雑誌論文(その他):1992:

田舎と都会の間、あるいは、『あの日の僕をさがして』をみて.

地理(古今書院),37-9,pp32〜38.


田舎と都会の間、あるいは、『あの日の僕をさがして』をみて


田舎と都会の間、あるいは、『あの日の僕をさがして』をみて

 今年の春、私の住む長野県穂高町を舞台としたTBS系の連続ドラマ『あの日の僕をさがして』が放送された。このドラマ自体は、ストーリー展開に安易さが目立つ、決して質が高いとはいえない作品だった。しかし、舞台を東京周辺ではなく、また京都や大阪でもなく、ごく普通の田舎町に設定したという点は、この時間帯(金曜夜八時)のドラマとしては珍しく、注目に値することであった。
 このドラマをご覧でなかった方のために、簡単に設定と粗筋を紹介しておこう(1)。主人公・森男(織田裕二)は、東京の商社(=デベロッパー?)の社員。大々的な開発計画の現地担当者として、高校卒業後七年ぶりに、故郷・穂高町に戻ってくる。ストーリーは、彼の同級生たちを軸に展開していく。松本でOLをしているかつての森男の恋人・未知(仙道敦子)は、国立公園管理官(いわゆる「レンジャー」)になっている宏樹(大鶴義丹)と婚約しており、結婚式が近づいている。「高速道路とゴルフ場に山を売って」ディスカウント・ストアなどを手広くを営む商家の息子・健一(保阪尚輝)は、高校卒業後すぐに千秋(永井真理子)と結婚。これは千秋が妊娠したためだったが、子供は結局流産している。リンゴ農園の跡取り・隆(金山一彦)は、ミュージシャンを目指して東京へ出ていたが、父の死を機に恋人・恵理(倉野章子)を東京に残したまま帰郷してきた。ストーリーの展開とともに、これら三組のカップル(ないし三角関係)の、それぞれの愛憎が描かれる。

■都会/田舎をめぐる価値観

 ストーリーそのものとは別に、興味深いのは、わかりやすく類型的に描き分けられた人物像である。特に、ストーリーの前半では、都会と田舎をめぐる登場人物の価値観の葛藤が、細かく丹念に描かれている。その描写が妥当なものかどうかは、実際には疑問も残るのだが、そうした検討はひとまず棚上げにして、描写された人物類型をまとめてみよう。
 主な登場人物は、都会人として描かれている人々を除けば、穂高町に住み、地元か松本市で働く、地方都市の常民というべき人々である。田舎町の住人である彼らは、都会=東京との関係において、あるいは、都会/田舎に関する価値観の違いによって、大きく三つの類型に描き分けられている。第一の類型は、日常生活において都会への関心は希薄であり、地域の生活圏に根ざして生活しているタイプである。宏樹は、その中でも極端な存在であり、都会とは逆に、田舎ですらない「森」に関心を向けている。ヒロイン・未知も、このタイプといえる。未知も何度か東京へ出かけるが、それは業務出張か、千秋に引っ張られていく場合である。第二の類型は、日常生活はずっと地域にありながら、都会への関心が強く、頻繁に都会=東京へ「遊びに」出かけるタイプである。健一・千秋夫妻はこの典型として描かれている。第三の類型は、都会=東京へ出ていったものの、何らかの理由で帰って来たタイプで、森男や隆がこれに入る。
 第一の類型はともかく、第二・第三の類型の人々は、東京に対してそれぞれの思い入れをもち、その裏返しとして地元の町にアンビバレントな感情を抱いている。地元に留まった田舎の<ヤンエグ>である健一は、田舎はしょせん都会の「ファーム(二軍)」でしかない、という心情をもっている。東京で挫折を経験した隆は、親から受け継いだリンゴ農園を売り飛ばしたいと考えている。森男は、高校卒業直前に起こしたある事件から、故郷である穂高(ただし、もはや縁者は住んでいない)に罪の意識を感じており、「この町に借りが返せる」ことを信じて、開発計画に取り組んでいる。
 ストーリーの中では、登場人物の間に様々な感情の対立が生じるが、その大半は都会と田舎をめぐる価値観の衝突として描かれている。第三類型に当たる森男は、開発計画の推進者という立場にあり、第一類型の宏樹や未知から見れば生活圏に飛び込んできた秩序の破壊者である。彼らは田舎の生活者の感覚に基づいて、森男としばしば対立する。第二類型の健一は、第三類型の森男や隆と親友でありながら、酒の席などでしばしば衝突する。健一からすれば、隆は都会から逃げ帰った敗北者、森男は都会で思う存分活躍する一軍選手であり、二人とも、都会へ「出られなかった」自分の無念を照らし出す存在である。都会で辛酸をなめた隆にすれば、田舎で都会かぶれの店を作り、都会について無神経な言葉を振り回す健一は、苛立たしい存在である。森男は、健一と隆の間に再三割って入る止め男となる。また、同じ第二類型の健一と千秋は、互いに相手のために地元から出られなかった、という感情をくすぶらせている。
 森男、健一、隆の三人が、東京で語り合うシーンでは、「結局、俺ら三人ともあの町に愛情もってなかった」という台詞が飛び出す。これは、森男の会社が進める計画に、産業廃棄物処理施設が含まれていることに反対運動が起こり、ひと儲けを当て込んでいた健一と隆が落胆しつつ交わす会話の一部だが、都会と田舎の間で引き裂かれた彼らの姿をよく表している。

■都会へ遊びに行く

 健一と千秋の夫婦は、頻繁に東京へ「遊びに」行く。ただし、普段は夫婦一緒にではない。BMWに『ぴあMAP』を載せた健一は、「東京が愛人」といわれるほど頻繁に東京へ出かけている。千秋は未知を連れだして一緒に東京へ出かけ、東京では森男を呼び出した上で二人をまき、自分は姿を消してしまう。若くして「嫁」の立場に置かれてしまった千秋にとって、都会=東京は、ただの若い女性として振舞える場所なのである。匿名性は、都会(特に盛り場)の最も重要な特徴の一つであり、田舎には(程度の差こそあれ)一般的に欠けている要素である。田舎に住む者にとって、匿名性の保証された環境は、きわめて貴重だといえるだろう。
 しかし、それにしても主人公たちは東京と穂高の間を実に頻繁に移動する。何しろ、千秋に無断で東京へ行った健一が、ホテルのスイートから穂高に電話を入れ、今すぐタクシーで来いと千秋を呼ぶくらい、東京は近いのである(千秋は「いくらかかると思ってるの」と問いつめつつ、実際に東京へ出かける)。車なら、高速を飛ばして三時間を切ることも可能である(小説版では、森男が京子の部屋へ二時間で着く、という設定がでてくる)。
 風邪をこじらせた東京の恵理から、夜半に電話を受けた未知は、翌朝さっそく看病しに飛んで行く。彼女はJR特急で移動するわけだが、特急あずさは新宿と松本を三時間以下で結んでいる。未知が穂高発五時五十六分の列車に乗ったとすれば、松本であずさ二号に乗り継ぎ、九時二十五分には新宿に着いたはずである。また、主人公たちがしばしば利用した新宿駅午後六時発のあずさ二十七号(大糸線直通で穂高駅に停車する)は、三時間二十分で穂高駅に到着する。この料金は、回数券等を利用すれば片道四千円余りである。この時間と料金は、毎日の通勤が可能な範囲とはいえないだろうが、休日の度に毎週行き来をすることくらいは充分可能である。
 穂高から見た東京は「思い切って、ていう距離じゃない」のである。飛行機を利用するようなところはともかく、東京へ行くのに列車を利用する圏域では、新幹線網が整備されていくにつれ、同じような感覚は一般的になってきているのではなかろうか。

■拡散する空間

 『あの日の僕をさがして』には、描写に不正確さの目立つ部分が少なくない。特に、国立公園管理官・宏樹の日常の描き方に、かなりの問題があることは、専門家からも指摘されている(2)。また、会話の言葉遣い(まったく方言が用いられない)にせよ、内容にせよ、地元の感覚からすればリアリティは非常に希薄であった。これは、このドラマが、都会の眼から描かれたことを意味している。
 リアリティという観点からすれば、未知が自動車を運転せず、もっぱら自転車で移動し、ストーリーの要所で常に車で「送られる」存在であることは、きわめて不自然である。地元で就職する若者は、高校にせよ短大にせよ、学校を出る前にほぼ全員が自動車運転免許を取得するのが、田舎では(少なくとも長野県では)常識であるからだ。
 今日の田舎では、モータリゼーションの進行が、あらゆる面で決定的な要素となっているのである。非農家であっても、一家に複数の乗用車があるのは普通であるし、日常的な買物なども車で出かけるのが当然になっている。健一の家が経営しているディスカウント・ストアは水田に囲まれた道路沿いにあるが、従来の商業「集積」という姿とは異なる沿道立地型の小売業は、コンビニエンス・ストアやショッピング・センターを先頭に、大都市郊外以上に著しい伸張を見せている。
 とりわけ、若者の娯楽となると、車ぬきでは何も語れない。さすがに沿道立地の酒場はないが、パチンコ、ゲーム・センター、ビデオ・レンタル、カラオケ、ファッション・ホテル等々は、大規模で新しいものほど沿道立地をしている。デートの定番は当然ドライブであり、近場では、さしあたり展望(夜景)の美しい高台の霊園とか、健一のBMWを借りて隆がお見合いの相手を連れだした諏訪湖、ちょっと遠出となれば「海を見に行く」ことになる。しかし、ドライブには明確な目的地の無いことが多く、また、カップルとは限らず、同性の仲間とドライブも多い。若者にとっては、運転そのものが娯楽であり、無目的に車を走らせては時間を潰す。車での移動には目的地はなく、車で走るという状況自体が目的となっているようである。
 娯楽に車を利用し、遠出をするのは、若者ばかりではない。高原野菜などを大規模に経営する農家の主人たちの間では、農閑期に伊豆辺りでゴルフに興じるのがステイタスになっているし、休みになるとあちこちにダイビングに出かける自営業者も少なくない(松本ではダイビング・スクールが成立している)。もちろん、車を使うとは限らないが、仕事がらみも含め、少なからぬ数の大人たちは「週末東京人」を実践している。週末ともなると、山梨県石和のWINS(場外馬券売り場)へ出かける人々が、あずさの車中にも目立つ。また、長野県にはソープランドがないので、フィリピーナのエンターテナーと「遊ぶ」ことに飽き足らず、よりハードコアな性産業を求めるなら、県外へ出なければならない。
 田舎町の生活者の空間は、モータリゼーション=移動手段の発達とともに拡散してきた(3)。そして今や、その外縁に「遊ぶ」場所としての都会=東京が位置づけられている。そうした空間感覚を備えた人々は、総体的に見れば、まだまだ少数派かもしれない。しかし、若年層ほどこうした傾向があり、自営業者など地域社会の中核となる人々にも同様の傾向が窺われることは、重要であるといえよう。
 さらに大切なのは、彼らがドラマ『あの日の僕をさがして』における第二・第三類型の人物ばかりではないという点である。確かに、地元に根を張りながら都会にコンプレックスをもつ者(第二類型)も田舎にはいるし、都会で挫折して心ならず帰郷した者(第三類型)も本当はけっこう多いのかもしれない。しかし、ずっと地元に暮しながら東京へ頻繁に通う若い人々にも、大学や専門学校に通うため都会を経験したものにも、健一や隆のような屈折はほとんど感じられない。三十代くらいまでの大方の積極的な人々は、第一類型と第二類型の中間で、地元に根ざす生活にとってのパーツの一つとして、都会=東京を生活の中の刺激材料にしているのである。

■田舎と都会の間で

 既に述べたように、ドラマ『あの日の僕をさがして』は、ストーリーのみならず、その人物描写も不正確さを含んだ安易な作品であった。しかし、作品全体の基層にある当世風の田舎と都会の関係というモチーフは、心理描写としてはともかく、風俗描写としてはよく描かれていた。つまり、細部の描き方にリアリティが欠け、都会への感情などの心理面の描写が類型的でしかない、といった欠点はあるものの、現実に田舎に登場しつつある都会と上手につきあう人々の姿はよく捉えられていたと評価できるのである。
 さらに重要なのは、トレンディ・ドラマの時間帯に、田舎と都会の関係を描こうとした作品が登場したという事実である。このこと自体が、モビリティの向上とともに都会側から高まっている田舎への関心を示している。都会の側にも、田舎へ関心を向ける社会的条件が揃ってきたのであろう。本稿では触れられなかったが、都会から田舎へやってくる人々の動向にも注目すべき現象がある。地方大学の教員の多くが、都会との二重生活者であることは、その一例である。
 本稿で述べてきたことの中には、具体的な統計資料などで検証できない、私の印象でしかないことも多い。本稿では、話を先へと展開させるために、敢えて乱暴な議論を意識的にした。この点には、読者のご寛恕を乞う次第である。しかし、全般的なモビリティの向上とともに、都会と田舎の間で、双方向的な(あるいは方向性などない)人の流動が起こりつつあることは、疑いの余地の無い事実であり、その動向はますます目が離せなくなっている。日常生活に組み込まれた移動が拡大していく中で、田舎と都会の関係は新たな姿をとろうとしているのである。



 本稿執筆に当たっては、山口恵子さん(日本大学文理学部副手)に資料を提供して頂いた。記して感謝申し上げる。

やまだ・はるみち 一九五八年、福岡市生まれ。松商学園短期大学助教授。東京大学大学院博士課程修了。理学博士。研究分野は、社会経済地理学、メディア論、マーケティングなど。長野県穂高町在住。



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