書評:2001:

箸本健二『日本の流通システムと情報化―流通空間の構造変容―』.

経済地理学年報(経済地理学会),47,pp134-137.



箸本健二著『日本の流通システムと情報化―流通空間の構造変容―』古今書院、2001年、229頁、5,500円

 本書は、博士論文をもとに構成された、著者にとって最初の単著書である。本書のあとがきに詳しい経緯が書かれているように、本書の核心的な部分は、主な学会誌に既に発表されており、この分野に関心のある読者は既に内容の過半を知っているはずである。序章と終章を別にすると、本書を構成する八章のうち、二章は経済地理学年報に掲載された論文ほぼそのままであるし、他の四章は地理学関係の雑誌に掲載されたものをそのまま、ないし再編して構成したものである。新稿とされる残り二章も、その一部は経済地理学年報掲載論文を含む既発表論文が活用されている。
 また、この書評を理解していただくためには、本書の著者(箸本)と評者(山田)の関係についても、予め説明をしておかなければならない。著者から見た評者は、年齢こそ近いものの、大学院の先輩にあたり、かつての職場における先任の同僚でもある。また、本書では、評者の旧稿も引用されているし、あとがきでは評者に対する謝辞も述べられている。研究分野が異なっているとはいえ、著者と評者は、研究者としてのつきあいの上では身内同然といってよい親しい関係にある。しかも、この書評は著者からの依頼を受けて執筆したものである。これだけ条件が揃っているのだから、評者がこの書評で本書をいくら「褒めた」ところで、それは身びいきのなせる業であることを読者は容易に読み取ることができるだろう。
 要するに、通常の書評で字数の大半を占める、内容の紹介と、予定調和的な批判も含めた肯定的評価が、この書評では意味をなさないのである。とはいえ、流通研究に特に関心がない読者や、地理学界に身を置いていない読者も、経済地理学年報を読んでいるのだから、ここでもやはり内容紹介は必要であろう。そこで、この書評では、まずひと通り各章の内容を紹介した上で、本書が全体として提起する議論の射程を、評者の感想という形で述べてゆくこととしたい。
 日本の流通システムに関する地理学的研究を簡単に展望した序章に続き、第1章「情報化と産業活動−地理学からのアプローチ−」では、情報化が諸産業に及ぼした影響について、地理学分野において積み上げられてきた研究がレビューされている。章末では、「地理学が捉えてきた情報化の空間効果」が、「対面接触の代替」「情報交換に要する時間の短縮」「コミュニケーションコストの削減」という相互に関連する3点に総括され、既往の研究において具体的事例研究が少ないこと、業務拠点の機能分担についての議論やコスト面を組み入れた考察が疎かになりがちなこと、などが指摘されている。
 第2章「情報化と流通システム」は、流通業における情報化をソースマーキングやPOSシステムの普及を軸に捉えて、議論の枠組みを整理している章である。POSデータを利用した分析は、あとがきにもあるように著者の研究の出発点であり、少なくとも地理学の分野では著者が第一人者である。この章で提示されている議論は、本書のみならず、ここ数年来の著者の旺盛な研究活動の全体像を貫くものといえよう。
 著者によれば、情報化によって流通システムは、「川下側へのパワーシフト」「取引サイクルの短縮」「企業内部における組織の再編成」「垂直的な協業化」といった方向での変化を生じた(pp42-43)。その結果「拠点配置、拠点機能、そして財や情報の経路など、流通システムの空間構造」には、「中間流通の再編成」「卸売業の上位集中化」「生産・出荷体制の広域化」「営業網の再構築」「垂直的な協業の進行」といった状況が反映されてきたのだという。
 販売データの把握が可能になることによって、大手のチェーンストアなどへのチャネル・リーダーシップ(流通経路における主導権)の移行(強化)が生じ、もっぱら小売側に有利な新たな取引慣行が構築される。その過程で、情報関連投資を含め、小売側の要求に応じられる卸売が選別され、より強く小売と結びつくようになる、つまり垂直的協業が進む。その陰で、小売の要求に応じきれない卸売は淘汰されていくことになる。一方、生産者や卸売など川上側の事業者は、小売側の厳しい要求に応じながらコスト削減を達成すべく、物流を中心に体制の再構築を強いられた。流通在庫経費の圧縮の努力が生産・出荷の広域化を招来し、小売との協業に対応すべく営業網も再編されたのである。
 このような変化の構図を、具体的な実証的データの分析によって、論証していくのが、以下の諸章である。
 第3章「チェーンオペレーションの効率化と配送システム」は、長野県の信州ジャスコ(当時)で取り組まれた量販チェーンの配送システム再編の検討である。ここでは、コンビニエンスストアなどに準じた「窓口問屋」制度が採用され、商流と物流の分離、物流と情報流の分離を通じて流通コストの削減が行われたことが示されるとともに、主導権を握った大手小売企業が、卸売を選別し、自らに有利な取引形態を確立する過程が明らかにされている。
 第4章「店舗の販売特性と商圏対応」は、某コンビニエンスストアのPOSデータの分析から、コンビニエンスストアの個別店舗が売上(商品構成)において多様な性格に分類できることを示し、それが、商品の単品管理から得られたデータを踏まえたマイクロ・マーチャンダイジンングの結果であると論じている。越え難いデータの限界があり、少々隔靴掻痒の感もあるが、ここで例示されたきめ細かい商品構成戦略が大手小売企業の力を生んでいることがよく理解できる。
 第5章「多頻度小ロット配送化と生産・出荷体制」は、日用雑貨メーカーの代表的企業である花王の例を中心に、小売側からの多頻度小ロット配送の要求に応えるため、メーカーが配送体制を再編成していった過程を説明している。過去30年間の情報化への対応によって、メーカーの営業拠点は集約化が図られ大幅に数が減ったが、配送拠点はほとんど変化していない。これは、多頻度小ロット配送が前提となっており、個々の配送拠点の配送圏を拡大することが困難なためである。物流コストの削減が、もっぱら「流通在庫の集約」によって追求された結果、配送拠点は在庫の持ち方によって、全製品の在庫を持つ少数の「大規模配送拠点」、高回転率商品のみを在庫する「小規模配送拠点」、仕分け・配送に特化し、在庫を持たない「ターミナル」に分化した。このうち、特に大規模な配送拠点が、幹線道路沿いなどに、営業拠点から切り離されて立地するようになったことは都市構造の観点からも重要であろう。
 第6章「多品種化と生産・出荷体制−ビールメーカーの事例−」は、キリンビールの例によって、多品種化に進んだビールメーカーが低回転率商品の生産を特定工場に集中して出荷を広域化させ、それを前提とする物流再編を行った過程を説明している。基本的な構図は、前章の花王の場合と重なるが、キリンビールの場合は流通在庫の圧縮が、外部倉庫の賃借費を大幅に圧縮したという点に特徴がある。
 第7章「営業活動の情報化と営業組織−消費財メーカーの事例−」は、大規模消費財メーカーへのアンケート調査(回答43社)と、「とりわけ情報化に積極的な7社」へのヒアリング調査に基づいて、情報化による営業組織の変化の動向を明らかにしている。情報化は、本支店等の営業拠点間の業務分担を変化させ、末端の営業拠点が行っていた営業活動の一部に上位拠点が関与する機会が拡大する。特に、重要性を増した大手チェーンストア等への対応においては、上位拠点に対応部署が集約される。しかし、これは本社への権限集中を意味するものではなく、全国で数ヶ所程度の広域拠点に権限が集められる傾向がうかがわれる。こうした動向は都道府県単位レベルの営業拠点の地位低下や統廃合を暗示するものであり、都市システム論の観点からも注目されよう。
 第8章「流通システムの空間構造の変容」は、第2章で提起された「中間流通の再編成」「卸売業の上位集中化」「生産・出荷体制の広域化」「営業網の再構築」「垂直的な協業の進行」といった状況認識に沿って、第3章〜第7章の知見を整理し直したものである。続く終章では、補論として、「情報流動の空間構造」「インターネットと流通システム」「流通空間の変容と都市間競争」についてそれぞれ短い考察がまとめられている。
 以上が本書の内容の紹介である。以下は、本書を読み、また改めて関連文献を斜めに読んだ上での評者の文字通りの感想(感じ、想ったこと)である。
 経済地理学は、通常の経済学の理論において捨象されている空間性を議論の枠組に導入する。そこでは様々な議論が提起されるわけだが、代表的な論点となるのは、交通・輸送の問題と、市場の不透明性の問題である。情報化は、特に後者との関係で、消費財から不動産、証券類から外国為替まで、あらゆるものの取引環境を大きく変化させてきた。通信メディアなり情報ネットワークの発達が、市場の不透明性を克服し、取引の形態を変化させるという経験自体は、現代に特異なものではなく、伝書鳩も電信も、それぞれの時代におけるニューメディアとして経済活動のあり方を大きく変化させてきた。しかし、消費財における商品単品レベルでの流通状況の把握を可能にしたPOSデータの出現以降の状況は、不透明性の克服という観点に立てば、究極的といってもよいくらいの、ひとつの画期的な段階に到達したと評価できるだろう。
 個別の店舗レベルで商品単体に至る販売実績の計数管理を実現させるPOSデータの出現は、マイクロ・マーチャンダイジングの発達を促し、小売は、より的確な需要予測を立てることが可能になった。そのことが流通システム全体における流通在庫の圧縮を可能にし、より効率的な流通システムが、小売主導で実現することになったわけである。小売は流通全体を効率化しつつ、なお残る矛盾なりコスト負担を川上側に負担させることで、卸売を選別、淘汰する。メーカーも卸売に準じて流通政策を見直さざるを得なくなっている。本書を読み進むうちに、改めて思い出されたのは「流通革命」という言葉である。新世紀を迎えた今日、われわれは「流通革命」の最終段階ともいえる、卸売業の淘汰と、大手チェーンストアによる市場の寡占にたどり着こうとしている。かつて理念的なスローガンであったことが、今や実体をもって機能しているのだということを、強い説得力で思い知らされた。
 一般に、市場が不透明であれば、需要予測は常に不正確であり、それを前提として冗長性を組み込んだシステムが構築される。つまり、どの程度の在庫を持つべきかという判断が、一種の投機性を帯びている状況下では、在庫切れによる機会逸失を回避し、のれん(信用)を維持することが優先されるため、流通在庫は多くなり、危険分散の意味合いも含めて流通経路は複雑で多段階的なものとなる。これに対し、不透明性が徐々に克服されるということは、もともとのシステムに組み込まれていた冗長性が殺ぎ落とされていくということであり、システムの環境への適応性が研ぎ澄まされていくことを意味している。需要予測がより正確になってゆけば、流通在庫は圧縮され、流通経路も中間段階を整理した比較的単純なものへと変わってゆく。しかし、そこには過剰適応のおそれはないだろうか。あるいは、計画的に冗長性(それはコストがかかる)を組み込むという発想は存在しないのだろうか。
 冗長性を排除して、生産性を高める方向での合理化が進み、コストが圧縮されていくことは、経営する側から見れば歓迎すべきことである。しかし、システムの再構築は、そこに関与する事業者間の力関係を変化させるばかりでなく、労働の位置づけ、あり方にも、何らかの影響を与えているはずでる。例えば、冗長性の排除による生産性の向上が、往々にして実質的な労働強化を強いるものであることは、改めて論じるまでもないだろう。コストの圧縮を論じる際には、それが本当に矛盾の解消によってシステムが改善された成果なのか、実際には単なる矛盾の転嫁によるものなのかを見極めた上で、議論していく視点が必要になってくる。例えば、物流過程におけるピッキング作業の機械化、自動化のように、配送拠点における作業環境を改善し、処理能力を高める取り組みは、流通システム全体の観点から見ても合理化と評価できる。しかし、大手チェーンストアが窓口問屋=ベンダーに負担を転嫁する場合のように、システムの再編成の中で矛盾がコスト負担という形で他者に押し付けられるようなら、それは流通システム全体のとしての合理性には必ずしもつながらないはずである。
 著者が本書で描き出したのは、新たな情報システムの出現を梃子に、流通産業が市場環境にフレキシブルに適応した過程である。その先には、例えば、この新たな流通の形態のシステムとしての信頼性の問題があるように思われる。第一次石油危機の際にトイレットペーパーが店頭から消えたのは、当時の日用雑貨の中で消費量が最も安定し、それゆえ流通在庫が既に圧縮されていた代表的な商品だったからではなかったか。そのようなカタストロフィックな事態の想定には至らなくても、新たな流通システムが齟齬をきたす局面は考えられないのだろうか。研究者としてというより、一消費者として気になるところである。
 不透明性が克服されるということは、また、交通・輸送の問題を別とすれば、空間性が克服されていくということである。市場が比較的不透明な状況で存在したニッチは失われ、市場はある意味では均質空間としての実態を見せるようになるはずである。ここでいう均質性とは、需要のあり方が均質だという意味ではない。第4章で論じられているように、多様性をもった需要にあり方に対して、同じ方法で需要が予測され、一貫したマイクロ・マーチャンダイジングの手法に基づく対応が流通を支配することを、均質的と捉えているのである。そのような均質空間としての「日本の流通空間」は、どのような内包と外延をもっているのだろうか。そして、今後はどのような展開が見通されるのだろうか。
 さらに今後、信用貨幣(クレジットカードやデビットカード等々)による決済が普及してゆけば、商品単品の管理の先に、消費者個人単位の管理までが「マイクロ・マーケティング」の現実的課題として浮上してくる可能性もある。これは、サーベイランス(監視)の問題であり、プライバシーの問題でもあり、当面は単なるSF的な杞憂に過ぎないのかもしれないが、徹底した顧客管理を可能にする新たなシステムが開発されてゆくのにつれて、早晩議論を呼ぶことになってゆくだろう。
 本書が扱っている流通産業は、資本の論理が貫徹する世界、あくまでも「企業的経営」を追求する事業者たちが構成する世界に属している。しかし、現実の小売業の中には、経済合理性を伴わない「生業的経営」の水準で存続し続けている数多くの事業者が含まれている。その数は、減少傾向にあるとはいえ、やはり膨大な数になるだろう。特に、地域社会の中核的担い手でもある中小の小売業者は、その大部分が「生業的」存在であるといってよかろう。本書の中で著者は、卸売の淘汰が進めば、地域の中小小売業に大きな影響が生じかねないことを指摘しているが、本書の議論と、こうした中小事業者の存在については、まだまだ論じられるべきことがあるように思う。例えば、もっぱら中小小売業への対応を行う卸売業が一種のニッチとして存続し得るとしたら、そこではどのようサービスが必要になるのか、といった問題の立て方から出発して、議論を深めていくことが大いに期待される。もちろんその射程には、経済外的な視点からの検討や、政策論的な議論が必然的に入ってくるはずである。
 本書が取り上げている対象企業は、情報化対応において、日本でも最先端を進んでいるような、先進的企業ばかりである。本書のアプローチは、産業社会における平均的なありようを追い求めたものではなく、母集団の中から最も顕著なサンプルを抽出して、最も明解な変化の構図を切り取って見せようとするものである。その意味では、中小小売のみならず、大手小売企業や大手卸売や大手メーカーの中にも、ここまで徹底した情報化対応ができていないところは多々ある。本書を見る限りでは、大手チェーンストアならどの企業でも大差はないような印象を受けるが、実際には情報化対応の方向や進度にしても、それを通じたコスト削減努力の成否についても、企業間でばらつきがあるのではなかろうか。
 ポスト・バブル期における大手チェーンストアを中心とした流通業界は、一斉に打撃を受けた段階を経て、「勝ち組/負け組」が鮮明に色分けされるような、企業間格差があらわになる段階を迎えている。本書で論じられているような、情報化を通じた合理化への努力や、合理化の成果が、経営全体の中でどの程度の位置づけにあり、近年の企業間競争においてどのような役割を果たしてきたのかを検討する作業は、今後の大きな課題であろう。経営的困難に直面しているような大手小売企業と、堅調な経営を維持している同業者とでは、情報化への取り組みに違いがあるのだろうか。
 本書が示している情報化の帰結は、大手小売チェーンストアが主導するごく少数の垂直協業が、小売市場を寡占的に支配するという構図の市場秩序である。しかし、この寡占構造は、どこまで競争的な性格をもつのであろうか。その疑問に応える議論は、本書の中にはない。また、中小事業者の連合による垂直協業が、こうした枠組に一定の力量を備えたプレイヤーとして参入できるか否かも、十分には議論されていない。そして、こうした市場秩序の中で、卸売であれ小売であれ、中小事業者が生き延びていくニッチがどこにあるのか、議論はほとんどなされていない。こうした問いかけは、本書を乗り越える議論を目指す者にとって、避けて通れない今後の課題である。
 以上、文字通りの感想として、感じるまま、想いつくままに述べたが、最も重要なのは、徹底して具体的で実証的な研究成果を積み重ねた本書が、こうした様々な問題意識を呼び覚ます、一種のインスピレーションに満ちた書物だということである。本書に集約された、著者の近年の仕事は、従来の「商業地理」というコンセプトを乗り越える「流通地理」の確立と発展に大きな貢献をしてきた。POSデータ分析をはじめ、流通産業における情報化の現場に身を置いた経験と知見を踏まえた著者の一連の仕事は、多くの地理的現象の解明に大いに貢献してきた。しかし、著者の仕事の価値は、多くのことを解明してきたこと以上に、より多くの思考を喚起するところにある。
 なお、最後に一言だけ苦言を述べておきたい。本書のような良質の研究書は、できるだけ多くの学生にも読ませたいところである。しかし、そうするには本書は少々値が張りすぎる。出版助成を受ける関係で、大きな部数を刷ることができないという事情があったらしいが、それにしてもこの価格は残念な気がする。

(山田晴通)




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