
  一九九三年度 二六三名  一二名
  一九九四年度 二七五名  一二名
  一九九五年度 二五五名  一一名
  一九九六年度 一九九名  一一名
 右教員のうち、個別雇用契約教員(被告において一九九三年度から導入されたもので、例えば週三日勤務をすれば足りるというもので、実質的には非常勤講師である)の占める割合が、
  一九九三年度 全学四名のうち国際教養科三名
  一九九四年度   八名        六名
  一九九五年度   九名        六名
  一九九六年度  一二名        六名
と全学的にも、学科内でも比較的 高い割合で推移してきた。
 しかも、採用された教員は、教員経験のない企業人が多数を占めていた。
 また、特定の教員の日程に合わせて学科会議を開いたために、他の教員が参加できず(個別雇用契約教員のため、そもそも大学に来ない日に学科会議があるなど)、学科会議が開けずに機能しないという事態が、同学科開設当初から発生した。
 このため、国際教養科の学生指導が満足に行えず、同学科の評価の低下を招いた。
2) そこで、被告は、国際教養科の強化のためという名目で、一九九七年二月に、学内組織としての教養科を廃止して、国際教養科に統合することを決め、同年四月に原告を含む教養科所属の教員を国際教養科へ配転させた(これによって、全学共通の教養科目の授業は大部分が国際教養科所属の教員が行うこととなった)。この結果、同科における学生総数と教員数の関係は次のとおりとなった。
         学生総数  教員数  個別雇用契約教員
  一九九七年度 一三五名  一八名  七名(全学では一七名)
  一九九八年度  八三名  一四名  四名(    一〇名)
  一九九九年度  三三名  一一名  四名(    一三名)
3) 被告の右の決定に対して、原告を含む教養科の教員(当時八名)は、強硬に反対した。というのは、国際教養科の学科運営の状況、学生募集の状況から、早晩、国際教養科は廃止されるのではないかという噂が広まっていたため、廃止される学科に配転されることは体の良い解雇理由とされかねないと考えたためである。しかし、これに対して、教養科の学科会議の場において、C学長及びD教養科学科長から、
 「国際教養科が廃止された時には他学科に分属させる。
  従って解雇はない」
ことが約束されたため、最終的には教養科の教員全員が右配転を承諾した。
3) なお、同時期に、歯科衛生科第三部の学生募集も停止されたが、歯科衛生科では一名が他学科へ配転されたのみで、教員の解雇は行われなかった。
3 国際教養科の廃止決定と解雇予告通知
1) 一九九七年四月、原告を含む教養科所属の教員七名(一名は幼児教育科に配転)は国際教養科へ配転された。その結果、同科では、学生総数一三五名に対して教員一八名と過剰とも言える状況となった。
 ところが、翌一九九八年二月に行われた理事会では、国際教養科の廃止及び学生募集停止を決定した。しかも、同年九月に原告を含む同科の教員全員に退職勧奨がなされ、原告については解雇予告通知までなされるところとなった。
 右の学科廃止及び学生募集停止の各決定は、原告らを国際教養科に配転させた同じ年度内になされたものである。「教養科の強化」という方針を打ち出して原告らを配転しておきながら、その成果をみることなく右各決定を行ったことは、被告の悪意を 感ぜざるをえない。
 しかも、国際教養科の設置期間は、わずか九年間である。どのような見通しをもって学科の新設を行ったのか、学科の運営も十分な努力がなされたのかなど、被告による経営責任が厳しく問われなければならない。
2) 一九九九年四月、国際教養科の学生募集が停止され、二年生のみとなった。
 同時に、被告から原告他一名に対して、内容証明郵便をもって、改めて国際教養科の廃止を理由とする解雇予告が通知された。

二 違法性
1 右のような経緯に鑑みるとき、被告が原告に対してなした本件解雇予告は、以下に述べるように合理的理由がなく、解雇権の濫用として無効である。
2 解雇権濫用の法理
1) 使用者は、解雇の自由(民法六二七条一項)を有しているが、それも権利の濫用に当たる場合には無効となるという解雇権濫用の法理が多数の判例の積み重ねによって確立されている。
 すなわち、最高裁判例は、「使用者の解雇権の行使も、それが客観的な合理性を欠き社会通念上相当として是認することができない場合には、権利の濫用として無効になる」と述べてこの法理の内容を定式化した(日本食塩製造事件・最二小判昭50・4 ・25)。
 次いで、「普通解雇事由がある場合においても、使用者は常に解雇しうるものではなく、当該具体的な事情のもとにおいて、解雇に処することが著しく不合理であり、社会通念上相当として是認することができないときには、当該解雇の意思表示は、解雇権の濫用として無効となる」と述べて、同法理における「相当性の原則」を明らかにした(高知放送事件・最二小判昭52・1・31)。
2) 解雇権濫用法理にいう解雇の合理的理由は、次の四つに大別されている。
  @労働者の労務提供の不能や労働能力又は適格性の欠如・喪失
  A労働者の規律違反
  B経営上の必要性に基づく理由(合理化による職種の消滅と他職種への配転
   不能、経営不振による名員整理などの事由)
  Cユニオンショップ協定に基づく組合の解雇要求
 右の@〜Bの事由については、裁判所は、一般的には、それら事由が重大な程度に達しており、かかる労働者の側に宥恕すべき事由がほとんどない場合にのみ解雇相当性を認めている。(以上について、菅野和夫・労働法四四二頁以下参照)
3 合理的理由の不存在
1) そこで、被告の解雇予告について合理的理由が存在するかが問題となる。
 被告は、本件解雇予告は就業規則第二〇条一項4)の「事業の縮小廃止、経営の合理化等止むを得ないとき」に該当すると主張するもののようである(右Bの事由)。しかし、本件解雇予告のなされた経緯をみれば、合理的理由は全く見いだし難い。
2) 配転の可能性があること
ウ 原告は、公法・法哲学を専攻する教員であり、一九九九年度は日本国憲法(前期4コマ)及び生活意識論(後期4コマ)、教養演習(通年で2コマ)、総合科目(前期1コマの一部)の各授業を担当している。
 ところで、幼児教育科では教員養成過程があるために、日本国憲法は必修科目となる。このため、原告ももとは幼児教育科に所属していた。国際教養科が廃止されても幼児教育科は存続するので、日本国憲法の授業は必要である。従って、原告をもとの幼児教育科に配転し、日本国憲法の授業を担当させることが可能であり、それがこれまでの学内運営からすれば当然の措置である。ところが、被告は、原告に対して解雇予告をする一方で、日本国憲法を担当する教員として非常勤講師を雇い入れることを検討している。およそ理に適った措置とは言えないことは明らかである。
エ しかも、原告を幼児教育科に配転することは、被告にとっては義務的でさえある。すなわち、教養科を廃止して国際教養科に原告らを配転させたとき、C学長及びD教養科学科長は、
 「国際教養科が廃止された時には他学科に分属させる。
  従って解雇はない」
と明言しており、これを信じて原告らは右配転に応じたものである。従って、原告を他学科(これまでの経緯、授業の関係からするならば、幼児教育科がもっともふさわしい)に配転すべき義務があるといえる。
 ちなみに、@一九九七年四月の配転の際に、A教授は教養科から幼児教育科に配転されたこと、A同時に廃止が決められた歯科衛生科第三部においては、教員の解雇は一切行われず、一名が他学科へ配転されたこと、B一九九八年四月にはB講師が国際教養科から歯科衛生科に配転されていることから、配転の実現可能性も存在しているということができる。
オ さらに、大学教員は就職・転職の機会が極端に少ないことから、解雇は過酷な措置であり、配転が可能な限り追及されるべきである。すなわち、大学教員が採用されるのは、退官などによって欠員が生じた場合あるいは学科増設の場合に限られており、しかも自己が専門とする科目と共通していなければならない。大学教員は特殊な職業であり、閉鎖された労働市場であるということができる。大学を解雇される教員労働者は、簡単に他の大学教員の職を見つけて転職していくことは極めて難しく、解雇は、大学教員でありつづけることを否定することにつながる。従って、このような過酷な結果を生ずる解雇は、よほどのことがない限り認められるべきではなく、配転の可能性があくまでも追及されるべきである。
3) 原告らを配転させた効果を見る前の解雇予告であること
 前記一2、3で見たように、被告は、一九九七年四月に、国際教養科のテコ入れのため、教養科に所属する教員を国際教養科に配転した。しかし、その効果を検証することもせず、同年度内に国際教養科の廃止と原告ら全員の解雇を決めてしまったのである。
 原告らは、教養科に所属するままであれば国際教養科の廃止の波をかぶることもなく、本件解雇予告の対象となることもなかった。
 これは、被告において、国際教養科の廃止と所属教員の解雇という意思を秘匿して、原告らを配転させたものと評価せざるをえない。配転された教員を著しく愚弄するものであり、そこには、被告の悪意の存在を認めざるを得ない。
4) 国際教養科の廃止は被告による学科運営の失敗にあること
 国際教養科は、設立からわずか九年で廃止されようとしている。その原因はいくつか上げることができるが、多数の個別雇用契約教員が存在したために、学科会議が機能せず、学生指導が十分に行えなかったこと、教育研究設備も不十分であったこと(ワープロ、パソコンの機種が古くて検定試験などに適合しないなど)などにより、学科の評価を落としめたことが主たる原因である。
 これは、とりもなおさず被告による国際教養科の運営の失敗である。それによって同科を廃止するかどうかは経営上の問題であるが、さらに進んで所属教員を全員解雇しようとするのは、被告の経営の失敗を労働者に転嫁するものであって許されない。
5) 文部省令で定める設置基準との関係
 ところで、「短期大学設置基準」(文部省令)などによれば、入学定員に対して必要な専任教員数が定められている。これを大垣女子短大にあてはめると次のとおりとなる。
            入学定員 教員定数  教員現数
                      98年9月 99年4月 00年4月
  幼児教育科 第一部 一〇〇名  八名−+−一二名  一三名  一五名
        第三部 一〇〇名  三名−+              
  音楽科        五〇名  五名    四名   六名   六名
  デザイン美術科    八〇名  七名    六名   七名   八名
  歯科衛生科      八〇名  七名    七名   七名   七名
  全体    第一部 三一〇名  五名
        第三部 一〇〇名  一名
                (三六名)
 (国際教養科     一〇〇名  八名   一三名  一一名   〇)
 国際教養科の教員全員を解雇したままであると、「短期大学設置基準」などで定められた専任教員数を下回ることになる。このため、被告は、一九九八年九月以降、新たに教員を五名採用し、さらに二〇〇〇年四月にも三名の採用を予定し、同月以降も必要教員数を充足することとしている。
 しかし、他方で、あくまでも原告を解雇しようとしているが、解雇の必要性は到底見いだし難い。
6) 解雇手続の正当性
 ところで、学校教育法五九条一項は、「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」と定めている。右「重要な事項」には教員の解雇が含まれること、私立大学にも適用されるが一般的に承認されている(西日本短期大学事件・福岡地裁平成四年九月九日など)。従って、原告に対して解雇がなされる場合にも、理事会とは別に教授会において審議し、決定しなければならない。しかし、現在に至るも、教授会において原告の解雇が審議されたことはないし、決定されたこともない。本件解雇予告は、理事会の意思のみによって行われているものであり、大学教員の身分保障のあり方からいって重大な問題がある。
7) 以上から、被告が「事業の縮小廃止、経営の合理化等止むを得ない」として原告を解雇しようとするのは全くの言いがかりであり、そもそも右解雇には合理的理由が見いだせないのである。
4 従って、被告に対する解雇予告は、合理的理由のないものであって解雇権の濫用に該当し、無効と言わなければならない。

第四 確認の利益
 原告は、被告から内容証明郵便をもって二〇〇〇年三月三一日付けをもって解雇する予定である旨を告げられており、労働者としての地位を著しく脅かされている。しかも、解雇は相当の確実性をもって行われることが容易に予想される。従って、原告が、その地位の不安定さを取り除くために、本訴提起は不可欠であり、確認の利益がある。

第五 まとめ
よって、原告は被告に対し、請求の趣旨記載のとおりの判決を求めるため、本訴に及んだ次第である。

このページのはじめにもどる
大学教員の身分にもどる

大学教職員の労働/雇用に関するメモへゆく
山田の私的ページへの入口へゆく    山田晴通研究室へゆく    CAMP Projectへゆく