雑誌論文(その他):1998

研究ノート

個人研究室で管理するインターネットサーバの運用とサイトの構築
−文系の視点で語る camp.ff.tku.ac.jp の実践−.

コミュニケーション科学(東京経済大学),8,pp115〜128.


■ことの発端
■研究室内のネットワーク
■学生の参加とその限界
■サイトの構成とページの作成
■これからの課題


個人研究室で管理するインターネットサーバの運用とサイトの構築
−文系の視点で語る camp.ff.tku.ac.jp の実践−

■ことの発端

 ほんの数年前まで、インターネットという言葉は、理工系を中心としたごく一部の人々の間でしか流通していなかった。しかし、日本でも1994年頃を境として、にわかにインターネットが知られるようになり1)、その普及の範囲も急速に拡大した。筆者が現職に着任した1995年は、その急成長期のはじまりに当たっており、東京経済大学でも、学内LANの整備、JOINを介したインターネットへの接続2)が取り組まれていた。インターネットが、文系の大学にも普及し始めた状況を踏まえ、筆者はこの年、大学から「インターネットにおけるホームページを利用した大学の広報活動に関する基礎的研究3)」というテーマで個人研究助成費を得、ネットサーフィンに取り組むべく、その研究助成費でパソコンを購入することになった。つまり当初からインターネットを意識してパソコンを選んだわけである。このとき助言をしてくれた人々4)の大半が、「マック・エヴァンジェリスト」だったために、機種はごく自然にマックとなり、アップル社の Power Macintosh 7100/80AV とプリンターなど周辺機器を購入した。
 ところが、学内LANの整備が、当初のスケジュールより遅れたこともあって、パソコンを買ったもののすぐにはインターネットにつながらない。当時、研究室の手伝いをお願いしていたKさんの助言で、さしあたりパソコン通信を勉強してはどうかということになった。そこで、1995年5月に、モデムなど必要な周辺機器を整え、大手のパソコン通信であるniftyserveと、Kさんの参加している草の根BBSである「れんこんネット5)」に参加した。しかし、率直なところ、どうも今一つうまくハマることができなかった。niftyserveなどは、ほとんど何も試みないうちに、接続しなくなってしまった。
 そうこうしているうちに、1995年11月下旬になり、いよいよ、研究室から学内LAN経由でインターネットへ接続できるようになった。これ以降、電子メールの利用、研究課題でもある大学のウェブ・ページを主な対象としたネットサーフィン、メーリングリストへの参加、といった形で、12月から翌1996年2月頃にかけて、徐々にインターネットの利用を拡大していった。
 インターネットになれてくると、当然自分のホームページを持ちたいと思うようになる。どんなページを構築しようか、などと考えているうちに、いっそのこと研究室で独自のサーバを持つことは出来ないだろうかと思い至った。当時、東京経済大学のLANには、メイン・サーバであるtkuserve(tku.ac.jp)のほかに、研究室で管理するサーバが既に2台接続されていた6)。既に事例があるのだから、何とかなるだろうと思いつつも、実際にサーバの管理・運営に関する知識が皆無の状態では、何から手をつければよいかも見当がつかない。何とか必要なノウハウを外部化しないと、到底実現するのは無理である。そこで、身近にいる知識のありそうな人達にいろいろ聴いて回ったところ、「れんこんネット」の有志が協力してくれるという話になった。
 技術的なサポートが期待できることになったのを受けて、1996年度に「研究室単位で管理するサーバーの運用実験」をテーマとして、前年に続いて個人研究助成費を得ることができた。こうして筆者の研究室に、インターネットサーバが設置されることになったのである。本稿は、もともと全くの文系人間であり、パソコンのパワー・ユーザーですらない筆者の視点から捉えた、サーバ導入をめぐる諸々の実践の報告である。

■研究室内のネットワーク

 1996年5月から7月にかけて、数回にわたり「れんこんネット」有志の諸氏が筆者の研究室に集まり、Power Macintosh 2台を機軸とした研究室内のネットワークを徐々に構築していった。この間、ネットワークの設計、機種の選定、周辺機器の配置等は、ハードウェア/ソフトウェアを問わず、いっさいお任せの状態であり、筆者が決めたのは唯一 camp7) というサーバの名称だけであった。このとき設定された、研究室内のネットワーク構成は、基本的に現在まで変化していない。図示したのは、1997年11月現在の状況であるが、注記のある機器以外は、接続ケーブルの不良な部分を一部交換した程度で、他は当初設定のままである(図1)。このような接続になった背景には、サーバをサーバ専用機とせず、研究室内で2名の人間が並行して作業(インターネットへの接続を含む)できるようにして欲しいという、筆者の要望に基づく制約があった。また、IPアドレスは一つしか取得できない状況8)であったし、プリンタを共有する必要もあった。

 ===10BASE による接続
 ━━━ Apple Talk / Phone Net による接続
 ……… SCSI による接続


 学内LAN===サーバ
        本体:Power Macintosh 7100/80AV
         ┃   ……外設HD:Logitec JUSTIN 2GB(1997年4月)
         ┃
         ┣━プリンタ:Hewlett Packard DeskWriter 694C
         ┃   (当初は DeskWriter 540 → 故障により廃棄)
         ┃
        端末用Macintosh
        本体:Power Macintosh 7200/90
             ……外設HD:ELECOM EHD-1000VG
                   ……MO disk drive:MC230FS

図1 研究室内のネットワーク構成(1997年11月現在)
 研究室内のネットワークを、インターネットに近い側から順にたどってみよう。インターネットに接続している大学のメイン・サーバに直結する研究室内の端子からサーバまでは、10BASE-Tのケーブルでつながれており、Ethernet規格で信号がやりとりされている。サーバから先は、EthernetではなくAppleTalk(LocalTalk)なので伝送路としては細くなる9)。しかし、インターネット側からサーバへアクセスする場合には、サーバから先は関係ない。
 当初は、新規に購入するマシンをサーバに用いる予定であったが、諸々の判断から、1995年度に購入した PowerMacintosh7100/80AV をサーバに宛てることになった。ただし、そのままではメモリの容量が不充分と思われたので、ネットワーク化に当たって32MBのメモリを増設した。サーバには、インターネットへサービスを提供するソフトとして、ウェブ・サーバである WebSTAR 1.3.1 と、メール・サーバである Apple Internet Mail Server が搭載されているが、後者は通常使用していない10)。TCP/IPでの外部接続を可能にする AppleIPGateway2.0 は、AppleTalkで接続された他の端末機に仮想的にIPアドレスを割り付け、一つのIPアドレスで複数のパソコンをインターネットに接続できるようにするもので、これによって筆者の卓上の端末機とサーバを並行して使用しながらインターネットが利用できる環境が整えられた。
 サーバから先の接続は、AppleTalk(LocalTalk)によって、サーバ=プリンタ=端末機が接続されている。これによってサーバと端末機によるプリンタの共有が可能となり、さらには、サーバと端末機の間でファイルの共有が自在にできるようになった。筆者の常用する端末機には、新たに購入した PowerMacintosh7200/90 が宛てられ、こちらには64MB(32MB×2)のメモリが追加された。
 サーバから先を、AppleTalk(LocalTalk)でつないでいく研究室内ネットワークの方法は、比較的簡便で信頼性が高い。しかし、現行の研究室内のネットワークでは、マック以外の機種をネットワークに追加することは大変難しいそうである11)
 以上のような研究室内のネットワークは、実際に運用を始めてみると、サーバでも端末機でも、いろいろ小さな不都合が生じた。現象としては、いわゆるフリーズ、ハングアップ、爆弾の類である12)。ほとんどの場合は、対症療法的に再起動をかけることになる。それでも同じ現象が頻発する状況に陥ると、当初はアプリケーションへのメモリ割り当ての調整などを行い、やがてシステム・ソフトウェアの再インストールや、Norton Utilities による断片化等の改善などを試みるようになった。また、特定の操作をするとフリーズしやすい、といった傾向が明らかなことがらについては、その操作を避けるようにしている13)。現在でも、トラブルの完全な解決はできておらず、ときどきサーバが「落ちた」状態になってしまうことがある。原因が究明されなくてもさし当たり再起し、直ったのか、また同じトラブルを起こすのかも曖昧、という辺りが、マックが人間的といわれるところであろう。
 実際にサーバの日常的な管理に当たっているのは、筆者の研究室のお手伝いをお願いしているTさんである。もちろん筆者もこの間少しづつ研究室のシステムについて理解するようにはなってきたが、現状では困ったことがあると、まずTさんに電話をするようになっている。そのTさんの手にも負えなくなると、「れんこんネット」の諸氏に連絡をとって改善策を教えてもらう、あるいは研究室まで来てもらうといった事態にたち至る。Tさんが電話で状況を説明しながら、対応策の指示を仰ぐという場面が、これまでに何度となく繰り返されている14)。しかし、Tさんが研究室に来るのは、せいぜい週に2-3日であり、不在の時にトラブルが発生した場合には、筆者がトラブルに気づいたらひたすら強制再起動をする、という余り感心できない状況になっている。
 フリーズなどのトラブルには、連続して発生する時期と、安定的に正常な稼働が続く時期がある。システムへの負荷が高まり、トラブルが発生しやすくなると、管理する側が何らかの対応を試みるので、その効果が現れればシステムは改善されたことになり、トラブルは発生しにくくなる。しかし、日常的なページの構築などの結果として負荷が再び高まれば、再びトラブルが生じるようになる。周期的にやってくるこうした不調の時期を乗り越えていくことで、システムは段々と洗練されていくわけである。特にサーバについては、当初組み込まれていた諸々のアプリケーションを外設HDD(2GB)に移したり、捨てるといった対応を重ねてきた結果、搭載されているアプリケーションは現在ではかなり整理されている。

■学生の参加とその限界

 こうして、研究室のサーバが立ち上がり、主としてウェブ・サーバとして機能するようになったわけだが、それと並行して、サーバ上にどのような形でサイトを構成していくのか、誰がどのように関わってウェブ・ページを作成していくのか、といった方針も、次第に固まっていった。当初の段階で不文律とされたのは、「サーバの管理に一定の貢献をするものはサーバの上にページを設けることができる」という原則であった。「れんこんネット」の一員として協力した諸氏は、個人としてではなく「れんこんネット」として貢献したということから、「れんこんネット」のページを設けた。Tさんも、サーバ上にページを設けることになった15)。筆者自身も研究室としてのお知らせなど公的な性格のページと、研究関連の文献表や、当時の研究テーマであった大学の広報的な機能をもったホームページへのリンク集など、多くの人の利用が期待できる資料のページを並行して設けるべく、準備を始めた。しかし、サイトの構成に際して筆者が最も期待したのは、学生の参加であった。
 そもそも筆者が研究室にサーバをもってみたいと考えた理由の一つは、関心と意欲のある学生がコミットするような形でサーバを運営できれば、学生に貴重な経験の機会を与えられるのではないかと考えたところにある。ある(他大学の)理工系の先生と雑談をしていたときに、「コンピュータは、学生が勝手にどんどん勉強するので、教員は自分が教えることより、環境整備をすることの方がよほど大切だ」といった趣旨の話を聞かされたことが、こうした考えのきっかけとなっていた。もちろん、助手や院生もいる大所帯の中で学生がUNIXをどんどん勝手に勉強していくような理工系の研究室と、自分の研究室の置かれている状況は全く違う。しかし、小規模とはいえ、学生にサーバ管理の現場に立ち会わせ、実際にサーバをいじらせることには、一定の意味があるはずだと、そのとき直感した。特に、不特定多数の学生が共用する実習室の端末機と違って、数名の共用とはいえ、自分が普段使うパソコンが大学にあるという感覚は、マシンへの愛着とコミットメント意識を、学生にもたせるのではないかという期待が、筆者の中で強くなっていった。そのため、サーバのメインテナンスに関わる部分も含めて、ゼミ生16)を中心とした学生の参加を、当初は大いに期待したのである。
表1 学生からみたホームページのもち方の比較
 メリットデメリット
メイン・サーバ無料。ガイドラインがある。
容量に制限がある。
学内の他のサーバ無料(金銭外の貢献が必要?)。
ガイドライン等の拘束が緩い。
容量に一定の制限がある(?)。
プロバイダガイドライン等の拘束が緩い。
大容量も可能(負担次第)。
有料。
 学生が自分のホームページを構築するには、大別すると3種類のやり方がある。もっとも一般的なのは、(1)大学のメイン・サーバ上にページを設けることであるが、そのほかにも、(2)メイン・サーバ以外の学内のサーバ上にページを設ける、(3)プロバイダと契約してページを設ける、といった方法があり、それぞれ一長一短がある17)(表1)。この時点で、コミュニケーション学部の2年生の中には、既に1年次にフレッシュマン・ゼミ等でホームページの制作を行った者などもおり、メイン・サーバ上にページを公開している者もいた。しかし、研究室にサーバを立ち上げた段階では、筆者のゼミの4名はいずれもページ作成の経験がなかった。しかも経験がないという点では筆者も同じであった。
 ゼミ指導教員の立場からすれば、ゼミの時間をつぶしてまで、htmlの学習をするつもりはなかったし、実際、筆者自身がhtmlをよく理解していなかった(今でもあやしい)。そこで、研究室に参考書類18)を用意し、学生が空き時間に研究室へ来て、htmlを自習し、自分のページを勝手に作成できるように環境を整えることにした。もちろん、いきなりページを作れといわれても、学生としても何をしてよいかは判らない。そこで、さしあたり、どんなイメージでページを作ればよいかを実感するために、ネットサーフィンに時間を費やして、いろいろなページを見て回るよう指示した。ページを見る目が養われれば、自分で作りたいページのアイデアが自然と湧いてくることだろうと判断したわけである。学生たち(特に女子学生)には、自分のプライバシーを安易にページで公開しないよう戒めたが、それ以外の事柄については、どのようなページを作成せよといった指示はいっさい行わなかった。
 結論からいえば、このような緩やかで放任的な方針は、期待したような結果には結びつかなかった。4名のうち1名(男子)は、指示を出した直後から研究室によく顔を出し、ネットサーフィンをはじめ、自分でもhtmlの資料を見つけてきて、ページを構築し始めた。彼は、やがて自宅にもマックを購入し、デジタルカメラで撮った映像を(研究室の関係者の中では)いち早くページに貼ったり、JAVA の利用を試みるなど、積極的にページを充実させていった19)。しかし、残りの3名は、インターネット自体に対して、なかなか関心をもってもらえなかった。研究室に来たときには、実際にネットサーフィンをさせるなどしながら、ページを作成するよう強く促したが、モーティベーションをうまく与えられなかったようである。ちなみに、年度の終わり頃になって、ふだんあまり研究室に現れない1名(男子)が、ページを作成したと報告しにきた。彼は、サークルの仲間と情報を交換しながら、メイン・サーバ上にページ(内容はサークルの紹介)を作っていたのである。その意味では、この学生は筆者の目論見とは無関係にページを構築していたわけであるが、その背景には、彼が自宅で使用しているパソコンがWindowsマシンであることも関係していたものと推測される。女子学生2名のうち1名には、とにかくさし当たりということで、半ば強制的に、中身のない空っぽのページを作成してもらったが、結局このページはそれ以上は発展しないまま放置された。学生の参加については、1997年度も前年度と同様の方針で臨んでいるが、今のところ5名のうちページを作っているのは1名だけである20)

■サイトの構成とページの作成

 図示したのは、1997年11月の時点における、研究室のサーバ上に置かれたウェブ・ページのディレクトリ構造(フォルダの階層構造)の概略である(図2)。実際には、それぞれのフォルダには多数のページが格納されているし、このほかにも、他のページからリンクされていない作業用のページや、制作途中(あるいは制作を放棄した)のページなども含めて、小さなページやフォルダが多数存在しているが、図では省略されている。図で星印(★)を付けたページ、およびフォルダが、サイト構築を始めて一月余りが経った1996年8月はじめの段階で、存在していたページ、一定の中身のあったフォルダである21)。ここで示されているのは、あくまでもディレクトリ構造であり、実際には、より縦横無尽にページ間のリンクが設けられているので、リンク関係に基づいたページ・マップは描き表すことができない。

 図2 サイトのディレクトリ構造の概要(1997年11月現在)

camp.ff.tku.ac.jp

  • default.html:サーバのホームページ★
  • [YAMADA-KEN]
    • default.html:研究室のトップページ★
    • new.html:更新記録
    • [English]:英語ページのフォルダ★
    • [genre]:分野別インデックスのフォルダ
    • [Y-KEN]
      • vita.html:山田の経歴等のページ★
      • biblio.html:業績一覧のページ★
      • [fulltext]:業績のテキスト公開のフォルダ★
      • [classes]:担当講義科目のフォルダ★
      • calendar.html:行動予定のページ★
    • JAMS.html:日本移民学会のページ
    • JASPMoffice.html:日本ポピュラー音楽学会のページ★
    • [JASPM]:日本ポピュラー音楽学会のフォルダ★
    • その他のフォルダ、書類
  • [TOOL-BOX]
    • default.html:「研究の道具箱」のトップページ★
    • [JapanUNIV]:日本の大学・学部一覧のフォルダ
    • [JapanGer]:日本の地理学研究者・リンク集のフォルダ
    • [JapanCNP]:日本の地域紙データのフォルダ
    • [KoreaPN]:韓国・北朝鮮の地名のフォルダ★
    • NAJP.html:北米日系新聞日本語文献表★
    • その他のフォルダ
  • [YAMADA-P]:山田の私的ページのフォルダ
  • [STUDENTS]:ゼミ生のページのフォルダ
  • [rencon]:れんこんネットのフォルダ★
  • その他のフォルダ

    ★:1996年8月はじめの段階で存在したページ
      または、内容のあったフォルダ

 サイトの最上位の階層には、筆者が管理するフォルダのほか、ゼミ生のページを格納するフォルダや、れんこんネットのページのフォルダなどが置かれている。れんこんネット関係のページのように、普段は研究室に出入りしない人が管理しているページは、専らftpサーバの機能によって文書を操作して、更新が進められているが22)、ほとんどのページは研究室内で作業しながら作成されてきている。
 筆者の管理するページは、当初は2つのフォルダに整理していく方針であった。研究室としての業務に関わるページのフォルダ(YAMADA-KEN)と、研究の参考資料として、他の研究者の役にも立ちそうな文献表、リンク集、等の類を収めたフォルダ(TOOL-BOX)である。前者には、研究者としての筆者個人に関わる経歴、業績一覧、業績のテキスト公開、担当講義科目に関する情報などのページを収めたフォルダ(Y-KEN)を中心に、研究室に事務局がある学会のページやフォルダなどを収めた。後者には、かつて作業した内容がテキスト・ファイルで残されていたものを利用し、山田(1994)のデータを加工した「北米日系新聞関係日本語文献表」のページと、「韓国・北朝鮮の地名」のフォルダが、まず収められたが、1996年8月からは「インターネットにおけるホームページを利用した大学の広報活動に関する基礎的研究」の成果を踏まえた作業として、「日本の大学・学部一覧」(山田1997b)の構築を始めた。
 やがて、ページが拡充されていく過程で、1996年8月末には私的なページを集めたフォルダ(YAMADA-P)が別途作成され、12月にはそのデフォルト・ページ「山田の私的ページへの入口」(http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/default.html)に対置される形で、「山田の公的ページへの入口」(http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/official.html)が設けられた(フォルダの再編は行わなかった)。その後は、現在まで3つのフォルダによる構成が維持されている23)。この間、1997年2月には、テキスト公開、学会情報、リンク集等を、研究関心のジャンル別に横断的に並べた、分野別インデックス(メディア論地理学大衆文化論)を設けて、サイト内の関連の深いページを一覧できるようにした。
 サイトを構築し始めた当初は、リンクの張り方や、全体的なバランスなどにも気を配っていた。しかし、実際に作業を進めていく中で、1996年の夏頃からは情報量を拡大することの方を優先するようになり、わざわざページのために何かを作るというよりは、業務上の必要から作成した文書を、最低限の加工をしてページにするような例が多くなった。最近数年間、ワープロで作成し、ファイルが残されていた文書のうち、公開して問題のないものは、ほとんどページ化されたといってよい24)。特に、1992年以降の研究業績は、古いFDの整理が進むにつれて、大半をテキスト公開することができた。今後は、それ以前の業績で、実際に講義で読んでいる文献などを、テキスト化していくことが課題であるが、今のところ、例えばOCR等の利用の目途はついていないので、まだまだ時間を要するものと思われる。

■これからの課題

 インターネットの本質論について議論を始めようとすると、本当は、文献的な裏付けをはじめ、面倒なことがいろいろ発生する。また、インターネットを巡るジャーゴンを自在に操る能力は筆者にはない。本稿を締めくくるに当たって、大上段からの議論をする余裕はないが、ひょんなことからサーバをもち、(事実上の)個人サイトとしては相当の規模にまでページを作成してきた立場を踏まえ、インターネットの諸機能の中でも最も入りやすいウェブ・ページの問題を中心に据えて、印象を覚書として記し、今後の研究へつながる方向性を探ってみることとしたい。
 インターネットの普及は、情報発信を指向する個人に新たな表現の空間と形式ともたらした。ウェブ・ページは、紙媒体を中心としたこれまでの表現手段に比べれば、速報性が発揮できること、加除・修正ができること、様々なレベルで検索ができること、等々の利点がある。もちろん、だからといって紙媒体の印刷物が不要になるわけではない。いわゆるミニコミのように、個人が容易に送り手/発信者/表現者側に回れる新しいメディアとして、インターネットには、まだまだ未成熟な多様な可能性がある。
 ウェブ・ページには、紙媒体にない特性がいろいろあるが、実際にはその特性を十全に発揮するためには、紙媒体など旧来のメディアとの多様な連携の可能性が探られるべきだろう。そこには、ネット上の文献検索と、図書館における図書の貸出の連携のようなものから、一度見て捨ててしまったチラシの内容を、後で再確認するためにネット上を検索するような形態まで、様々なものが含まれるはずである。ウェブ・ページ上の掲示板、ニュース・グループ、メーリング・リスト等、それ自体をメディアと見なすことのできるインターネットの諸機能は、ミニコミが担ってきた、手作りのメディアとしての表現や、経済合理性原理から多かれ少なかれ逸脱したような性格を、受け継いでいく表現空間である。
 自らの主張を、誰もがいつでも入手できる形で待機させておき、関心のある読者が現れれば即座にその手元まで伝達する。いったん構築し、一応の完成をみた表現(論文、作品等)でも、後から自在に手を加えることができる。紙媒体では夢のようなそうした操作が、インターネット上ではいろいろなやり方で可能になる。特に、ロボット・サーチの発達によって、全文検索型のサーチエンジンが充実してきた状況を踏まえれば、サイトを設ける側が、できるだけ多くのキーワードにヒットする工夫を施し、ヘッドラインの表現を改善すれば、メッセージはより多くの受け手に伝わるようになってきている25)。表現者として、より多くの受け手/読者への表現の到達を期待するのであれば、例えばウェブ・ページを主たる媒体とはしないまでも、いわばアーカイブスとして活用することを考えるべきであろう。
 しかし、表現者たらんとする多くの人々は、サーバの運用よりもずっと手前の段階で、何らかの意味での「リテラシー」の問題に直面する。これを解決するには、必要な「リテラシー」を自分で身につけて問題を克服するか、問題を外部化(アウトソーシング)して回避するしかない。充分な知識のないまま、研究室にサーバを設置した今回の経験は、リテラシーの基幹的な部分を外部化しながら、ともかく運用しながら経験を重ねることで貧弱なリテラシーの改善を試みていく作業であった。様々なレベルで、インターネットがより広い範囲へと一般的な普及を遂げるためには、リテラシー教育につながる試みと同時に、効率よい外部化の実現に向けたルールが必要になってくるだろう。
 インターネットは、空間的な制約を超克するメディアという側面が強調されることが多い26)。確かに、ネットサーフィンや、メールのやりとり(特にメーリング・リスト)をしていると、地理的には隔絶された位置にある人々と自在に接触しているように思われる27)。しかし、そうしたコミュニケーションを実現するために、サーバを立ち上げ、サイトを構築するためには、ある意味では逆説的だが、場の共有、といった理念に基づく共同体的な意識の生成が、いよいよ重要になってくるのである。人々が資源(もちろん知識、技術、経験も含まれる)を持ち寄り、交流し(個別の問題の外部化)、そこから制度や機構が構築されていくためには、非定型的な問題が次々と生じる立ち上げの段階における、経験の共有化=コミュニケーションが不可欠であり、その局面では関係する者同士の対面接触(フェイス・トゥ・フェイス)が、最も効率のよいコミュニケーション形式ということになる。また、この段階では、同じ機械を操作し、同じ様なトラブルに直面するといった経験の共有も、コミュニケーションの前提となる共通の認識を形成する上で欠かせない側面となる。サーバを立ち上げる段階では、多くの人々が実際に研究室に集まり、アイデアを持ち寄ってワイワイと議論をしながら、作業を進めていった。サーバの運用が、トラブル・シュートを含めて安定したルーティーン・ワークの幅に入り、直面する問題がある程度まで定型化されてくれば、関係者がわざわざ集まって空間を共有する必然性は低くなる。その段階では、むしろ強いコミットメントを求めない形での交流を長期的に確保することの方が大切になってくる。要するに、ハードウェア的な裏付けとしてのサーバ(下部構造といってよいのだろうか?)にせよ、ソフトウェアとしてのサイト(それならば上部構造か?)にせよ、それを立ち上げる段階で必要となる資源、営力と、運営を維持する段階で必要となる資源、営力は、異質なのである。他のメディアや、一般組織と同じように、創業と守成では、求められる要件は違って当然なのであろう。
 ともかく、筆者の研究室ではサーバを立ち上げた。今後の運営をどのように進めていくのか、課題は山積しているし、全ては進行形である。運営といっても、サーバの場合には、単なる完成品のメインテナンスではなく、ページにせよ、サーバの機能にせよ、絶え間ない更新の努力が求められる。その意味では、森鴎外の『普請中』ではないが、サーバやサイトは、いつまでも完成することなく「工事中」が続くメディアである。研究室の置かれている条件を踏まえながら、サーバを研究、教育にどう反映させていくのか、更なる実践の中で考えていくこととしたい。




1) 日本経済新聞の記事データベース(CD-ROM版)で「インターネット」を検索してみると、1991年=2件、1992年=1件、1993年=6件、1994年=158件、1995年=1594件、1996年=4026件とヒット件数が推移する(ただし、1991年と1992年には、「インターネット」という企業名のヒットが1件ずつ含まれている)。新聞で頻繁にインターネットの文字が使われるようになったのは1994年から、毎日のようにインターネットの文字が踊るようになったのは1995年からと判断できる。また、1994年4月5日には「通信産業特集、インターネットに脚光」という記事があり、この頃から記事の頻度が急速に高まっている。
2) JOIN(Japan Organization InterNetwork)については、JOIN情報のページ(http://www.join.ad.jp/join/)を参照。
3) この成果は山田(1997a)にまとめた。また、後述のように、この研究を踏まえて「日本の大学・学部一覧」のページを作成することになった。こちらについては、山田(1997b)を参照。
4) もっとも重要な助言者は、後述するれんこんネットの諸氏であったが、大学の同僚である山崎カヲル氏にも大いにお世話になった。山崎氏も研究室にサーバを置いている。また、大学生協店舗の担当者I氏には、機種の選定について再三きわめて有益な助言を頂いている。
5) れんこんネットは、アクセスナンバー(八王子)0426-27-5329、最高通信速度14400bps。ホームページ(http://www.camp.ff.tku.ac.jp/rencon/:工事中)では、れんこんネットが発行しているミニコミ『放射性れんこん』のバックナンバーが読める。
6) 当時既に、山崎カヲル研究室(clinamen.ff.tku.ac.jp)はMacintosh、粉川哲夫研究室(anarchy.k2.tku.ac.jp)はUNIXのサーバを設置していた。
7) camp という名称の由来を尋ねられたときには「Communication Amplifier の略」と説明している。しかし、実際は、site という用語から連想される響きのよい単語としてcampを選んだのであり、Communication Amplifier は、いわばモットーとして後からつけ加えたものである。
8) IPアドレスが複数取得できれば、他の方法も考えられたので、筆者は学内の各部局に働きかけたが、この段階では(当然といえば当然だが)IPアドレスの追加は認められなかった。数カ月後になって、学内のネットワーク担当者から「必要な場合、即座に返上するという条件でならば、複数IPアドレスを認めてもよい」という御配慮を頂いたが、その段階では既にシステムが順調に動いていたので、結局は二つ目のIPアドレスは申請をしなかった。
9) Ethernetの伝送速度が10Mbpsであるのに対し、LocalTalkでは230kbpsと格段の差がある。
10) メール・サーバを適切に稼働させるためには大学のメイン・サーバとの調整が必要となる。当面は必要性が低いことから、メール・サーバの稼働は将来の課題としている。
11) 現行のネットワークのままでも、マックならば台数を増やしていくことは容易だ。しかし、研究室内のネットワークにこれ以上のマシンを追加するならば、筆者としては、できればOSの複線化を図りたい。しかし、これを実現するためには、サーバを UNIX か WindowsNT にする必要があるだろう、というのが筆者の周辺で支配的な見解である。
12) ポインタも含め全く画面が動かなくなる場合もあれば、ポインタはうごいてもどこもクリックできなくなる場合もある。また、システム・エラーを意味する「爆弾」が出る場合も、実際には多様なケースがあるようで、「爆弾」のボックスの「再起動」をクリックしてちゃんと再起動するケースはむしろ少なく、画面の一部が暴走したり、まったく再起動しない場合には、コマンド+コントロール+パワーで強制的に再起動せざるを得なくなる。それでもダメで、コンセントを抜いて起動し直したことも数回あった。
13) 例えば、サーバ・マシンでブラウザを用い、自分のサーバ上にあるページ(camp.ff.tku.ac.jp に置かれたページ)を見に行こうとすると、そのページを表示した上でフリーズすることが極めて多い。原因はまったく判っていないが。この動作は避けるようにしている。もちろん、他のサイトのページを見たり、ファイルを開く(Open File)を使って見る分には、問題はまったく生じない。
14) ごく最近(1997年11月)になって、TimbuktuPro for Macintosh という遠隔操作・管理用のソフトウェアがサーバに導入され、復旧作業の過程で電話によるやりとりは大きく改善された。
15) この段階では、こうした形で(研究への協力者であるとはいえ)学外の人々に、学内LANに接続しているサーバへのアクセスを与えることが、1996年3月に制定された「東京経済大学HomePageに関するガイドライン」(http://www.tku.ac.jp/HOME/guide.html)に抵触する可能性が若干懸念もされた。ガイドラインは、「情報の自由な生成と流通を確保し、ネットワークの公平かつ適正な運用をはかる」という趣旨で設けられた最低限のルールであり、筆者はこれ自体には問題はないと思っている。しかし、「1.tku.ac.jpドメインにおけるWWWの利用は、研究、教育およびこれらの支援を目的とする。」という条文の解釈によっては、問題の生じる可能性があるのではないかという懸念があった。しかし、このガイドライン自体が、各研究室のサーバまでは対象としていないことが確認され、懸念は杞憂となった。
16) ここでいうゼミとは、「コミュニケーション演習I」の履修者であり、1996年度には4名(男女各2名)がいた。もともとコミュニケーション学部の演習は学年別に設定されているが、この年の2年生は学部の1期生であり、学部/ゼミの先輩に相当する者はいない。また、演習の履修は2年生以上なので、ゼミの後輩に相当する者もいない。
17) 1997年11月26日現在、大学の「教職員・学生のページ」(http://www.tku.ac.jp/pages/index.html)には「学生個人のページ」として99名がリストアップされている。このうち、プロバイダを利用している3名(プロバイダはそれぞれ、bekkoame、biglobe、mbn)を除いた96名は、全てがメイン・サーバ上のページへのリンクとなっている。これだけ見ればメイン・サーバが圧倒的な比率だが、例えば、「学生団体」からリンクをたどれるメディア工房のサーバ(http://mdat.ff.tku.ac.jp)上には、メディア工房のサポーター(学生ボランティア)の個人ページ(8名)が存在しているし、プロバイダ上にページをもち、大学の「教職員・学生のページ」からのリンクは設けていない、といった例もいくつか存在している。
18) 参考書類は少しづつ買い揃えていった。最も役に立ったのは、タグ辞典のアンク(1996)であるが、入門段階では根上ほか(1995)が大変判りやすかった。また、html言語の記述ばかりでなく、インターネット一般についての参考書も用意した。そのうち山中(1995)は包括的で必携文献なのだが、とっつきにくい感もあり、筆者は消化できていない。逆に日経MAC(1996)は、表題通り明解で、システムの理解に大いに役立った。もちろん、これは筆者の印象であり、研究室でページを作成した学生たちにとってどうであったかは別の話である。
19) この学生は、3年次のゼミ(コミュニケーション演習II)は別の教員のところへ移ったので、その後、メイン・サーバへページを移設した。
20) ゼミ生等のページ作成状況は「山田ゼミ」のページ(http://camp.ff.tku.ac.jp/STUDENTS/seminar/index.html)を参照されたい。
21) 更新記録(http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/new.html)は、1996年8月25日以降の分が残されている。星印のないページ、フォルダは、古い更新記録から作成した時期を概ね知ることができる。
22) ftpサーバの機能は、主としてページの更新など管理用にだけ使っている。ところが、1997年9月のある日、guest log-in でアクセスした外部の利用者がいたことに気づいた。もちろん、ftpを前提としたゲスト向けのサービスは設けていないので、アクセスしても何もできないはずではあるのだが、気になったのでその利用者にメールで事情を問い合わせた。それに対する返信によると、ページの中身をftpで公開している可能性を想定してアクセスしてみたということだった。そうした想定をする利用者もいるという状況を考えれば、今後はftpの積極的な利用も考えていくべきかもしれない。提供できるサービスとしては、研究関係の画像ファイルの提供などのサービスが考えられるが、これも当分は課題に留まる。
23) 日常的な更新作業の蓄積の結果、各フォルダの容量は、1997年11月現在で、4.4MB(YAMADA-KEN)、4.7MB(TOOL-BOX)、1.4MB(YAMADA-P)まで拡大した。写真等の画像が少なく、ほとんどがテキストだけのページであることを考えれば、相当のボリュームであることが理解されると思う。ちなみに通常の論文は50KB前後に相当する。
24) 1992年頃から1995年頃まで、筆者が作成した文書のほとんどは、NEC PC98、一太郎ver3.0-5.0、3.5inchFD、といった環境で作成・保存されていた。こうした古いFDは、そのままではマックにデータを呼び出せないので、スタンドアロンの形で研究室に置かれているPC9801NL/Aにいったんテキストを呼び出し、あらかじめマックで DOS 1.4MB にフォーマットしておいたFDに、テキストを保存し直すという作業を繰り返した。
25) これまで、ページへのアクセスを増やすためには、ディレクトリ型のサーチエンジンへの登録や、他のページからのリンクを設けてもらうことが重要だった。しかし、今後は、goo(http://www.goo.ne.jp/)やInfoseek Japan(http://japan.infoseek.com/)に代表されるような、大規模な全文検索型のサーチ・エンジンの登場によって、芋蔓式にリンクをたどってページを発見していくこれまでのネットサーフィンとは異なる形で、ページを呼び出すことが多くなっていくことが予想される。実際、筆者自身のネットサーフィンのやり方も1997年春にgooを使いだしてから、大きく変わった。サイトのトップに置かれていても、フォルダの奥深くにあっても、ロボット検索を排除する機構を設けない限り、サーチエンジン上では同じ条件で検索されることになる。このため、末端のページへまずアクセスし、そこからトップページや他のページへ進むといったページの読み方も広がっていくものと思われるが、こうした読み方に対応するためには、上位ページへのリンクを判りやすく使いやすいものとしていく必要がある。
26) インターネットを表現するメタファーについては、加藤(1997)を参照。特に、「導管」メタファーをめぐる議論は興味深い(p165:下段)。
27) 体験に基づいて直観的に述べるならば、ネット上の接触だけしかない相手や場所に対する感覚と、何らかの形で直接接触のつながりもある相手や場所に対する感覚への感覚には、大きな違いがあるように思われる。筆者の感覚では、学会などでだけ直接会うことができる遠隔地にいる仲間のように、直接の体験に基づいて距離感を感じている相手のウェブ・ページを見たり、メールのやりとりをするとき、インターネットによる地理的障壁の克服といった感覚を強く感じるのに対し、ネット上で接触しているだけの相手とは、相当に頻繁にページを見たり、メールをやりとりしている場合でも、その相手が具体的にいる場所についてはほとんど意識しないためか、地理的障壁の克服といった感覚は生じにくいように思われる。


参考文献


謝辞

 本文中でも様々な形で言及したように、本研究は多数の方々からの協力の積み重ねの上で成り立っている。特に、執筆に際しては、れんこんネットの有志から助言を頂戴した。いちいち個人名を挙げることはしないが、筆者の研究室のシステム整備に貢献していただいた全ての皆様に感謝申し上げる。
 本研究には、1996年度東京経済大学個人研究助成費(PR25-96)「研究室単位で管理するサーバーの運用実験」を用いた。また、当研究室内のネットワークを構成する機器類の一部については、1995年度〜1997年度の個人研究費、および、1995年度個人研究助成費(PR23-95)「インターネットにおけるホームページを利用した大学の広報活動に関する基礎的研究」を用いた。
 本稿のテキストは、当研究室のページで公開している。(http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/text.html

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