2004:
フォーラム: 「無料」なだけでよいのか?.
JAFNA通信(日本生活情報紙協会),34(隔月刊:2004/02/01).


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フォーラム

「無料」なだけでよいのか?

              東京経済大学 助教授  山田 晴通


 日本語の「フリーペーパー」における「フリー」は、単に「無料」を意味するだけなのだろうか?
 JAFNAは「生活情報紙」の協会であり、会の中では「フリーペーパー」という用語が「生活情報紙」と同義の言葉として、むしろ多用されている。日本語の語感とすれば、「フリーペーパー」が親しみやすい日常語で、「生活情報紙」はちょっと形式張った、例えば官庁などに対してこの業界の存在意義を主張するような場面に適した業界用語といったところだろう。
 同じものを指していても、ニュアンスが異なる用語はまだある。例えば、「無代広告紙」という言い方は、メディアに関する学術的な研究で使われてきた、ある意味では的確な表現だが、フリーペーパーの一つの側面しか捉えていない。詳しく論じるまでもなく、フリーペーパの本質は、「無代広告紙」として経営を成立させながら「生活情報紙」として地域社会において機能するところにある。
 日本語で「フリーペーパー」と称しているものを、英語では何というのか。もちろん「free paper」といって、意味が通じること間違いない。しかし、いろいろな機会に英語話者にこの質問をぶつけてみると、その人の立場や生活する地域によって、微妙に異なるフリーペーパー観をふまえた英語の表現が返ってくる。
 例えば、「コミュニティ・ペーパー」という答が返ってくることはとても多い。だが、これは有料・無料を問わず、コミュニティ(小さな地域社会)の情報を伝える機能を持った新聞の総称であり、有料の新聞についても使えるし、逆に、広告に特化した新聞には使えない用語である。
 一方、広告主体のものは、「ショッパー」「フリー・クラシファイド・ペーパー」といわれることが多いようだ。英語の世界でも、「生活情報紙」的な捉え方と、「無代広告紙」的な捉え方があるということになる。ちなみに、英語で「free paper」とうときの「free」は、はっきり「無料」という意味なので、日本語の文脈における「フリーペーパー」のような、二つの捉え方を統合する言葉は、英語には欠けているようだ。
 「フリーペーパー」という用語は、ある意味では非常に巧妙な表現である。日本語の「フリー」は当然ながら英語の「free」を想起させるが、様々な含意のある「free」のどのような意味が「フリー」に込められているのかは、言葉を受け取る読み手側の解釈に開かれている。「フリーペーパー」の「フリー」は第一義的には「無料の」という意味だが、そこに「自由な」あるいは「独立した」といった含意を共鳴させ、あるいは滑り込ませながら、読み手はフリーペーパーの何たるかを理解していくことになる。
 もちろん、「フリーペーパー」に「自由」という含意を読み込むのは、元々は誤読である。しかし、「蚤の市(flea market)」だったはずの「フリーマーケット」が、日本語ではしばしば「自由」の含意があると誤解されつつ盛んになっているのと同じように、日本語の文脈で、「自由」なメディアとしての成熟をフリーペーパーに期待するのは、あながち乱暴なことではないだろう。
 日本語の「フリーペーパー」、少なくともJAFNAに参加している「生活情報紙」を標榜する「フリーペーパー」の「フリー」は、単に「無料」を意味するだけではないはずだ。「ただの<無代紙>ではない」と制作現場の方々が胸を張れる紙面作りを、読者の一人として期待している。



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