書籍の分担執筆(項目,コラムなど,論文形式以外のもの):1990:

MTV−アメリカ→日本の展開−.

キーワード事典編集部,編(1990)『キーワード事典・ポップの現在形』洋泉社,pp146〜149.


 上記の書籍は、この文章を含め山田のコラムを4本収録していますが、既に絶版となっております。
MTV−アメリカ→日本の展開−.


MTVとは何か

 まだまだ歴史が浅いせいか、「MTV」という言葉は、細かい定義など意識せず、乱暴に使われることが多いようである。辞典的に整理すると「MTV」は、(1)[固有名詞]アメリカのCATV向けチャンネル供給事業者の社名、(2)[固有名詞]MTV(語義(1))の供給する音楽専門チャンネル、(3)一般にCATVの音楽専門チャンネルの通称、MTV(語義(2))はその代表例、(4)通常のテレビの音楽番組でビデオ・クリップを中心に構成されたもの、などを意味する言葉である。
 MTV(語義(1))は、ワーナー・コミュニケーション社とアメリカン・エクスプレス社が出資して1981年に設立された、ニューヨークのロックフェラー・プラザに本社を置くCATV向けチャンネル供給事業者(サプライヤー)である。ロック音楽を中心に24時間態勢でポピュラー音楽の番組を流し続けるMTV(MTV MusicTelevision:語義(2))のほか、昼は子供向けの娯楽番組、夜は「テレビっ子世代」向けの番組で編成されたチャンネルであるニッケルオデオン/ニック・アット・ナイト(Nickelodeon/NICK at nite)を供給している。現在の資本関係は設立当初とは変わっているが、MTVが、映画資本と金融資本、<娯楽>と<カネ>の幸福な結婚の落とし子であったことは興味深い。
 アメリカでは、1970年代末から1980年代初頭にかけ、大幅な規制緩和政策を受けて通信衛星を介したCATVのネットワーク化が急速に進行し、旧来のネットワークTVに匹敵する全国規模のCATVチャンネルが次々と出現した。MTV(語義(1))は、TBS(CNNなどを供給)、HBO(映画)、ESPN(スポーツ)などとともに、最も成功したサプライヤーであり、MTV(語義(2))もニッケルオデオンも、1990年現在で全米5千万世帯以上に供給されている。さらにMTV(語義(2))はチャンネルごと、あるいは番組単位で、北米・中米はもとより、ヨーロッパやオーストラリア、日本にも供給されている。
 MTV(語義(2))は、「24時間態勢ステレオによるロック音楽を放送する」という宣伝文句そのままに、ロックを中心とした各種の音楽番組を24時間放送するチャンネルである。こうした番組は、VJがビデオ・クリップを紹介するという形式のものが中心になっている。ヘヴィ・メタル、ラップなどサブジャンルによる専門番組や、ビデオ・クリップのチャート番組もあるが、スタジオ・ライヴやダンス番組、コミック・ショーやニュース、アヴァンギャルドなアート番組などもある。
 MTV(語義(2))の出現は、少なくともアメリカではポピュラー音楽のプロモーションにとって大きな意義をもち、イギリスなど国外のアーティスがアメリカに進出するきっかけを作り、1980年代前半におけるオーストラリア出身アーティストの成功や、いわゆる「第2次ブリティッシュ・インベイジョン」を引き起こした。それまで必ずしも一般的ではなかったプロモーション・ビデオの制作一般的になったのはMTVの出現後であるし、ビデオ・クリップという言葉が一般化したのもMTV以降である。
 現在、アメリカのCATVには、MTV(語義(2))以外にも、カントリー音楽など中心のTNN(The Nashville Network:約5千万世帯に供給)、25歳以上の成人視聴者を狙うVH−1(Video Hits One:約3千4百万世帯)をはじめ、音楽専門チャンネルが多数ある。FM局ほどではないが、CATVチャンネルでも音楽の専門分化は進んでいる。
 一方、ヨーロッパでは通信衛星とCATVを介した汎ヨーロッパ放送の中に同様の音楽チャンネルが複数あり、アメリカのMTV(語義(2))のほか、ロンドンを本拠とするミュージック・ボックス(Music Box)などが著名である。ミュージック・ボックスは番組の一部がNHK衛星第2放送でも紹介されている。また、アジアでは香港を本拠とするEZ−TVが実験放送中で、1990年9月から本放送に入る予定である。こうしたCATVの音楽専門チャンネルを総称してMTV(語義(3))ということもあるが、こうした用法は、むしろMTV(語義(2))の重要性を裏づけるものといえるだろう。ちなみに日本では、CATV向け番組供給に実績のあった事業者が協同し1987年からチャンネルMを編成していたが、1990年からは衛星配信を機にスポーツ番組を加えた編成のパワー・チャンネルに衣替えされた。現在、日本の音楽専門チャンネルとしては、1989年から放送を開始したスペース・シャワーが唯一のものである。

日本における「MTV」の普及

 しかし、CATVが普及していない日本では、1980年代を通じて一般化したビデオ・クリップ中心のテレビ音楽番組の方が重要な役割を演じてきた。こうした番組の中には、「ザ・ポッパーズMTV」のように「MTV」という表現が番組名につくものもある(語義(4))。また、MTV(語義(2))も、日本では単独の番組として紹介されてきた。
 ビデオ・クリップで構成する番組の先駆は、声ばかりが知られていた小林克也の<姿>を一般に広めた「ベストヒットUSA」(1981年4月〜1989年10月:テレビ朝日)である。この番組は、ビデオ・クリップの紹介、ゲストのインタビュー、チャートのカウントダウンと、ビデオ・クリップ時代の音楽番組のオーソドックスなパターンを築いた。
 MTV(語義(2))のスタイルをより強く意識していたのは、独立系UHF局であるTVK(テレビ神奈川)が1984年1月からスタートした「Sony Music TV」であった。この番組は、2時間40分の番組(当時のVHS方式に対するベータ方式の利点であった長時間録画を意識していた)に、CMはすべて英語(ソニーが海外で流しているCMに字幕をつけたもの)という大胆な実験的形態をとっていた。現在では他局にもネットされ、放送時間も2時間、CMも通常となっているが、VJを極力排除したビデオ・クリップ中心の構成スタイルは他に類をみない。
 「ザ・ポッパーズMTV」(1984年4月〜1987年9月:TBS)は、ビデオ・クリップに<映像批評>という視角から光を当てた最初の番組であった。番組のホストは、ごく初期の数回は難波弘之であったが、その後番組の終了までピーター・バラカンが務め、この番組の性格を決定づけた。彼のコメントには、単なる音楽番組ではなく<音楽+映像>の番組という意識が強く打ち出されており、この点では彼に匹敵するVJないし番組ホストは現在も現われていない。番組終了後も、ピーター・バラカンは後番組(「洋楽天国」「MTVジャパン」)にコーナーを持ち続けた。
 この他、多数の類似番組が出現する状況の中で、アメリカのMTV(語義(2))の素材を番組化する試みが、まずABC(朝日放送:大阪)によって1984年10月に始められ、「MTV:Music Television」と横文字のままの番組名で、1時間番組4本=週4時間分の番組が制作された。ABCによるMTVの導入は、同じANB系列のテレビ朝日がCNNを導入したのと同時であった。
 しかし、ABCとMTVの提携は長続きせず、「MTV:Music Television」は1988年3月で終了し、半年後の1988年10月からは、「MTVジャパン」(TBS)が週2回=のべ4時間で始まった。現在、「MTVジャパン」は週3回=のべ5時間の編成だが、番組開始当時に多かった、MTV(語義(2))の番組素材をそのまま字幕入りで放送するコーナーは減少し、全体のスタイルはかつての「ザ・ポッパーズMTV」に近い。もっとも、MTV(語義(2))の番組の一部は、提携関係とは別に放映権が流通しており、アート色の強いビデオ・マガジン「BUZZ」はフジテレビで放送された。
 なお、アメリカのMTV(語義(2))をそのまま日本のCATVに供給することは、技術的には可能だが、日本のCATV市場の規模が小さいことに加え、著作権・肖像権等の処理が難しく、当面は実現しそうにない。


参考盤

このページのはじめにもどる
テキスト公開にもどる
山田晴通・業績一覧にもどる   

山田晴通研究室にもどる    CAMP Projectへゆく