雑誌論文(学会誌査読論文):1986:

地理学におけるメディア研究の現段階−「情報の地理学」構築のために−.

地理学評論(日本地理学会),59(A),pp67〜84.


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地理学におけるメディア研究の現段階
−「情報の地理学」構築のために−


地理学におけるメディア研究の現段階
−「情報の地理学」構築のために−

I はじめに

 用語の厳密な定義はともかく、現代が「情報化時代」であり、わが国を含む先進諸国の社会が、『情報革命』を経て「高度情報社会」へと進みつつあることは広く認められているところである。このため、今日ではさまざまな社会現象を情報化と結びつける議論をよく見るが、人文地理学(以下では、単に「地理学」と記す)の分野もその例外ではない。地理的現象の説明変数として、情報の概念を導入する研究例は、最近では珍しくなくなった。
 しかし、一方では、地理学における情報の扱い方が不充分、ないし偏りが大きいという指摘もされている、とりわけ、地理学の一分野として何らかの意味における「情報の地理学」を構築しようとする立場をとれば、体系の欠如・蓄積の不足はことさらに強く感じられる。「情報の地理学」の活性化を唱え、体系化の枠組を示そうとする試みも、目下のところ文字通りの「試論」の域を出るものは見当たらない。
 地表面上の人文・社会活動全般を対象とする地理学は、情報の現実を各分野の具体的研究にすでに反映させてきた。現段階では、地理学において情報への関心を内包した研究、換言すれば「情報の地理学」の萌芽である研究は、相互にほぼ無関係なまま、さまざまな分野に散在している。地理学における情報概念の成熟と、「情報の地理学」の体系化を進めるためには、こうした多様な既存の研究成果を整理し、有機的に結びつけることが必要である。しかし、無関係に散在する研究を対象の共通性だけから集めるという作業は、その意味が疑問視されるためか、充分にはなされてこなかった。
 そこで本稿では、「情報の地理学」体系化への準備作業として、地理学におけるコミュニケーション・メディアについての研究の現状を展望し、今後の課題を探ることを試みた。以下では、情報にかかわる地理学全体の中でのメディア研究の位置づけを示し(第II章)、その上でメディア研究の流れを既存研究のまとめとして紹介し(第III章)、最後に今後の課題を探る(第IV章)。
 なお、本稿で取り上げた文献は、わが国および英仏語圏に偏っており、特に欧文文献については主要な雑誌の論文しか検索していないことを、あらかじめお断りする。当然、相当の遺漏もあると考えられるので、読者の御教示を乞うものである。

II 「情報の地理学」の枠組

 竹内(1982)は、わずか2ページの小文であるが、表題の示すとおり「情報の地理学」の枠組を整理された形で提示している。これは、先行する同種の試論(例えば、稲永(1969)の「情報地域学」概念)を包含するものであり、本稿の議論の出発点として最も適している。
 「地理学が問題とする社会の空間組織あるいは環境というものにとって、『情報革命』1)がもたらす新しい意味は非常に大きいのに、その研究は残念ながら非常に遅れている」とする竹内は、「地理学が情報の研究においてどのような到達点をもっているのか、そしてどのような研究の展望があるのかを、各人が自分の研究分野に即して考えること」の必要を説き、到達点と展望の枠組を次のように示している(要約は引用者)。

 一口に地理学の対象として情報を考えるといっても、概念規定や研究の視点の違いによって研究内容はまったく異質なものになる。竹内(1982)の枠組においても、到達点とされた研究分野が情報を被説明変数としているのに対し、展望では(前者の成果を利用して)情報を説明変数として空間組織形成を論じることが求められている。ここでは仮に、情報の空間性を論じる前者を「情報の地理学」、情報を使って何らかの現象の空間性を説明しようとする後者を「情報を使った地理学」とする(第1表)。
 
第1表 情報を扱う地理学の研究分野
Table 1 Research fields in human geography where information is discussed
情報を扱う地理学「情報を使った地理学」
「情報の地理学」情報流の研究
<客観>
<主体>空間的拡散研究
<回路>メディア研究
<主観>
環境認知の研究/主観の地理学
 もとより、この両者の区分は、便宜的存在にすぎない。例えば、次章で扱う電話通話流データを使った機能地域の分析は、「電話通話流」そのものではなく、「機能地域」の空間性の説明を目的としている点では「情報を使った地理学」の研究例と考えられるが、「電話通話流」を「機能地域」の指標とすることについて、妥当性の検討がなされていないので、実質的な内容は「電話通話流」の空間性を論じる「情報の地理学」の例と見ることができる。また、「情報の地理学」と「情報を使った地理学」の双方が、1本の研究の中で実践されていることもあろう。しかし、実質的な内容に従って両者を便宜的に分けることはさして困難ではない。
 冒頭でも述べたように、「情報を使った地理学」の例は近年増加しているが、なかには定量化できない要素を情報概念と安易に結びつけたものも多い。「情報の地理学」が未発達なために、情報そのものの空間性が必ずしも明らかではない現状では、「情報を使った地理学」は具体性を欠き易い。竹内(1982)の展望(1)に相当する研究(例えば、Sack, 1983)や、(3)に相当する研究(例えば、第三世界のマス・メディアについて問題提起したBataillon, 1977)は、現段階では情報を具体的に扱っていない。
 そうした中で、情報について一歩踏み込んだ研究例としては、電気通信がオフィス立地に与える影響を、コンタクトの方法におけるフェイス・トゥ・フェイスと電話のトレード・オフに注目して考察したGoddardらの一連の研究がある2)。また、論文においては具体的なデータの検討は軽視されているものの、Bakisらフランスの地理学者が電気通信の発達と都市構造の変化を結びつけた研究3)も、具体性をもった「情報を使った地理学」を目指したものと理解される。これらは、いずれも展望(2)に相当するが、こうした研究のうち、特にいわゆるニュー・メディアと都市構造の関係をめぐる議論は近年注目されており、簡潔な展望論文(Kellerman, 1984)もある。
 一方、「情報の地理学」について、竹内(1982)の枠組は異質な研究の流れを到達点として列挙している。上に、まとめた到達点4点も、前二者と後二者とでは性格が違う。前二者は、地域間の情報流のあり方を客観的な「神の眼」でとらえようとするものであり、交通地理学や流通地理学にも通じる研究である。仮に、「情報流の研究」と称しておく。これに対し、後二者は、個人が受けとり・伝達する情報を、主観的な「当事者の眼」で統合しようとする研究分野であり、広義の「環境認知の研究」ないし「主観の地理学」に相当するものである4)。  竹内(1982)がこの分裂を無視して双方を同列に扱ったのは、情報をキーワードにして異質な研究の流れを結びつけ、個人レベルにとどまりがちな「環境認知の研究」を社会・地域レベルまで発展させる道を模索するためであると推測される。しかし、両者(特に「情報流の研究」)の未熟さを考えると、現状では両者の統合はきわめて困難である。
 「情報流の研究」といっても、情報それ自体は物理的実体をもたないので、直接の研究対象は情報流が何らかの影響・痕跡を残した物理的存在ということになる。換言すれば、ソフトウェアである情報流の研究も、ハードウェアの研究によって行なわれるわけである。研究対象の選択によって、「情報流の研究」はさらに二分することができる。
 第1の方向は、情報をやりとりする主体(地域)の状況変化のデータから、存在したであろう情報流を抽出する方法であり、いわゆる空間的拡散理論が手法として確立されている5)
 第2の方向は、情報流の回路であるコミュニケーション・メディアがそれぞれにもっている空間的特性を把握しようとする方法であり、必ずしも確立された手法があるわけではない。また、たまたまメディアが扱われているだけで、研究者の問題意識が深化していない研究例も多いのが現状である。本稿では、この方向での研究を「地理学におけるメディア研究」と呼ぶことにする(以下では、単に「メディア研究」と記す)。

III メディア研究の現段階

第2表 メディアの分類
Table 2 Classification of communication media
情報流通センサスの項目分類本稿の分類
電気通信系電話
電報
電信
データ通信
ファクシミリ
1) 通信メディア
ラジオ
テレビ
2) 放送メディア
輸送系郵便1) 通信メディア
印刷3) 印刷メディア
複写
録音
空間系対話
教育
鑑賞
 メディア別の研究展望に入る前に、本稿で扱うメディアの範囲を定めておく。メディア研究には(定義によっては)、金融空間や中枢管理機能の議論が含まれうるが6)、ここでは常識的に「マス・メディア」ないし「通信事業」の範囲に入るものに対象を限った。具体的には、郵政省の情報流通センサス調査対象めでぃあのうち、電気通信系・輸送系のメディアを対象とした。ただし、分類項目は簡略化した(第2表)。
 空間系メディアを除外したのは、研究例がほとんどないことに加え、空間系メディアが常識的に理解されるメディアとは異質の側面をもっているためである。例えば、「対話」すなわちフェイス・トゥ・フェイスについては、空間的拘束の大きい情報流通形態が、メディアによる情報流とはまったく別に存在していると考えられる7)
 なお、前章では「空間的拡散研究」と「メディア研究」とを分けたが、空間的拡散研究の中でも拡散する項目にメディア関連施設を取り上げているものは、メディアの普及過程を明らかにする一種の産業論的研究としてのメディア研究であると考えられる。そこで、以下では、電話局・放送局などを扱った空間的拡散研究もメディア研究の例として言及する。

1) 通信メディア
 郵便・電報・電話などに代表される通信メディアは、一対一を原則とするパーソナル・コミュニケーションを媒介するメディアであると同時に、使用希望者への無差別開放を原則とするコモン・キャリア(common carrier)でもある。社会の成員の間に全方位的情報交流を保証するシステムである通信メディアが公営であることは、その公共性の反映である。
 したがって、地域や国家において、通信メディアの整備状況に著しい地域格差が生じているような状況下では、通信メディアの空間的な広がりが、地域・国家社会の統合の程度を表わす指標となりうる。例えば、Cloher(1978)とPawson and Quigley(1982)は、それぞれオーストラリアとニュージーランドの一地方を例に、開拓時代における郵便や電信など通信メディアの発達の地域的偏りを描き、情報流通条件の地域間格差が地域経済の格差を生み、さらには都市形成にも影響を与えていくことを示している(Pawson and Quigley, 1982, Fig.7)8)
 もちろん、情報流通条件の相対的向上が地域経済を活性化するのと同様に、条件の相対的低下は地域経済を停滞させる。Langdale(1979)は、アメリカ合衆国において、電信網が西部方面へと成長しかけていた時期に、一時的に電信網の西の終点となったバッファローにおける農産物市場の活性化と、その後の停滞の事例を紹介している。
 ある新しい通信メディアが成長し、ネットワークを充実させていく過程は、空間的に見れば、ネットワーク端末施設である郵便局や電話局といった施設の空間的拡散過程として理解できる。例えば、Robson(1973)は19世紀のイギリスにおけるさまざまなイノベーションの一例として、ガス灯などとともに電話局を取り上げ、電話局の設立時期が、その都市の都市規模とすでに電話局のある都市からの距離とによって、ほぼ説明できることを明らかにしている9)
 しかし、空間的拡散過程としての理解とは別に、産業論的視点から通信メディアのネットワーク形成を見ることもできる。例えば、Langdale(1978)は19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカにおいてベル・システム(the Bell System)が長距離電話網を形成する過程を、独占と競争という点に焦点を当てて考察している。こうしたLangdale(1978)の視点は、今日的問題を扱った研究(Langdale, 1983)や、政策提言的論文(Langdale, 1982)にも一貫して保たれている。
 通信メディアのネットワークが未成熟な段階においては、電話局などばかりではなくエンドユーザーである加入電話台数(普及率)も地域的に偏っている成長する。稲永(1958)は、1953年当時の東京・大阪を除いた全国278市について加入電話台数に基づく通信発生力という指標を作り、その都市間のばらつきを、(1)全国共通な要因、(2)特殊地域構造による要因、(3)地域区分、の三者で説明している。(1)については、人口・事業所数・第2次産業従業者数・第3次産業従業者数・商店販売額から回帰平面が求められ、(2)では高級住宅都市・温泉都市・行政都市の通信発生力は高く、鉱山業都市は低いことが指摘されており、(3)については全国を13地域に区分した説明がなされている。要するに、当時のわが国における電話の普及は、平均的水準より住宅用の普及が進んでいた高級住宅都市、商用・公用の普及が進んでいた温泉都市(観光地)・行政都市などを中心に、中央日本から周縁日本へと波及しつつあったのである(稲永, 1959, 第5図)。
 このように、通信メディアが未成熟な段階では、加入台数ばかりでなく電話通話流も、単なる経済指標ではない総合的な指標によって説明されうる。タンザニア(Gould, 1970)、西マレーシア(Leinbach, 1973)については、商業・教育・厚生・コミュニケーション・交通などの諸指標から、主成分分析によって設定された近代化指数(modernization score)を各都市について算出し、重力モデルを適用して電話通話流を説明することが試みられている。特に西マレーシアについては、近代化の中心点(core of modernization)が求められており(首都クアラルンプール近郊)、電話通話流の成長も首都周辺から周縁地域へと波及していくものと推察される。
 以上のように、通信メディアが充分に普及しおらず、整備状況に著しい地域格差がある段階では、地域格差の把握と解明が地理学の課題である。
 しかし、通信メディアのネットワークが充分に発達した段階においては、ネットワーク端末施設はどこにでも存在する−すなわち、どこにいる誰もが公平に使用できる−ことになる。この段階では、通信メディアの使われ方に地域差が生じ、特定区間の情報流(具体的には電話通話流など)が他より卓越する、といった現象が地理学的関心の対象となる。こうした通信メディアの運ぶ情報流の大きさは、地域間の社会的な統合の強弱の指標と考えられ10)、1930年代以来さまざまな形で結節地域・機能地域・都市システムなどの研究が、通信メディアの情報流を指標に取り上げてきた。このため、機能地域などの研究の中には、通信メディア(特に電話)についての「情報の地理学」の研究例が多く存在している。
 森川(1978)は、中国地方の電話通話流データに、さまざまな結節地域・機能地域の分析手法を用いて、結果を比較した優れた研究であるが、ここで先行研究例として紹介されている中にも、電話通話流を取り上げているものは多い(第3表)。こうした一連の研究成果は、結節地域・機能地域研究としても妥当なものである。すなわち、電話通話流は他の指標によって求められる常識的な結節地域・機能地域の構造に従って規模が説明される、というわけである。しかし、単一地域・単一時点・単一手法による研究から得られる知見には、おのずから限りがある。今後の研究の方向としては、同一手法のさまざまな地域への適用と結果の比較、同一地域の時系列変化の捕捉(土谷(1980)は、1969年と1977年の近畿地方における電話通話流を分析し、大阪の相対的地位低下・県庁所在地レベルの向上を指摘している11))、同一地域へのさまざまな手法の適用(森川, 1978; Clayton, 1974)やさまざまな種類のデータの利用、などが期待される。
 
第3表 電話通話流による結節地域・機能地域研究
Table 3 Studies on nodal and functional regions by telephone calls
森川(1978)が言及しているものその他
(素朴な連結法)川口(1935):北海道
稲永(1963):北海道
竹内 節(1975):全国
1. 直接連結法Simmons(1972):カナダ、オンタリオ・ケベック地方
森川(1961):九州
伊藤ほか(1978):東海地方
山田(1982):北海道
2. グラフ理論法Nystuen and Dacey(1961):アメリカ合衆国、ワシントン州ほか土谷(1980):近畿地方
3. 機能的距離法Hirst(1975):ウガンダ
4. 因子分析法Illeris and Pedersen(1968):デンマーク土谷(1980):近畿地方
5. 直接クラスター法Clayton(1974):ボストン近郊
 一方、わが国の場合には12)、このような地理学アカデミズムによる研究の流れとは別に、電電公社の業務上の必要からなされた地理学的研究もある。とりわけ、稲永(1956)、竹内(1975)は、しばしば引用される文献である。
 稲永(1956)は、電電公社における職員教育用テキストとして編まれたもので、この時期までの稲永の研究を総合した内容となっている。全体は、

  1. 通信地理の基本的問題
  2. 通信発生の地理的因子
  3. 通信交流の地理的因子
  4. 通信圏
の4章からなっているが、第2章は稲永(1959)、第4章は稲永(1968, 1969)に展開する議論を含んでいる13)。また、第4章で示されている「通話度」14)概念は、山田(1982)も用いているほか、より一般化された形で伊藤ほか(1978)15)が取り上げている。
 竹内(1975)は、昼夜間別の電話通話流データによる「通話圏」分析を試みたものである16)。すでに、電話通話流と人口移動との関係は稲永(1956, pp.124-141)においても指摘されていたが、竹内(1975)は具体的なデータによって、特に夜間通話流に「ふるさと回帰性」が認められることを明らかにしている。
 近年、電気通信メディアの発達に伴って、電話に関する研究は活性化する兆しを見せている。また、テレックスなど新しい電気通信メディアを取り上げた研究(Laborde, 1973; 阿部, 1977, 1979a)や通信衛星の要否についての地理学者の発言(Holmes, 1984)なども見られる。一方、郵便を取り上げる研究は少ないようである。都市システム論から、速達便に注目した森川(1982)のように、郵便の種類による機能の違いを考慮した研究が期待される。

2) 放送メディア
 有限な電波を有効に利用するための電波監理は、国家の主権の一部であり17)、放送事業関係の資料は何らかの好適な形で存在することが多い。そうした資料上の有利さのためか、放送関係施設などを取り上げた空間的拡散研究は多数存在する18)。例えば、Brown(1968)は手法の適用事例としてスウェーデン南部の一地方におけるテレビ受像機の普及を検討している。また、Pedersen(1970)は拡散する項目に新聞などとともにラジオ放送局やテレビ受像機(普及率)を採用している。
 特にテレビについては、Berry(1972)とLoboda(1974)がそれぞれアメリカ合衆国とポーランドを例に、放送局の開設と受像機の普及の両面から、テレビというメディアの普及過程全体について論じている。Berry(1972)は、合衆国における放送局の開設が都市規模に従って進んだことを示し、(当然ながら)視聴可能な地域が全国を覆うまでは、放送局開設とともに受像機の普及が進み、それが一段落した段階では、(非白人を中心とした)低所得者層の存在によって受像機普及の地域差が説明されることを明らかにしている。ここでは、放送局は企業イノベーション(entrepreneurial innovation)、受像機は世帯イノベーション(household innovation)の事例として扱われている。一方、Loboda(1974)はテレビ受像機の普及を という4段階にまとめ、都市部と農村部とでは、普及の進行に時期の差が生じることを示している。
 わが国では、Inada(1978)、東・宇賀神(1979)が、日本放送協会(NHK)の「テレビ局」(必ずしもスタジオなどの制作施設を伴わない電波発信局のこと。東・宇賀神(1979)は有人局に限定している)の普及過程を分析している。
 これら一連の研究は、テレビ放送局の開設が企業イノベーションの一典型として「階層的拡散」を見せることを明らかにした。
 ラジオ放送局については、杉浦(1983)が戦前のわが国における普及過程を、
  1. 東京・大阪・名古屋(時期I)
  2. 広域中心都市群(時期II)
  3. 地方中心都市群(三大都市周辺を除く)(時期III〜V)
と3段階に分けた上で、最終段階(時期III〜V)について、Tornqvistモデルの適用を試みている。その結果、「市制都市の中で、上位都市と一定の間隔を保ち、既存のラジオ放送局からの受信状態が良好でないと予想される、比較的中心性の高い地方中心都市を開局候補都市とした上で、効率重視型の配置原理が適用された」と解釈できることが示されている。
 一方では、南オンタリオの中波ラジオ放送局について聴取地域の重層を論じたDoucet(1983)にように、飽和状態に近い周波数をどう配分すべきか、という問題にも地理学的関心が向かうことがある。しかし、こうした技術的問題と文化・政治的問題の接点に立つことは困難と見え、研究例は乏しい19)。また、ラジオ聴取については、杉浦(1981)が昭和初期の東海3県都市部におけるラジオ聴取契約を例に、多次元尺度構成法の一つである個人差モデル(INDSCAL)による分析を通じて、ラジオ聴取契約が名古屋から非農業的職業構成の卓越する都市へ、次いで農業的職業中心の都市へと拡がっていったことを明らかにしている。
 なお、有線テレビ(CATV)放送については、オハイオ州の事例を扱ったBrown et al.(1974)があるが、有線テレビは国や時代による制度的・技術的な条件の違いがきわめて大きいため、この研究の結論−多核的拡散(polynuclear diffusion)−は普遍的に妥当するものではないと思われる。
 一方、空間的拡散研究とは別に、原田(1983)は放送メディアの地域性について、やや整理不足ながら事業経営形態・サービスエリア・出力規模別分布などの問題を提起している。また、阿部(1979b)はネットワーク系列の問題に言及している。しかし、こうした番組内容とも関係してくるような問題については、現状では充分な議論は展開されそうにない。
 純粋に放送番組内容について、地理学的関心から分析を加える研究はさらに乏しい。この分野は、環境認知の研究の一部ととらえることのできる「場所のイメージ」をめぐる議論とも密接に関係しているだけに、近い将来、包括的な「情報の地理学」が活性化されるためには、研究の蓄積が強く望まれるところである。Gould and Lyew-Ayee(1983)は、ジャマイカの事例について、放送内容に大きな変化のあった1980年と1981年の比較を試みたものである。分析の中味は多岐にわたっており、番組輸入国、海外ニュースの発信地の分析なども盛り込まれている。一国内の地域差については、Brooker-Gross(1983)がアメリカのテレビ三大ネットワーク(NBC・CBS・ABC)が流す全国向けの国内ニュースの発信地分析を行ない、地域的バイアスが生じないように意識的な努力がなされていることを強調しているのが注目される。
 いずれにせよ、空間的拡散研究以外の放送メディア研究は、地理学においてはきわめて貧弱である。今日の社会で、放送が果たしている役割の大きさを考えるならば、放送メディア研究は特に強く充実が望まれる分野である。

3) 印刷メディア
 印刷メディアのおもな例には、新聞・雑誌・書籍があるが、従来の地理学における研究はもっぱら新聞を扱ったものであった。ここでは、その是非や原因は問わない。しかし、単なる指標・研究手段としてではなく、地理学研究の対象としてメディアを取り上げようとする動きが、他のメディアよりも早くから、新聞の研究において見られたことは重要である。
 新聞が一都市型の地域紙として発達した欧米においては、新聞配布圏=発行都市の都市圏といった仮定に立った都市圏研究は早くから始められた。特に、経済活動と並んでコミュニケーション活動を重視したシカゴ学派の都市社会学においては、さまざまな形で新聞の研究が行なわれた20)
 また、わが国では、山極(1925)が「東京市大阪市中間地帯」における駅売り新聞の売上比を両市の勢力拮抗の指標の一つに用い、山鹿(1951)が浦和の文化機能の東京従属を示す指標に、地元紙と東京紙の講読比率を加えた研究が、新聞を単なる指標としてではあるが、地理学が扱った初期の例である。もちろん、こうした研究は本稿でいう「メディア研究」には当たらない。
 本格的なメディア研究は、後述する西ドイツ社会地理学のHartke(1952)を除けば、英語圏先進国における環境認知論を背景とした記事の内容分析や、わが国における産業論的接近など、近年の研究が中心となる。新聞の生産・販売過程を「新聞産業の地理学的研究の対象」としてとらえ、「新聞地理学」を産業地理学の一分野として提唱した原田(1971)は、新聞に関係する三つの空間現象の存在を指摘し、研究対象を整理している。以下では、これに従って新聞を対象としたメディア研究を展望する(第4表)。
第4表 「新聞地理学」の研究対象
Table 4 Research topics of Harada's "Geography of newspaper"
活動主体活動要素地域現象関連地域


通信社取材・送信集中取材地域
印刷会社編集・印刷集積発行地
運送会社
販売店
輸送・配布分散配布地域
(原田(1971)一部修正により作成)
1. 取材地域
 取材地域については、新聞記事の発信地の分析から、掲載されるニュースの分布には新聞(ないし発行都市)の個性が大きく反映されることを示す研究が、カナダ(Kariel and Welling, 1977; kariel, 1978; Kariel and Rosenvall, 1978, 1981)やオーストラリア(Hughes and Western, 1973, 1974; Walmsley, 1980, 1982)で行われている21)
 Karielらの一連の研究は、カナダの諸都市の新聞のニュース源の分布が、第1に発信地の人口規模、次いで発行地からの距離によって規定され、さらに細かくは国家行政中枢の立地(首都オタワの場合)や、言語によるバイアスによって説明されることを明らかにした。
 Hughes and Western(1973, 1974)は、今世紀初頭以来のオーストラリアの新聞の分析から、海外ニュースにおけるイギリス本国の比重の後退とアジアの増大など、興味深い紙面傾向の変化を指摘している。また、ニュースの空間的分布を、地域(州)間の情報流動としてまとめたWalmsley(1980)は、中央紙以外の新聞に見られる地元偏重主義の存在を強調しており、さらにWalmsley(1982)はニューサウスウェールズ州の新聞・放送ニュースの分析から、直接経験以外の空間認識がメディアの取材地域の偏向に支配されるであろうと主張している22)
 一方、Pred(1971a)は、電信が導入される以前の18、19世紀におけるアメリカ東部の新聞の分析によって、交通手段(鉄道)の発達によるニュースの速報性の拡大を明らかにした。しかし、新聞を扱ったPredの一連の研究は、都市システムに関心の重点が置かれており、「情報を使った地理学」の例と考えるべきであろう23)
 わが国には、こうした外国の影響を受けた研究例は見られない。取材地域の研究としては、新聞社の取材網(支社・支局など)について整理し、都市階層の指標として用いることを試みた原田(1978a)や、戦前のわが国の都市システム研究の一環として、新聞社の取材網を考察した阿部(1984)がある。阿部(1984)は、全国・地方(九州)・県(新潟・岡山)と三つの異なるレベルで事例を検討しているが、特に地方・県レベルの議論は「一県一紙」統制の過程を地理的に取り上げた研究として興味深い。
 通信社は、一般読者ではなく新聞社などを相手とした、いわばニュースの問屋であるが、これについての研究はほとんど見当たらない。わずかにBrooker-Gross(1981)が19世紀のアメリカについて各社の競争の経過を描き、電信の独占との関係を論じている。
2. 発行地
 発行地についての研究は例が少ない。欧米では大半の都市に地元の新聞があるために、都市が新聞発行地であることが当然視されていることもあり、発行地の研究例は見られないようである。わが国では、戦時統制の結果として成立した「一県一紙」体制の影響が今日でも大きく、主要新聞の発行地といえば、機械的に県庁所在地となってしまう。したがって、大都市内部における立地の違いを論じる場合(原田, 1974b)を除けば、今日の県紙や全国紙は発行地研究の対象とはなりにくい。
 「一県一紙」以前を取り上げた歴史的考察としては、明治末の新聞社の分布をまとめた原田(1969, 1970)と、戦時統制直前の1935年時点の新聞社の分布を市制施行と関係づけて整理した原田(1980a)がある。原田は一連の研究を通じて、新聞事業の都市機能要素が都市形成に関与する、と論じている。この視点からすれば、戦時統制前のわが国や、統制の経験がない国における新聞社の分布と都市システムとの関係は、今後の重要な課題であろう24)
 また、日刊紙としては最も小規模なレベルである日刊地域紙については、山田(1985a, b)が、県紙や全国紙の配布競合状況と関連づけながら分布の特徴を論じている。
3. 配布地域
 配布地域を論じた研究としては、古典的な業績としてHartke(1952)をあげねばならない。ライン・マイン地域(Rhein-Main-Gebiet)研究の一環に位置づけられるこの論文は、都市階層を論じた研究として(Hadju, 1968, p.403)、あるいは地域帰属意識の研究として(山本, 1981, p.339)、評価されている。
 Hartke(1952)は、研究地域内で発行されるさまざまな規模の新聞を整理して、その重層構造を明らかにした上で、新聞配布圏の重層構造は読者である地域住民の地域帰属意識の重層構造を反映したものとみなしている。「まとめ」(Zusammenfassung)に付された図(Abb.5)は、新聞配布圏の広がりと、地域帰属意識の広がりとを結びつけた、あるいはナイーフに混同した概念図になっている。Hartkeのこのような姿勢は当然批判もされているが(山本, 1981, p.340)、新聞配布圏と地域帰属意識との関係が充分注目すべきものであることは間違いない。
 しかし、Hartke以降の西ドイツの地理学は長い間新聞を取り上げようとはしなかったようである。ようやく最近、Blotevogel(1984)が西ドイツ全国について、都市システムと各種新聞の配布を関係づけて論じている。
 わが国でいち早く新聞の地理学的研究に手を染めた原田の業績も、大半は配布圏についての分析であり、この分野には若干の追従者も認められる。こうした研究は、いずれも日本ABC協会の公査部数資料25)、ないしそれに準じる資料の統計処理を中心としたものである。対象となる地域や分析単位はさまざまであり、分析のテーマも地方紙と全国紙の競合、全国紙間の競合、夕刊セット率など、各地域で焦点となるようなものが選ばれている。
 原田(1974a)は、東京23区(区単位)についての分析を通じ、「読売」、「サンケイ」の卓越する東北区型配布と「朝日」、「日本経済」が多い西南区型配布の存在を明らかにし、両者の違いは地域住民の学歴と相関があることを指摘している。
 また、高木(1979)は、全国(市単位)における地方紙と全国紙の配布構成比を示し、距離によって配布構成比が変化することをごく簡単にではあるが述べている。
 以上の二つの論文に限らず、一連の研究成果26)は、各地域における配布競合状況の実態を明らかにした点では評価されるべきである。しかし、実態を何らかの指標(社会経済的要因や距離など)で説明しようとする際に、資料の信頼性を無視した議論など、やや強引な議論の見られる場合も少なくない。また、統計処理手法も充分に検討されているとはいえない点がある。今後は、資料の限界を考慮した適切な手法の整備が望まれるが、とりわけ岡沢(1984)のように読者調査を併せて進める手法の展開が期待される。
 こうした統計処理を中心とした研究とは別に、明治末期の中央紙の地方版成立経過をまとめた原田(1968)も、配布地域研究の一環と考えられる。また、原田(1975)は新聞輸送の形態を論じているが、これも配布地域研究に入ろう。さらに原田(1979)は戦時統制直前の新聞配布状況を紹介している。
 以上、1〜3で概観したように、新聞を取り上げる地理学の研究例は、欧米では紙面分析研究が多く、わが国では配布競合状態についての統計処理による分析研究が多い。しかし、わが国における実情は、地理学におけるメディア研究の一分野としても、原田が提唱する産業地理学の一分野としても、きわめて貧弱な「新聞の地理学」しか築かれていない。阿部(1979c)が参考文献として地理学の研究をあげていないのは象徴的であるといえよう。
 新聞同様、雑誌についても配本に地域差があり、ことさら意識したわけでもないのに特定の雑誌が特定の地域でよく売れる、といった話題は業界誌などにも時々登場する27)。しかし、これを本格的に取り上げる地理学的研究はほとんどない。
 農業における技術の普及への関心から農業雑誌の発行地を論じているBrunn and Raitz(1978)は、一般農業誌が大都市で発行されるのに対して、特化した内容の雑誌が読者の近く、すなわち特定の営農形態の卓越した地方で発行されることを指摘した興味深い論文である。
 わが国では、原田(1984, 1985a, b)が雑誌配本について基礎的な整理をしているが、現段階では統計の簡単な紹介にとどまっている。今後の続報に期待したい。

IV メディア研究の課題と展望

 前章での検討を通じて明らかなように、地理学におけるメディア研究は、いわば「前史」段階にある。確立された手法も乏しく、研究成果の批評・評価の場も少ない。参照すべき既存の業績も散在している上、多少関連のあるものまで含めて周辺諸学の成果まで渉猟しようとすれば、膨大な量の前で焦点はぼやけてしまう。そのような条件の下で、地理学におけるメディア研究は進められなければならない。
 メディア研究の諸分野がそれぞれに抱えている問題点や課題については、前章でも言及した。しかし、現在の研究成果の延長を進めるだけでは「地理学におけるメディア研究」を体系的に編成することはできない。体系化を意識的に推進し、「地理学におけるメディア研究」を活性化させるためには、それにふさわしい学問的基盤整備が必要である。このためのさしあたりの課題としては、(1)メディア・アトラスと、(2)メディア地誌の試みが考えられる。
 (1)メディア・アトラスは、さしあたりわが国について、メディアの空間的展開に関する基礎的統計類を地理学の共有財産として利用できる形に再編集する作業である。前章で通観したように、すでにさまざまなメディアについて、地域構造を分析した研究がある。こうした成果を「メディア研究」の視点から読み直し、統計類を整えれば、「メディア研究」の出発点として有益なものとなろう。
 実は、これに類する試みは非学術的な形ではあるが、「高度情報社会」を指向した官庁等の報告書類によって大胆に、粗雑な点もあるもののすでに進められている28)。例えば、電気通信総合研究所(1979, 1980, 1981)や芙蓉情報センター(1978, 1981)などにおいては、情報資源の地域格差をさまざまな指標でとらえる試みがなされているが、そうした試みは同時にさまざまなメディアの地域差を記述していく作業にもなっている29)。国土庁(1985)にもこうした一連の成果が一部取り入れられている。これらの報告書類は、もとより地域格差の抽出が主な目的であり、個別の記述自体が目的ではないが、メディア・アトラスを構想する上で参考にするべきである。
 (2)メディア地誌は、特定地域における諸メディア全体の状況(いわゆる「メディア環境」)を記述する作業であり、その地域におけるコミュニケーション状況の実態に迫るものである。例えば、情報量全体は膨大に供給されながら、地元のニュースを報じる媒体の欠けているような大都市近郊の地域と、情報量はさほど大きくないものの、地域的メディアが充実しているような地方小都市の地域では、地域住民のコミュニケーション活動は異なった様式をとるであろう。また、個々のメディアに注目しても普及しやすい地域とそうでない地域がある。こうした地域性については、地道な地誌的記述が充分積み上げられなければ、系統地理に相当するメディア研究も堅実な成果を上げることはできない。同じような試みは、新聞学・社会学からもなされているが(例えば、南信地方を扱った東京大学新聞研究所(1981))、そうした成果をも参照しつつ、地理学的視点に立ったメディア地誌の試みが待たれる。
 このような具体的作業を通じて、「地理学におけるメディア研究」に一定の体系的枠組が確立されるならば、われわれは『情報革命』の実態を地理的に把握することが可能になる。実態の把握は、さらに進んで竹内(1982)のいう「社会の空間組織あるいは環境というものにとって、『情報革命』がもたらす新しい意味」をめぐる議論に具体性を与えることになろう。すなわち、「情報流の研究」と「環境認知の研究」を有機的に結びつけた「情報の地理学」の展開が期待できるようになるのである。
 「情報の地理学」の充実が「情報を使った地理学」の具体化につながることは、第II章で述べたとおりである。しかし、「情報の地理学」が充分発達するならば、単なる「情報を使った地理学」を超えた地平に、「情報」をキーワードとして人文地理学全体に再編成を迫るような「情報地理学」ないし「情報主義地理学」とでも称すべき分野を構築することさえも視界に入ってくるであろう。すでに経済地理学の周辺では、説明変数のひとつに情報を取り上げるような「情報を使った経済地理学」を超えて、「情報」に絶対的な価値を認める「情報主義経済地理学」とでも呼ぶべき分野が展開しつつある30)
 「情報」のインパクトはきわめて大きく、地理学のパラダイムを新たなものにしうる可能性すらもつものである。このことは、現実の社会の『情報革命』の進行に伴い、地理学におけるさまざまな『革命』を通じて、段々と明らかになってきた、しかし、「情報の地理学」にせよ、「情報地理学」にせよ、基礎となる「メディア研究」抜きでは単なる空理空論となりかねないのである。

    本稿作成に際し、東京大学教養学部人文地理学研究室、理学部地理学教室、新聞研究所の各図書館に文献検索の便宜を計って頂いた。また、原田 榮先生(茨城大)をはじめ多数の方々に文献類を頂戴した。伊藤達雄先生(三重大)、寄藤 先生(エポック・リサーチ)には、文献の所在等について特に教示を得た。記して感謝の意を表する。
 本稿の概要は、1984年度秋季学術大会において口頭発表した、その折、多数の方々から貴重なコメントを頂いたことは、本稿執筆の励みとなった。
 なお、大学入学以来の長年の御指導に感謝し、近く定年退官される西川 治先生に、小論を献呈申し上げる。
(投稿 1985年4月5日)
(受理 1985年10月5日)





文献


英文要旨

THE PRESENT STAGE OF COMMUNICATION MEDIA STUDIES IN GEOGRAPHY
- A CONTRIBUTION TOWARD "GEOGRAPHY OF INFORMATION"-

Harumichi YAMADA


  It is often argued how important and crucial roles communication media play in the social phenomena of modern world. Nowadays, communication media seem to have become one of the most attractive research topics for researchers of any social science. However, it is not the case with human or social geographers.
  Quite a few geographers refer to keywords like communication, information flow, and telematique, but only few are positively trying to build up "Geography of Information." "Geography of Information" is yet to come. In the present stage, no standard method nor common direction is established for it.
  One of the factors which prevent the development of "Geography of Information" is lack of sufficient amount communication media studies in geography, which would provide fundamental knowledge upon the spatial distribution of information. Up to now, geographers have produced not a few research papers upon communication media, but these works are scattered over varied sub-fields of geography. They have been done under different research interests, and have only limited relations with each other.
  This review article describes the present stage of communicationmedia studies in geography, and tries to search a way to establish common property and common direction for them. In this review, some foci are set upon such subjects as nodal or functional region studies using telecommunication flow data, diffusion studies of broadcasting stations as innovations, and several approaches to newspaper industry. Almost 130 research papers are referred, and more than 50 of them are in English or French.

(Keywords: communication, media, telephone, broadcasting, newspaper)

SOURCE: Geographical Review of Japan, 59(Ser.A)-2, 67-84. 1986.

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