コラム,記事等(学会誌等に寄稿されたもの):
1995:
論文翻訳ノススメ.
地理科学(地理科学学会),50,p.65.


論文翻訳ノススメ
山田 晴通(松商学園短大)



 入会直後,1982年8月の例会(香川大学)で,生まれて初めて学会発表をした。その年10月にも,大会(広島大学)で発表したが,実はこの二回しか地理科学学会では発表をしていない。その後,十年余り,ほとんど学会に貢献しないROM(Read Only Member/読むばかりで書かない会員)だったが,思うところがあって,1992年,1993年と,続けて英文論文の翻訳を「地理科学」に寄せた。これだけの関わりで,記念号の一頁を占めるのは図々しい限りだが,敢えて拙文を寄せたのは,一つアピールをしたいと思ったからである。
 地理学に限らないが,よく,「日本の学者は,オリジナルな成果を上げず,外国の研究の翻訳に終始している」という批判を耳にするいわゆる「輸入超過」論である。また,英語の論文ぐらい原著でちゃんと読め」といった声もよく聞く。「翻訳者は裏切り者」論である。なかなか原語で読むのがきつい大著ならともかく,雑誌論文の翻訳などをしても,概して世間は評価はしてくれない。
 確かに,こうした翻訳に対する冷淡な評は,的を射ている部分もある。しかし,実際には,外国雑誌にこまめに眼を通し,海外の学会の動向に通じている研究者はきわめて少ない。また,相当に外国語に通じている研究者でも,同じ内容なら日本語で読む方が格段に楽なはずである。さらに,入門段階の学生に課題として読ませる適当な邦文文献がなく,さりとて外国語文献では理解が半可通になってしまう,といった分野は,少なからず存在する。
 私自身,英語しか理解しないから,英語圏のことに限るが,計量革命への反動としてのラディカルや人文主義の台頭を経て,80年代以降の(英語圏の)地理学は,実に多様な対象に,実に多様な接近を見せてきた。しかし,一種カオス的なこの状況は,日本語の地理学の世界には,ごく部分的にしか反映されていない。もちろん英語圏地理学の議論にも,山ほどジャンク論文が含まれているし,日本では意味のない文化的文脈の中での議論もあろう。しかし,日本の文脈に置いて面白そうな議論もまだまだある。私としては,もっと「輸入促進」の旗を振りたい。書籍の翻訳や展望論文の執筆も,その一つの方法だが,最新のフロンティアを紹介していくという意味で,雑誌論文の翻訳は,活用の余地が大きいのである。
 論文翻訳の段取りは簡単だ。洋雑誌に「これは」と思う論文があったら,まず著作権者(刊行元の学会か出版者)に,「日本語へ翻訳して,日本の学会誌に掲載したいが,著作権使用料はいくらか」と手紙を書いてみよう。この段階でダメという可能性もあるが,通常,雑誌の場合は簡単に許可が出て具体的な金額を伝えてくる(ちなみに,論文集が単行本となっているような場合,特定の章だけ翻訳許可を得るのは難しい)。著作権使用料金の金額は,千差万別である。「非営利の学術雑誌」だといえばタダになることもあるし,短い論文に数万円が請求されることもある。だいたいは数千円〜一万数千円程度のようだ。送金方法もいろいろあるが,クレジット・カードで支払える場合もある。金さえ払えば許可が出る,というところまでくれば,訳稿を仕上げて地理科学学会編集専門委員会に投稿しよう。著作権使用の許諾書は校正までに間に合えばよい。ただし,送金から許諾まで時間がかかることもあるので,注意が必要である。
 現在,主な地理学の学術誌で「翻訳」が載るのは「地理科学」と「地図」くらいである。また,せっかく苦労して「翻訳」を発表しても,普通は業績として評価されない。しかし,例えば,若い研究者が,邦文文献の乏しい先端的分野で,周囲から余り理解されないままに頑張ろうとするならば,外国語文献を翻訳紹介して,周囲の理解を促すのは有効な途である。「地理科学」に「翻訳」があることの意義を,もっと積極的に活かしていこうではないか。

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