雑誌論文(学会誌査読論文):2005:

オーストラリアの地方都市アーミデールにおけるコミュニティ放送とナローキャスティング.

地理学評論(日本地理学会),78,pp545〜559.


日本地理学会のご了解を得て、全文を掲出いたします。ご配慮に深く感謝致します。

原論文は、図1、表3を含んでいますが、このページでは、図(略地図)は省略しています。
なお、表は、htmlで表現しやすい形に改めており、また、表以外でも、同様の箇所があります。(2005.12.28.)

オーストラリアの地方都市アーミデールにおけるコミュニティ放送とナローキャスティング


オーストラリアの地方都市アーミデールにおける
コミュニティ放送とナローキャスティング

山田晴通(東京経済大学コミュニケーション学部)

 コミュニティ放送は,既存放送制度に対抗する,「コミュニティ」のための放送として,各国で制度化されてきた.コミュニティ放送局が対象とする「コミュニティ」概念の実態的な有効性を,オーストラリアの地方都市アーミデールの事例で検討した.アーミデールでは,大学に基盤をもつ「ラジオ」局としてRUNEが1970年から存在し,その後の制度変更によってHPON(大出力ナローキャスティング)のTUNE! FMとなり,現在に至っている.1970年代半ばに「公共放送」(コミュニティ放送の前身)が注目されると,RUNEを母体に,新たに2ARMが組織され,放送がはじまった.やがて,RUNEから独立した2ARMは,安定的に運営された時期を経て,近年では補助金の削減などから経営困難に直面している.2ARMは,本来,地域社会と同義の「地理的コミュニティ」に根ざすラジオ局として想定されながら,RUNE〜TUNE! FMとの競合関係の中で,十分な地域的存立基盤を確保できなかった.一方,RUNE〜TUNE! FMは,通常は商業的に利用されるHPONを,非営利目的に活用している.アーミデールの小規模ラジオ局は,地域事情を反映し,役割の棲み分けを行っており,その実態は,「コミュニティ」をめぐるオーストラリアの放送制度の想定に忠実に沿った形とはなっていない.
 キーワード:オーストラリア,公共放送,コミュニティ放送,同報通信,ナローキャスティング,ラジオ

I はじめに −問題の所在−

 「コミュニティ放送」と呼ばれる制度は,日本をはじめ多くの国々にある.また,類似した形態の放送を「コミュニティ」とは別の用語でとらえつつ制度化してきた米国のような例もある.こうした放送は,20世紀前半からマス・メディアとして発展してきた放送事業の主流に対抗するかたちで,既存の主流メディアとは異なる原理でその運営が維持される「コミュニティ」のための放送形態として,特に1970年代以降,各国で制度化が進められてきた.諸国において,どのような形態の放送が「コミュニティ」概念と結び付いて制度化されるのか,また一国の放送制度の中でどのような役割を担うのか,という問いかけは,各国において「コミュニティ」がどのように位置づけられ,また「コミュニティ放送」の存在と活動が「コミュニティ」概念をどのように再定義していくのか,という大きな問題に直結する.
 本稿は,「コミュニティ」概念と「コミュニティ放送」の関係を,オーストラリアの地方都市における事例の検討を通して考察するものである.以下では,「コミュニティ放送」を含むオーストラリアのラジオ放送制度を概説した上で,ニューサウスウェールズ州北部の小都市アーミデールの事例を検討する.アーミデールでは,「コミュニティ放送」とは異なる放送形態である「ナローキャスティング」が,他の地域ではあまり見られない特殊なかたちで発達してきたため,「コミュニティ放送」の存立基盤が弱体化している.「コミュニティ放送」と称する制度で想定されている「コミュニティ」が,放送運営の実践の中で有効なものであるのか,あるいは,実態としては想定から逸脱しているのか,という観点からすれば,本稿で検討するのは,オーストラリアの放送制度体系が想定した「コミュニティ」概念が,適切には機能していない事例の一つである.

II オーストラリアのラジオ放送制度

表1 オーストラリアの放送制度(ラジオ)
Table 1 Categories in the Australian broadcasting system (radio)
全国放送
National
ABC: 日本のNHKに相当
SBS: 多言語放送と特別イベント:CMあり
商業放送
Commercial
民放のネットワークもある:免許の売買が可能:営利
コミュニティ放送
Community
非営利
HPON
(High-Power Open
Narrowcasting)
本来、放送行政の対象ではなかった Narrowcasting のうち
出力が大きいものを放送行政の対象に追加したもの:
営利がほとんど
 オーストラリアは,さまざまな資源が豊富であるが,電波資源の点でも恵まれている.通信や放送などを含めた総体的な電波需要は,生活水準などにも左右されるが,基本的には人口密度にほぼ比例する.人口密度が低いオーストラリアは,日本を含め,他の先進諸国に比べ,余裕を持った電波資源の分配が可能である1).実際,オーストラリアにおける放送事業は,ラジオを中心に,他の先進諸国に遅れることなく発達してきた2)
 オーストラリアの放送は,テレビ・ラジオを問わず,運営主体の性格によって大きく分類される.国内向けラジオ(AM局とFM局)の場合も,個別の放送局は性格が異なる数カテゴリーのいずれかに分類される(表1).
 まず,二つの公共放送組織が「全国放送 national broadcasting」というカテゴリーに分類される.ABC(the Australian Broadcasting Corporation)は,英国のBBCに範をとり,日本のNHKにも相当するもので,前身の組織を含めれば1932年にまで遡る歴史があり,ラジオ,テレビとも,各地で複数波の放送を展開し,全国に放送を行き渡らせている3).もう一つの公共放送局であるSBS(Special Broadcasting Service)は,多言語(非英語)サービスと,スポーツなどの特別イベントの放送を担う専門局として,1978年に開設された4).SBSがABCと異なる点の一つは,広告放送による収入を得ることが認められているところにある.一方,営利目的で経営される「商業放送 commercial broadcasting」は,もっぱら広告放送によって収入を得ている.日本の民間放送とは異なり,放送免許の売買が自由であり,媒体の複数所有に対する規制もないため,短期間のうちに新しい全国横断的なネットワークが登場したり,人気のある局の所有者(企業)が急に変わったりと,業界秩序の変化が激しいという側面もある5)
 ここで,ABCとSBSという二つの公共放送組織が,オーストラリア国内で「公共放送 public broadcasting」と呼ばれることがないのは,やや奇妙に思われるだろう.これは,SBSの登場以前に,ABCと「商業放送」の対抗関係を背景に,第三の形態として現在の「コミュニティ放送 community broadcasting」の前身に相当する放送形態の可能性が議論された際に,商業放送が主流である米国の「公共放送」に範をとって議論が進められたため,「公共放送」はABCとは異なる性格の放送局だという前提が存在したためである6).オーストラリアの現行の制度においては,曖昧さを避けるため,「公共放送」という概念はほとんど用いられない.
 「コミュニティ放送」は1992年放送法で登場した用語であるが,これは1970年代後半以降に,「公共放送」「教育放送」などさまざまな名目で与えられていた非営利放送の免許を,一つにまとめた概念であり,日本でいう「コミュニティ放送」とは内容が大きく異なっている7)
 1992年放送法は,第15条で「コミュニティ放送」を定義している.それによると,「コミュニティ放送」とは,「(a) コミュニティの諸目的 community purposes のために供給されるものであり,(b) 営利目的に運営されるものではなく,また営利企業の一部分を成すものでもなく,(c) 供給する番組は (i) 一般的に入手可能な装置で受信可能であるとともに,(ii) 一般の人々が無料で享受できるようになっており,(d) 第19条に定めるコミュニティ放送関係の規定や基準に沿うもの」となる8).なお,(d) で言及がある第19条は,第15条を含む各放送形態の定義に関する条文について,条文で明示された内容に上乗せする規定を設けたり,条文解釈が分かれる可能性のある点について解釈基準を示す権限を,オーストラリア放送庁 ABA(Australian Broadcasting Authority)に与えるという内容の条項である.
 「コミュニティの諸目的」の具体的内容について,放送法は何も述べていない.「コミュニティ放送」の基盤となる「コミュニティ」とは何か,について判断を下す権限は,第19条に基づいてABAが握っているということになる.ABAは個々の「コミュニティ放送」免許の発給に際して,基盤となるコミュニティの説明をしているが,その内容は実に多様である.「一般的地理的コミュニティ general geographical community」ばかりでなく,「優れた音楽 fine music 愛好者のコミュニティ」や,「同性愛者のコミュニティ」を基盤とする事業者に対しても「コミュニティ放送」免許が発給されているし,前例がない種類の「コミュニティ」に基づく「コミュニティ放送」の免許申請も珍しくない.日本の「コミュニティ放送」は,おおむね市区町村程度の規模の地域=地理的コミュニティしか想定されていないため,出力は10Wないし20Wと小さく抑制されているが,「コミュニティ」の構成員が広域に分散している場合もあるオーストラリアでは,桁違いに大出力の「コミュニティ放送」も存在している9)
表2 オーストラリアのコミュニティ放送局(ラジオ)の州別開局状況
Table 1 Community broadcasting stations (radio), by state and territory in Australia
局数1局数2局数3人口面積
ACT8 8 8 32万人0.2万km2
NSW95 84 99 661万人80.1万km2
VIC84 51 84 482万人22.7万km2
QLD78 49 81 364万人173.1万km2
SA34 27 42 151万人98.3万km2
WA43 26 44 191万人253.0万km2
TAS17 11 17 47万人6.8万km2
NT52 9 71 20万人134.9万km2
全国411 265 446 1949万人769.2万km2
放送局数は次の資料を基に筆者が集計(2003年現在)
Australian Broadcasting Authority (2003):
Radio and television broadcasting stations 2003.
「局数1」は送信施設の免許数を単純に数えたもの
「局数2」は送信施設の免許を得ている局数を数えたもの
「局数3」は「局数1」に再送信施設の免許数を加えたもの
人口と面積は次の資料による(2001年現在):
Australian Bureau of Statistics (2003):
2003 year book of Australia.
 オーストラリアにおける「コミュニティ放送」の普及を量的に捉えるために,「コミュニティ放送」の免許を受けた局の数を集計してみると,およそ7万人あまりに1局という高い密度で「コミュニティ放送」が普及していることがわかる(表2).「全国放送」や大半の「商業放送」とは違って,「コミュニティ放送」は,深夜時間帯の「埋め草 filler」を別にすれば,自前で制作した番組を放送している比率が大きい.「全国放送」や「商業放送」の場合,数百の免許が発給されていても,ネットワークによって共有されている番組が多いため,実際の番組編成上の多様性はずっと少ない.しかし,「コミュニティ放送」の場合は,250局以上の異なる番組編成の放送が,全国各地に存在していると考えられる10)
 オーストラリアのラジオ放送制度で最も興味深いのは,「ナローキャスティング narrowcasting」,とりわけ「HPON(high-power open narrowcasting)」と称される「放送」の存在である11).「ナローキャスティング」という概念は,法的には「放送」ではなく「通信」の一形態とされる小規模で仮設的な同報通信を指し,もともと放送行政の枠外にあった.このため,「ナローキャスティング」については,具体的な細かい規制が存在せず,正規のラジオ放送免許取得が難しい小規模事業者などが,局地的な受信圏を対象として実質的にラジオ「放送」を可能にするため,この制度を利用するようになった.その結果,「放送」と「ナローキャスティング」の境界は徐々に曖昧になり,出力の増強やネットワーク化によって,かなりの範囲をカバーする小規模な商業放送局のように機能するものも登場したため,放送行政の側はこれを新たに管理の対象とするに至った.
 「ナローキャスティング」の中でも出力が比較的大きい「HPON」は,1992年放送法によって放送行政の対象となったが,行政的な拘束は緩いため,多様な形態で利用されている「HPON」の実態をまとめた報告や資料は存在しないようだ.「HPON」による小規模放送局のサービスには,非英語放送,特定ジャンルの音楽専門放送,局地的な観光情報を提供する観光ラジオ tourist radio などが含まれ,さらに競馬など賭博レース中継の専門放送などが存在するが,「HPON」の運営状況や放送内容について総括的に把握するのは困難である12)
 以上,一通り概観したように,大規模な全国的ネットワークとして,公共放送である「全国放送」(ABCとSBS)と「商業放送」があり,地元独自の「商業放送」もあるところに,地元の非営利の「コミュニティ放送」が加わり,さらに局地的な,あるいは特殊な(通常は営利的な)放送である「HPON」が加わることもある,というのが,オーストラリアにおけるラジオ放送の一般的な状況である.しかし,個別の地域における事例を具体的に検討していくと,ラジオ局の間に複雑な関係があったり,典型的な説明が必ずしも単純には当てはまらない部分があらわになってくることも少なくない.
 なお,III以下では,本節で説明したオーストラリアの現行制度に則った用語であることを前提に,「コミュニティ放送」「HPON」等々の用語を,括弧を外した形で使用する.

III アーミデールのラジオ事情

1. 概要
 アーミデールは,ニューサウスウェールズ州北部のニューイングランド地方の小都市である(図1).2000年に郊外区域を合併し,現在では自治体の正式名称はアーミデール・デュメリック市Armidale Dumaresq となっている13).広域化した現在の自治体全域でも人口は2万5千人ほどに過ぎないが,中心市街地の西縁の丘陵にニューイングランド大学 University of New England(UNE)のキャンパスがあり,4千人あまりの学生が学んでいる.シドニーから,車では6時間が目安とされるが,日に1往復しかない列車を使うと片道およそ8時間かかり,移動に丸一日を要する.
 アーミデールには,全国的ネットワークの一環として置局されているABCのラジオ局以外にも,ラジオ局がいろいろある(表3).地元の商業放送局としては,1936年開局のAM局2ADと1997年開局の100.3FM(2NEB)がり,いずれも New England Broadcasters Pty Ltd が経営しており,Broadcasting House という建物にオフィスを構えている.さらに事実上1976年に開局したコミュニティ放送局2ARMと,1970年に起源がさかのぼり,現在はHPONとして運営されているTUNE! FM(2UNE)が,それぞれ地元制作の番組を送出している.さらに,ローカル・コンテンツを含まないので,本稿では検討の対象としないが,通信衛星を利用したネットワークによって各種の賭博レース情報を提供する大出力のHPONが存在している14)

表3 アーミデールにに送信施設を持つラジオ局(2003年現在)
Table 3 Radio stations with transmission systems located in Armidale (as of 2003)
免許区分免許所有者局名周波数出力開局別称など
NationalAustralian Broadcasting Corporation2RNAM 720kHz50WN.A.Radio National
2JJJFM 101.1 MHz10kWN.A.Triple J
2NWRFM 101.9 MHz10kWN.A.ABC News Radio
2ABCFMFM 103.5 MHz10kWN.A.Claassic FM
CommercialNew England Broadcasters Pty Ltd2ADAM 1134kHz2kW1936.02.05.
2NEBFM 100.3 MHz10kW1997.06.23.
CommunityArmidale Community Radio Cooperative Ltd2ARMFM 92.1 MHz2kW1976.10.13.
HPON2KY Broadcasters Pty Ltd2KY Racing RadioFM 104.3 MHz10kW1998.10.12.NSW Race Narrowcasters (?)
University of New England2UNEFM 106.9 MHz10kW1999.01.01.TUNE! FM
全国放送=ABCの各放送については,開局時期を示す資料を得られなかった.
Australian Broadcasting Authority (2003): Radio and television broadcasting stations 2003. および,Australian Broadcasting Authority のサイト(http://www.aba.gov.au/)の記載などによる.

2. RUNE −小規模ラジオの先駆−15)
 アーミデールにとってのUNEは,社会的にも経済的にも大きな存在であるが,ラジオ放送局の普及に際してもUNEは大きな役割を演じてきた.
 アーミデールにおいて,全国放送でも商業放送でもないラジオ局を求める動きが生じたのは,1960年代末のことであった.1968年,UNEの学生5人が,商業放送局2ADで,毎週一回30分の番組を制作するようになった.この番組はインタビューを軸に構成され,半年ほど続いた.ところが,アーミデールで行われたベトナム戦争反対のデモを番組で取り上げることをめぐって,学生たちと局の間に対立が生じ,この番組はそのままなくなってしまった.
 そうした事態の中で,学生たちは自主的なラジオの運営を模索し始めた.ちょうどこの頃,物理学教室のネヴィル・フレッチャー Neville Fletcher 教授は,数年間の米国滞在で見聞した大学内のラジオ局についてUNEの学生たちに紹介し,広く関心を集めていた.このような動きを受け,キャンパス内を放送の対象とした閉回路 closed-loop 式のラジオ局の設置が提起され,大学当局も前向きな姿勢を示したため,学生評議会 The Students' Representative Council も資金負担を了承した.こうして,新たにUNEラジオ委員会が組織され,当時の通信行政当局と接触し,必要な免許の認可を申請した.
 1970年4月には,当時の無線通信法 the Wireless Telegraphy Act に基づいて,放送局ではなく,通信施設として免許が与えられ,1970年4月27日午後7時から,正式な「放送」(法律上は通信)が開始された.出力の微弱な送信機が,学寮を中心にキャンパス内の主要な建物に分散配置され,スタジオはミルトン・ビルディングMilton Building に置かれた16).周波数は,通常のラジオ放送用の中波周波数帯からわずかに外れた1630kHzを使用し,ラジオの中波帯域の一番上にダイヤルを合わせると「放送」が聞こえた.局としての名称は,「ラジオUNE」,略してRUNEと名乗った.
 こうして,オーストラリアの他大学に先駆けて,永続的なキャンパス・ラジオ局がアーミデールのUNEに誕生した17).大学の当局者が代表となって大学が政府から免許を受け,実際の運営は,資金的な裏付けを含めて学生自治団体が担うという形は,当時から現在まで,基本的に変わっていない.

3. 2ARM −コミュニティ放送の担い手−18)
 1970年代半ばになると,公共放送(後に1992年放送法でコミュニティ放送として再定義されることになる)のラジオ局設置を目指す動きが,オーストラリア各地に現れ始めた19).アーミデールにおいても,RUNEを発展させて公共放送局を開局しようという動きが大学の内外から出てきた.公共放送局の免許を受けるため,新たに地域の人々も参加した法人「ラジオUNE」が組織され,1974年には,予備免許を受けて,開局準備が本格化した20)
 2ARMの試験放送は,1976年7月20日に,92.3MHz,100Wで送信を試みたのを最初に断続的に行われ,9月からは正式な試験放送が,92.1MHz,10Wで始まった.1976年10月9日には開局行事が行われ,土曜日だったこの日には,朝9時から深夜12時まで放送がなされた.翌週半ばの13日水曜日からは,平日は朝5時から,週末は朝9時から,それぞれ深夜12時までの放送が行われた.その後,1977年3月に,2ARMは24時間放送の体制に移行した.
 当初,2ARMはRUNEのスタジオ施設の一部を使っており,二つのラジオ局が同じ場所に同居する形になっていた.両者の関係からすれば,2ARMがRUNEに居候をしていたわけである.はっきりした時期は判らないが,1979年頃,2ARMは市庁舎の中に専用の仮設スタジオを得た.RUNEのスタジオを出た2ARMは,財政面でもUNEの学生評議会から離れ,以降,2ARMとRUNE〜TUNE! FMは,別々の道を行くことになった.
 専用の施設とはいえ,2ARMに与えられたスペースは,市庁舎内で分散しており,放送スタジオが地下,制作スタジオが建物の最上階にあるといった具合で,使いにくかったという.事務所は,普段ほとんど使われない厨房に置かれていたが,まれに市当局が厨房を使うときには,書類を移動させて,厨房を空けなければならなかったという.しかし,ともかく専用の放送施設を確保した2ARMは,1981年に,公共放送局として正式に本免許を与えられた.
 1989年には,旧市議会庁舎の一部が2ARMに無償で提供されることになり,ボランティアの手で大幅な改装が行われた.こうして2ARMは,放送スタジオ,制作スタジオ,レコード・ライブラリ,事務所が一体となった形で,市庁舎裏の駐車場に面した一角に現在の放送施設を確保した.駐車場から見える位置に看板を出すことで,2ARMは一般市民にもその存在が見えるものとなり,本格的なラジオ局として認められるようになった.
 1980年代には,公共放送局が全国的にもまだ少なく,2ARMは比較的恵まれた補助金を連邦政府から得ることができた.財政状況のよかった1988年には,2ARMは常勤職員2人と,歩合制の営業担当者2人を雇用していた.ところが,1990年代に入ると,いくつかの要因が重なって2ARMの経営状態は急速に悪化した.経営悪化の背景には不況の影響も大きいが,直接の原因は,コミュニティ放送局の増加による連邦政府からの補助金の減少と,競争相手となるFM放送局の増加であった21)
 経営の悪化を受けて,1990年代はじめに,まず有給職員が削減され,常勤職員は,早朝時間帯担当のアナウンサー(もちろんそれ以外の仕事もする)1人だけになり,非常勤として給与を受ける者も,管理責任者1人となった.さらに1990年代半ばには,常勤職員をゼロにせざるを得なくなる.そして1996年には,運営委員会が廃局を検討する事態に立ち至った.具体的な数字は不明だが,当時の赤字額は数万ドルに達していたという.
 一般的なコミュニティ放送局と同じように,2ARMでも経営上の最終的な意志決定機関は会員総会である.放送の受信は会員にならなくてもできるが,会員になれば総会等で意見を言うことができるし,ボランティアとして番組の制作や局の運営に関与できるようになる.運営委員会の廃局論に対して,ボランティアとして局の運営に携わってきた人々の一部は強く反発し,局の存続を主張した.その結果,1996年の会員総会において運営委員は全面的に交代し,新たな執行体制が敷かれた.
 新体制が動き出した1997年以降,未成年のためのアルコール抜きのダンスパーティーなど,さまざまなイベントを通じた資金集めや,スポンサーシップ・アナウンスメントの規制緩和を活かしたスポンサーの開拓などが取り組まれている.また,多言語放送に取り組み,非英語放送をすると別種の補助金を得ることが可能になることから,若干の非英語放送が取り組まれている22)
 現在,運営の中心になっている人々,そして,ボランティアとして実際に番組を制作している人々には,退職者が多い.生活が一応安定し時間にも余裕のある退職者が,社会活動,あるいは,自己表現の場としてコミュニティ放送を支えている,というのが2ARMの実態である23)

4. RUNE〜TUNE! FM −キャンパス・ラジオからの脱皮−
 2ARMとは違って,大学当局と学生自治団体という安定した支持基盤を持つRUNEは,コミュニティ放送局が苦難に陥った1990年代においても,経営上の問題で苦しむことはなかった.しかし,「放送」を続けていくためには,技術的な条件や免許の問題を,乗り越えなければならなかった.
 開局当初,RUNEの受信状態は概ね良好で,問題はほとんど顕在化しなかったが,その後徐々に混信などが生じるようになり,受信状態の改善を求める声が大きくなっていった.そこでRUNEは,1985年10月に,受信状況を改善するため,一般の放送用の中波周波数帯ぎりぎりに近い1611kHzへの周波数変更と,送出アンテナの改修を実施した.しかし,これは必要な手続きを経ず,通信行政当局の承諾を得ないまま実施されていたため,タムワース地方電波監理事務所の指導によって,電波送出は従前の状態に戻された.
 これを機に,受信状況の改善策として超短波FM波への周波数変更が検討され始めた.1986年には,FM波による通信の免許が与えられ,FM「放送」が始まり,局の通称もTUNE! FMとなった.
 その後,1992年放送法によって,それまでの公共放送を再定義する形で条文に盛り込まれたコミュニティ放送が改めて注目され,またHPONを含むナローキャスティングが制度化されると,TUNE! FMは,まずコミュニティ放送免許の獲得を模索した.しかし,合併前の当時,人口2万人足らずながら公共放送からコミュニティ放送へ自動的に移行した2ARMが存在したアーミデールで,2局目のコミュニティ放送の免許が得られる見通しは立たなかった.結局,1994年から1995年にかけて,TUNE! FMは,ナローキャスティングとして認定され,当初はわずか1W,やがて10Wの出力で,大学外へ向けてもHPONとしての放送をするようになった24)
 2ARMは,もともとUNEの学生が関わり,RUNEを母体とした放送局だったが,その後の経緯の中で,どちらかといえば中高年向けのコミュニティ放送局となっていった.このため,UNEの学生たちは若者向けの音楽や情報を提供する放送局を求め,RUNE〜TUNE! FMを支持してきた.今や,そのサービス対象は,キャンパスの中にとどまらず,市街地全域をカバーする形で,UNEの学生ではない地域の若者たちも取り込んでいる.
 2002年8月現在,TUNE! FMは,通信衛星によるサービスも利用して,24時間放送の体制をとっているが,週168時間のうち,概ね60時間程度の番組を自主制作している.直接番組制作にあたるボランティアは50名ほどで,番組のほとんどは生放送である.TUNE! FMは,有給の職員として常勤1名と非常勤1名を雇用している.2人ともまだ若く,もともとは学生ボランティアとしてTUNE! FMに関わってきた人々であるが,給与水準は決して高くはないものと思われる25)
 このように,TUNE! FMは安定した体制の下で放送を継続してきたが,ここにきて再びコミュニティ放送免許の獲得が模索されるようになっている.その背景には,ナローキャスティングをめぐる近年のABAの姿勢がある.現行の1992年放送法が制定から10年を経て,ABAはさまざまな見直し作業を行っている.ABAは,条文の公式解釈を通じてナローキャスティングの概念を明確にし,それから外れるものを整理しようとしている.ナローキャスティングは,本来は限定された内容のサービスを想定しているが,特定大学のキャンパス・ラジオという枠組みから,より広い対象(地域の若年層)を含む放送へと脱皮してきたTUNE! FMにとってみれば,ABAの方針はベクトルの向きが逆である.今後,TUNE! FMは,従来通りのナローキャスティングとして認定されるか,コミュニティ放送の免許を獲得するか,いずれかの道の選択を迫られる可能性もある.

IV おわりに −若干の考察−

 以上,本稿ではアーミデールのコミュニティ放送局2ARMと,HPONであるTUNE! FMの成立の経緯を整理した.もともと地域コミュニティの声を反映させるべく成立した2ARMが,先行したRUNEとの棲み分けの中で若者向けの番組に重点を置かない編成をとったことから,地域社会において大きな比重を占めているUNEの学生の多くは,2ARMをほとんど聴いていない.2ARMは,比較的財政面で恵まれていた時期までに安定した収入基盤を確立することが必要であったが,十分にそれを果たせないまま経営規模の縮小期を迎えたのである.
 一般的に,オーストラリアのコミュニティ放送局は,会費 subscription,連邦政府の補助金など各種の補助金,スポンサーシップ(事実上の広告料収入)が収入の三本柱となっている26).しかし,地域の人口規模が限られたアーミデールにおいて,2ARMは,会費もスポンサーシップも大きな金額を望めず,1990年代における補助金の削減とともに運営資金は窮屈になっていった.他の類似した規模のコミュニティ放送局と比較しても,会員制度による収入の確保は十分になされてこなかったと言えるだろう.
 2ARMは,地理的コミュニティを対象としたコミュニティ放送局と位置づけられながら,先行したRUNE〜TUNE! FMの存在によって,大学,学生コミュニティ,さらには地域の若者への訴求を十分に行うことができなかった.このため,1990年代に財政基盤の脆弱化と運営の担い手の高齢化が進んだ際に,ボランティアの世代交代が円滑に行えず,組織は弱体化した.現在の2ARMは,比較的年齢層の高い市民が送り手の中心となり,聴き手も同様と考えられているが,その一方で,補助金を得るために必ずしも実需要があるとはいえない外国語放送を行うことに象徴されるように,その番組編成を通じて一貫性のある明瞭なコミュニティの姿を提示することはできずにいる.
 一方,UNEの学生自治団体に支えられたRUNE〜TUNE! FMは,事実上安定的な会費収入があるのと同じであり,それが堅実な存立基盤となっている.しかし,これは同時に,少なくとも理屈の上では,大学当局なり学生評議会がTUNE! FMを不要と考えれば,放送を維持することはできないことを意味している.とはいえ,閉回路式のラジオからナローキャスティングへと展開してきたRUNE〜TUNE! FMは,そうした状況の中でキャンパス・ラジオを実現し,維持していくための取り組みを不断に続けてきたわけである.規制の少ないナローキャスティングが,ほとんどの事例で営利目的に利用されているのに対し,TUNE! FMは特異である.これは,ナローキャスティングで何ができるかという発想から開局したのではなく,キャンパス・ラジオの維持に利用できる制度は何かという観点からナローキャスティングを選んだという経緯によるものである.
 財政基盤の学生団体への依存は,ナローキャスティングである限りは問題とならない.しかし,仮に今後コミュニティ放送としての位置づけを求めていくなら,大学外の地域社会の利害をどう取り込んでいくのか,またそれを経営基盤に組み込んでいくのかといった点が明らかにされる必要がでてくるだろう.
 TUNE! FMの立場からすれば,その活動は単に大学内の「学生コミュニティ」だけを対象とするナローキャスティング的なものではなく,若者文化を共有する大学外の住民をも含んだ,地域における「若者文化を共有するコミュニティ」を対象としたものであり,実態としては既にコミュニティ放送としての役割を果たしているという自負もある.これが大都市圏でのことであれば,コミュニティ放送も複数のサービスが並行して提供され,個々のコミュニティ放送も特定のコミュニティ,(あるいは,聴取者セグメント)に働きかけていくことを,自らの課題として掲げることが可能である.しかし,アーミデールのような地方小都市においては,たとえ電波資源に大都市圏以上の余裕があるとしても,経営基盤を考慮すれば,いたずらに多数のコミュニティ放送が置局されるわけではない.
 オーストラリアのコミュニティ放送は,ABCにも商業放送にも取り上げられない「コミュニティ」の声を電波に乗せるという理念の下で段階的に制度化され,広く普及するようになってきた.しかし,その結果として実現した各地のコミュニティ放送の姿は,実に多様であり,また,制度が想定した姿とは違った形で各局の存立基盤が形成されることもしばしば生じている.本稿で検討したアーミデールにおける小規模ラジオ局の実態は,オーストラリアの放送制度が想定した「コミュニティ」概念が,地域の状況によって必ずしも有効ではなかったことを示しているが,同時に,コミュニティ放送局や,それに準じるHPONの性格が,地域特性を反映した個別の局地的な事情に左右されながら,制度が想定した形態とは異なる方向で展開していく可能性を示すものでもある.

****  本研究は,2002年8月の現地調査を中心に,2001年以降継続して行っているオーストラリアでのコミュニティ放送局への訪問調査の成果を踏まえたものである.オーストラリアにおける筆者の一連の調査にご協力をいただいた,すべての方々に,深く謝意を表するものである.
 本研究には,おもに2002年度の東京経済大学個人研究助成費(C02-05)「オーストラリアのコミュニティ・メディアに関する基礎研究」を用いた.また,諸般の事情から脱稿が遅れたため,統計の一部は2003年のものに更新し,新たな資料も参照した.これには2003年度の放送文化基金研究助成「オーストラリアにおける小規模ラジオ放送の運営実態」を得て渡豪した際に入手したものを利用した.以上,研究資金の提供に対し,記して謝意を表する.
 本稿の内容の一部は,日本地理学会2003年度春季学術大会(東京大学:2003年3月30日)において口頭発表した(一般研究発表532).
(投稿 2004年6月11日)
(受理 2005年2月12日)





文献


英文要旨

Community and Narrowcasting Radio Stations in Armidale, New South Wales, Australia

YAMADA Harumichi (Department of Communication Studies, Tokyo Keizai University)


Present system of radio broadcasting in Australia consists of four categories, namely national, commercial, community, and high-power open narrowcasting (HPON) stations. National broadcasters are ABC and SBS, nationwide independent non-profit broadcasting networks, resemble BBC in UK, and might be labelled as "public broadcasting" in some contexts. However, "public broadcasting" in the Australian context does not include ABC and SBS. As Australia imported the concept of "public broadcasting" from USA, it is a small independent non-profit broadcasting station that provides public access opportunities. Later, under the Broadcasting Act of 1992, community broadcasting was introduced to indicate this category, in order to avoid confusion.

Armidale is a small country town with population of 25,000, and home of University of New England (UNE) with some 4,000 students. History of non-profit local radio broadcasting in Armidale dates back to 1970, when UNE started a campus radio on AM band with a wireless telegraphy licence rather than a radio broadcasting licence. The station named itself Radio UNE (RUNE), and was one of the first campus radio services in Australia.

Through 1970s as the social demand towards accessible "public broadcasting" grew in Australia, people involved in RUNE started to seek possibilities to establish a "public" radio station in Armidale, taking advantages of the experience of RUNE. In 1976, a new "public" radio licence was issued to 2ARM, which then shared most broadcasting facilities with RUNE. Since 1979, 2ARM occupied its own studios and facilities in corners of Armidale city hall buildings and fully separated from RUNE. 2ARM enjoyed financially healthy period during 1980s, but its budget gradually shrank in 1990s mainly as the result of sliced federal funding to community stations.

Meanwhile, RUNE switched their transmission to the FM band in 1986, and renamed itself as TUNE! FM. As the new Broadcasting Act of 1992 established HPON as a new category of broadcasting, TUNE! FM applied for the narrowcasting licence in 1994, and started narrowcasting service by 1995, their transmission power was raised to 10W in 1999, enough to cover the most populated area of the city.

Community category stations are designed to serve specific community of audience, and 2ARM has been expected to serve general geographical community of Armidale. In reality, however, 2ARM mostly targets relatively elder population. Presence of RUNE/TUNE! FM cast shadows on the service of 2ARM. On the other hand, TUNE! FM is a rare example of non-profit narrowcasting services under the present system. While the other HPON in Armidale is mostly devoted to gamble racing information, TUNE! FM practically functions as community radio for young people in Armidale. Reality of 2ARM and TUNE! FM are slightly different from typical explanation of categories they belong, reflecting the needs and conditions of the locality they serve.

Key words: Australia, community broadcasting, narrowcasting, public broadcasting, radio, telecommunications


SOURCE: Geographical Review of Japan, 78-9, 545-559. 2005.
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