1994:講演内容の要旨

「市民スポーツイベントとメディア」

平成6年度社会体育施設研究協議会

大分県教育委員会
大分県立総合体育館
大分県体育施設協会
(財)日本体育施設協会


平成6年 6月16日(木)〜17日(金)
大分県立総合体育館
 この講演要旨は、上記の日程で開催された「平成6年度社会体育施設研究協議会」初日(16日)に「特別講演」といて行われた山田の講演について、事前に提出し、当日の冊子資料に印刷された要旨をそのまま入力し直したものです。


特別講演

 「市民スポーツイベントとメディア」
    - CATVを含む地域メディアの活用を視野において-

       松商学園短期大学助教授  山田 晴通



CATVと身近なスポーツ
 スポーツは「する」のも楽しいが、「見る」のも楽しい。さらに、スポーツは「読む」のも楽しい。野球好きの人なら、シーズン中は、テレビで野球観戦をした上で、スポーツ・ニュース番組を何度も繰り返し見た上、翌朝にはスポーツ新聞を読む、というのが当然であろう。他の競技の愛好者でも同じことである。「する」楽しみと、「見る/読む」楽しみは、一応、別物である。しかし、それでも「する」楽しみを知る人の大半は「見る/読む」楽しみを知る人でもあること、「する」楽しみの入口に「見る/読む」楽しみがあることは、無視できない。「する」こと、つまり自ら実践するスポーツが大切なことは当然だとしても、「見る/読む」楽しみ、つまりメディアを通して接するスポーツの意義についても、これを軽視することは適当ではないだろう。
 話を映像メディアに限って考えてみよう。もちろん記録映画などは20世紀の前半から存在していたわけだが、今日われわれが経験しているようなスポーツを「見る」楽しみは、テレビと共に発達してきたと見なしてよい。本来、「見る」楽しみには、プロ・スポーツのように高度な技術を見る楽しさもあれば、学校や地域の運動会のように自分の身内が競技する姿に一喜一憂する楽しさもある(今日、後者を支えているのがホームビデオであり、この問題は重要だがここでは省略する)。しかし、従来のテレビは、その性格上もっぱら前者 - 一流の競技の映像 - の伝達に終始するものであった(バラエティ番組としての芸能人のスポーツイベントなどについては別個の議論が必要であろうが、これもここでは省略する)。
 ところが、今日、一部の地域では、CATV(有線テレビ)の登場によって、後者 - 身近なスポーツ映像 - も過程で楽しまれ始めている。わが国におけるCATVの普及は、1980年代後半以降とりわけ順調に進んでおり、CATVも、ここ数年でずいぶんと身近になった感がある。CATVには世界的ネットワークから地域密着型まで、様々なチャンネルがあるが、地元地域向けに編成される自主放送チャンネルは、従来のテレビ放送とは違って、身近な地域の映像を中心に編成されていることが多いのである。大規模な市民スポーツイベントから小さな運動会まで、身近なスポーツの映像を伝えるメディアとして、CATV自主放送チャンネルは画期的な可能性を秘めている。
 以下、本稿では、全国的に見てCATVの普及が最も進んでいる地域の一つである長野県松本市周辺を例に、地域の社会体育活動と地域的映像メディアであるCATVの関係を考えてみたい。本稿では、CATVという新しい有力な地域メディアが地方都市や農村部でどのように機能しているかを見ていくが、これは単にCATVに特殊な事情を紹介するのが目的ではない。CATVという先進的なメディアと地域の身近なスポーツの関係を通じて、より一般的に、地域メディアと地域のスポーツの関係を考える、というのが本稿の狙いである。

大規模な民間CATVの場合
 テレビ松本(TVM)は、松本市を中心に、隣接する塩尻市などもエリアとし、およそ3万5千世帯が加入している全国有数の大規模なCATVである。TVMは1975年に開局1983年から自主放送を開始した。企業体としてのTVMは、自治体などから出資を得るなど第三セクター的な性格もあるものの、民間企業として利益を十分上げている。
 TVMの自主放送チャンネルは、番組製作会社などから購入した番組が中心の編成となっているが、自主制作番組への取り組みも進んでいる。毎日放送されるニュースでも、スポーツ行事はよく取り上げられるが、より重要なのは、週末などに特別番組として放送されるスポーツ行事であろう。
 特別番組化される行事は、春・夏・秋の高校野球やサッカーの大会(いずれも、松本市には松商学園高校はじめ、県内の強豪校がいくつかある)を別格とすれば、TVMが主催・協賛する大会と、松本を会場とする広域的な競技会が中心となる。前者の例には、小中学生と<シニアを対象とした卓球大会、小中学生の剣道大会、パパさんバレーボール大会などがあり、TVMは各大会に「テレビ松本杯」を提供している。比較的地味な種目が並ぶのは、一つには、より人気の高いサッカーやママさんバレーに関しては、有力な地元紙「市民タイムス」などが主催する大会が別にあるためである。

農村型CATVの場合
 松本周辺では、TVMのような民営の大規模CATVとは性格を異にした、より公共性の強い小規模な「農村型」CATVも活発に活動しているここでは、いわゆる「農村MPIS施設」の事例を取り上げる。MPISは、地域の全世帯が加入することを前提に、農水省などの補助金を受けて建設され、自治体や農協が運営に当たる、公共的性格の強い非営利的なCATVシステムで、現在、全国に三十カ所ほどある。松本周辺では、朝日村と山形村にMPISがある。(なお、波田町には来年、自治省の補助を受けて、「農村型」と「民間型」を折衷したCATVが開局する運びとなっている。)
 朝日村は、世帯数1,000戸余りで、レタスを中心とした高原野菜の産地として知られている。また、1965年以来「健康村建設」を行政課題に掲げ、保健と福祉を結びつけた積極的な取り組みを息長く続けている。
 朝日村有線テレビ(AYT)が開局したのは1988年、自主放送は毎日1時間分ほど制作されるニュースとお知らせを、5回程度繰り返し放送し、加えて各種の行事に合せた特別番組を随時放送している。AYTの番組審議委員には、体育指導員からも一人が選ばれており、自主放送には体育関係の要素が積極的に盛り込まれている。
 シーズン中は、定例のニュースで、早起き野球やナイター・ソフトの結果と予定が流される。試合の映像が流れるわけではないが、当事者以外にも試合の結果がすぐに伝わるのでリーグ関係者の評判はよい。夜間や早朝に試合が行われたあと、当事者によって試合結果を記したメモが作られ、村のグランドのすぐ前にある公民館の文書受けに投じられる。それがまとめられて、ニュースの原稿になる。
 また、各種のスポーツ行事やスポーツ教室なども、ニュースの素材として取材されることが多い。小学校・保育園の運動会や高齢者の運動会などは、必ずニュースに取り上げられる。また、社会体育事業の一環である幼児と **********  私たちは常識的に、新聞業界を大きく三つぐらいに分けて考えています。
 まず全国紙がある。朝日、毎日、読売、産経、日経ぐらいまでです。つぎのランクで地方紙といわれるグループがある。さらにもっと小さいのを、一般的に地域紙と言っています。これは、スポーツ紙、専門紙を除いた一般紙の場合ですね。
 その地方紙ですが、普通二つに分けて、ブロック紙と県紙と言っている。欧米では新聞はほとんど一つの街や日本でいうと県を単位に発行されている。例えばニューヨークタイムスはあくまでもニューヨークの新聞ですから、ニューヨークの地域紙かもしれない。もちろん最近では、ワシントンDCでニューヨークタイムスをとれないわけではありませんが、新聞というのはあくまでその地域のものです。USAツデイは全国紙ですが、これは例外です。ヨーロッパも同じで、全国紙はほとんど数が少ないのです。

戦時統制で生まれた全国紙

 だいたい新聞というのは、一つの街のニュースを知らせるために印刷媒体が出てくるという歴史の発展をたどりましたので、古い時代から新聞がある所では、地方紙、地域紙が強いのです。ずっとあとの時代になって、新聞を国の制度として組み込もうとすると、とにかく全国紙をまず作らなければということになるのです。
 日本の場合はどうだったかというと、例えば大阪の新聞が関東大震災の折に東京に進出してきた。毎日や朝日のルーツは大阪にあるわけです。今日の業界秩序を決定づけたのは、戦争時の一県一紙統制です。戦争中に、たくさんあった新聞を一定の秩序のもとに再編成して、国の統制がしやすい型をつくろうということで、一県一紙体制をつくった。<一県一紙体制は、太平洋戦争開戦の前に一通り完成していたので、「戦争中」を太平洋戦争開戦後に限定するのであれば、少々不正確な物言いになっている。以下、注意されたい。>
 これは全国紙五紙、複数の県を単位として配布するブロック紙四紙、あと残りは一つの県に一紙ずつ新聞を認めるというものです。ただしブロック紙を発行する県では、県紙は認めない、こういうことを決めたわけです。そういう中で地域紙は、沖縄の南端先島(さきしま)諸島と海軍の軍港があった関係で広島県呉市だけを残して、あとはすべて失くなってしまった。また有力な新聞が複数あった県も全部一紙に統合されていった。
 戦争中はこのように、北海道から沖縄まで、原則的に一県一紙になり東京は全国紙の発耕地でもあり、東京新聞というブロック紙があるから、地元の新聞は失くなった。東京新聞は関東一円に配布するという秩序がつくられた。

今も残る一県一紙統制の構図

 戦後になって新聞にたいする統制が一切とっ払われた。これはフリーダム・オブ・プレス、新聞発行にたいして一切の許可が必要ないという型になっています。実際には用紙統制の関係で、いろいろ統制はあったのですが…。
 その後四○年以上経って、今日に至るまでの間に、この一県一紙統制の構図は、基本的なところではそう変わっていません。今でも地方へ行けば、一つの県には一つの地方紙があります。それとは別に全国紙がはいっていることもある。またブロック紙もある。またブロック紙もある。四○年以上前の構図が、基本的な枠組みが今日もそのまま生き残っているのです。
 この基本的枠組みは、実際の市場性(配布競争でどこが強く、どこが不利になるか)を無視して、行政の単位で決められたものです。現実の市場性、たとえばどれだけの客がいるのか、新聞にお金を払ってくれる人がどのくらいあるのか、こういったことを加味すれば、そもそも一つの県とはいえ新聞が成立しにくい地域の新聞は、さほど力をもった大きな新聞になれないまま、だんだん衰退していく。一方で地方紙に有利な条件にある所では、地方紙が圧倒的な力をつけていく、そうした変化を見せてきました。

二、首都圏地方紙の環境

 それでは首都圏のエリアについてはどうなのか。
 ブロック紙や県紙、あるいは統制下の一県一紙で生まれた県紙ではないのだが、戦後、県紙に準ずる形で登場した「県域紙」は、いずれにせよ経営的にきびしい状況にさらされているのが現実です。それはなぜか、簡単な話です。すなわち首都圏は、全国紙の力がひじょうに強いからです。
 新聞は読習慣がひじょうに強いのです。これまで読んでいたから取りつづける、子供の頃両親が読んでいたから取る、こうした習慣性が強いのです。普通、新たにB紙を取るような場合でも、これまで読んでいたA紙を切らず併読するケースが多い。細かい統計をとると、新聞をいつも取替えている一群の人々もいますが、これは新聞なんかどうでもいいという人達です。ほとんどの人達はひじょうに強い習慣性をもってブランドを選んでいます。併読の場合、それだけ支出が増えるのですから、強い説得力がないかぎりなかなか取ってもらえません。

広がる業間格差

 戦後、まだ輸送条件が厳しかった時代には、東京から離れた地域では全国紙、地方紙の競争は地方紙が圧倒的に有利だった。東京から持ってくる新聞では前日のナイターの結果が載らない。ナイターのTV中継が多い関係で、地方へ行けば行くほど巨人ファンが多いのですが、では読売新聞を読むかというと、そうじゃない。長野県の場合は「第一版」で降版時間がいちばん早いので、ゲームの途中経過しか載らない。信濃毎日新聞なら結果がすべて載るのです。県紙を読んだ方がいいということになるわけです。
 高度成長期ぐらいまでは、流通網、輸送網、高速道路網の整備がすすんでいない時代に、首都圏から、あるいは新聞の印刷地から距離がある所では、基本的に全国紙が弱く地方紙が強い。逆に言うと、新聞の発行本社(現在では東京、大阪、中京、福岡)から近い地域では、県紙や県域紙は、全国紙との競争でどんどん敗れていき、全国紙を読んで県紙を読まないという現象が起こってくる。県紙のグループの中でも、安定した経営をおこなう遠隔地の県紙のグループと、経営基盤を常におびやかされている発行地に近い県紙のグループとの間に、明瞭な格差が生じています。

淘汰された地方紙

 もちろんこれは、一般的な市場性にかぎっての問題です。たとえば有利な条件にある会社だって、そこの会社の経営陣がボンヤリした経営をしていたら、そんなに圧倒的な力をつけられないでしょう。逆にきびしい状況下にあるといっても、経営陣がしっかりして、それなりになんとか食いつないでいけば、会社をつぶさずに今日まで存在することができると思います。
 埼玉新聞が今日まで少なくとも一県一紙として存在しつづけていること自体、ある意味では尊敬に値することなのです。
 実際、首都圏、関西圏あるいは西部圏でも、どんどんつぶれています。たとえば山口県。ここは西部圏ですが防長新聞があった。もともと発行本社に近いという不利な条件下におかれている上、本社が火災にったり、いくつかの不運が重なって最終的に会社がつぶれてしまった。今、山口には、もともと水産関係の業界紙をやっている会社が山口新聞を出していますが、県域紙にはなりえていません。関東では千葉新聞がつぶれた。今の千葉日報は地元財界が力を合わせて新たにつくった会社です。埼玉新聞だって、歴史の中で一つ間違っていれば、今のような形で会社が存在しつづけることはなかったかもしれません。そういう状況が、全国紙の発行拠点に近い所ではあります。逆に言うと、戦後日本の県紙がつぶれた所、防長、千葉、日本海、滋賀<県紙・滋賀日日新聞が京都新聞に吸収合併されたことを指す>、奈良<県紙・奈良日日新聞が形式的には存続しているものの、弱体化したことを指す>と、新聞が弱小だったり発行拠点に近いところは、きびしい市場環境にある。一つ間違えば、いつつぶれても不思議はないんだという認識を持たなければなりません。

ブロック紙も危機に

 関東平野(首都圏)には日本新聞協会加入の県紙、県域紙は、数えかたにもよりますが、栃木、下野、上毛、茨城、埼玉、千葉日報、神奈川の七紙あると考えていい(常陽は街の新聞に近い。こうした街を単位に出ている新聞で、日刊、有料は北海道、東北、新潟、長野、静岡に多い。だいたい二○○○から一○万部の発行部数の世界で、これを地域紙と総称します。常陽はどちらかというと、地域紙に類型化できると思う)。
 ブロック紙である東京新聞もつぶれた。現在はブロック紙である中日新聞が発行しています。戦時体制下のブロック紙は東京、中日、大阪、西日本でした。そのうち東京は経営ゆきづまりで組織を解体して、社団法人東京社という文化事業をおこなう部門を切り離した上で、印刷、新聞発行を中日が買い取って、今は中日新聞東京本社が発行しています。中日は、ある意味では経営的にひじょうに成功して、数え方にもよりますが、オール中日で公表している部数を信ずるならば読売、朝日に次ぐ三番目の発行数を誇っています。大阪新聞も経営がゆきづまり、産経が買取りました。大阪新聞は新聞社としては残っていますが、ある時点でブロック紙としてもった部数を産経に譲渡、今はローカルの夕刊紙として形だけ残っているのが現実です。西日本新聞は、本来は九州一円、山口県のブロック紙だったが、これも勢いがなくなって、今は福岡、佐賀、山口だけの小さいエリアに変化しています。ブロック紙のレベルでも、中日を除いてヤバイ、かなりつらいということです。中日が強かった一つの理由は、全国紙が発行拠点を持ったのが、名古屋だけ遅れたという事情にあります。全国紙が東京、大阪、九州で活動している時に、名古屋は相対的に弱かった、その間に圧倒的な地位をつくりあげたと考えるべきでしょう。
 関東の場合、ブロック紙である東京新聞も弱体ですし、県紙、県域紙もどれも弱体です。

三、首都圏地方紙の可能性

主読紙競争では全国紙に勝てない

 関東地域にある県紙、県域紙は、どこにあるか、どの程度の普及率かなどということを抜きにすると、大きく二つのグループに分けられます
 一つは、ABC公査部数(新聞社が販売店に発送した部数で、押し紙や積み紙も含まれる)で二○万部以上、これは上毛、神奈川ですが、これを除くとみんな公称部数で一○万部ぐらいです。これがどのくらいの規模の差なのかというと、従業員数の指標では、編集局が一○○人と五○人前後の差となります。外部から見て、いちばん実情を把握できるし大事だと思うのは、特に新聞制作の中核である編集部門に何人の人を雇っているかという点です。公称部数一○万クラスは、おそらく実売では一○万を切ってしまう、そして編集に五○人くらいの人がいる。だいたいこのクラスですね。
 首都圏の地方紙は、一方に全国紙あって、それとのきびしい競争の中で、一旦敗退しているのです。では、どういう意味で敗退したのだろうか。
 同じ商品同士で喧嘩をしようとした時に負けているのです。すなわち、一紙だけで用が足りる主読紙としての競争では、全国紙に勝てないということです。主読紙として選ばれる可能性が高い新聞というのは、全国ニュースや国際ニュースもあり、TV欄も全部そろっている新聞です。こういう競争では、全国紙対県紙は、関東地方では「もう勝負あった!」なのです。たとえば神奈川県では、神奈川新聞だけ読んでいればコト足りるよという人もいるでしょうが、それは市場の大部分ではない。単読率は三割を切るぐらいだろうということを、神奈川新聞の人が言っています。ですから神奈川新聞では単読紙ではなく併読紙だという認識を持っています。ところが群馬県に行けば上毛だけでコト足りている人の比重は大きいはずです。
 いずれにせよ、主読紙の座をめぐって埼玉新聞が全国紙と闘っても勝てません。なぜか、それは一頁の紙面をつくるのにかけるお金が圧倒的に違うからです。全国で何百万部とつくるものと、五万、一○万と積み上げていくのとでは、一頁当りの単価がまったく違います。出来上がりも全然違う。

弱い者同士のぶんどり合い

 主読紙として、あるいは商品の内容で闘えないということになると、値段が安いですよで売るしかない。東京や産経を取る人は値段が安いからなのです。同じ理由で、特に政治的なあるいは宗教的な理由がなくても赤旗や聖教新聞で用をすましている人もいるわけです。たしかに紙面には共同通信の記事もあるので用が足りちゃう。新聞を安上がりにすませたいという人のぶんどり合いが、弱小県紙、弱小ブロック紙たる東京、弱小全国紙たる産経の間でおこなわれ、そこに撹乱要因として赤旗、聖教が入ってくるものだから、弱い者同士のぶんどり合いがますますきびしくなる、そういう姿があるわけです。
 しかし首都圏は、コンスタントに人口が増えつづけています。パイは大きくなっている。シェアは変わらなくても、それなりに紙は伸びていきます。そうすると不思議なことに、県がどんどん成長する中でシェアはとられていく一方だと思っていても、正味でいうと微増している。そうなると、中には新聞のために金を出そうという人がいたりして、なかなかつぶれないで生き残る場合もあるのです。まがりなりにも発行がずっとつづくという状況です。

紙面改革のひとつの方向

 次に紙面を見直そうという志向があると思います。一九七○年代以降、情報係数(情報を入手するためにかける費用負担率)が上がってきていると言われます。財布のヒモがゆるくなってきた。情報に金を払えるだけ豊かになってきたということでもあるでしょう。これまで新聞は一紙だけと思っていた人が二紙、三紙と取れるようになってきた。そういう変化と、世帯数の伸びと、そこにうまくもぐりこんで併読紙として生きのびていく可能性はないだろうか。あるいは少なくとも主読紙でありたいという志はもって、そういう形で紙面をつくれないだろうかと、いろいろ模索してきたというのが、最近の状況ではないだろうかと思います。ある意味では、そういう形で紙面改革をやっていくプロセスの中で、当の本人たちの予想以上に併読紙として徹底してしまったのが上毛の例です。上毛では全国ニュースはメインではない。徹底した地元新聞です。

生き残った地域紙の特徴

 北海道の十勝毎日もそうです。全国ニュースや株式欄、場合によってはTV欄はないかもしれないけれども読んでもらうアイディアをつめこんでいる。ここに、地域紙の存在があるのです。
 地域紙はもともと、全国紙と地方紙が主読紙としての地位をめぐってぶんどり合いをしている所で、ぜんぜん違う地平で登場してきているのです。一つの街に新聞があるなどということは、とても信じられないかもしれない。しかもお金を払って読むもので毎日発行されている。これはどうしてなのか。
 地域紙は一県一紙体制のもとでは存在しませんでした。戦後になって登場したものです。戦後、新たにスタートして全国紙、県紙に対抗するような主読紙をつくることは、ひじょうにむずかしかった。雨後の筍の如くバーッと登場して、その大部分は淘汰されますが、それでも残った地域紙はあった。それはどういう地域紙か。併読紙としての価値が認められた地域紙だけなのです。

地域紙の発展過程

 たとえば昭和三○年代によく見られたのが夕刊紙です。TVの普及がそれほどでなく、全国紙、地方紙とも朝刊しか配れなかった地域に夕刊を出すことによって、ニュースの隙間を埋めた。その段階では、併読紙ではあるが夕刊という形で主読紙と同じような内容の紙面をつくりました。その後さらに変わって、TVの普及もすすんだ四○年代になると、今度は徹底的に地域ネタ、主読紙やTVでは扱わないようなローカルニュースを取り上げる新聞が各地で力をもってきます。
 そのローカル新聞はどのような新聞づくりをやっているのか、典型的というか経営がうまくいっている例として長野県松本市を中心とする市民タイムスを例に見てみましょう。この新聞は創刊二○周年を迎え、五万弱、タブの新聞です。地域人口五○万に対して五万部、一○年前は一万数千部でした。
 共通して言えることは、地域紙、ローカル紙が成立する場所が決まっている点です。もっとも成立しやすいのは、県庁所在地以外の有力な都市です。県庁所在地には県紙があり、これが県庁周辺のニュースをカバーしています。埼玉新聞も浦和に本社があるし人も多いのだから、浦和のニュースはカバーしやすいはずです。浦和の人は埼玉新聞を見れば、こりゃ地元の新聞だなと素直に理解します。けれども仙台中心に発行される県紙河北新報は仙台では地元の新聞ですが石巻では仙台の新聞だということになる。するとその地域で新聞を出したいという気持ちが人々にあり、記事や広告を含めた需要があるということです。そこで石巻で新聞を出そうという人が出てくれば、街で応援するという動きが出てきやすいのです。だから県庁所在地以外の所でローカル紙が出ているケースが多いのです。

地域紙の紙面から学べ

 こうした新聞は、主読紙競争とは無関係なところで、独自の地域的需要を吸い上げて新聞を作り生きのびている。こういうあり方、そこから何か学んで、首都圏の県紙の新しい可能性を切りひらくことができないだろうか、このように考えるのは当然ですね。
 学ぶべきは、まず紙面内容です。それからもう一つは、制作や工務体制を含めた会社の中の組織づくり、体制の問題、それから販売関係にも何かあるかもしれない、この三つだと思います。
 紙面内容という点で埼玉新聞を見た時、この新聞は一体誰が読むんだろうかが、ひじょうに大きな疑問として出てくる新聞です。官庁、発表ものをひととおりフォローしてあるという意味では、地元の行政にかかわりのある業界の人は読むのかな…という感じはありますが、具体的にどういう人が読むかが良く分からない新聞です。

ローカル紙の工夫

 地方のローカル紙の場合、かつては地方の行政や政治に密着して(政論新聞)、たとえば市長派と反市長派に分かれてやり合うなどというノリの新聞がありました。しかしこれは、四○年代を境に淘汰されていくなり、あるいは論調をバックに引込めないと普及がすすまなくなってきた。そのかわりに、良し悪しは別にして徹底的に回覧板に徹したものふが出てきた。記事のメインは、同じ発表ものでも高校の入学発表とかになる。おくやみ関係は、あたかも有名人の死亡記事のようなスタイルで市井の人の死亡をとりあげる。こういう努力を積重ねることによって、たとえばその新聞を読んでいれば義理を欠かないですむという世帯にくいこむ。あるいは幼稚園を回って、ここにこんな先生がいるという記事を連載するとか、郷土の有名人の伝記を連載小説にしたてるとか、そういうことで、徹底的に地つきの人に読ませようとしています。しかし本当は、地つきの人は情報が口コミで入ってくるのです。いちばん成功したのは、その地域経済が拡張している途中で、他所から人がはいってくるという所です。あとからきた人は、この地元はどういう所なのか知りたいのだが口コミでは入ってこないからです。そういう所にローカル紙があるとひじょうに助かる。
 私が詳しい調査をした宮城県石巻市では、人口が急増した時に地域紙が世帯数の伸びと同じカーブで伸びていた。人口が急増する前までには限られた数しか入れられなかったが、世帯が増えた分がそのままとり込まれる形で読者を増やしたということです。

紙面をどうつくるか

 活字媒体というのは、その地域の情報を満載しつつ、実際にそれを読むのは地域のことを知りたいけど知ることのできない人たちだということです。と同時に、ニュースの速報性は大切にしつつ、読み物の魅力(連載やエッセイ)で売っているのです。
 だいたい年寄りは昼間やることがなくて、新聞をひじょうに丹念に読んでいます。投書欄はどこでも、年寄りばかりです。若い人の投書が多い新聞は、それだけいかに新聞が売れているかの証左ですが、逆に老人がそれだけ新聞を読んでいるのだから、その人達が継続して読みたくなるようなものを作れば継続して売れるということです。
 こういうように、ローカル紙は読み物の側面、それに地域の小さい経済ネタ(政治的な争いごとに巻き込まれることは慎重に避けつつ)で地域的に成功をおさめ、伸びています。成功すると、世帯普及率が九割をこえる十勝毎日新聞の例もありますし、そうでなくても六〜七割、もうそれ以上伸びない飽和状態にあるというローカル紙もあります

有力地域紙の新聞づくり

 彼らが次に考えたことは、このノウハウを使って隣町でも新聞を発行する、ということです。隣町での独自のニュースと同時に、本拠地のニュースも入れる。すると大新聞では考えられないような、ひじょうに複雑な紙面さしかえ工程が始まります。簡単にいうと、一・五部分くらいの記事で二種類の新聞をつくるということです。本拠地一面のニュースが隣町ではたとえば松本のニュースなどという形で小さく載る。広告も記事内容によって、あるいは地域別に分けて、小さい広告主を開拓しています。そうした複雑な作業を、毎日手作業でやっているのです。
 典型は長野県の岡谷市民新聞。ここは日本で最初にオフセット印刷で新聞をつくった所です。長野県には、長野日報グループと市民新聞グループがあります。題号だけは各地共通もので束ね、あるいは共通の紙面なども持って、一つのエリアをカバーする有力地域紙があります。


埼玉新聞の紙面改革の可能性は

 そう見ていくと、首都圏のたとえば埼玉新聞という地方紙にとって、こういう地域紙から学べる企画はかなりあるのじゃないか。もちろん、絶対に真似できないこと、たとえば死亡記事なんか、六五○万人もいる県民全体について死亡記事を書くなど、とてもできません。でもひょっとすると、たとえばこまかい紙面切りかえにするとか、こういった努力はもっともっと工夫してもいいのではないかと思う。あるいは紙面に読み物の比重をもっと増やしていいのかもしれない。新聞のニュースはストレートニュースだ。たしかにそうかもしれないが、ストレートニュースの部分で必ずしも埼玉新聞を読まなくともすむのだという性格のものを、多少調整してでもローカルな読み物、あるいは速報性はないかもしれないが、さしあたり読まれると支持されるものを何とかすくい上げていく仕組はないだろうか、そういうことを考えていいのではないでしょうか。あるいはターゲットとして真剣にシルバー層を考えるのであれば、紙面のレイアウトのしかた、字の大きさ、その他工夫する余地はいろいろあると思います。
 要は、たとえば地域紙、併読紙として生きのびてきた新聞がなぜ併読紙として生きのびられたのか、あるいは有利な点があったのか、そのへんを客観的に分析して、こういう構造、こういう発想をうちの新聞に生かしたらこういう企画につながるんじゃないか、そういう形でものを見ていくことで、まだまだ紙面を良くできる、あるいはもっとコンセプトのはっきりした紙面ができるのじゃないかな、そういうことを埼玉新聞を読んで感じたわけです。


社内でのコンセプトを

 埼玉新聞を含めて首都圏の地方紙は、今後も絶対に主読紙になることは無理です。だってこれだけ新聞が売れなくなってきているのですから。県紙を淘汰した全国紙ですら夕刊が売れなくなっている。一二、三年前は朝夕刊セット率は九割くらいでしたが、半分くらいになってしまった。今や惨憺たる状態です。いかに夕刊が売れていないかです。全国紙ですらそういう状態のところで、新聞全体が退潮していくのは否めない。
 しかし、一方で、それなりにしっかりした役割を持っていれば、まだまだ伸びる余地があるだろう。とくに埼玉県は人の出入りの激しい地域です。その出入りの激しいところで、ニュースが地元に役立っていればお金を投じてくれる人もいるでしょう。ところが、そうなっていない。TV埼玉もあるが、西武戦の中継はやっているけれども埼玉県のみんなが関心をもっている、焦点になっているものを、うまく提供できていない。そうした媒体はないのだが、現実に人はどんどん入れかわっている。新しく来た人が、手軽に地元のことを知りたいなと思った時に、それなりに情報提供ができる新聞であるというコンセプトをねらっていく、たとえばそんなことが必要なのかもしれません。


まず徹底した社内議論を

 紙面の工夫はいくらでもできるが、いい紙面ができたとしてもそれが即座には売上にはね返らない。いい紙面に改革したら売上が二倍になる、なんてことはありません。逆にマンネリでいい加減に作っていても、半分になることもないのです。このため、放っておけば紙面の質はズルズルと低下していきます。やがて、日常の活動の中で、どこかでゆきづまっていったり、あるいはどこかで焦点がボケていっちゃう。なおかつ経営の周辺でいろいろなことがあったりすると、ことさらガサガサしているという印象がよけい強くなっちゃう、ということがあります。
 何とか会社の姿勢あるいは紙面の性格を一言で言いあらわせるような、それも単に地ダネ志向というようなボーッとしたものではなく、スパッと切り口が見えてくるような標語、スローガンみたいなものを、みんなが共有できるような状態(記事を書く人も、販売店に新聞を届ける人も、印刷の人までも)、そしてみんながその方向に動いていく、統一して力をうまく引出すことができれば、まだまだ首都圏の地方紙の可能性はあると、私は楽観的に見ています。ただ、それをやるためには、一度、この新聞は併読紙なんだ、この新聞はどういう人が読むんだということに関して、みんながディスカッションをしつづけるという状況を、なんとか作りだしたいですね。


社員の意識改革もカギ

 新聞は製造業です。最終的には、作ったもの、つまり新聞のクオリティで勝負します。製造業にとっては、新しい技術革新があってポーンとはね上げることは簡単なのです。それよりむずかしいのは、クオリティコントロールです。一度ある段階にまで高めたクオリティ(水準)を維持することはものすごくむずかしい。一般の製造業では、そのためにQCサークルがあって、日常的にディスカッションして小さな改善を積み重ねています。小さい改善を積み重ねるようにしないと、ある程度まで高めて水準を維持できないで、だんだん落ちたりボケたりするのです。埼玉新聞の場合は何とか紙面刷新をしなければという議論がときどき起こって、はね上げることをやっているけれども、そこから先がガタガタッといっているということがあるかもしれない。それを日常的にやるという努力がうまくできないのかなと思います。
 これは意識改革の問題でもあるので、本来は経営者がやるべきことかもしれません。しかし、下手をするとニッチもサッチもいかない事態になりかねないということを考えると、労働組合が単に生活要求の闘争をするだけではなく、経営者側に中身がある形で、自分たちはこう考えるが経営者はどう考えているのかということをつきつけていける組合でありつづけないと、単純に金よこせとか、もっとしっかり経営しろと言っているだけでは済まなくなっているかと思います。
 首都圏地方紙の可能性ということでしたが、お話しした地域紙の経験から学びうるところがあるのではないか、という問題提起をして、私の話を終ります。


 紙面改善などで山田晴通氏と一問一答

 みんなの知恵と、みんなの力で大胆に改革めざせ

 埼玉新聞を読んで率直な印象をお聞かせください。


レイアウトがうるさくないか

山田 慣れもあるのでしょうが、とにかくレイアウトがうるさく感じました。これは中味とは無関係ですが、一つの理由は小さい写真がすごく多いためです。しかしそれは、おそらく埼玉新聞のレイアウト上の特徴だと思います。この特徴を何かうまく活かせるような形でやった方が良いのか、あるいは多少なりとも修正した方が良いのかということまでは、私はわかりませんけれど。また、見出しの地紋の使い方もうるさいのじゃないか。
 比較的短い記事が多くて、なおかつ活字が小さく、見出しのところに余裕がない形で組まれている。それによって情報量は多くなるのですが、全体に余裕がなくてチマチマとしている感じ、正直言って見づらかったです。

地元の政経ネタ重視の原則を貫徹したら

山田 内容に関しては、たまたまこの時期に埼玉知事選挙の記事がずっと出ているものですから、全国記事と地元記事の境目がちょっとはっきりしない部分があってコメントしにくいのですが、普通の人が読者として読んでいるとしたら、後から順に読むのかなという気がする新聞作りになっている。というのは、埼玉新聞が併読紙であることから、一面を見た後はきっと後ろのページにいくだろうと思います。一面は地元の政経ネタでうめて、地元の社会ネタで第一社会面をうめる原則は、もっと貫徹されていいのじゃないかな、必ずしも埼玉県の社会ネタでないものも入ってますよね。
 全国的なニュースであっても思いきって縮小して、半分は埼玉の社会ネタでいく。全国の社会ネタはエッセンスだけにして半分に載っけるだけにとどめるとか、そういったことは思いきってやってもいいのかなという感じがする。

地区版に地元の小さな広告主を

山田 ミニコミ広場は地域で話題になるだろうなと思います。ただ地区版も含めて、その広告が、新聞社関係の事業とか、いわゆる赤広告に近いものでうまっています。この地域面の広告は、一回何千円しか取れないようなお客さんでもいいから、小さい広告主を開拓して地域ごとの面をうめれば地域の人の注目度がそれなりに上がると思うのです。

部長 地区版の編集方針は話題性のある記事をたくさん詰込もうということですので、写真は二段、会議の写真や誰かが誰かに物を渡しているようなものは、みんな一段にしています。

中途半端な写真なら無い方がいい

山田 トリミングを工夫しなけりゃならないものや、載せる意味がどこにあるのか理解できないものがあります。たとえば記事の内容とどうも結びつかないものもある。写真の価値と本文のスクリプトの関係をもっと考えていいのじゃないか。テニス試合の写真ですが、コートの向こうは誰もいなくて、指導者二人が賞状を渡しているだけです。こんなものなら受賞者の顔写真を載せる方が喜ぶね、そうでしょ。つまり中途半端な写真を載せるのは考えた方がいい、そのぶんもっと見やすいレイアウトを考えたほうがいい。

地元小広告主の開拓は販売増にもつながる

山田 ミニコミ広場の下は埼玉新聞出版局・事業部の広告です。ここに企画物で、小さな広告を集める。それで広告欄がうまるようになったら、体力が強くなっていくということなのです。地域版はそれなりに見ている人もいるのだから、「お願いしますよ」と言って歩き回ることは最終的には部数にもつながるわけです。さしあたりの目標は、ミニコミ版に浦和・大宮・与野とうたっているのだから、その地区のローカルの広告だけを載せることです。努力しなければいけないし、最初は企画広告で企画物にからめてもいい。小さな広告主さんも広告出せますし、それなりの広告効果もある。

 読み物としての記録を紙面に活かすなかで、連載などの工夫につながる、連載ものを多くすれば記事が長くなります。絶対数から見れば新聞をよく読んでいる層、お年寄り以外のメディア世代というか、目で見てという世代の方が多い。とすると、大きな写真をボンボンと載せて記事を少な目にする方法をとった方がいいのかどうか。ニューヨークタイムズなどはだんだん記事が長くなってきている、読ませる新聞になっていると聞いたことがある。これは本当に時代の流れになっているのだろうか、メディア世代と反メディア世代、ちょっとどっちにしていいか悩むところです。

仲間や第三者の紙面批評も

山田 ちょっとぐらい写真を多くしたからって、メディアに対して目が慣れている人には魅力でもなんでもないですよ。そうでしょ。新聞のカラー化で紙面の魅力を高めようと言うけれど、投資しただけのものが回収されてこないという話になっていく。新聞のカラー印刷よりもずっと鮮やかに印刷できるものがいくらでも世の中にあふれているんだから。速報性にしても、テレビの方がすすんでいます。
 こうしたメディア間には棲み分けがあるのですよ。ただし、埼玉新聞のレベルでいうと、どういう写真はどういう形で見せるのかということに関して、もっとシビアな議論が必要です。記者が自分で撮ってくるでしょ。それをやらないと採算とれないからね。またシャッターを押せば誰でも撮れるようにカメラの方がなってきた。それだけに構図などにかまわずに、パターンの写真は撮れる。何もプロの写真家と同じレベルで撮れとは言わないけれども、せめて現場で写真を撮る機会の多い取材記者は、少なくとも仲間内でお互いに批評する機会をもつ、あるいは第三者に見てもらって写真自体が持っているアピールの力とか、そういったものに関するクオリティを上げていく努力が必要かなという気がする。写真の撮り方をものすごく工夫してほしいし、見せるということを意識してほしい。

ポイント絞り企画もので勝負

山田 全体的に言えば、見せる新聞は作れるかというと矛盾があると思う。新聞は読ませるものだというところが究極的なところだと僕は思います。けれども、若い人は短いものしか読まなくなっているからということで、短い記事をたくさん書けばいいかというとそういうものでもない。短い記事がたくさんあっても、検索するのが大変だったら同じことなのです。むしろポイントを絞って書いていくという操作がある程度必要で、そのためには企画連載物の持っている力というのは、かなりその会社の力量を問うものになってくると思うのです。それでは地元の新聞として何ができるか。コンスタントにいろんな問題を取りあげて、ずっと連載することはできるでしょう。時事性とはまったく無関係だけれども、郷土の有名人の評伝を小説のかわりに三ヶ月の長期間をかけて、郷土史家や作家に書かせて載せるとか。このように地域性に結びつく形に収斂していくようなものでないといけない。その人の生誕何周年とか、連載が終った頃にその人を顕彰するお祭りがあるとか、そういうタイミングに合わせるような企画をたてられれば本当は一番いいのです。

仲間うちで工夫しあう雰囲気はあるか

山田 新聞は究極的に読ませるものだというのが僕の考え方だし、それ自体は間違っていない。ただ読ませるということと、最初にどこにこういうものがあるよと見つけさせることは別なのね。そこらへんの工夫の余地はまだまだあると思う。
 共同通信と比べても、クオリティの高さに差があるでしょ。むこうは言ってみれば全国区で、こっちは地方区だから、まともにたちうちできないかも知れない。でも何とかしようぜって、たとえば仕事が終わった後に記者、取材に行く人が話して、この次は何とかがんばれないかという工夫をする雰囲気があるかどうか、そこのところの差だと思う。毎日の紙面をそういうつもりで見ていったら、みんなが一致してこれはまずかったよなというのもある。それをディスカッションしてフィードバックされていくような構造になっていかないと、いつまでたっても良くならないのじゃないですか。クオリティコントロールとはそういうことです。QCサークルをつくれとは言わないけど、それに近いような環境・雰囲気を制度的に持つことも大切だと思います。

 新聞社の社会福祉事業団への寄付は写真を載せるというきまりがある。大きくしたくはないから、どうしても一段ですよね。そういうのを思いきってやめてしまうとか、大胆なことをした方がいいのかな。

無用な軋轢避けながら改善を

山田 先ず普通の日常の記事作りの中で写真を整理していく、その中で寄付関係がちょっとうるさいよなとなって初めてできることで、いきなり先ずこれをやるのはうまくないでしょう。習慣が積み重なっていると、ここからやりだすと無用の軋轢が起きたりしますから。日常的にレイアウトの中でそぎ落とせるものは何かというところからの議論からですよ。積み重ねがいるんじゃないですか。

 寄付の写真は顔だけでもいいですよね。

山田 むしろ顔の写真を大きく載せてもらった方がうれしいかも知れない。

 局長の手から写して下さいとか、こういう写真はこう撮るべきだみたいな何となくきまりがある。

山田 そういうパターンとかは、ある段階ではクオリティーコントロールとして効くかも知れない。が形骸化していくとおかしい。どれも同じような構図だとか、よく見たらあれこれ間違って写真が入れちがっているじゃないかとか結構あると思うんです。そうなるとちょっとまずいかなという気はしますね。

 地方でも全国紙が取りあげるような大きなニュースに結びついていくものを追っかけていく、とくに埼玉はそっちの方がいいんじゃないかなと勝手に思っているのです。国際ニュース、海外ニュース、あるいは社会的事件で大きなものと埼玉を結びつけていく、そういうものを記事にしていく必要があるのじゃないか。そういう方向性をたどっている県紙や地方紙はあるのでしょうか。

共同記事のタレ流しは止めよ

山田 僕もまったく同感ですし、ひじょうに大事だと思います。
 埼玉県知事選挙が全国ニュースになるなんていうのはちょっと特殊な状況だけれども、たとえば国際ニュースをたんに共同の記事のたれ流しをするだけではいけないと思う。たとえば日米構造協議でこういう産品に関してこうなったという話があった時に、じゃ本県ではそもそもどれくらいの生産量があって、本県の関係者はこういうコメントをしているっていうものを、マメにフォローする。現実問題として、共同ニュースで埼玉県にからむようなものをフォローアップする記事を同じ日の紙面に載っけることができますか。電話取材でコメントを取ったりがせいぜいでしょ。

部長 駅頭で二〇人くらいインタビューして載せることもたまにはありますが、自分の所の記事に仕立てるにはほとんど時間が間に合わないということです。

山田 そういうものが連載企画に生きてきたりすれば、うまい具合に回転してくると思うのです。
 リクルート事件は朝日の川崎支局が、地方版の記事として取りあげたことがきっかけとなって大きくなっていく、そういうこともあるわけです。常にそういう可能性とか、そういう視角を持って考える。全国紙との間で主読紙競争をしなくなったのだから、やらなくていいという話ではないのです。とくに最近はグローカルなんて変な言葉を言う人が多くて、要するにグローバルとローカルというのは直結しているというものの考え方で、グローバルな現象をローカルな視点でとらえていく活動、そういう考え方が流行っています。その延長線上で考えて、大きなスケールの話も地方の形で切って、仕立て直して提示する努力は不断にやらなければいけない。これは基本の基本だと思う。

 そういうことをよくやっている新聞はどんなところですか。

視点を工夫して斬新な切り口を

山田 信濃毎日新聞などは、さすがにしっかりしている新聞のほうだと思います。長野は農業県ですから国際的な動きや米の減反なんかに直結しますのでね。
 埼玉県には小規模の製造業がすごく多いでしょ。ここは目のつけどころではないかな。そこでは外国人労働者の問題がものすごくシビアです。埼玉新聞が地域経済に食いついていくんだ、密着していくんだという姿勢をみせる一つの切り口は、そこらへんにあるんではないか。たとえば雇用している側の立場でものを見るとスキャンダラスに言われることが、角度を変えれば見え方が違うよ、そんなことをシリーズ化したコラムなどを考えることができる。シリーズで一年間を、この問題について徹底的に県内の状況を検証してみたいから意見のある人は言ってくれとね。そうすると、いわゆるメジャーなメディアの目から見ても、独自だと思えるようなものがゴロゴロでてくると思うのです。それも人権がどうのこうのというたんなる建前ではなくて、地域経済に根を張っている工場の立場からものを考える。
 出発点は埼玉県内の問題として、たとえばいろんな国の人が埼玉県の産業をじつは支えているのだ。また埼玉県の産業の位置づけの中で彼らはどういう立場にあるのか、行政はどう考えているのか。あるいは県内の国際大学の先生方でそういうことを調べている人はどう思っているのか。つまり常に埼玉県のローカルな位置の中で、ローカルな人脈の中でどういう話し合いがなされているのか、そういうことを積み上げていく企画を持続力を持ってやっていけば、埼玉県で新聞を出していく意味があります。どんな全国紙でも、県内の支局に張りつけた人数は、埼玉新聞編集局の人数に比べれば手薄なのだから。
 こうした企画はストレートニュースの速報性を問題にするものではないけれど、逆にストレートニュースの速報性で競争している全国紙とかメジャーな新聞の間で見落とされ勝ちな、たとえばルポに近いから後まわしにしようとか、最終版だけにしようとか、そういう扱いになってしまい勝ちなものを、あえてちょっと大きめに扱ってみようということです。
 埼玉県は首都圏の中に位置づけられている。東京はグローバルになっている、つまり全国的に突出しているわけでだから、外国人労働力の例などはひとつの切り口にすぎない。しかしメジャーな日本国中で論じられることの埼玉県における断面みたいな話で、かなり突込んでいける。

各記者が固有の課題を追え

山田 編集局で八○名弱というと官庁ネタをフォローするので精一杯で、しかも役所回りをやっていると記者の姿が役場の中にしかない。一般市民が埼玉新聞の記者を見かけるということがないわけです。そうすると埼玉新聞の存在すらおぼろげで、知らないという人がいるかもしれない。取材される側からすれば「この間何かあそこを取材していたね」とか、目に見えることを増やすことも、ある意味では拡販にもつながってくるでしょう。いかに効率よく官庁ネタをフォローしつつ、官庁以外に記者を送り出すかということを考えなければいけないと思う。とすると、個々の記者が自分の才覚で、作業として、しかも業務としてある固有の課題を調べておけるような体制をうまく組んでいくことです。そうなれば埼玉新聞記者のプレゼンスも上がるだろうし、それなりの効率の高いものを書いて出してくることもできるだろう。あるいは出版事業とのからみで、連載コラムの企画をたてる段階から、これは本にするぞという前提でやったっていいわけでしょ。それで本を作れば本の製作コストもでちゃうわけじゃない。そういうことまでトータルに考えて企画をたてていくと、まだまだやることがあるのじゃないかな。

 地域紙の配送体制はどうなのでしょうか。埼玉新聞でも配送が問題なのですが…。

地域紙の組替え版と配送体制

山田 地域紙の場合は配送を専門の業者にまかせていますね。速報性の制約がないものですから、前日の夜遅く印刷が上がって、夜中のうちに配れちゃうのです。埼玉新聞が全国紙と同じようなことでやろうとすると、降版時間も含めてかなりつらいだろうなと私も同情します。
 一部の地域紙のような紙面の組替え版を導入する場合には、ルートの見直し、作り直しも必要になるかもしれない。たとえば戦略的にこの地域はもうしかたないというものもありえるでしょう。地区によって紙面を切りかえる場合、印刷機をいったん止めますから、先に刷る分を降版時間を前に倒していかなければいけないということになってきますからね。速報性や降版時間などの議論と、より経済性を重視した配送体制、あるいは地域志向の紙面作りみたいなものはバッティングする部分ってありますね。

 県紙は販売店に委託してそこから配達してもらっていますが、そういったこともありうるでしょう。

山田 配達の部分は完全に全部委託です。専売所など持ちようがないのですから。地域紙はかつては夕刊紙が多かったのですが、今日はほとんど朝刊紙になって、全部朝刊紙といっしょに委託して配ってもらっている。
 <ここで「完全に全部委託/専売所など持ちようがない」と言っているのは言いすぎで、地域紙でも、一部の有力夕刊紙は、専売所を構えている。>

 一面の頭ですが、たとえばこの地ダネでは共同の大きな事件の方が頭じゃないかということもあるわけですね。それでもやっぱり地ダネの中から頭を選ぶというのは、どうか。これはもうちょっと柔軟に考えていいと思う。でも地ダネを頭にすることをずっとやってきているから、今もつづけているわけです。こういう考え方をどうご覧になりますか。

レファレンスにも配慮を

山田 山形新聞がいち早く一面にカラー写真、なおかつ地ダネ重視でやっています。これは、それこそ決めの問題じゃないですか。決めてしまったら地ダネでバンバンいけばいいですよ。
 国際ニュースなどは、ボックスをつくって、そこで今日の主な全国ニュース・国際ニュースはこうですよと、横書きで見出しだけうたって、一枚めくるとこれがある、これくらいやってもいいですよ。でもそれはそれで、方向をはっきりさせる。あるいは全国ニュース・国際ニュースも採りあげようよ、それならそれでいいですよ、そのかわり、かならず共同記事だけでなく地元関係者のコメントをとる。あらかじめブレーンを置いて、「大きいニュースがあった時にコメントしてくれませんか」と決めておく。必ずしも専門家でなくて評論家でもいい、そういう人を一○人なり二○人なりをストックするような工夫をするとか、そうしたポリシーを確立する問題ではないですか。
 全国ニュース・国際ニュースも入れている以上、レファレンスがわかりやすくしておけばいい。たとえば、右の角は地ダネの一番大きいもの、左の角は全国・国際の大きいものと決めるわけですよ。もしもこっちに大きいものが入った時は、こういうふうなレイアウトもありうるよ、そんな決め方でもいい。それが定着すれば、読者はこういう法則性もあるんだとわかり、そのつもりで読む習慣ができるから。いずれにしても方針をはっきり決める。決めたらその後一年や二年突走っていって、その上で問題が起こってきたら内部的にディスカッションする、フィードバックされる機構をつくることです。
 自分が責任者でない時に、好きなことを言うだけで終わりとか、責任者になった時、俺のやっていることに陰で何かいろいろ言われているらしいけど困ったなあ、こんなことでなくて、オープンにものを言い合うところがあったうえで、これまでどおりいこうとなるのと、そういう議論なしで何となく惰性でやるのでは、意味が違うと思う。

 全国紙と競合しようが、たとえば天皇死去、ゴルバチョフ失脚、ソ連邦の消滅などの大ニュースはやらなきゃならない。これはもう併読紙であろうが主読紙であろうが、コメントがつこうがつくまいがもってくる。そういうポリシーとして持っている。社会面の頭は地ダネという原則はあるけれども、たとえば雲仙普賢岳の時には、その時用意された記事が地域ボケみたいなものだったら、地ダネの方を大きくというわけにはいかないだろう。節目の時には思い切っていいんだという融通性は、もっていいんじゃないかと議論をしていました。

県内在住の専門家をつかめ

山田 いずれにしても、読者にどういうつもりで作っているのかわからない、紙面を作る側も迷いがあって作っている、そこらへんのすじが通ってくると、それは読者に伝わってくると僕は思うんです。
 埼玉年鑑をやっているのですから、県内に在住しているか、あるいは県内の大学の専門家などのリストアップは、やろうと思えばいくらでもできます。そうすると電話取材でコメントすることに協力してくれる人も出てきます。これはちょっと努力すればできる範囲のことだと思う。そういう人がからむと、地元の新聞だなと受け止められるようになるでしょう。地域にこだわるっていう意味で、それを細かく詰めていけばどこかに別の形で財産になって帰ってくる可能性があるんじゃないか。
 地域に関するデータベースは、日常の活動の中で蓄積されていくはずです。地域主義でやっていればね。問題は、必要な時に適確にピックアップする体制になっているかどうかですね。
 年鑑があるなら地元の著名人の名簿は出てくるでしょ。その中でたとえば大学の先生であれば、何が専門か、どんな論文を書いているか、そういう簡単なものだけは取材データとして、カード検索でもいいから蓄積しておく。そして必要な時にインタビューなどで協力してもらう、ただそれだけでも全然違いますよ。
 データ構築は日常業務を別にやろうとするとすごくたいへんで、無理です。日常業務の延長線上でデータ構築できるような工夫を最初にしないとむずかしい。しかしそれさえ始めれば、最初はうまく機能しない部分があるかも知れないけど、やっていったらできると思うのですよ。

ヘッドラインの機能の一つは検索

山田 埼玉新聞は全国紙・一般紙の体裁をもっている。それは理由があるのでしょう。どれが主読紙なのかは主観的なものです。先ず埼玉新聞から最初に見る人にとっては、それは主読紙です。けれども併読紙でありながら体裁上は全国紙と同じ、どこかで肩を並べて競争している、それがステータスでもあるという二重の性格をもっている。
 ヘッドライン機能の一つは、どこにどんな記事があるかを知らせることにもあると思います。地ダネでいくなら地ダネ、国際ニュースなら地元のコメンテータを利用する。こういう記事がここにあるのだなという見当がつけば、後はみんな好きなように進んでいける。この範囲のレイアウトは大事な気がするのです。

 紙面改革をやるとき、中のほうからいろいろやっているわけです。

クオリティ高めるポイントはマニュアル化

山田 たとえばローカルスポーツとかミニコミ広場とか、すばらしいと思うのです。ただせめてミニコミ欄だけでも、その地域のローカル広告、料金が七掛ぐらいで出せるという基準にして、小さい広告主をかき集め掘り起こしてくる。そういう実験の場として切りかえる面があってもいいんじゃないかな。さらに言えば、これはある意味で特設紙面なのだから、書いた人がイニシャルでも名前の一字だけでも入れて、関係者がこの記事を見れば誰々のお母さんが書いたと判るような工夫をするとか、そういうことがあってもいい。こういう人達にとっては報酬よりは社会的参加感というのが大事ですから、年一回の集まりでなく、たとえば新聞協会や東大の新聞研とかのエキスパートを呼んで講演会をやるとか、または、埼玉新聞の記者が記事の書き方の基本を一週間くらいかけて、まともに研修会をやる。それも無料でやりますよというようなことをすると、一種サークル的に参加感をもった形でファンの層を拡大していくこともできるだろうし、紙面自体もよくなってくる。そういったことが、地域で埼玉新聞の認知度を高め拡販につながってくるわけでしょ。
 読者の中で特に積極的にスポンスしてくる読者層を大事にしないといけない。読者の方が一歩踏み込んでかかってみたいなという時に、ちゃんと受け入れる、そういうかたちを作っていくと、自然に埼玉新聞は面白いぞとなっていく。

 担当者としては不安ですし、たいへんだ。

山田 ノウハウを蓄積するまで、つまり立ち上がりはたいへんですよ。しかし、逆に言うと、他の新聞ではそこまでは絶対にできないんだから。担当者が変わるとまたたいへんになっても困るので、社内でも情報の蓄積をしていく。二年、三年たったらこれをマニュアル化する、最初に手掛けた人がやったら一○○点出来たことは、そのマニュアル化で他の人でも八○点のものはできるというところが一番大事なのです。
 ファミリーレストランがなぜうけるかというと、素人を使って八○点の料理を出せる、このクオリティの高さなのです。新聞社も教育体制あるいはマニュアル化が必要です。少人数の職場なのだから日常的に他人の仕事が見えるよう風通しをよくしていく。そして書かれた物にして、それに少しでも近づく努力を普段から意識的にやっていく。出来るところからでいいのです。県内にいる研究者のデータベースをしっかりつくってみよう、そういうところでいいのです。こういったものをどんどん蓄積しマニュアル化することによって、生きた紙面、力のある紙面が出来上がってくるのです。

 記者の個人的意識というものは、自分の取材したネタなり人脈なりを社内の同僚記者になかなか伝えたがらないというのがまだまだ根強いなと感じます。

記者まかせから脱却、データベース化
山田 たしかに互いに競争という面もあろうけれど、先ずその入り口の段階ですよ。埼玉県はこれだけ広いのだからいろいろな専門家(本当の専門家は細分化される)がいるでしょう。これらの人は普通の平凡な人よりはるかに物知りで、<取材に協力してもらえる>可能性が高いですよ。そういうことを指摘してるのであって、何も個人的にあの記者がこの先生にというレベルの話まではすぐに要求しない。少なくともそういったことの以前に、出来そうなことがいっぱいありそうじゃないですか。
 埼玉県には大学がすごく増えたでしょ。都心部の大学の郊外移転や新設大学の関係でね。これをものすごく大事にすべきです。もっとも大学に限ったことではないけれど。大学というところは秘密も何もありません。研究室に連絡をとることはいくらでもかまわない。だから、さしあたり県内の大学人名簿をつくって、次に埼玉県に居住する東京の主要大学の人名簿です。これを業務のついでにつくっていったら、たいへん役に立つ。あるいはそれを作るきっかけとして、それぞれの地域面で、たとえばこの大学にはこんな面白い研究をしている先生がいるという、紹介記事を書いてみる。これをデータベース化し、キーワードをたたきこんでいってサーチすればいいのです。

 県内の大学は五○くらい、週一回で一順するには一年かかります。しかし大学の中味やグレードもわかってくる。それをとっかかりにして、今度は研究室に突込んでいって…。

山田 それでデータベース化できればいい。だからうまくヒットすれば、フィードバックもできるわけですね。大学ほどオープンなシステムで、ある意味で裏があまりない世界はないのだし、一番やりやすいはずです。ここで人脈をつくるだけでなく、名簿的意味でのコントロール、これはプライバシーともかかわるのでむずかしい問題がありますが、さしあたり新聞社の立場だけならば、地域データをどれだけ持っているか、しかも検索可能か、それをカチッと構築するというこがポイントですし、地元に根を張っている新聞社の本来有利な点です。これがしっかり出来るかどうかは、ボデーブローのようなもので絶対効いてくる、その差がかならずでてくるのです。



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